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10巻
10-3
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「俺は向こうか」
シンはテッペイとリョウヘイがチャンバラをしていた広場を見て言う。そこには、すでに数人の男子がスポンジブレードを持って待機していた。
「ああ、お前はうちのやんちゃ坊主どもの相手だ。元気が有り余ってるからな。外に出ようなんて思えないように思いっきり暴れさせてやれ。あたしは監督だ」
シンの場合来るのが不定期なので、その場でエーミルが役割を決める。場所が場所だけに子どもたちの世話が大半だ。
唯一のルールは、シンが狩りに行ったりスキルを使ったりしてアイテムやジェイルを稼いでくるのはなしということ。
――孤児院のために狩りに行くくらいなら、体を休めろ。
――そして、子どもたちを早く元の世界に戻してやれ。
それが、エーミルや他の孤児院協力者たちの総意だった。
手伝いに関しては気分転換ということで、どうにか納得してもらっている。
「ようし、今日は俺が相手だ。全力でかかってこい!」
今回のような模擬戦は初めてでなく、子どもたちは遠慮なしにシンに挑んでくる。
外出の準備をしているはずのリョウヘイとテッペイもこっそり紛れ込んでいたが、シンがささっとエーミルの前に弾き出すと、襟首を掴まれて連行されていった。
「まあ、こんなもんか」
シンがやんちゃ組の相手をし始めて2時間ほど。果敢に打ちかかってきた子どもたちも、さすがに疲れてほとんどが地面に寝転がっていた。
この疲れは、HPやMPのように、目に見えるゲージとしては存在しない。HPやVITの高い者ほど疲れにくいらしく、隠しステータスだと言われていた。
疲れが溜まると攻撃力や移動速度の低下、敵からの攻撃に対するダメージ上昇など、様々なデメリットが発生する。回復魔術で回復できるのでそこまで問題になっていないが、今この場では回復できるエーミルが何もしないので、まさに死屍累々となっていた。
「くそー、にいちゃんつえー……」
「おとなげないぞー……」
余裕綽々のシンに、子どもたちから称賛やら憎まれ口やらが飛び出すが、疲れているせいで語尾が消えかかっている。
「わかったか坊主ども。外にはこいつみたいな廃人どもですら危険なモンスターがうようよしてんだ。絶対に勝手に外に行くんじゃねぇぞ!」
「わかった~」
「ぜってーしぬー……」
疲れすぎて、エーミルの言葉が頭を通り抜けてるんじゃないか、と心配になる返事だった。
「さて、んじゃ次のシンの仕事は……ん?」
「どうしたんです?」
途中で言葉を切ったエーミルの視線の先には、庭に面した扉から顔だけ出してシンたちを見つめているルカの姿があった。隣には、困ったように笑っているマリノがいる。
「さっきもそうでしたけど、ルカちゃんていつもあんな感じなんですか?」
「いや? 初対面の相手、とくにお前みたいなでかいやつは怖がって近づかねぇよ。まあ、ルカはここに来て日が浅いから、あたしらも知らないことが多いんだけどな」
シンの疑問に答えたエーミルは、最後に「ああいうのは初めて見た」と付け足してマリノとルカに手招きした。
「ほら、ルカちゃん、行こう?」
エーミルの手招きとマリノの後押しで、やっとルカが扉の陰から出てくる。といっても、移動中はマリノの後ろに隠れつつシンを見つめるという器用なことをしていたが。
「えーと、さっきぶり?」
「ん」
困惑しながらもシンが話しかけると、ルカはなぜか、マリノの後ろから出てきてシンのズボンの裾を掴む。
「あー……えっと、なんだろう?」
「ふぅむ、こりゃ懐かれたね。珍しい」
ルカの仕草に余計に困惑したシンに、エーミルがニヤニヤしながら言った。
「シンがどうかしたの?」
「……おにいちゃんに、にてるの」
「そっか」
ルカの言葉に対する、マリノの返事はどこかそっけない。
疑問に思っていたシンに、エーミルから音声チャットが届く。
『ルカの兄貴は、もう死んでるんだよ』
ルカはもともと、兄がギルドを作る際の人数合わせとしてのみログインしていたらしい。
年齢は5歳と聞いて、シンはその理由に納得した。小学生がVRゲームを楽しむようになった今でも、小学1年生にもなっていない幼女が、PKありのゲームを選ぶとは思えなかったのだ。
しかし、ログアウトするまでのほんのわずかな時間に、世界は変わってしまった。
兄やその仲間たちは、初心者用のフィールドにルカを残して出かけていって、それっきり帰ってこなかったらしいとエーミルが説明する。
『ちなみに、ルカちゃんの兄って何歳だったんです?』
『中学に上がったばかりだったって話だな』
『……それは喜んでいいんでしょうか』
中学生の兄と似ている――背格好や顔が似ているならともかく、精神が似ていると言われたらショックだ。
「どうせなら、今日はシンにルカの面倒を見てもらうか」
「いいですね。じゃあ、はい!」
いいことを思いついたとばかりにエーミルが言い、阿吽の呼吸で相槌を打ったマリノが、シンとルカの手を重ね合わせた。
ルカの手は柔らかく、そして小さい。シンの手と比べるとそれが余計に強調されていた。
手をつないでいるというよりは、シンの手がルカの手を包み込んでいると言ったほうがいいだろう。シンは改めてルカの幼さを痛感した。
「よし! 今日は俺を頼ってくれていいぞ!」
「……うん」
ぎゅっと握り返してくる小さな手。
その反応にシンが、マリノが、エーミルが微笑んだ。
†
そこは煌びやかな部屋だった。過剰な装飾品で飾られた室内には若い男が2人。
1人は豪奢な椅子に座り、ワイングラスを傾けていた。王侯貴族のような複雑な刺繍が入った服に身を包み、手には大粒のルビーがはまった指輪が輝いている。
