おとぎ話は終わらない

灯乃

文字の大きさ
表紙へ
上 下
51 / 65
4巻

4-3

しおりを挟む
 魔力の探知に慣れたリージェスとランディは、それらの存在に最初から気づいていたのだろう。
 魔導具の製作者でありながら、不気味な光景に惑わされてしまったヴィクトリアは、落ち込んだ。
 そんな彼女の頭に、リージェスの手がぽんと乗った。

「リージェスさま……」

 彼に頭をでられると、ヴィクトリアはどんなときでも嬉しくなる。

「リア。そこまで全力で胃を締め上げられると、さすがにキツい」
「……ハイ。スミマセン」

 どうやら、彼にしがみついたまま、火事場のバカ力を発揮してしまったようだ。
 ヴィクトリアが腕の力を緩めると、リージェスが小さく息をつく。
 それから、小動物型魔導具たちを絨毯じゅうたんの下から出し、一同は揃ってテーブルについた。
 ランディがこの離宮にやってくるときには、基本的に兄妹きょうだい水入らずというのが暗黙の了解になっている。たまにヴィクトリアが同席することもあるが、ふたりは生き別れた兄妹きょうだいと再会したばかりだ。あまり邪魔をするのは野暮やぼというものだし、やはり他人が一緒にいては話しにくいこともあるだろう。
 しかし今日はヴィクトリアだけでなく、リージェスまで同席していることから、ユージェニーは何かを感じたのだろう。ふたりを順に見つめ、静かな声で口を開く。

「兄と私の処遇について、何か決まったのでしょうか?」

 その問いにうなずき、リージェスが淡々と応じる。

「ああ。――まずは、これだけは言っておく。我々がきみに示すのは、あくまでも提案であって、命令ではない。きみが拒否するのであれば、別の方策を考える」
「了解しました。その提案、お受けいたします」

 ノータイムで返された答えに、リージェスが驚いて目をみはった。
 ヴィクトリアとランディが「……へ?」と間の抜けた声をこぼす。
 ぽかんとした空気の中で、ユージェニーは無表情のまま続ける。

「それが、現状で最善の方法なのでしょう? でしたら、私に拒否する理由はありません。ご説明をお願いします」
「……っユージェニー! リージェスさまのお話を受けるかどうかを決めるのは、せめて内容を聞いてからにしようか!?」

 思いきり声をひっくり返したランディを、ユージェニーは首をかしげて見返した。

「なぜ? リージェスさまのお話がどんなものだろうと、私にはそれに代わるものを提示できない。今の私たちは、ギネヴィア皇室の庇護下ひごかにある。あちらが最善の方法だと判断した提案を拒否するのは、時間の無駄」
「そ……それは、そうかもしれないけど……っ」

 ぐっと、ランディが言葉に詰まる。ヴィクトリアは、ますます困惑した。

(うーん……。まさか、こちらのお話を聞いてすぐどころか、お話を聞く前に『ハイ』が来るとは思いませんでした。これが、優れた兵士の持つ究極の合理性というものなのでしょうか)

 もしかしたら、今は感心すべき場面なのかもしれない。
 だが、ここは瞬時の判断が求められるような命のかかった戦場ではないし、こちらがユージェニーに提案しようとしているのは、彼女の一生に関わる大問題である。何より、ユージェニーにはこの提案に対する拒否権がきちんとあるのだ。
 こちらの提案を受け入れてくれるにせよ、それは納得した上でのことであってほしい。
 ヴィクトリアは、よし、とうなずいた。

「ユージェニーさん。えぇと……まずは、簡潔に説明させていただきますね。わたしたちは、あなたとランディにメイア伯爵家の養子に入っていただこうと思っています。その上で、もしあなたがおいやでなければ、ラング侯爵家の次期当主であるシャノンさまと婚約していただきたい、と」

 ユージェニーの若草色の瞳が、わずかに揺れた。さすがに戸惑っているらしい。

「もちろん、あなたがこのお話を拒否することは可能です。そのときは、改めて次善策を考えます。ただ、ランディと一緒にメイア伯爵家の養子に入ることは、できれば受け入れていただけるとありがたいのですが……。いかがですか?」

