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1巻
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しおりを挟む「分かってるよ。けど、茜に甘いのは私よりお母さんだから。まあ、気に入られてこいっていう指令はクリアしたし。これで、この件に関してはお役御免でしょ」
「お前、それ本気で言ってるわけ? 話を聞く限り、その見合い相手は相当なクセ者だ。どうせお前、茜のフリなんてしてないだろうし、御曹司様が気に入ったのはあくまで碧ってことだろ。今後、絶対に厄介なことになると思うけどな」
「そうだよね。茜があの男と結婚したら義理の姉弟だよ。私、そんな可能性、すっかり忘れて喧嘩売ってきちゃった」
そう言ったら、大和が大きなため息をついた。
「……我が幼なじみながら、バカすぎて話にならない」
額に手を当てて、項垂れる大和にムッと唇を尖らせる。
バカって、ひどい。学校の成績では、大和に負けたことがないというのに、失礼な。
「その御曹司様が、茜に会ったら絶対別人だって気づくぞ。お前ら、顔はそっくりでも雰囲気も中身も正反対だからな。よっぽどのマヌケじゃない限り、騙されたりしないと思うぞ。そうなったら、どうなるかなー。お前も、タダじゃ済まないだろうな」
「……怖いこと言うのやめてよ」
「俺は事実を言っているだけだ。まあ、別にお前が変な男に捕まろうと、知ったこっちゃないし。だけど、いいか? 俺のことは、絶対に巻き込むなよ」
人差し指を突きつけて、釘を刺してくる大和に再びムッとする。
私だって巻き込まれたんですけどー。
でも、大和の言うことにも一理ある。経歴を見ただけでも優秀だと分かるあの男が、身代わりに気づかないとは思えない。
どうしよう。なんだか、すごく嫌な予感がする――
これからのことに、一抹の不安を覚えつつ、私は着替えを持ってお風呂場に向かう。
勢いよくシャワーを浴びながら、今日の出来事も、汗と一緒に流れてしまえばいいのに、と本気で思った。
だが、そう都合のいいことなど、現実に起こるはずもない。
自他ともに認める超現実主義者の私は、世の中がそんなに甘くないことをよく知っている。
今更遅いと思いつつ、たとえ家を追い出されても、今回ばかりは断固拒否するべきだったと自分の行いを深く後悔するのだった。
※ ※ ※
バタンとホテルの扉が閉まるのを見届けてから、俺――東條怜はゆっくりとベッドルームに戻った。
ベッドの上で不愉快な音を上げ続けるもののスイッチを切り、床に置いてあった箱に放り投げる。
乱れたベッドに彼女の残り香を感じて、思わず口元が緩んだ。
着物の裾から覗いた彼女の白い肌を思い出し、身体の芯が熱を持つ。こんな気持ちになるのは、何年振りだろうか。
「さて、と」
まずは、やるべきことをやってしまおうとベッドルームを出て、テーブルに置いてあった携帯を手に取る。電話をかける相手は、我が優秀な右腕――もとい秘書だ。
『もしもし? 終わったのか?』
親友でもあるこの秘書は、俺に対してとてもフランクだ。ちなみに俺の方は、丁寧に話す時とフランクに話す時の両方がある。使い分けているというより気分で変えることが多い。
「ええ、逃げられてしまいましたが……。それで、調べてほしいことがあるんです。彼女の詳細な経歴と……年の近い姉妹がいれば、その方の経歴もお願いします。少し、気になることがありまして」
『了解。今回の見合い相手、そんなに気に入ったのか?』
「そうですね……。また会いたいと、思うくらいには」
『……その相手、例の変態設定を受け入れたのか?』
「いいえ、ドン引きしていましたね。危うく再起不能にされるところでした」
彼女の見事な蹴りを思い出し、クスリと小さな笑みが零れる。初めて、格闘技をしていたことに感謝した。でないと本当に男としての機能を失っていたくらい、見事な蹴りだった。
『なにがあったか、後で教えろよ。じゃあ、とりあえず調べておく』
「ええ、よろしくお願いします」
電話を切った後、俺は資料に紛れていた今日の見合い相手の釣書を手に取る。