男の座る椅子の横には、宝石のちりばめられた鞘に収まった長剣が立てかけられていた。見る者が見れば、古代級の武器のひとつ、『エクスカリバー』の初期状態だとわかるだろう。
男のゲーム上の名は、アルドといった。
「それで、今あいつはどこを攻略している?」
「ホウザント大陸の一部を昨日、開放したようです。現在の大陸開放率は4割といったところでしょう」
ひざまずいていたもう1人の男が答える。
フード付きの濃い緑色のマントの端から見える動きやすさを重視したブーツから、男が魔導士系ではなく狩人系の職業だとわかる。
男のゲーム上の名は、ロビン・フードといった。
「ちっ、ここ1月、ずいぶんと攻略速度が落ちているではないか。何をちんたらやっているんだ。ゲームしか能のない廃人が!」
アルドが怒鳴りながら椅子を叩く。茶色がかった金髪が、怒りでわずかに浮き立った。
「難易度が上がっていますので、速度が落ちるのは仕方のないことかと思いますが」
「それをどうにかするのが、プレイヤースキルというやつなのだろう!? ふん、時間と金を湯水のように使っても、所詮はその程度ということか」
プレイヤーを完全に見下したアルド。その理由は、彼が生粋のプレイヤーではないからだ。
アルドの使っているアバターは、運営が用意した接待用のものだった。もともとはイベント用の、アーサー・ペンドラゴンというモンスターのデータを流用している。
ステータスは平均800に達し、装備も下位とはいえすべて古代級。【THE
NEW GATE】を始めたばかりのプレイヤーに与えるには、過剰すぎる仕様だった。
(今回のダンジョンも、本来はパーティで攻略するものなんだよ。どれだけすごいか、まるでわかっていない)
ロビンは心の中でつぶやいた。上級者向けのダンジョンを1人で攻略するシンの存在は、真っ当にプレイしてきたロビンにとっては驚愕の一言だった。
ロビンのアバターはアルドとは違い通常のものだ。ステータスはDEXとAGIに極振りし、斥候に特化している。弓と毒を使った遠距離からの一方的な戦い方がメインだ。
だからといってダンジョンに潜るだけならともかく、ボスに挑もうとはとても思えない。勝てるはずがない。
「おい、萩原。聞いているのか?」
「あ、はい。すみません、大丈夫です。しかし、急がせるにしても、無理にやらせて彼が死んでは元も子もありませんよ」
本名で呼ぶなよ、という考えを顔に出さず、ロビンは真面目に答えた。無理やりやらせればいいとアルドは言うが、そんなやり方で攻略が進むわけがないことくらい誰でもわかる。
アルドとロビンの関係を一言で表すなら、とある会社の上司と部下だった。
上司であるアルドは【THE NEW GATE】の運営資金を出しているパトロンの息子で、今回も運営にアバターを用意させたという自慢話を、ロビンは辟易しながら聞いた。
ロビンは会社で他のプレイヤーの中の人と話しているのをアルドに聞かれ、こうして付き従うことになってしまったのだ。
あのときほど、自分の迂闊さを呪ったことはない。ただデスゲームに囚われただけなら、どんなに気楽だったか。そう思ってしまうほど、ロビンはストレスが溜まっていた。
「ふん、ならそいつをここに呼べ。ゲームをクリアしたら報酬をやるといえば、ゲーマーならやる気を出すだろう」
「好きにやらせておいたほうが、こちらも楽なのでは?」
「私はいい加減、現実世界に帰りたいのだ。もう何ヶ月こんな状態が続いていると思っている! この体では女も抱けん。酒の酔いも半端、タバコは不味い。やってられるか!!」
話しているうちに再び気が立ってきたようで、アルドは再度椅子を叩く。
ならお前もダンジョン攻略に行けよ。そう言いたいのを堪えて、ロビンはアルドに気づかれないように小さくため息をついた。
「一応、話だけはしてみますが、断られても私にはどうすることもできませんよ?」
「どうにかしろ! できなければ降格、いやクビにするぞ!」
「わ、わかりました。説得に行ってきます!」
喚くアルドに心の中で悪態をつきながら、ロビンは部屋を出た。
お前がやれよと言い返したいところだが、ここでアルドの機嫌を損ねるわけにもいかない。現実のアルドは人事にも口を出せる上役で、ロビンは十把一絡げの下っ端社員でしかない。
この世界で生き残ることも大事だが、元の世界の職も大事だった。
養わなければならない家族がいるのだ。そのためなら、ロビンは下げたくない頭でも下げられる。
「でも、こればかりはどうしようもないだろ……」
攻略の最前線に立つシンのことは、ロビンもいろいろと聞いていた。
デスゲーム開始当初は月の祠を訪ねることもできたという話だが、今では場所が変わってどこにあるのかもわからない。街にいるときに声をかけるか、情報屋を使うかしなければ会えないだろう。
「はぁ、理恵と恵美に会いたい……」
妻と娘の名前をつぶやきながら、ロビンは街の雑踏に紛れた。
一方のアルドは、誰もいなくなった部屋の中でまだ憤っていた。
グラスを持つ手に力を込めると、一瞬でグラスは粉々になった。こぼれたワインは部屋に付与されている掃除機能によって、グラスの破片と一緒にわずかに発光して消える。
「くそっ、せっかくコネを使って楽に遊べるようにしたというのに、何がデスゲームだ!」
この期に及んでも、アルドはゲームを現実として意識していなかった。高いレベルとステータスを持ちながら、攻略もボス討伐も他人任せにしてきたせいで、最前線で戦うことが命懸けであるとわかっていない。
アルドが戦ったのは、ゴブリンやスライムといった初心者が戦うモンスターのみ。ステータス差のせいで攻撃を受けてもダメージはゼロ、そのくせ与えるダメージ量は完全にオーバーキル状態。
それはただの蹂躙であり、死を意識させる余地はなかった。