 これだけ容姿が似た双子である。
 ランディがメイア伯爵家の養子になることを承諾している以上、できればユージェニーも一緒に入ってもらえたほうが、面倒事が少なくて済むだろう。
 少し考えたあと、ユージェニーはいつもと同じ調子で言った。

「私に、そこまでして守っていただく価値があるとは思えません。ヴィクトリア殿下、サフィスの手が届かない辺境かどこかに、当座の住まいだけ用意していただくことはできませんか?」

 ヴィクトリアは笑って答える。

「不可能ではありませんが、それはわたしが認めません。世間知らずの女の子がひとりで生きていけるほど、ギネヴィアの田舎暮らしは甘くありませんから」

 その辺りの世知辛せちがらさについては、ヴィクトリアは母が亡くなったときに経験済みだ。
 何より、友人の大切な妹を辺境に放り出すような真似まねなど、できるわけがない。

「ユージェニーさん。あなたは、わたしの友人の妹さんです。……わかりますか? あなたは、『ギネヴィア皇位継承権第三位』にあるわたしの友人が守りたいと思っている、可愛い妹さんなんです」

 一言一言を、ゆっくりと区切るようにして告げる。
 自分の身分を誇示するようなやり方は、まったくもって趣味ではないのだが、仕方がない。
 軍人思考に染まったこの少女には、おそらくこう言ったほうが効果的だ。
 ですから、とヴィクトリアは笑みを深める。

「そうですね。ギネヴィアにおけるあなた個人の価値を言うなら、『ランディ・シンの妹である』という一事のみです。それだけの理由で、あなたはわたしの――『ギネヴィア皇女のわがまま』で、今こうして守られている。そう理解しているから、あなたはわたしたちの申し出を分不相応だと思い、受け入れがたく感じるのでしょうか?」
「はい」

 当然のようにうなずくユージェニーに、ランディが物言いたげな顔になる。
 ヴィクトリアは、改めてユージェニーに問いかけた。

「つまりあなたは、メイア伯爵家の養子に入ることも、その後のシャノンさまとの婚約も、おいやなわけではない。そう解釈してよろしいですか?」

 ユージェニーは眉根を寄せる。

「……はい?」

 ユージェニーの戸惑った顔は非常にレアだが、今はそこに感動している場合ではない。
 ここは最大限、堂々としていなければならない場面である。

「ギネヴィアとセレスティアは、これ以上サフィスとのいくさを望みません。そして、現在サフィスでそんなわたしたちの意志に同調してくださっているのは、あなた方のお父さま――ムルート陛下だけなのです。……どんな形であれ、いずれあの国は大きく変わる。わたしたちは、その変化を起こそうとしているムルート陛下を、支援する道を選びました」

 今のサフィス王室は、独善的な思想に染まった神殿の支配下にある。ユージェニーとランディが『禁忌きんきの子ども』とされる、厳格な一夫一婦制しかり。
 だが二人の父親である神官王ムルートは、その状況をうれいている。だからこそ、できるだけ犠牲の少ない形で国を神殿から解放できるよう努力しているという。
 そんな彼を、サフィスとのいくさを望まないギネヴィアとセレスティアは水面下で支持することにしたのだ。
 ヴィクトリアは、ユージェニーの目をまっすぐに見て告げた。

「要するに、わたしたちはあなた方を保護することで、ムルート陛下に盛大に恩を売っているのです。サフィス神国との国交正常化は、これからのムルート陛下のご活躍にかかっています。この国であなた方の安全が確保されていれば、陛下も心置きなく政敵と戦うことができるでしょう」

 身もふたもない言いように、ユージェニーが再び思案顔になる。
 ふと、彼女は手首にめている腕輪に視線を向けた。
 そこできらきらと輝く若草色の魔導石は、ムルートの魔力がこめられたものだ。
 やがて、ユージェニーは静かな声で言った。

「現在のサフィスは、中央神殿の大神官たちが動かしています。ムルート陛下はお飾りの最高権力者であるばかりか、後継者もおらず、現王妃の後ろ盾は決して大きなものではありません。そんな陛下に、あの国を変えることができると思いますか?」
「そのために、我が国の皇帝陛下とセレスティア国王陛下が、ムルート陛下に助力を申し出ています」