東條家の跡取りとして、跡継ぎを残すことは義務だと理解していた。
だが、自分の容姿や肩書に惹かれて寄ってくる、化粧や香水の匂いをプンプンさせた女達には嫌悪しか感じられない。いっそ結婚などせず、養子をとって教育した方がよほど建設的だと申し出たのだが、父は納得してくれなかった。
自身が大恋愛の末に結婚したせいか、やたらとロマンチストな父に『必ず運命の相手はいる』とお見合いさせられ続け、早半年――
「もしかしたら、見つけたかもしれない……」
釣書に添えられた、薄いピンク色のワンピースを着た女性の写真を眺める。
容姿はそっくりだが、そこに写っている女性と先程までここにいた女性が同一人物とは思えなかった。
意志の強さを感じさせる印象的な瞳。それを思い出すだけで、なぜか胸の奥が疼く。
その時、足元に転がる彼女の草履を見つけて、自然と笑みが零れた。
「忘れ物……まるでシンデレラだな。……さて、これからどうするかな」
草履を拾いながら、この見合いを進めてもらうよう父に連絡すべく、再び携帯を手にとった。
不本意な初デート
ああ、見事な秋晴れだ。徹夜明けの目に、太陽の光が沁みる……
あのお見合いから、二週間後の今日。
私は着たくもない花柄のワンピースを着せられて、ニコニコと爽やかな笑みを浮かべる御曹司様と再び対峙していた。
ほんの数時間前まで、めちゃくちゃいい気分だったのに。
なんだって、こんなことに……
時は今から数時間前に遡る。
私は勤務先である『ナチュラアース』の研究室で、眠たい目を擦りながら香水の試作品をムエット――細い短冊切りの厚紙につけていた。
今取り組んでいるのは、新しい香水の試作。テーマに即した香りを完成させるべく、調香を繰り返しているところだ。
私の勤めるナチュラアースという会社は、自然派化粧品――いわゆるオーガニックコスメの開発、販売を行っている。
幼なじみである大和のお母さんが代表取締役を務めていて、従業員数は二百人ほど。私は理系の大学院修士課程を修了し、この会社に就職した。商品研究開発部に配属されて三年目になる。
商品の企画から開発、研究までを一手に行っている部署のため、なかなかに忙しい。
その分、様々な知識を身につけることができるという利点もある。会社に泊まり込むこともザラだが、好きで就いた仕事なので苦ではない。
なにより、ここでの仕事は、私の夢に繋がっていた。
私は将来、自分の作ったハーブ園の植物でオリジナルコスメを作り販売するのが夢なのだ。だから、この会社でありったけの技術と知識を身につけるのを目標としている。
そうして現在、『初めてのオーガニックコスメ』をテーマにした十代向けの商品の開発を担当していた。
私はムエットを揺らし、つけたばかりの香水の香りを確かめる。今回の香水のテーマは、『ファースト・パフューム』。その名の通り、少女が初めてまとう香りをイメージしていた。
「あー、眠くて頭回んないわね。あ、でもこれいいかも」
研究室の机に一番から十番のラベルのついた瓶が並べられ、それを開発に関わるメンバー十二名で取り囲む。順番に香りを嗅いでいた三歳年上のかなえさんが、目を瞑ってムエットを揺らしながらそう口にした。
「何番?」
最年長でリーダーを務める三上さんが尋ねる。かなえさんは、もう一度香りを大きく吸い込んでから答えた。
「五番」
その言葉に反応して、思わずひょこっと顔を上げる。五番は、私が調香したものだ。
「五番は誰の案? お、長谷川さんか。うん、いいよ、これ。トップの爽やかな香りから、ラストのほんのりスパイシーで甘い香りに変化していくのが、少女が大人の階段のぼっていくっていう初々しい官能を感じるわ」
「先輩、詩人ですねぇ。でも、確かにいいな、これ」
ムエットを揺らしている大和の横で、私も香りを吸い込む。香水は、トップ、ミドル、ラストと時間の経過によって香りが変化していく。五番にはトップにシトラス系、ミドルに甘めのフローラル系、ラストにはオリエンタル系の香りがくるようにブレンドした。
うん、我ながらこれはいいできだ。細かい濃度の調整は必要だろうけれど、大体思い通りの香りになっている。
