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そろそろ10歳

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「黎明の女神を連れてきた。入るぞ」

 王弟殿下が持つ、ランプの明かりのみが照らす薄暗い室内。その奥の壁に面した天蓋つきのベッドに人の気配がします。開け放たれているテラスから、気持ちの良い夜風が入ってきました。
 天蓋の薄布は閉められていますが、予想通りガンガーラ王ならば薄布越しとはいえ姿を拝見するのははばかられます。ですから顔を伏せたまま王弟殿下と共に歩きました。
 部屋の中央付近で王弟殿下が足を止めましたので、私はそこでガンガーラ式の最敬礼を行います。

「よい。おもてを上げよ」

 ひざまずいたまま、顔を上げました。声が思っていたよりも若いです。
 王弟殿下が壁穴にいくつも設置してあるランプにも火を灯していきました。徐々に明るくなっていく中で、薄布の向こうにいる人の影が起き上がります。

「この様な所で申し訳ない。少々、気分が優れなくてな」
「いいえ。お気遣いは無用でございます」

 このまま布越しに話すのかと思っていたら、その向こうにいた人影があっさりと布をひきました。そしてベッドの端に腰かけます。
 ざっくりとした、くびれのないワンピースのような絹の夜着に身を包んだ褐色の肌の人物は、少年かというほどに小さく、華奢で、ランプの薄明かりでもわかるほど美しい人でした。

 文句の付けようがないほど理想的な弧を描く細い眉と、それに続く整った鼻梁、ふっくらとした唇はやや青みがかった桃色で、薄く開いています。ランプの明かりに艶めく濃紺の長い髪が、一見して上質とわかる寝具の上に流れ、長く過密なまつ毛が影を落とす切れ長の、王弟殿下と同じ青緑色の瞳が私を見下ろしています。

 話し方から身分が高い方だというのはわかるのですが、この人は誰なのでしょうか? てっきりガンガーラ王だと思っていたのですが、目の前の美人は10代後半くらいです。ガンガーラ王は40歳手前のはず。
 ではこの方は王弟殿下のいい人とか、そんな感じなのでしょうか?

「起き上がっても大丈夫なのか? 兄上」

 王弟殿下の言葉に、真っ先に頭に思い浮かんだ言葉は・・・。

 合法ショタ。

 ちょっと。制作者。伏線しっかりばっちり考えて、ぼつったんでしょ? そうですよね?! 系統は違いますが、性別を感じさせない美形の王族って、ヘンリー王子とキャラがかぶりますからね?!
 2人の違いを花で例えるならば、ヘンリー王子がカトレアで、ガンガーラ王が胡蝶蘭。うん。とりあえず両者とも花を背負う美形という認識でOK。

「悪いが兄上にはあんたの能力を話した。ケララのように触れなければできないのだろう? 兄上も触れることには同意している。治癒術師でも治せぬ兄上の不調を治して欲しい」
「・・・治せるかどうかはやってみなければわかりませんが、それでよろしければ」
「いい。嘘、偽りなくできないのならば、仕方がない」
「わかりました。陛下、失礼いたします」

 レオンの言った通りになりましたね。
 非公式にこのような真夜中に呼ばれたのですから、とっととやってくれという事でしょう。私は一気に近付くと、陛下の足元に跪きました。そしてその美しい顔を見上げます。
 王弟殿下もランプを持って近付いてきました。

 前世からの癖で、つい最初に口元へ目が行きます。光源の下でよく見ると陛下の唇は乾燥してひび割れ、その隙間からやや黄みががかった歯が見えました。
 日常的に嘔吐している方によく見られる所見で、歯の表層のエナメル質が胃液で溶けて薄くなり、その下の組織が透けるため、黄みがかって見えるのです。酸を扱う職業の方にもみられるのですが、ガンガーラ王がそうである可能性はないでしょう。

「発言をお許しいただけますでしょうか?」
「許す」
「陛下はよく嘔吐されますか?」
「・・・ああ。私は昔から食が細くてな。食べ物を口にすると気分が悪くなって、吐いてしまう。それがほぼ毎食だ」