 いつかムルートが『最後の神官王』となり、ギネヴィアやセレスティアを『ほろぼすべき異教徒の国』とみなす神殿を掌握しょうあくすることができたなら――
 そのときにはきっと、ランディとユージェニーは『禁忌きんきの子ども』ではなくなるだろう。
 そんな未来が、本当に来るかどうかはわからない。だが、可能性は決してゼロではないはずだ。

「ユージェニーさん。改めて、お尋ねします。あなたに、メイア伯爵家の養女になる意思はありますか?」
「はい」

 素直にうなずいてくれたユージェニーに、ヴィクトリアはほっとした。
 まずは、第一段階クリアである。
 だが、第二段階であるところの『シャノンとの婚約』については、非常に繊細せんさいな問題だ。
 ユージェニーとシャノンの初対面は、決していい形のものではなかった……というのは、かなり控えめな表現だろう。何しろ、互いに殺傷能力の高い武器系魔導具を装備しての、手加減抜きの殺し合いがおこなわれたのである。
 シャノンに殺すつもりはなかったとはいえ、勝負に負けたユージェニーは、あのときかなり痛い目を見たはずだ。彼に対して、相当苦手意識を持っていても仕方がない。
 ヴィクトリアは、おそるおそる問いかけた。

「では……シャノンさまとの、婚約は? もちろん、今すぐ答えていただく必要はないのですけれど……。その、前向きに検討していただける余地は、ありますか?」

 今度は、答えが返るまで少しの間があった。

「……少々、お待ちいただけますか。淑女しゅくじょモードに移行します」
「はい?」

 ヴィクトリアは相手の言葉の意味を咄嗟とっさに理解できず、首をかしげる。『淑女しゅくじょモード』とはなんだろうか。
 しかしそれは説明せず、ユージェニーは目を伏せた。ややあって、彼女がぱっと顔を上げた瞬間、ヴィクトリアは度肝どぎもを抜かれる。
 目の前に、ふわりと柔らかな微笑を浮かべ、心底嬉しそうに両手の指先を合わせた少女が現れたのだ。

「ありがとうございます、ヴィクトリア殿下! 『皇国軍の双璧』と名高いメイア伯爵家、ラング侯爵家が私たち兄妹きょうだい庇護ひごを申し出てくださったこと、とても嬉しく思います。シャノンさまとの婚約も、もちろん喜んで受けさせていただきますわ。兄の、そして養家となってくださるメイア伯爵家の名に恥じぬよう、精一杯努めさせていただきます!」
(へ……? は? え、誰ですかコレ?)

 思わずヴィクトリアがそんなことを考えてしまったのも、無理からぬことだろう。
 寸前まで無表情に言葉をつむいでいた彼女と同一人物とは、とてもじゃないが思えない。
 ヴィクトリアは硬直した。
 ランディなど、目玉が転がり落ちそうな顔をして、あんぐりと口を開いたままだ。
 ユージェニーであるはずの少女は、にこにこと笑って続ける。

「ただ、そういうことでしたら、ギネヴィアの正式な礼儀作法について、きちんとご教授いただきたく思うのですけれど……。そちらは、メイア伯爵家で学ばせていただけるのでしょうか?」
「え……えぇと……? どうなんでしょう、リージェスさま?」

 ヴィクトリアは、ぎくしゃくとリージェスを見上げた。
 彼はいつもと変わらぬ、一見冷ややかにも思える無表情を保っていた。それがこれほど頼もしく思えたことはない。
 リージェスは、あっさりとうなずいた。

「もちろんだ。我が家の娘としてラング家に出す以上、きみがあちらで困らずに済むだけの教養は、すべて身につけてもらう。ちなみに、きみは――『淑女しゅくじょモード』のきみは、サフィスの養家でどういったことを学んでいたのかな?」
「はい。ダンス、刺繍ししゅう、詩歌、鍵盤楽器、絵画に馬術、会話術。それから、大勢をお招きするパーティーを開く際に必要な手配についても、一通り学んでおります」

 にこやかに答えるユージェニーに、ヴィクトリアはおののく。
 今までも、彼女が幼少期からほどこされてきたレディ教育の片鱗へんりんを感じることはあった。
 けれどまさか、それがこれほど多岐にわたるものだとは、思っていなかったのだ。

(あ……あれだけ戦える力を持つ熟練の兵士と、ばっちりレディ教育をほどこされたお嬢さまを兼業って……。ってゆーか! このユージェニーさんの別人っぷりは、あっさりスルーしていいところなんですか、リージェスさまー!?)