「じゃあ、二番と五番を候補として社長に出すか。でも、俺は断然、五番推しだな」
「私も。多分、これが通ると思うよ」
「本当ですか? やった!」
ムエットを交互に嗅ぎながらそう言った三上さんに、かなえさんも笑顔で頷く。ベテランの三上さんと香りものに強いかなえさんに太鼓判を押してもらい、心の中でガッツポーズをする。もし、これで社長からOKが出れば、初めて自分の開発した商品が世に出ることになる。
「よし。ようやく目処もついたし、今日は帰ろうぜ。みんな、三日は家に帰ってないだろ?」
三上さんが、そう声をかけると、すぐにみんなが同調する。
「俺は、家より布団が恋しいですね。横になって身体伸ばしたい」
ぐっと背伸びをしながら大和が欠伸をする。休憩室にあるソファーで仮眠をとっていたが、背の高い大和には窮屈だったのだろう。
私は、湯船が恋しいな。この二週間、忙しくて家に帰るのが深夜だったし、半分くらいは会社に泊まり込んでいたからずっと湯船に入れていない。
お母さんには、昼間から贅沢だと文句を言われそうだが、帰ったらまずお風呂に入ろう。頑張ったし、そのくらいの贅沢は許されるはずだ。
そう決めて、私は着替えてから大和と一緒に会社を出る。
「そういや、お見合いから二週間経ったよな? あれから、御曹司様はなにも言ってこないのか?」
電車に揺られながら今にも落ちそうな瞼と戦っている私に、突然大和がそんなことを聞いてきた。
「さあ……。ここのところ忙しかったから、親と茜ともまともに顔を合わせていないし。どうなってるんだろうねぇ」
「興味が薄いな。まあ、なんか進展があったら教えろよ」
こいつ、面白がってるな。
ニヤついている顔をギロリと睨みつけるが、大和は飄々としている。長い付き合いだけど、この男はこういうヤツだ。
「そろそろなんかありそうな気がするんだよな。絶対、厄介なことになるって」
「怖いこと言うのやめてよ」
「ま、結局のところ、今まで茜を甘やかしてきたツケが回ってきたんだな。なにがあっても自業自得だ。じゃ、お疲れー」
ニヤニヤしながら不吉な予言を残す大和と、駅で別れた。
私も徹夜明けの重い身体を引きずりつつ、家に向かって歩き出す。すると、鞄の中で携帯が鳴り出した。
電話の相手は結婚して九州で暮らしている兄の樹だ。
「もしもし?」
『もしもし、碧? そっちは変わりないか? 見合いからちょうど二週間経つし、そろそろまた母さんが暴走してる頃じゃないかと思ってさ』
「はは、今のところは大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて」
『心配するのは当然だよ。碧も茜も、俺のかわいい妹なんだから。特に碧は昔から、貧乏くじを引いてばかりだからな。悪気がないのは分かっているけど、茜にも困ったもんだよ』
ああ、なんて優しい兄なのだろう。
お見合いの後、替え玉の件を報告しておいたから、きっと心配して連絡をくれたのだろう。本当に、優しい兄だ。
『もし、なにかあったら相談しろよ。俺が直接、母さんに話してもいいから』
「うん、ありがとう。その時は、よろしくお願いします。じゃあ、また連絡するね」
『ああ、またな』
電話を切って、はあっとため息をつく。
なんだか嫌な予感がするな……
大和の予言に続いて兄からの電話。なんだか変なフラグが立った気がして仕方がない。
私はモヤモヤを抱えながら家に着き、玄関を開ける。
「ただい……」
「あ、碧! いいところに帰ってきた。今、あんたに電話しようとしていたところだったの」
玄関を開けた途端、駆け寄ってきた母に私は嫌な予感が的中したことを悟った。
くそぅ、やっぱりフラグが立っていた。
「今すぐ出かける準備をしなさい。今日は茜と東條さんの初デートだっていうのに、あの子ったら熱を出しちゃったのよ」
「はあ!?」
熱って、また仮病?
今回も仮病だったら、替え玉は断ろう。大和の言う通り、こんなことを続けていては茜のためによくない。
ここは姉としてビシッと叱りつけてやらなければ! そう意気込んでリビングの扉を開いた私は、ソファーにぐったりと横になっている茜の姿に眉を寄せた。
「茜……?」
あれ? 仮病じゃないの?