「さて、あいつが帰ってくるまでどう過ごすか……ん?」
ふと、来客を告げる鐘の音が耳に届いた。すでにサポートキャラとして作成されていたメイドが出迎えている。
アルドのメニュー画面に映し出されたのは2人。
1人は焦げ茶色の鎧を着た、荒々しい印象の男だ。鎧には装飾が削り取られたような傷が多く、荒々しさに拍車をかけている。手入れされていないぼさぼさの髪と無精ひげ。盗賊や傭兵の親玉という雰囲気だ。
もう1人は銀色の鎧の優男。首の後ろで括った金髪と、現実ではテレビや雑誌くらいでしかお目にかかれないだろう整った容姿で、隣の男とはまるで正反対の、これぞ騎士といった外見だ。
2人の顔つきに妙なリアルさを感じたアルドは、プレイヤー本人の顔でアバターを作成する、フルスキャン・アバターを使っているのかもしれない、と頭の片隅で考えた。
しかし、たとえ現実でどんな顔だろうと、ゲーム内ではさほど目立つ容姿でもない。美形キャラは珍しくもないし、あえて顔の造形を崩すプレイヤーも少なくないからだ。
メニュー画面には男たちの名前とレベル、職業が表示されていた。
「ガルガラにフラット? 知らん名だな。レベルはどちらも255。職業は魔剣士に竜騎士か。凝った装備を持っているところからして、こいつらも廃人どもか?」
課金して装備を整えるにしても、基本的にレベルとステータスに見合った装備でないとペナルティが発生する。運営から与えられたアルドの【分析】では、フラットとガルガラがそういったペナルティを受けていないこともわかった。
『お客様をお通ししますか?』
「まあ、暇つぶしくらいにはなるか。いいぞ、通せ」
メニュー画面に新たに出現した『入出を許可しますか? YES/NO』の選択肢から、『YES』を選択する。少しの間を空けて、メイドに案内された2人が部屋にやってきた。
「許可をいただき、ありがとうございます。僕はフラットといいます。どうぞよろしく」
「ガルガラだ」
「面倒な挨拶はいい。それで、何の用だ?」
笑顔で話しかけてきたフラットと無愛想なガルガラに、アルドは座ったまま横柄に返した。人を迎えるような態度ではなかったが、フラットはとくに気分を害した様子もなく話を続ける。
「今しがたここを出て行ったロビンさんが、なにやら難しい顔をしているのを見かけまして。僕らも何か力になれればと思ったんです」
「それならば、ロビンに聞けばいいだろう」
「言いつけた本人と話をしたほうが早そうだったので。それに、秘密の用事なら僕のほうが役に立ちますよ?」
フラットは親しみやすそうな笑みを浮かべた。
秘密の用事。その言葉を聞いたアルドの目が細められる。
「ああ、どうかそう警戒なさらずに。勝手に調べたことは謝罪します。しかし、僕や僕の仲間はあなたと志を同じくしているのです」
「志だと?」
「ええ、そうです。あなたも、早く現実世界に帰りたいのでしょう? そのために、手を抜いているあの男に本気で攻略を進めさせたい。違いますか?」
自分と同じように考える者がいたことに、アルドは何の不思議も感じなかった。むしろ、だらだらとしているシンに何も言わない他のプレイヤーたちがおかしい。
現実世界に帰りたい、という言葉を聞いたアルドは、フラットがやってきた理由にすんなりと納得してしまった。
「お前なら、それができるのか?」
「はい。これでもそれなりにアバターを強化していますので、攻略組として声をかければ無下にはできないでしょう。それに、言うことを聞かせる方法は他にもあります。それはこっちのガルガラが得意としていますね」
フラットは、暗に非合法な手段もあると言いたいのだ。アルドがガルガラに目を向けると、ガルガラはニヤリと口の端を上げて見せた。
「俺はそっちが専門みたいなもんでな。経験は豊富だぜ?」
そう言うと、ガルガラは自信に満ちた表情を見せる。
本来なら、犯罪まがいの行為に手を貸すほどアルドは肝が据わっていない。しかし、ログアウト不能という異常な環境に長く置かれたことで、もともとあまり強くない忍耐力が限界を迎えていた。
ゆえに、アルドは躊躇いなくうなずく。誰かに負担を負わせることに目も向けずに。
「ロビンだけでは頼りない。よろしく頼むぞ。それで、何が欲しいんだ?」
たとえ目的が同じでも、2人が何の報酬も要求しないとまでは考えていなかった。
それを聞いて、2人は笑みを深める。
「攻略の件はお任せください。報酬のほうですが、武器を融通していただきたいのです。もちろん、彼の行動を促すことができれば、で構いません」
「んん? 自前の物があるだろう?」
「恥ずかしながら、貴重な武器を作れる鍛冶師は限られているのです。そして、もっとも腕が立つのがあの男ですからね。私としても死にたくはないので、厚かましいことは承知していますが、お願いできませんか?」
フラットは深く頭を下げた。その態度にアルドは気分を良くする。
「いいだろう。ただし、成功したらの話だ」
「ありがとうございます。では、さっそく動きたいと思いますので、これで失礼します」
もう一度頭を下げて、フラットはアルドのホームを後にしようとする。
「待て、そっちの男の報酬を聞いてないぞ。あとで法外な要求をされてもかなわん。どうなんだ?」
「ん? ああ、俺か」
声をかけられたガルガラが顔だけ振り向き、好戦的な笑みを浮かべた。
「俺はただ、そのシンってやつと本気で戦いたいだけだ。腑抜けではない、本当のあいつとな」
それだけ告げて、ガルガラは先を行くフラットを追った。
「……ふん、気味の悪いやつだ」
ガルガラの笑みに、アルドは少し寒気を感じていた。
フラットはアルドのホームを出ると、すぐにヘルムを装備して顔を隠す。タイミングよく、ガルガラが追いついてきた。
「やれやれ、まさかあんな言い分で本当に任せてくれるとは。ああいうタイプが上司だと、部下は大変だ」