 心の底からツッコみたかったヴィクトリアだが、そこで思い出したのは、リージェスが公式の場で数多あまたの紳士淑女しゅくじょに応対するときに浮かべる、柔らかく穏やかな笑顔だった。
 リージェスは基本的に無表情である。そんな彼の笑顔をはじめて見たときには、「すごい! リージェスさまの紳士スマイル! とっても胡散臭うさんくさいのに、めちゃくちゃカッコいいです! 素敵ー!」とえまくったものだが――
 なんということだろうか。これから義理の兄妹きょうだいになろうというリージェスとユージェニーは、とてもとてもよく似ている。

(そういえば、ユージェニーさんとはじめて会ったときにも、同じことを思ったような……っ)

 ふたりは、家族から愛情をまるで与えられず、ただひたすらに周囲の望む通りの姿で生きてきた。
 圧倒的な戦闘能力と上流階級で通じる教育をあわせ持ち、誰もが見とれる美しい容姿でありながら、日頃は滅多めったに感情を表に出さない。
 似た者同士なふたりは、よほどフィーリングが合ったのか、打てば響くような調子で会話を続けている。

「そうか。細かなクセの矯正きょうせいは必要だろうし、サフィス特有のマナーが出ないように気をつけてもらわなければならないが……。今のギネヴィアに、サフィスのマナーに詳しい人間はそういない。多少あちらのクセが出たとしても、それに気づかれる可能性は低いはずだ。どうか、あまり気負わないでほしい」

 若干じゃっかん事務的ながら、穏やかで気遣いが含まれたリージェスの言葉に、ユージェニーが嬉しそうにうなずき答える。

「ありがとうございます、リージェスさま。お気遣いいただけて、とても嬉しいです」
「いや。それから、シャノンとの婚約のことは……無茶を言ってすまないと思っている。だが、もしきみに今後ほかに想う相手ができた場合には、遠慮せずに言ってくれ。すぐに、婚約破棄の手続きを取る」

 まぁ、とユージェニーは目をみはり、ころころと笑う。

「ご心配には及びませんわ。私はシャノンさまがお相手で、本当にほっとしておりますの。あぶらぎった好色な中年貴族や、いい年をしてお人形遊びに興じる変態貴族とは、比べるのも失礼なほど素敵な方ですもの!」

 ユージェニーはサフィスにいた頃、年も体重も彼女の三倍になろうという男性ののちいにされそうになったり、彼女を思いのままにあやつろうとする義兄がいたりと、苦労していたらしい。

「……なるほど。それは、たしかにそうかもしれんな」

 納得顔で、リージェスがうなずく。
 ヴィクトリアは、いまだに目をまん丸くしているランディを見た。

「……ランディ。呆けている場合じゃありませんよ」
「へ……?」

 ぱちぱちとようやくまばたきをして、彼が振り返る。
 いまだに状況をよく理解していないらしいランディに、ヴィクトリアはおごそかに告げた。

「おふたりがメイア伯爵家の養子に入るということは、リージェスさまがあなた方の義理のお兄さまになるということです。――ねぇ、ランディ」

 ヴィクトリアは、にこりとほほえむ。

「今のあなたと、リージェスさま。一体どちらが、ユージェニーさんにとって『頼れるお兄さま』になれると思いますか?」
「……っ!!」

 大変わかりやすく絶望顔になったランディに、ヴィクトリアはうなずく。

「改めて言うまでもありませんが、あなたもメイア伯爵家に入って『皇国軍の双璧の一』の座を継ぐ以上、上流階級で通じるマナーは必須です。これは、経験者として語らせていただきますが――」

 一拍置いて、ヴィクトリアはふっとうれいに満ちた表情でランディを見た。

「庶民育ちのわたしたちが、公式の場で恥をかかない程度のマナーを身につけるのは、おそらくあなたが想像しているよりも遥かに厳しい苦行です。どうか、がんばってくださいね」

 かつて、ラング家で世話になっていたとき、ヴィクトリアはあまりに厳しいレディ教育をほどこされたせいで、あやうくノイローゼになりかけたのである。
 そんな彼女の実感のこもったはげましに、ランディは一層顔を引きつらせた。