近づいて額に手を当てると、かなり熱い。どうやら、今回は本当に熱を出したらしい。
よりにもよって、どうしてこんな日に十四年振りの熱を出すんだ。お前は遠足前の小学生か、と心の中で激しくツッコミを入れる。
「正直に体調が悪いって断ったら?」
「ダメよ。急にキャンセルなんかして、ご機嫌を損ねたら大変じゃない。いいから、さっさと準備してちょうだい。東條さん、あと一時間で迎えに来ちゃうのよ」
私の正論に対し、母は相変わらずこちらの都合なんてまるで無視した要求をしてくる。
「いや、私徹夜明けで……」
一応、拒否してみるが、こうなった母は私の言うことなど聞きはしない。
『ほら、厄介なことになっただろう』とニヤニヤする大和の顔が脳裏に浮かび、ため息が出る。
ああ、さようなら……一週間振りの湯船。
がっくりと項垂れた私は、追い立てられるように出かける準備をさせられるのだった。
こうして私は、我が家にやって来た御曹司様に再び差し出されたのである。
「わざわざ迎えに来ていただいてすみません、東條さん。ほら、茜。ちゃんと挨拶しなさい」
「……ありがとうございます」
ブスッとした顔のまま、目も合わせずにそう口にした私を母が肘で突っついてくるが無視だ。
正直に話してキャンセルすればよかったのだ。そうすれば、私は今頃、念願の湯船に浸かってベッドでゆっくり休めていたものを……
「ごめんなさいね。この子ったら、緊張しているみたいで」
「いっ!」
母の背中への一撃でベッドに飛びかけていた意識が現実に戻り、御曹司様と目が合ってゲンナリする。
ああ、私ってば可哀想すぎる!
徹夜明けだというのに、またも茜のフリをして変態腹黒野郎の相手をしなければならないなんて……拷問じゃないか。
「いえ、僕も緊張していますから。では、行きましょうか」
微笑んだ彼に促されて、平凡な住宅街には不釣り合いな高級車の助手席に乗せられる。乗り心地は抜群なのだが、居心地は最悪だ。
「あなたが来てくれてよかった」
車内で二人きりになると、彼がいきなりそう言った。
なにやら含みのある言い方に、運転する綺麗な横顔を見つめる。私の視線に気づき、チラリと横目でこちらを見た彼の口角が上がった。
「先日は失礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした。あなたが忘れていった草履は、帰りにお渡ししますね。あの日、部屋に落ちていた片方の草履を見つけて、まるでシンデレラのようだと思いました」
「話だけ聞くとロマンチックですが、実際はそんないいものじゃありませんでしたよね?」
お姫様抱っこはされたが、ベッドに放り投げられるわ、あらぬ疑いをかけられ襲われそうになるわ、挙げ句いかがわしいおもちゃを持って迫られるわで、ロマンチックのロの字もなかった。
ついじっとりとした視線を向けると、横目で私を見た彼が困ったように眉尻を下げた。
「本当に申し訳ない。僕の周りには、下心を隠した人間が多いものですから。素直に人を信用することができなくて。つい、試すようなことをしてしまいました。反省しています」
「それは、難儀な。お金持ちっていうのも大変ですね」
同情半分、嫌味半分でニッコリ微笑んだ。
「……ふふ。やっぱりあなたは面白いですね。今日のデートで、あなたのことをたくさん知りたい」
デートねぇ……なんだか、懐かしい響きだ。大学の時に付き合っていた彼と別れてからは、仕事が楽しくて恋愛からは遠ざかっていたから。デートなんて随分久しぶりだ。
といっても、これはあくまで茜の代打。久しぶりのデートだからって、まったく心はときめきません。まして、相手は変態御曹司。油断は大敵だ!
「ところで、今日はどこに行くんですか?」
「それは、着いてからのお楽しみです」
不敵に笑う姿に到着するまでかなりの不安を強いられる。だが、彼が連れて行ってくれたのは最近リニューアルしたばかりの美術館だった。意外に思っていると、入口に掲示されていた『香水瓶の世界』という文字を見つけて私の目が輝く。
なにこれ、今の私にジャストミートな展示なんですけど。期間限定で行われているらしいそれに、状況を忘れて興奮してしまう。
「と、東條さん。私、あれが見たいんですが」
「……ああ、もちろん構いませんよ。それより、その他人行儀な呼び方はやめませんか?」
「は?」
「怜と、名前で呼んでください。メールでは、名前で呼んでくれていたでしょう?」
な、なに!? 茜、御曹司様とメールなんかしてたの? そんなの聞いてないんですけど。
いったい、どんなやりとりをしていたのか……余計なことを言って、別人だとバレないように気を引き締めなければいけない。とりあえず私は、彼にニッコリと微笑む。
「実際に呼ぶのは恥ずかしいので……。もう少し、時間をいただけませんか」
「……そうですか。残念ですが、我慢しましょう。では、行きましょうか」
笑顔の彼にエスコートされて美術館の中に足を踏み入れる。