「はっ、ちげぇねぇ」
フラットはアルドとロビンの関係を知っていた。そもそも、そういった情報を調べ上げてから、ロビンのいない時を見計らって訪問したのだ。
口から出た同情の言葉は、内容とは裏腹にひどく見下した響きを伴っていた。ガルガラも似たようなものだ。
「アルドも、自分で動けば少しは攻略が早まるかもしれないものを。あのアバターは宝の持ち腐れですね。アバターを交換する機能があれば、有効に使ってやるのに」
「確かに、あれは中身がクソだな。面白みもねぇ」
装備は上級レベル。アバターも強力だというのに、攻略には一切協力しない。
真面目に攻略に励んでいるプレイヤーからすれば、アルドは怒りを覚える存在だった。少なくとも、今攻略中のダンジョンなら、十分以上に戦力として通用するのだ。
毎日何をするでもなくだらだらと過ごし、ちょっとした用事ですらロビンに任せている。
本人の前では隠していたが、フラットはアルドに嫌悪感を抱いていた。ガルガラのほうは興味すら抱いていない。
「まあ、利用する側としては、相手が馬鹿なのは楽でいいです」
「お前の本業からすればな」
フラットのリアルでの職業は詐欺師。その経験から、アルドが自分とガルガラを利用するつもりでいるのはわかっていた。
自分が騙されるはずがない、自分が利用されるはずがない。アルドとは、そんな根拠のない自信にあふれた男だと、フラットは看破していた。
「さて、では僕も動くとしますか。いい加減、彼を解放してあげないとね」
「相変わらず気色悪いな、お前」
「理解してほしいとは思っていないよ」
その言葉を最後に、フラットは街の雑踏の中に消えていった。
「くはっ、ハイヒューマンか。楽しめるといいがな」
フラットを見送って、ガルガラも別の場所へ歩き出す。
シンたちの知らぬところで、不吉の影が、ゆっくりと忍び寄っていた。
†
孤児院でルカの世話を頼まれたシンは、一緒に裁縫をしたり昼寝をしたりと、周りが驚くほどうまくやっていた。マリノやエーミルがそれとなく様子を見に来ても、ルカがぐずる気配はない。
それどころか、最初は多少ぎこちなかったルカも、昼を過ぎる頃にはすっかり打ち解けていた。
「なんていうか、ちょっと意外だったわ」
そんなシンを見て感心した風なことを口にしたのは、ホーリーという女性プレイヤーだ。孤児院に協力してくれている上級プレイヤーの1人で、シンとはもともと親交があった。柔らかな物腰と穏やかな性格で、おもに年少組に人気がある。
「え、何がです?」
「いやね? ルカちゃんみたいな子の面倒を見るのって、慣れないとうまくできないと思ってたのよ。とくにシン君は男の子だし」
現在午後1時。子どもたちは昼寝中だ。
子どもたちと一緒に横になりつつ、ついさっき眠ったルカを見守るシン。
「ああ、それはたぶん、妹がいるからじゃないですかね」
「そうなの? あ、ごめんなさい。リアルのことを詮索する気はなかったのだけど」
「別に構いませんよ。俺の場合、兄と弟、あと一番下に妹がいるんです。先に生まれた宿命といいますか。俺と兄貴と弟で、持ち回りって感じで妹の相手をしてたんですよ。まあルカと違って、うちの妹はやたらと動き回って大変でしたけど」
歳が近かったためか、妹が一番懐いていたのは弟だった。とはいえ、シンも多少は子どもの扱いというものは知っている。
「そんなことも言ってたわね。弟さんたちは、【THE NEW GATE】はやってないの?」
他の子の面倒を見ていたマリノが、思い出したように聞いてきた。
「妹がやってたよ。幸い、今回の騒動には巻き込まれずにすんだけどな」
「巻き込まれてたら、真っ先に探しに行きそうね」
「あいつなら普通に生き残ってるだろうから、あまり心配はしない気がするな」
「やっぱり強いの?」
「ぶっちゃけかなり強い。レベルとかステータス以前に、動きがやばいんだよ」
シンの妹も【THE NEW GATE】のプレイヤーで、プレイヤースキル、つまりプレイヤー個人の技量が高いことで有名だった。ゲーム内では距離をとっていたので、シンとの関係を知っている者はあまりいない。
「シン君がやばいなんて言うほどなの? うちの人みたいな感じかしら?」
「そうですね。身内贔屓と言われるかもしれませんけど、たぶん妹のほうがプレイヤースキルは高いと思います。まあ、シャドゥさんのプレイヤースキルもすごいですけど」
シャドゥとはホーリーの夫で、プレイヤースキルの高さで有名だった。
シンの発言に驚くマリノ。
「シャドゥさん以上なの? シンとは別の意味ですごいわね。他の兄弟の方もすごいのかしら?」
「いや、そもそもそっちの2人は【THE NEW GATE】やってないから」
兄弟そろってアニメもゲームも漫画もたしなんでいたが、兄のほうは仕事が忙しく離れ気味。弟はゲームより漫画だったので、シンと同じゲームをしていたのは妹だけだった。
そんな彼女もアニメやら漫画にはあまり興味がない。家族であっても趣味嗜好はいろいろだ。
「ん……」
小さく身じろぎしたルカにシンが視線を戻すと、いつの間にか小さな右手でシンの左手を掴んでいた。起きてはいないようだ。
「眠ってても、シンにはそばにいてほしいみたいよ?」
「あらあら、これは逃げられないわね。お兄ちゃん?」
微笑むマリノと、からかうように言ってくるホーリー。
困ったように笑って、シンはルカに握られた手に目を向けた。離そうと思えば簡単に離せるだろう。しかし、とてもそういう気にはなれない。しばらく動けないことは確定のようだ。
「他の子は私とホーリーさんで見るから、シンはルカちゃんについていてあげて。いいですよね?」
「もちろんよ。それと、シン君。ルカちゃんが起きたときは、絶対にそばにいてあげてね。今朝はそれで盛大に泣いちゃったらしいから」
