Melting Sweet

雪原歌乃

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Melting Sweet

Act.4-02

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「――私、そんなたいそうな人間じゃないわよ……」
 恥ずかしさに耐えかねて、ポロリと漏らしてしまった。
「どこに行ったって女ってだけで舐められるから、強くてしっかりした女を演じないとダメなのよ。職場では特にね。
 私はほんとはひとりでいることに耐えられない性格だから、杉本君ぐらいの頃は合コンにたくさん参加して、そこで出逢った男と付き合ったこともあった。とにかく、誰かの温もりが常に恋しくてね。――でも、よっぽど男運が悪いのか、すぐに浮気されて最終的には喧嘩別れ。もちろん、一番悪いのは、全く見る目がなかった私だけど……。ちょっと優しい言葉をかけられると、すぐにコロッと騙されるから……」
 ここまで言って、私はハッとした。何故、杉本君を前にこんな話をしてしまったのか。
 私は気まずさを誤魔化すように、日本酒をグイと呷る。空になったコップを枡の横に置くと、恐る恐る杉本君を見た。
 杉本君はジッと私を見つめている。まだ半分ほど残ったコップ酒を手に、神妙な面持ちだった。
「――人の温もりが欲しいと思うのは、誰だって同じじゃないかな?」
 杉本君は日本酒で口を湿らせてから、続けた。
「俺だって、誰かに側にいてもらいたいって思うことがあります。ひとりでいるのは確かに気楽ですが、誰もいないアパートに帰って、コンビニ弁当をつまみにビールを飲むのは虚しいですから。でも、誰でもいいわけじゃないんですけどね。――自分がそばにいて欲しいと思う人は、自分が本当に好きな人だけです……」
 杉本君の言葉に、私はドキリとした。別に深い意味はなかったのかもしれない。けれども、杉本君が言う、〈本当に好きな人〉がどうしても気になってしまった。
「あの……」
 私が言いかけた時、襖の向こうから、「失礼しますよ」と声をかけられた。女将さんだ。
「あ、今開けます」
 杉本君はその場から立ち上がり、襖を開けた。
 女将さんは、杉本君が注文した料理、そして、気を利かせてお酒の追加も持ってきてくれた。しかも、宵の月の酒瓶をそのままと氷入れまで。
「すぐ飲みきっちゃうんじゃないかと思いましたからね」
 そう言いながら、座卓の上に刺身と玉子焼き、肉じゃがをそれぞれ載せてゆく。もちろん、取り皿も用意されている。
「それじゃ、ごゆっくり」
 女将さんは、よっこらせと腰を上げ、お盆を手に階下に戻って行った。襖もしっかり閉めきっている。
「食いませんか?」
 女将さんがいなくなってから、杉本君が言う。
「あ、そうね」
 私は箸を手に取り、ほんのりと焦げ目のついた玉子焼きを掴んだ。断面を見るとほとんど隙間なく綺麗に巻かれていて、料理音痴な私はただただ感心する。口に入れると、出汁と砂糖の甘味がいっぱいに広がり、いっぺんに幸せな気分に浸れた。
「ああ、この玉子焼きほんと美味しい」
 素直な感想を口にした私に、杉本君は、「ここの女将と大将はどっちも料理上手ですから」とまるで自分のことのように得意げになっている。
「店は……、まあ、良く言えばレトロです。でも、ここの料理はほんとにどれもハズレがないです。いい酒が揃っていて、おまけに料理も絶品。そして値段はリーズナブル。今時、こんないい店はないですよ。女将は愛想があまりないですけど、よく気が付く人ですから。先を見越して、こうして酒の追加もちゃんと持ってきてくれたでしょ?」
「確かに。ここまで気配りのある人もなかなか珍しいかも」
「長いこと商売をしてるから、酒に強いかどうかはだいたい一目で分かるらしいですよ。だから、唐沢さんも相当強いと一発で見抜いたんでしょうね」
「――それって、喜んでいいもんなの……?」
「悪いことじゃないと思いますよ」
 杉本君は口元に笑みを湛えながら、お通しのレンコンのきんぴらに箸を付ける。シャキシャキと噛み砕く音が聴こえて、食欲をそそられる。
「話を戻しますけど」
 一度箸を置いた杉本君は、一杯目の枡に溢れていた日本酒を、コップに移さず一気に喉に流し込んだ。
「俺はこうして憧れの人とふたりで酒が飲めるのがほんとに嬉しいんです。ずっと声をかけたいと思っていたけど、気軽に誘うなんてさすがの俺でも出来ませんから。仕事絡みならば別ですけどね。
 こんなことを言ったら唐沢さんの気を悪くするかもしれませんけど、今日の送別会はいいきっかけになったと思ってます。――唐沢さんが二次会に参加しないと分かった時点で、チャンスだ! って心の中で叫んでました」
 そこまで言うと、杉本君が真っ直ぐな視線を私に注いでくる。何となく気になっていた、杉本君の〈本当に好きな人〉。自惚れにもほどがあるとは思った。けれども今、杉本君は確かに私に対し、『憧れの人』と言った。
「――私と杉本君じゃ、全く釣り合わないじゃない……」
 杉本君の真剣な眼差しに耐えられなくなった私は、俯いて視線を逸らした。胸の鼓動も速度を増し、身体も小刻みに震えている。本当にらしくない。
 ふと、畳の擦れる音が聴こえてきた。私は正座した膝の上に両拳を置いたまま硬直する。
 そっと私に近付いてきた杉本君の手が、私のそれに躊躇いがちに触れてくる。
「――年下の部下は恋愛対象外、ってことですか?」
 私は弾かれたように顔を上げる。私と目が合った杉本君は、哀しげに笑みを浮かべていた。
 胸の奥が酷く疼く。そんなつもりで言ったわけじゃなかったのに。
「――違う……」
 私は訥々と言葉を紡いだ。
「杉本君は人気あるんだから、もっと若くて可愛い子と素敵な恋愛が出来るじゃない。でも、私は若さもなければ可愛げも全然ない。さっきも言ったでしょ? 私は杉本君ぐらいの頃は温もりが欲しかった、って。でも、私は杉本君とは違って、相手は結局誰でも良かった。男に言い寄られてすぐ抱かれて、偽りでも愛の言葉を囁かれてさえいれば満足。ほんとはそんな軽い女なのよ、私は……」
 言い終える間もなく、私の視界がぼんやりと霞んできた。瞼の奥は熱くなり、透明な雫が幾筋も頬を伝ってゆく。
 頭の中はぐちゃぐちゃだった。友人達に、これまで付き合ってきた男達の愚痴は零したことはある。けれども、ちょっと吐き出す程度で、ここまで取り乱すことはなかった。
 それなのに、今日は本当にどうしてしまったのだろう。お酒に酔ったフリをして、杉本君の同情を買いたかったのか。でも、冷静になって考えてみれば、私の恋愛遍歴は、同情どころか引いてしまう。
 杉本君はきっと呆れている。男にだらしなかった過去の私に幻滅して、これからは距離を置く。そして、私とは比べものにならないほど素敵な子と素敵な恋愛をするだろう。私の中で、そう結論付けた。
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