 食事の度たびに嘔吐するなんて・・・美しく手入れされた爪からは、過食症ではなさそうな印象を受けます。前世でメジャーだった病気ならなんとなく覚えていますが、そう詳しいわけでもありません。ここは魔法の出番ですね。

「私の手に触れていただけますか?」

 私が差し出した右手に、陛下が戸惑いながらも指先を乗せます。私を基準にして闇魔法で陛下の状態異常を探ると、浮かんだのは「アレルギー反応」と「飢餓」、「体の未発達」、それから・・・面倒なものを見つけてしまいました。

「陛下、口にすると気分が悪くなる特定の食べ物はありますか?」
「いや。これといって思い浮かばぬ」

 食物アレルギーではない? でも食べると気分が悪くなって、状態異常である「アレルギー反応」があるのですよね?
 面倒な方。少しずつ蓄積されていく系統の毒も見つけましたが、症状はまだ出ていませんので、嘔吐の原因からは除外できます。
 まあ、いいや。「アレルギー反応」があるのですから、「アレルゲン」を特定してしまえばいいのです。

 今度はアレルギーに焦点を絞って、状態異常を探りました。結果、すぐにガンガーラ王の「アレルゲン」が判明しました。これはほぼ毎食、口にされていると思います。辛かっただろうな。
 だからこそ食が細く、「飢餓」状態で「体が未発達」なのでしょう。これ以外にもいくつか「アレルゲン」がありますが・・・。

「米・・・は、ガンガーラの主食でしたね」
「? そうだ」

 私の独り言に、陛下が返答されました。
 不敬を咎められるかと思って王弟殿下をちらりと見ましたが、意に介した様子はありません。こっそりほっとしつつ、陛下の「食物アレルギー」を状態異常として認識し、私の左掌ひだりてのひらへ凝集するようイメージします。ついでに蓄積していた毒物も。
 「飢餓」はこれから食べて治していただくとして、「体の未発達」はどうしましょうか。急に背が伸びて大人びてしまえば、別人だと騒ぎになってしまいそうです。ここは王族に必須の生殖能力だけ、改善しておきましょう。そうしましょう。

「それはなんだ?」

 赤黒く丸い親指ほどのそれを、陛下はじっと見つめていました。球はくるくると回りながら大きくなっていきます。

「これは・・・陛下の病を視覚化したものです」
「ほう・・・」

 興味深そうに見ていた陛下の、私に触れていない方の手が動きましたので、さりげなく遠ざけました。
 別に触れても害はありませんけど、こんな気味が悪い色のものに触ろうとしないでくださいよ。

 そろそろ終わりかなという頃に、オニキスが眉間にしわを寄せた状態で寄ってきました。陛下のベッドの手前、病の球の向こうにお座りをして、私を見つめてきます。

『カーラ、頼みがある』

 おや。珍しいですね、オニキス。こんなときに話しかけてくるなんて。なんですか?

『王に精霊との契約方法を伝えて欲しい』

 え。嫌ですよ。だって、精霊の自殺に手を貸すようなものではないですか?!

 表情を変えないように気を付けながら、心の中でオニキスに抗議しました。オニキスは私から視線をそらしません。その闇色の瞳が微かに揺れました。

『濃紺・・・王の精霊は精神の疲弊ひへい顕著けんちょだ。このままでは、あと10年も持たずに狂い始めるだろう。・・・深紅のようにな』

 陛下の精霊に何か言われているのでしょうか。オニキスの眉間のしわは深く、耳も力なく垂れています。

『頼む。狂ってしまってからでは遅いのだ。濃紺に選択肢を与えてくれ。それに狂った精霊の意識が宿主・・・この王に伝搬でんぱんするのは、決して良い結果にはならないと思うぞ』
「・・・」

 オニキスが精霊には明確な寿命がないと言っていました。そして狂って霧散するものもいると。
 自らの死期を縮める行為に、嫌悪感はありますが、同情心もあります。

 そうですね。いいでしょう。私だって、レグルスのような精霊を増やしたいわけではありません。
 でも、もし・・・というか、契約するつもりなのでしょうけど、契約が成立したなら、陛下の精霊に毒の取り除き方を仕込んでくださいね! 食べ物の場合と、体内の場合の両方ともですよ!