シンとマリノが孤児院に着いたときにテッペイとリョウヘイが言っていたのが、この件のようだ。
シンはテッペイとリョウヘイがチャンバラをしていた広場を見て言う。そこには、すでに数人の男子がスポンジブレードを持って待機していた。
「ああ、お前はうちのやんちゃ坊主どもの相手だ。元気が有り余ってるからな。外に出ようなんて思えないように思いっきり暴れさせてやれ。あたしは監督だ」
シンの場合来るのが不定期なので、その場でエーミルが役割を決める。場所が場所だけに子どもたちの世話が大半だ。
唯一のルールは、シンが狩りに行ったりスキルを使ったりしてアイテムやジェイルを稼いでくるのはなしということ。
――孤児院のために狩りに行くくらいなら、体を休めろ。
――そして、子どもたちを早く元の世界に戻してやれ。
それが、エーミルや他の孤児院協力者たちの総意だった。
手伝いに関しては気分転換ということで、どうにか納得してもらっている。
「ようし、今日は俺が相手だ。全力でかかってこい!」
今回のような模擬戦は初めてでなく、子どもたちは遠慮なしにシンに挑んでくる。
外出の準備をしているはずのリョウヘイとテッペイもこっそり紛れ込んでいたが、シンがささっとエーミルの前に弾き出すと、襟首を掴まれて連行されていった。
「まあ、こんなもんか」
シンがやんちゃ組の相手をし始めて2時間ほど。果敢に打ちかかってきた子どもたちも、さすがに疲れてほとんどが地面に寝転がっていた。
この疲れは、HPやMPのように、目に見えるゲージとしては存在しない。HPやVITの高い者ほど疲れにくいらしく、隠しステータスだと言われていた。
疲れが溜まると攻撃力や移動速度の低下、敵からの攻撃に対するダメージ上昇など、様々なデメリットが発生する。回復魔術で回復できるのでそこまで問題になっていないが、今この場では回復できるエーミルが何もしないので、まさに死屍累々となっていた。
「くそー、にいちゃんつえー……」
「おとなげないぞー……」
余裕綽々のシンに、子どもたちから称賛やら憎まれ口やらが飛び出すが、疲れているせいで語尾が消えかかっている。
「わかったか坊主ども。外にはこいつみたいな廃人どもですら危険なモンスターがうようよしてんだ。絶対に勝手に外に行くんじゃねぇぞ!」
「わかった~」
「ぜってーしぬー……」
疲れすぎて、エーミルの言葉が頭を通り抜けてるんじゃないか、と心配になる返事だった。
「さて、んじゃ次のシンの仕事は……ん?」
「どうしたんです?」
途中で言葉を切ったエーミルの視線の先には、庭に面した扉から顔だけ出してシンたちを見つめているルカの姿があった。隣には、困ったように笑っているマリノがいる。
「さっきもそうでしたけど、ルカちゃんていつもあんな感じなんですか?」
「いや? 初対面の相手、とくにお前みたいなでかいやつは怖がって近づかねぇよ。まあ、ルカはここに来て日が浅いから、あたしらも知らないことが多いんだけどな」
シンの疑問に答えたエーミルは、最後に「ああいうのは初めて見た」と付け足してマリノとルカに手招きした。
「ほら、ルカちゃん、行こう?」
エーミルの手招きとマリノの後押しで、やっとルカが扉の陰から出てくる。といっても、移動中はマリノの後ろに隠れつつシンを見つめるという器用なことをしていたが。
「えーと、さっきぶり?」
「ん」
困惑しながらもシンが話しかけると、ルカはなぜか、マリノの後ろから出てきてシンのズボンの裾を掴む。
「あー……えっと、なんだろう?」
「ふぅむ、こりゃ懐かれたね。珍しい」
ルカの仕草に余計に困惑したシンに、エーミルがニヤニヤしながら言った。
「シンがどうかしたの?」
「……おにいちゃんに、にてるの」
「そっか」
ルカの言葉に対する、マリノの返事はどこかそっけない。
疑問に思っていたシンに、エーミルから音声チャットが届く。
『ルカの兄貴は、もう死んでるんだよ』
ルカはもともと、兄がギルドを作る際の人数合わせとしてのみログインしていたらしい。
年齢は5歳と聞いて、シンはその理由に納得した。小学生がVRゲームを楽しむようになった今でも、小学1年生にもなっていない幼女が、PKありのゲームを選ぶとは思えなかったのだ。
しかし、ログアウトするまでのほんのわずかな時間に、世界は変わってしまった。
兄やその仲間たちは、初心者用のフィールドにルカを残して出かけていって、それっきり帰ってこなかったらしいとエーミルが説明する。
『ちなみに、ルカちゃんの兄って何歳だったんです?』
『中学に上がったばかりだったって話だな』
『……それは喜んでいいんでしょうか』
中学生の兄と似ている――背格好や顔が似ているならともかく、精神が似ていると言われたらショックだ。
「どうせなら、今日はシンにルカの面倒を見てもらうか」
「いいですね。じゃあ、はい!」
いいことを思いついたとばかりにエーミルが言い、阿吽の呼吸で相槌を打ったマリノが、シンとルカの手を重ね合わせた。
ルカの手は柔らかく、そして小さい。シンの手と比べるとそれが余計に強調されていた。
手をつないでいるというよりは、シンの手がルカの手を包み込んでいると言ったほうがいいだろう。シンは改めてルカの幼さを痛感した。
「よし! 今日は俺を頼ってくれていいぞ!」
「……うん」
ぎゅっと握り返してくる小さな手。
その反応にシンが、マリノが、エーミルが微笑んだ。
†
そこは煌びやかな部屋だった。過剰な装飾品で飾られた室内には若い男が2人。
1人は豪奢な椅子に座り、ワイングラスを傾けていた。王侯貴族のような複雑な刺繍が入った服に身を包み、手には大粒のルビーがはまった指輪が輝いている。
男の座る椅子の横には、宝石のちりばめられた鞘に収まった長剣が立てかけられていた。見る者が見れば、古代級の武器のひとつ、『エクスカリバー』の初期状態だとわかるだろう。