「あのさ、ヴィッキー。参考までに、聞きたいんだけど。……おまえ、上流階級のミナサマの集まりに参加するときって、どうやってそのへっぽこぶりをごまかしてんの?」

 ヴィクトリアは、えっへんと胸を張って答える。

「ふはは、聞いて驚くといいのです。ギネヴィアとセレスティアの社交界におけるわたしの評価は、『ホワイトファング』という最強の魔導具を作り上げ、それをみずかあやつる天才魔術師! ぴっかぴかに輝きまくる親の七光りも相まって、大陸で怒らせたら一番ヤバい女の子とは、何を隠そうわたしのことです!」
「いや、別に驚かねーけど。何それ、めっちゃそのまんまじゃん」

 至極冷静なランディの返しに、ヴィクトリアは小指を立ててのけぞった。
 それから、くわっと彼に詰め寄る。

「どこがですか! 上流階級のみなさんの、そういった愉快な誤解に満ちた噂話を耳にするたびに、わたしは恥ずかしさのあまり地面に埋まりたくなるのですよ!?」

 ランディは、あきれ返った顔で反論してきた。

「いやいや、おれだっておまえだけは絶対怒らせたくねーし。まさかおまえ、自分がキレたときに何をしたか、忘れたわけじゃねーだろうな?」
「うぅ……っ」

 以前、頭に血がのぼったヴィクトリアは、『ホワイトファング』を使い暴走しそうになった。ギルフォードが止めてくれなければ、甚大じんだいな被害を出すところだったのだ。
 言葉に詰まった彼女に、ランディはため息まじりに言う。

「要するに、おまえは実力と親の七光りで、そのへっぽこぶりを完全にカバーできてるってことだよな……。うん、まったく参考にならなかった」
「……友人の七光りが必要でしたら、いつでも言ってくださっていいですからね?」
「だから、それはやめいと言うに」

 不快そうに顔をしかめたランディは、ヴィクトリアとのやりとりを切り上げると、きりっとユージェニーを振り返る。

「ユージェニー!」
「はい。なんですか? ランディ」

 当然のように向けられたにこやかな笑顔に、ランディが一瞬ぐっと詰まる。
 それから彼は、ひどく言いにくそうに口を開いた。

「……あのさ、ユージェニー。その、『淑女しゅくじょモード』? なんつーか……慣れなくて落ち着かないから、通常モードに復帰してくれると嬉しいです」

 双子の兄の願いに、ユージェニーは首をかしげる。

「でも、ランディ。これからメイア伯爵家にお世話になるのでしたら、このままでいたほうがよくはないかしら?」
「えっと……うん。それは、そうかもしれないけどね。おれは……いつものきみのほうが、話しやすいし。できれば、おれたちの事情を知ってる人しかいないときには、通常モードでいてくれないかなー、と思うのです」

 何やら、ランディの話し方がぎこちなくなっている。
 ユージェニーはそうですか、とうなずいた。それから再び目を伏せ、一呼吸置いて顔を上げる。
 そのときにはすでに、彼女の顔から一切の感情が消えていた。
 小さく息をついたユージェニーが、いつもの淡々とした口調で言う。

「よかった。『淑女しゅくじょモード』は、少し疲れる」

 ランディが、あからさまにほっとした表情を浮かべる。

「そうだよなー! うん、無理はよくないぞ、ユージェニー!」

 そんな彼に、ユージェニーは無表情のままで言う。

「別に、無理というほどのものではない。これからギネヴィアの貴族社会で生きていくなら、それにふさわしい振る舞いをするのは当然のこと。あなたも、早く慣れたほうがいい」
「……ハイ。わかってます」