『わかった。今晩中に叩き込む』

 私は触れたままだった陛下の指先から、許可も得ずに闇魔法で「精霊との契約方法を他者に伝えられない」と制約を付与しました。そして王弟殿下に聞こえないよう、風魔法でこっそり音を遮断します。

「陛下、お願いがあります」
「なんだ?」

 陛下はまだくるくると回っている、ピンポン玉くらいになった球をながめながら答えました。王弟殿下もそちらに興味を奪われているため、私たちが会話しているのに気付いた様子はありません。

「陛下の精霊に名を与えてはいただけませんか?」
「構わないが・・・」

 私の掌の上で回り続ける球から視線を外すことなく、陛下が少しの間の後に口を開きました。

「そうだな。ヴィーナでどうだ? 大河の流れのような音を奏で・・・る・・・」

 陛下が私の背後を見て、硬直しました。私も振り返ってみて、唖然とします。
 あー。これはあれです。ナマズ。2メートルは余裕であるだろう濃紺のナマズが、中空を悠々と泳いでいます。
 王弟殿下がランプを落としそうになって、慌てていました。その隙に風魔法を解除します。
 ナマズがこちらを向きました。つぶらな瞳が意外と可愛いですね。

『礼を言う。黒の娘』
「いいえ。後はご自分で説明してください」
『ああ。黒も、ありがとう。嫌な役回りをさせて悪かった』

 慌てるガンガーラの王族2人から、そうっと距離を置きます。そのまま転移しようとして、王弟殿下に気付かれました。

「ちょっと待て! ナマズは兄上の好物だが、これはなんだ?! 治療は終わったのか?!」

 ちっ。バレては仕方がありません。少し説明することにします。

「治療は完了いたしました。対価は払いましたので、約束を違えることが無いようお願いいたします。それからそのナマズは陛下の精霊です。詳しくはその・・・ヴィーナ様からお聞きください」

 ゆったりとした動きでヴィーナが陛下に近付き、その背後に寄り添います。
 ナマズ・・・好物なんですね。陛下は名付けながら、食べ物を思い浮かべていたのでしょう。まあ、姿は変えられますし、後でゆっくり当事者同士で話しあって頂ければ問題ありません。

「は?! あんた・・・じゃない、黒! いったい全体何をした?!」

 律儀に言い直す、王弟殿下。私はさらに2人から離れ、入ってきた扉の方へ後ろ向きで向かいました。

「それもヴィーナ様にお聞きください。では、ごきげんよ」
「また会いたいときは、どうすればいい?」

 略式の礼をしようと胸の前で手を合わせた所で、陛下が口を開きました。もう会わないと宣言するために息を吸って、言葉を吐く前に、陛下が艶然と微笑みます。

「もちろん、対価は払おう」

 ここはあれです。無理難題を示して、突っぱねましょう。

「・・・生涯、戦争をしないと誓って頂けるのであれば、緊急時の呼び掛けにお応え致します」
「いいだろう」

 さらっと通りましたね。絶句する私を見て、陛下が満足げに笑みを深めます。
 仕方がありません。ゲームでは亡くなっていたであろうこの方に何かあって、ゲーム通り亡くなりでもしたら、今度こそ戦争になるかもしれませんし。私が緊急と判断できない時は、応じない方向で行くことにします。

「ヴィーナ様に言伝ことづていただければ、大丈夫です」

 以上ですね? もう私は帰りますよ!
 略式の礼をやめて、最敬礼をとりましたが、今度は止められませんでした。

「では、ごきげんよう」

 私は逃げるように部屋を出て、転移で廊下のクラウドの元へ行き、そしてすぐ転移で自分の寝室へ帰りました。

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