男のゲーム上の名は、アルドといった。
「それで、今あいつはどこを攻略している?」
「ホウザント大陸の一部を昨日、開放したようです。現在の大陸開放率は4割といったところでしょう」
ひざまずいていたもう1人の男が答える。
フード付きの濃い緑色のマントの端から見える動きやすさを重視したブーツから、男が魔導士系ではなく狩人系の職業だとわかる。
男のゲーム上の名は、ロビン・フードといった。
「ちっ、ここ1月、ずいぶんと攻略速度が落ちているではないか。何をちんたらやっているんだ。ゲームしか能のない廃人が!」
アルドが怒鳴りながら椅子を叩く。茶色がかった金髪が、怒りでわずかに浮き立った。
「難易度が上がっていますので、速度が落ちるのは仕方のないことかと思いますが」
「それをどうにかするのが、プレイヤースキルというやつなのだろう!? ふん、時間と金を湯水のように使っても、所詮はその程度ということか」
プレイヤーを完全に見下したアルド。その理由は、彼が生粋のプレイヤーではないからだ。
アルドの使っているアバターは、運営が用意した接待用のものだった。もともとはイベント用の、アーサー・ペンドラゴンというモンスターのデータを流用している。
ステータスは平均800に達し、装備も下位とはいえすべて古代級。【THE
NEW GATE】を始めたばかりのプレイヤーに与えるには、過剰すぎる仕様だった。
(今回のダンジョンも、本来はパーティで攻略するものなんだよ。どれだけすごいか、まるでわかっていない)
ロビンは心の中でつぶやいた。上級者向けのダンジョンを1人で攻略するシンの存在は、真っ当にプレイしてきたロビンにとっては驚愕の一言だった。
ロビンのアバターはアルドとは違い通常のものだ。ステータスはDEXとAGIに極振りし、斥候に特化している。弓と毒を使った遠距離からの一方的な戦い方がメインだ。
だからといってダンジョンに潜るだけならともかく、ボスに挑もうとはとても思えない。勝てるはずがない。
「おい、萩原。聞いているのか?」
「あ、はい。すみません、大丈夫です。しかし、急がせるにしても、無理にやらせて彼が死んでは元も子もありませんよ」
本名で呼ぶなよ、という考えを顔に出さず、ロビンは真面目に答えた。無理やりやらせればいいとアルドは言うが、そんなやり方で攻略が進むわけがないことくらい誰でもわかる。
アルドとロビンの関係を一言で表すなら、とある会社の上司と部下だった。
上司であるアルドは【THE NEW GATE】の運営資金を出しているパトロンの息子で、今回も運営にアバターを用意させたという自慢話を、ロビンは辟易しながら聞いた。
ロビンは会社で他のプレイヤーの中の人と話しているのをアルドに聞かれ、こうして付き従うことになってしまったのだ。
あのときほど、自分の迂闊さを呪ったことはない。ただデスゲームに囚われただけなら、どんなに気楽だったか。そう思ってしまうほど、ロビンはストレスが溜まっていた。
「ふん、ならそいつをここに呼べ。ゲームをクリアしたら報酬をやるといえば、ゲーマーならやる気を出すだろう」
「好きにやらせておいたほうが、こちらも楽なのでは?」
「私はいい加減、現実世界に帰りたいのだ。もう何ヶ月こんな状態が続いていると思っている! この体では女も抱けん。酒の酔いも半端、タバコは不味い。やってられるか!!」
話しているうちに再び気が立ってきたようで、アルドは再度椅子を叩く。
ならお前もダンジョン攻略に行けよ。そう言いたいのを堪えて、ロビンはアルドに気づかれないように小さくため息をついた。
「一応、話だけはしてみますが、断られても私にはどうすることもできませんよ?」
「どうにかしろ! できなければ降格、いやクビにするぞ!」
「わ、わかりました。説得に行ってきます!」
喚くアルドに心の中で悪態をつきながら、ロビンは部屋を出た。
お前がやれよと言い返したいところだが、ここでアルドの機嫌を損ねるわけにもいかない。現実のアルドは人事にも口を出せる上役で、ロビンは十把一絡げの下っ端社員でしかない。
この世界で生き残ることも大事だが、元の世界の職も大事だった。
養わなければならない家族がいるのだ。そのためなら、ロビンは下げたくない頭でも下げられる。
「でも、こればかりはどうしようもないだろ……」
攻略の最前線に立つシンのことは、ロビンもいろいろと聞いていた。
デスゲーム開始当初は月の祠を訪ねることもできたという話だが、今では場所が変わってどこにあるのかもわからない。街にいるときに声をかけるか、情報屋を使うかしなければ会えないだろう。
「はぁ、理恵と恵美に会いたい……」
妻と娘の名前をつぶやきながら、ロビンは街の雑踏に紛れた。
一方のアルドは、誰もいなくなった部屋の中でまだ憤っていた。
グラスを持つ手に力を込めると、一瞬でグラスは粉々になった。こぼれたワインは部屋に付与されている掃除機能によって、グラスの破片と一緒にわずかに発光して消える。
「くそっ、せっかくコネを使って楽に遊べるようにしたというのに、何がデスゲームだ!」
この期に及んでも、アルドはゲームを現実として意識していなかった。高いレベルとステータスを持ちながら、攻略もボス討伐も他人任せにしてきたせいで、最前線で戦うことが命懸けであるとわかっていない。
アルドが戦ったのは、ゴブリンやスライムといった初心者が戦うモンスターのみ。ステータス差のせいで攻撃を受けてもダメージはゼロ、そのくせ与えるダメージ量は完全にオーバーキル状態。
それはただの蹂躙であり、死を意識させる余地はなかった。
「さて、あいつが帰ってくるまでどう過ごすか……ん?」
ふと、来客を告げる鐘の音が耳に届いた。すでにサポートキャラとして作成されていたメイドが出迎えている。