室内は窓が多いためか、明るく開放的な雰囲気をしていた。リニューアルオープンしたばかりでテレビでも特集が組まれていたから、なかなか人も多い。
「東條さんは、美術品に興味があるんですか?」
「いえ、あまり。僕は美術品よりも建築物に目が行きますね。実は、ここのリニューアルには東條グループが関わっていて、完成したものを見てみたかったんです」
「へえ、仕事熱心なんですね」
「恥ずかしながら、仕事が趣味みたいなものでして。……仕事は、やったらやった分だけ結果が返ってくるし、裏切られることもない。それに、自分が携わったものが形になった時は、なんとも言えない達成感があります。特に、こうして人の喜んでいる姿を見ると」
周囲を見回した東條さんが、楽しそうに歩いている親子を見て目を細める。彼の本当に嬉しそうな顔に、私も温かい気持ちになった。
「その気持ち分かります。お好きなんですね、今の仕事」
「え?」
「本当に好きじゃないと、そんなこと言えないでしょう?」
だって、さっきの東條さん、すごくいい顔をしていた。好きでないとあんな顔はできないと思う。
お見合いの日にも仕事をしていた。趣味なんて言うくらいだから、休みの日はいつもあんな感じなのだろう。かなりの仕事人間っぽいが、携わったものが形になった時の喜びは、私も共感できる。
隣から視線を感じて顔を上げると、彼は真面目な顔で私のことを見下ろしていた。
キラキラした漆黒の瞳で見つめられると、なんとなく落ち着かなくなる。
すべてを見透かすようなその瞳から目を逸らしたいと思っているのに、なぜか逸らせなかった。
どのくらい見つめ合っていたのか、ふっと彼が微笑んだ。
「そうですね。考えたこともなかったですが、好きなのかもしれません。仕事ほど夢中になれるものはありませんから。あなたはどうですか?」
「はい?」
「あなたは、今の仕事が好きですか?」
彼からの質問に、ギクリと身体が強張る。これは、まずい質問だ。茜の仕事振りなど知らないし、性格を考えてもそこまで高い志を持って仕事をしているとも思えない。
かといって、茜の好感度を下げるわけにもいかないし……ここは無難に答えておこう。
「えーっと。す、好きですよ。受付は会社の顔ですから、とてもやりがいを感じています」
笑顔を張り付けて答えると、なぜか御曹司様からじっと見つめられた。
「……そうですか。それは素晴らしい心がけですね。あ、香水瓶の展示会場ですよ」
「あ、本当だ!」
一瞬でテンションの上がった私は、急ぎ足で展示会場に入る。
写真、写真撮らなきゃ。なんてタイムリー! これはもう運命じゃない?
今作っている『ファースト・パフューム』の容器のデザインの参考になるかもしれないと思い、私はいそいそと展示された香水瓶に携帯のカメラを向ける。
香水の歴史は古く、紀元前まで遡る。当時は儀式等で使用されることが多かったそうだが、香水瓶もその頃から存在していた。
昔、香料は大変価値のあるものとされていたから、それを入れる香水瓶も豪華なものが多い。
ここに展示されているのも、そうしたものをメインにしているようだ。
様々な装飾の施された香水瓶は、それだけで立派な美術品だと思う。私は、片っ端から写真に撮り説明文に目を通していく。
この時の私は、完全に素に戻っていた。東條さんの存在も茜のフリをしなければならないこともすっかり忘れて、ひたすら目の前の香水瓶を見つめる。
今作っている香水が商品化されたら、どんな瓶が合うだろう。
やっぱり、初々しい色気を感じるデザインがいい。香水の色をピンクにして、四角よりは丸みを帯びたもの。もしくは瓶を花の形にしてもいいかもしれない。
それか、逆にうんとシンプルにして、自分でデコパーツをつけてカスタマイズするとか。あー、その方が、十代の若い子達にはウケるかも。
そうだ、持ち運びできるサイズにするのはどうだろう。昔は魔除けとして香水瓶を携帯していたらしいし、『恋のお守り』とか付加価値をつけたら結構いけるかもしれない。
そんなことを夢中で考えていた時、すぐ横から声をかけられた。
「随分、熱心に見ていますね」
ハッと状況を思い出した私が顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべた彼と目が合った。気まずさに顔がひきつる。
「ご、ごめんなさい。つい夢中になってしまって」
「楽しんでいただけてなによりなのですが、あまりに放っておかれるので寂しくなってしまいました」
左手をそっと掴まれたと思ったら、私の指に彼の指が絡んでくる。
動揺する私の手を持ち上げ、彼はその甲に唇をつけた。
「なので、手を繋いでいてください。でないと、僕を置いてどこかに行ってしまいそうなので」
「うっ……。だからって、キスすることはないと思いますが」
「このくらいのスキンシップで赤くなって。かわいい人ですね」
応援ありがとうございます!
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