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婚約破棄されました。

4 姫巫女の記憶(1)

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 それは長閑な昼下がりの事である。

 私の内々の婚約者である王太子が、いきなり隣の席から立ち上がったかと思えば。
 おもむろに王妃の庭の整えられた庭木の奥へと立ち入り。
 十代半ばほどの年齢の少女を引き連れてきて。

 目の前で婚約者に対し、別の女の肩を抱くなど不埒行為を見せつけながら……婚約破棄をした。


 簡単に言えば、それが私の目の前で起こった事だ。

 目の前では見目麗しい青年が、白皙の美貌を紅潮させ、私を睨み下げている。
 その隣に、彼の愛人だろう素朴な容姿の娘を置いて。

(幼なじみの君は、もう少し理性のある人だと思っていたのだけれど、どうしたことかしら)

 はて、と世界樹が遠くに見える王妃の庭園にて、私は首を傾げた。

 だってこれって、私は何も悪くないじゃない? 一方的に因縁つけてきた王太子が無礼なだけであって。

 私は彼の正気を疑う。
 激昂した彼の唾が飛んできそうなので、さりげなく前面に小さな物理シールドを張りながら。
 あ、シールドって治癒系魔術というか、神官が習う魔法の中でも色々と自由が効いてね。
 範囲とか効果とか、込める魔力やイメージで割と楽に弄れるのよね。
 だから、肌に有害な紫外線カット、とか出来る訳だけど。

「貴様、何を惚けているのだ! またどうせ、私の愛するピュアリアを虐めようと邪悪な事を考えているのだろう」

 王太子はまた私に強い口調で暴言を吐く。
 はあ、何言ってるのかしら。
 私はただ呆れているだけよ、王家と辺境伯家の間で結ばれた契約を簡単に反故にした上に、私を愚弄するおバカな貴方のその態度に。

 って、口に出せたらどれ程良いだろうか。
 現実には、困ったように、眉を下げてみせるだけなのだけれど。

 それにしてもこの人は本気? というか正気?
 あの、意味分からないんですけど?


「ああ、ああ、全く醜い! 王太子を蔑ろにして我が物顔で王城に上がっては王族特権を行使しながら、俺の婚約者だと暴利を貪り、その癖俺などどうでもいいように放置して、聖女面で周りに愛想を振りまく。俺は知っているぞ、悪い事など何も知りませんとでもいうその澄まし顔の下は、俺の愛するピュアリアを虐げ喜ぶような、邪悪なヴィラン顔負けの悪党だ! 全てはお前をよく知るこのピュアリアから聞いているのだぞ。治癒系魔法もろくに使えず、奉仕活動と言いながら男を咥え込むのに忙しいのだとな! ああ、何とお前は!! 全くどうして世界の悪を凝縮したような女だな!」

 し、失礼極まる物言いに絶句するしかないんだけど……。
 というか、証言者はその顔も見た事のない貴方の愛人様からですか、そうですか。
 本当に頭働いてるの? 何で裏も取らないで愛人の言うままに暴挙に走るかな。

 よし、この煩い音もミュートしよう。急遽だけどシールドの調整をして。
 ええと、魔力が勿体無いから極小で、内容が聞こえる程度に、こう、ヘッドホンのように耳周りの音を調音して……。
 よーし、これで煩くなくなったわね。

「のう、そのシールド、わたくしにも掛けてくれぬか」
 今も続く罵詈雑言に私が涼しい顔をしていると、音を遮断をしたのだろうことを王妃様が察知してそう言ってきた。
 では失礼して。さりげなく、陛下の耳にも遮音シールドを掛ける。

 すると、オペラ歌手の如くよく響く美声がミュートされ。役者の如きオーバーリアクションでその秀麗な顔を己の手で覆い、嘆く彼はちょっと滑稽に見えてきたわね。
 しかし、大熱演ね。まるでステージを踏んだかのようなきらめく汗に、爛々と輝く青い目。尋常でない彼の様子にほとほと困ったと、私は片手で頬を押さえる。

 ああもう、お家帰りたい。

「どうせ俺が何を言ったところでお前は認めまい。ああ、ピュアリアからお前の手口は聞いているのだ」
「はあ……またですの。その方からの情報、と」
「不埒な女らしく情で俺を釣る気だろう?しおらしく泣き真似ぐらいしてみたらどうだ!」
「いいえ、わたくしそのような事はした事ありませんので」
「俺に憎まれても平気な顔をしてそうして座っているのだから、お前という女は可愛げがないのだ!!」

 王太子、そんなに私が嫌いですか。興奮しすぎで気持ち悪いなぁ。
 あ、王太子の暴言は、とりあえず周りには聞こえにくいようにしておいてます。飽くまで私の自衛手段としてのシールドで、ね。
 ほら……余計な話を周りの奥様方に持ち帰られるのも問題ですし?


 しかし、私が醜いとか、目でもおかしくなったかしら?

 ふと目線を下げれば、ティーカップに注がれた紅茶の水面に見える顔は、我ながらなかなか綺麗なものだと映るのに。
 鮮烈なルビー色の赤い髪、輝かしき翡翠の瞳。
 ややきつい顔立ちながら整った顔立ちは、同年代の乙女の中でも際立つ存在……。
 この国って、平民は茶色とかこげ茶だとかの平凡な色が多く、貴族は金髪、銀髪、赤髪に青銀髪と、カラフルな色合いが多いのね。
 かくいう私も、この燃えるような赤髪が、皆様に好評で……。
 社交界の赤薔薇と言われた母譲りの美貌を誇りつつ、肩口に零れた自慢の赤髪をふわりと払うと、異様な目つきの婚約者へと声を掛けた。

「王太子殿下、王妃陛下の御前にございます。ましてや、ここは淑女の集う茶会の場。そう大声を立ててはなりませんわ。はしたのう御座います」

 私は、明瞭かつ朗らかに聞こえる声で一言。あ、もちろん目の前のシールドをこう、メガホン状に形成してね。
 いささか大きく聞こえるようしましたけれど、何か。


 ところで、ここは王城。昼下がりの庭園。
 王妃の庭園と言われるこの中庭は、代々の王妃が管理を引き継ぐ格の高いお庭で、ここに踏み入れられるのは王妃が許した方のみ。

 ……そこに、どうくぐり抜けてきたものか、明らかにドレスコードもお約束の「もの」 も持たない困った珍客を、王太子が連れているのは。
 すっごい、問題だらけなのですけれど?

「俺に命令などするな、この悪女めが」
 私が傷口が広がる前にと善意で声を抑えるよう示したのに、また大声で私を罵倒しますか。ぐいと隣の珍客の肩を引き寄せ、王太子は唸る。
 隣の少女は何故かこちらを見ると私の胡乱な目つきにでも気づいたか、びくりと小動物のよう震え、王太子の腕にぎゅっと華奢な身体で抱きついた。

 彼の腕の中にいる現在進行形で破廉恥な行為を受けている痴女……いえ、この世界では未婚の、婚約者同士でもない赤の他人同士が真昼間から衆目の集まる場で抱き合うなんてとんでもない変態行為ですので……は、容姿こそ愛らしくはあったけれど、何方かの紹介もなく居座る不審者。
 誰も顔も名も知らぬ、怪しい少女でしかなく。
 だからこそ、この王妃の庭園においては排除されるべき人間は彼女であって、私では、なく。



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