アルドのメニュー画面に映し出されたのは2人。
1人は焦げ茶色の鎧を着た、荒々しい印象の男だ。鎧には装飾が削り取られたような傷が多く、荒々しさに拍車をかけている。手入れされていないぼさぼさの髪と無精ひげ。盗賊や傭兵の親玉という雰囲気だ。
もう1人は銀色の鎧の優男。首の後ろで括った金髪と、現実ではテレビや雑誌くらいでしかお目にかかれないだろう整った容姿で、隣の男とはまるで正反対の、これぞ騎士といった外見だ。
2人の顔つきに妙なリアルさを感じたアルドは、プレイヤー本人の顔でアバターを作成する、フルスキャン・アバターを使っているのかもしれない、と頭の片隅で考えた。
しかし、たとえ現実でどんな顔だろうと、ゲーム内ではさほど目立つ容姿でもない。美形キャラは珍しくもないし、あえて顔の造形を崩すプレイヤーも少なくないからだ。
メニュー画面には男たちの名前とレベル、職業が表示されていた。
「ガルガラにフラット? 知らん名だな。レベルはどちらも255。職業は魔剣士に竜騎士か。凝った装備を持っているところからして、こいつらも廃人どもか?」
課金して装備を整えるにしても、基本的にレベルとステータスに見合った装備でないとペナルティが発生する。運営から与えられたアルドの【分析】では、フラットとガルガラがそういったペナルティを受けていないこともわかった。
『お客様をお通ししますか?』
「まあ、暇つぶしくらいにはなるか。いいぞ、通せ」
メニュー画面に新たに出現した『入出を許可しますか? YES/NO』の選択肢から、『YES』を選択する。少しの間を空けて、メイドに案内された2人が部屋にやってきた。
「許可をいただき、ありがとうございます。僕はフラットといいます。どうぞよろしく」
「ガルガラだ」
「面倒な挨拶はいい。それで、何の用だ?」
笑顔で話しかけてきたフラットと無愛想なガルガラに、アルドは座ったまま横柄に返した。人を迎えるような態度ではなかったが、フラットはとくに気分を害した様子もなく話を続ける。
「今しがたここを出て行ったロビンさんが、なにやら難しい顔をしているのを見かけまして。僕らも何か力になれればと思ったんです」
「それならば、ロビンに聞けばいいだろう」
「言いつけた本人と話をしたほうが早そうだったので。それに、秘密の用事なら僕のほうが役に立ちますよ?」
フラットは親しみやすそうな笑みを浮かべた。
秘密の用事。その言葉を聞いたアルドの目が細められる。
「ああ、どうかそう警戒なさらずに。勝手に調べたことは謝罪します。しかし、僕や僕の仲間はあなたと志を同じくしているのです」
「志だと?」
「ええ、そうです。あなたも、早く現実世界に帰りたいのでしょう? そのために、手を抜いているあの男に本気で攻略を進めさせたい。違いますか?」
自分と同じように考える者がいたことに、アルドは何の不思議も感じなかった。むしろ、だらだらとしているシンに何も言わない他のプレイヤーたちがおかしい。
現実世界に帰りたい、という言葉を聞いたアルドは、フラットがやってきた理由にすんなりと納得してしまった。
「お前なら、それができるのか?」
「はい。これでもそれなりにアバターを強化していますので、攻略組として声をかければ無下にはできないでしょう。それに、言うことを聞かせる方法は他にもあります。それはこっちのガルガラが得意としていますね」
フラットは、暗に非合法な手段もあると言いたいのだ。アルドがガルガラに目を向けると、ガルガラはニヤリと口の端を上げて見せた。
「俺はそっちが専門みたいなもんでな。経験は豊富だぜ?」
そう言うと、ガルガラは自信に満ちた表情を見せる。
本来なら、犯罪まがいの行為に手を貸すほどアルドは肝が据わっていない。しかし、ログアウト不能という異常な環境に長く置かれたことで、もともとあまり強くない忍耐力が限界を迎えていた。
ゆえに、アルドは躊躇いなくうなずく。誰かに負担を負わせることに目も向けずに。
「ロビンだけでは頼りない。よろしく頼むぞ。それで、何が欲しいんだ?」
たとえ目的が同じでも、2人が何の報酬も要求しないとまでは考えていなかった。
それを聞いて、2人は笑みを深める。
「攻略の件はお任せください。報酬のほうですが、武器を融通していただきたいのです。もちろん、彼の行動を促すことができれば、で構いません」
「んん? 自前の物があるだろう?」
「恥ずかしながら、貴重な武器を作れる鍛冶師は限られているのです。そして、もっとも腕が立つのがあの男ですからね。私としても死にたくはないので、厚かましいことは承知していますが、お願いできませんか?」
フラットは深く頭を下げた。その態度にアルドは気分を良くする。
「いいだろう。ただし、成功したらの話だ」
「ありがとうございます。では、さっそく動きたいと思いますので、これで失礼します」
もう一度頭を下げて、フラットはアルドのホームを後にしようとする。
「待て、そっちの男の報酬を聞いてないぞ。あとで法外な要求をされてもかなわん。どうなんだ?」
「ん? ああ、俺か」
声をかけられたガルガラが顔だけ振り向き、好戦的な笑みを浮かべた。
「俺はただ、そのシンってやつと本気で戦いたいだけだ。腑抜けではない、本当のあいつとな」
それだけ告げて、ガルガラは先を行くフラットを追った。
「……ふん、気味の悪いやつだ」
ガルガラの笑みに、アルドは少し寒気を感じていた。
フラットはアルドのホームを出ると、すぐにヘルムを装備して顔を隠す。タイミングよく、ガルガラが追いついてきた。
「やれやれ、まさかあんな言い分で本当に任せてくれるとは。ああいうタイプが上司だと、部下は大変だ」
「はっ、ちげぇねぇ」
フラットはアルドとロビンの関係を知っていた。そもそも、そういった情報を調べ上げてから、ロビンのいない時を見計らって訪問したのだ。