 ランディが、がっくりとうなだれる。
 彼が自身の人生すべてをけて守ると誓ったユージェニーは、思いのほかシビアな思考の持ち主だった。
 何はともあれ、ランディとユージェニーの安全は、ばっちり確保できそうである。ヴィクトリアはほっと胸をで下ろす。
 彼らの意思確認をしたリージェスは、さまざまな手続きを進めるべく、すぐさま城へ戻っていく。
 残された三人は、ひとまずお茶を飲んで落ち着くことにした。
 ティーセットを運んできてくれたのは、このイシュカ離宮の家令を務めるモーガン・ウィフテル。
 元々、彼はメイア伯爵家に仕えるリージェス専属の執事だった。ヴィクトリアが『楽園』に通っていた頃から、彼には随分世話になっている。
 モーガンは絵に描かれるような、素晴らしく魅力みりょくてきなロマンスグレーだ。
 オールバックにしたのう褐色かっしょくの髪の一部が白くなっているのが、一見するとまるでメッシュを入れているふうに見える。
 理知的な水色の瞳といい、常にすっと背筋を伸ばしたたたずまいといい、これぞ執事のかがみ! と拍手したくなる人物だ。しかもモーガンがれてくれるお茶は、ヴィクトリアの知る限り、この国で一番しい。
 ちなみに、そのおっとりとした穏やかな外見からは想像もつかないのだが、彼はギルフォードの側近とも互角に戦える実力の持ち主でもあった。本人いわく、「メイア家に仕える執事たるもの、あるじを守れるだけの実力がなくては話になりません」とのことだったが――

(ぬーん……。こんなハイスペックなエクセレントロマンスグレーのモーガンさまを、わたしのようなへっぽこ娘が『皇女だから』という理由で呼び捨てにしなければならないというのは……ハイ。やっぱり、ものすごく理不尽だと思います)

 皇女になってからそうするように言われているものの、いまだにモーガンを呼ぶときには、うっかり敬称をつけてしまいそうになるヴィクトリアだった。
 そんな彼女の煩悶はんもんなど知るよしもなく、びしっと隙のない執事姿のモーガンは、優美な手つきでお茶の支度を整える。さらに、色とりどりの可愛らしい茶菓子を並べていく。最後に彼が銀色のふたを外してテーブルに置いた皿には、焼きたてのパイがのっていた。

「こちらは、料理長自慢の特製ミートパイでございます。どうぞ、温かいうちにお召し上がりください」
「うわ、美味うまそうですね! ありがとうございます、モーガンさま!」

 食べ盛りの少年であるランディが、喜色を浮かべて礼を言う。
 そんな彼に、モーガンは柔らかくほほえんだ。

「どうぞ、これからはモーガンとお呼びください。ランディさま。ユージェニーさま。おふたりはメイア家の一員となられるのですから、使用人に敬語は不要でございますよ」

 ランディが、びしっと固まる。
 かつてまったく同じ道を辿たどってきたヴィクトリアは、彼の肩をぽんと叩いた。

「大丈夫ですよ、ランディ。そのうち、慣れます」
「え……。マジでか……?」

 ものすごく情けない顔をして振り返ったランディに、ヴィクトリアはおごそかにうなずいてみせる。

「はい。それは、間違いなく。ただ、その過程で何度も胃に穴がきそうになるだけです」
「わかった。これからは、胃薬を常備しとく」

 うんうんとうなずきあうふたりに、モーガンは小さく苦笑を浮かべた。この離宮の使用人で、ランディとユージェニーの本当の素性すじょうを知っているのは彼だけだ。
 戸惑うランディをよそに、ユージェニーはモーガンに視線を向ける。

「モーガン。あなたは、元々メイア伯爵家の執事だったと聞いている。伯爵家について、少し話を聞かせてほしい」

 その言葉に、ヴィクトリアとランディもぱっと顔を上げた。

「わたしも聞きたいです、モーガン!」
「おれも、お願いし――う、えと、うぇ……?」

 咄嗟とっさに言葉遣いを切り替えられず、ランディがどもる。
 ヴィクトリアは、ほっこりする。
 ユージェニーが、そんな彼をじっと見て口を開いた。


しおりを挟む
表紙へ
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:6,148pt お気に入り:262

神様ぁ(泣)こんなんやだよ

BL / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:1,092

本日は、絶好の婚約破棄日和です。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:1,137

私の幸せはどこーーー!!

as
恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:113

三年分の記憶を失ったけど、この子誰?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:6,611pt お気に入り:1,206

あやかし狐の身代わり花嫁

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:2,492pt お気に入り:392

夢のテンプレ幼女転生、はじめました。 憧れののんびり冒険者生活を送ります

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:9,564pt お気に入り:4,296

魔眼の守護者 ~用なし令嬢は踊らない~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:3,947

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。