口から出た同情の言葉は、内容とは裏腹にひどく見下した響きを伴っていた。ガルガラも似たようなものだ。
「アルドも、自分で動けば少しは攻略が早まるかもしれないものを。あのアバターは宝の持ち腐れですね。アバターを交換する機能があれば、有効に使ってやるのに」
「確かに、あれは中身がクソだな。面白みもねぇ」
装備は上級レベル。アバターも強力だというのに、攻略には一切協力しない。
真面目に攻略に励んでいるプレイヤーからすれば、アルドは怒りを覚える存在だった。少なくとも、今攻略中のダンジョンなら、十分以上に戦力として通用するのだ。
毎日何をするでもなくだらだらと過ごし、ちょっとした用事ですらロビンに任せている。
本人の前では隠していたが、フラットはアルドに嫌悪感を抱いていた。ガルガラのほうは興味すら抱いていない。
「まあ、利用する側としては、相手が馬鹿なのは楽でいいです」
「お前の本業からすればな」
フラットのリアルでの職業は詐欺師。その経験から、アルドが自分とガルガラを利用するつもりでいるのはわかっていた。
自分が騙されるはずがない、自分が利用されるはずがない。アルドとは、そんな根拠のない自信にあふれた男だと、フラットは看破していた。
「さて、では僕も動くとしますか。いい加減、彼を解放してあげないとね」
「相変わらず気色悪いな、お前」
「理解してほしいとは思っていないよ」
その言葉を最後に、フラットは街の雑踏の中に消えていった。
「くはっ、ハイヒューマンか。楽しめるといいがな」
フラットを見送って、ガルガラも別の場所へ歩き出す。
シンたちの知らぬところで、不吉の影が、ゆっくりと忍び寄っていた。
†
孤児院でルカの世話を頼まれたシンは、一緒に裁縫をしたり昼寝をしたりと、周りが驚くほどうまくやっていた。マリノやエーミルがそれとなく様子を見に来ても、ルカがぐずる気配はない。
それどころか、最初は多少ぎこちなかったルカも、昼を過ぎる頃にはすっかり打ち解けていた。
「なんていうか、ちょっと意外だったわ」
そんなシンを見て感心した風なことを口にしたのは、ホーリーという女性プレイヤーだ。孤児院に協力してくれている上級プレイヤーの1人で、シンとはもともと親交があった。柔らかな物腰と穏やかな性格で、おもに年少組に人気がある。
「え、何がです?」
「いやね? ルカちゃんみたいな子の面倒を見るのって、慣れないとうまくできないと思ってたのよ。とくにシン君は男の子だし」
現在午後1時。子どもたちは昼寝中だ。
子どもたちと一緒に横になりつつ、ついさっき眠ったルカを見守るシン。
「ああ、それはたぶん、妹がいるからじゃないですかね」
「そうなの? あ、ごめんなさい。リアルのことを詮索する気はなかったのだけど」
「別に構いませんよ。俺の場合、兄と弟、あと一番下に妹がいるんです。先に生まれた宿命といいますか。俺と兄貴と弟で、持ち回りって感じで妹の相手をしてたんですよ。まあルカと違って、うちの妹はやたらと動き回って大変でしたけど」
歳が近かったためか、妹が一番懐いていたのは弟だった。とはいえ、シンも多少は子どもの扱いというものは知っている。
「そんなことも言ってたわね。弟さんたちは、【THE NEW GATE】はやってないの?」
他の子の面倒を見ていたマリノが、思い出したように聞いてきた。
「妹がやってたよ。幸い、今回の騒動には巻き込まれずにすんだけどな」
「巻き込まれてたら、真っ先に探しに行きそうね」
「あいつなら普通に生き残ってるだろうから、あまり心配はしない気がするな」
「やっぱり強いの?」
「ぶっちゃけかなり強い。レベルとかステータス以前に、動きがやばいんだよ」
シンの妹も【THE NEW GATE】のプレイヤーで、プレイヤースキル、つまりプレイヤー個人の技量が高いことで有名だった。ゲーム内では距離をとっていたので、シンとの関係を知っている者はあまりいない。
「シン君がやばいなんて言うほどなの? うちの人みたいな感じかしら?」
「そうですね。身内贔屓と言われるかもしれませんけど、たぶん妹のほうがプレイヤースキルは高いと思います。まあ、シャドゥさんのプレイヤースキルもすごいですけど」
シャドゥとはホーリーの夫で、プレイヤースキルの高さで有名だった。
シンの発言に驚くマリノ。
「シャドゥさん以上なの? シンとは別の意味ですごいわね。他の兄弟の方もすごいのかしら?」
「いや、そもそもそっちの2人は【THE NEW GATE】やってないから」
兄弟そろってアニメもゲームも漫画もたしなんでいたが、兄のほうは仕事が忙しく離れ気味。弟はゲームより漫画だったので、シンと同じゲームをしていたのは妹だけだった。
そんな彼女もアニメやら漫画にはあまり興味がない。家族であっても趣味嗜好はいろいろだ。
「ん……」
小さく身じろぎしたルカにシンが視線を戻すと、いつの間にか小さな右手でシンの左手を掴んでいた。起きてはいないようだ。
「眠ってても、シンにはそばにいてほしいみたいよ?」
「あらあら、これは逃げられないわね。お兄ちゃん?」
微笑むマリノと、からかうように言ってくるホーリー。
困ったように笑って、シンはルカに握られた手に目を向けた。離そうと思えば簡単に離せるだろう。しかし、とてもそういう気にはなれない。しばらく動けないことは確定のようだ。
「他の子は私とホーリーさんで見るから、シンはルカちゃんについていてあげて。いいですよね?」
「もちろんよ。それと、シン君。ルカちゃんが起きたときは、絶対にそばにいてあげてね。今朝はそれで盛大に泣いちゃったらしいから」
シンとマリノが孤児院に着いたときにテッペイとリョウヘイが言っていたのが、この件のようだ。
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