女神なんてお断りですっ。

紫南

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4巻

4-2

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「仕方ないなぁ……これじゃあ遊べないしね。風王、ここはもういいよ」
《残念ですが……承知いたしました……》

 風王が消えた事で、少しホッとした雰囲気になる。ティアは最近気付いたのだが、どうやら精霊王達は、無意識に威圧感を出しているようだ。

「そんで、『晶腐石しょうふせき』を採りに行く騎士達の護衛を、って事だったよな? どうする? 嬢ちゃん」

 どうやら、ゲイルはティアに決めさせるつもりらしい。ビアンと男が、そろってティアを見た。

「断る」
「「へ?」」
「当然でしょ? お断りだよ」

 ティアは、ちょこんと椅子に腰かけて言った。

「そ、そんな事を言わずに、お願いしますっ。……ほら、マナクもっ」
「お、お願いします」

 ビアンにかされ、床をってきた魔術師の男が、ひたいを床にぶつける勢いで頭を下げる。その隣では、ビアンも同じように頭を下げていた。

「そう言われてもさぁ。なんか馬鹿にしてんだよね。本気で頼みたいなら、上の人がちょくで来て、今みたいに頭下げるのが礼儀でしょ?」

 ティアの手には、国からの手紙がある。中には『国のため、力を貸すように』とだけ書かれており、正式な依頼書にもなっていなかったのだ。

「シェリー。これ、ギルドマスター的にはどうなの?」
「本来でしたら、こんなふざけたふみなど燃やして終わりにします。ですが、一応ティアの意思を確認しようと思いまして」
「そっか。なら焼却で。お疲れ様でした」
「「え!?」」

 ティアは手紙を一瞬で灰にした。いくら国からの依頼でも、受けるか受けないかは冒険者が決める。それが、この世界での常識でありルールだった。
 ビアンが慌ててティアに手を伸ばす。

「ちょっ……そこはもうちょっと、俺の顔を立てて……」
「ヤだよ」
「そ、そう言わずに、お願いします」
「い・や」
「嬢ちゃん……」

 かたくなな態度のティアに、ゲイルが苦笑する。ビアンは床に座り込んだまま、ティアを見上げて尋ねた。

「……理由は? 何か理由があるんだろう?」

 ティアは仕方ないとばかりに溜め息をつく。

「あのね。あそこのランク知ってる?」
「確か……A?」

 ビアンの答えを、シェリスがすかさず訂正した。

「違いますよ。誰も確かめに行きませんから、公式記録が凍結されているんです。今は間違いなくS以上です」
「え、S……」
「ね? 普通断るでしょ?」

 この世界では、多くのものが七段階でランク付けされている。Sランクは、Aランクを上回る最高ランクであり、この場合は最も危険度が高い事を示している。これには話を持ってきたビアン達だけでなく、ゲイルも驚いていた。

「マジかよ……S以上って……そんなん無理だろ……」

 この国に、対応できる冒険者など存在しない。もう何百年もの間、Sランクに到達した者は誰一人いないのだ。

「だから、あきらめなって上に伝えなよ。人員をくだけ無駄。むしろ、貴重なAランク冒険者達を捨て駒扱いしたって事で、訴えられてもおかしくないって」
「「……」」

 ビアンとマナクは、そろって顔を青ざめさせる。Sランクの時点でとんでもないのだ。それ以上と言われては、想像もできなかった。

「はい。じゃあ、気を付けて帰ってね」
「ま、待ってくれ。さすがに手ぶらで帰るなんてできないんだが……」
「お土産みやげ? 何がいいっ? 請求書っ? ちょっと待ってね。思いっきりふっかけた慰謝料の請求書を……」
「待って! そういうのはいいからっ」

 机の上の紙に手を伸ばすティアを、ビアンが必死に止めた。その反応に、ティアはニヤリと笑う。

「ビアンさんさ、今すぐ帰んなくてもよくない? エルさんも隣にいるみたいだしね」
「え、あ、気付いていたのか?」

 隣の部屋に、第二王子のエルヴァストがいる。王都の学園に通う彼は現在、長期休暇中。ビアンからサルバに行くと聞いて同行をせがんだのだろう。

「うん。のんびり読書タイムっぽいね。なんなら誘拐したげよっか? ……バトラールの名前で」
「っ!」

 最後はビアンにしか聞こえないようにささやいたティア。
 なぜかビアンは嫌な予感がした。

「お返事の手紙は、そっちの彼に届けてもらってさ。サルバと関係があるのは向こうも分かってると思うんだよ。前にシェリーと連名で名乗ったし」

 ティアはエルヴァストを道具のように扱う重鎮達が許せなくて、この国の城に奇襲をかけた事がある。バトラール・フィスマと名乗り、圧倒的な力によって、会議室の『晶腐石しょうふせき』を破壊した。そのせいで今回、新しい『晶腐石しょうふせき』が必要となったのだ。
 だが、そんな事をビアン達は知らない。独り言のようにも聞こえるティアの言葉を、シェリス以外は理解できずにいた。
 そこでビアンが、もう一度考え直してくれと頼み込む。

「ふぅん……まぁ、いいけど……。ゲイルパパ。ちょっとシェリーと話し合うから、この二人とエルさん連れて、みんなのところに行っててくれる? ビアンさん達、どうせ今日はうちに泊まるんでしょ?」

 返事がもらえるまで、ビアン達は領主の屋敷に滞在するはずだ。旅の疲れを取る必要もあるから、一日、二日はいるつもりだろう。

「え? あぁ……」
「なら、そういう事で」
「そんじゃあ、行くか」

 なんとなく事情を察したゲイルが、二人を連れて部屋を出ていった。
 そこで地の精霊王――地王がティアに報告する。

《姫様。ドアに応急処置をしておきましたぞ》
「ありがとう。地王爺」

 机に向き直ったティアは、先ほど目に入った別の手紙をまみ上げる。魔族の言葉でつづられたそれは、他の者が見たところで何が書かれているか分からないだろう。
 内容を素早く一読したティアは、ビアン達の依頼を断るべきではないかもしれないと考える。

「コレ、わざとここに置いた?」
「ふふっ。ティアなら気付くと思いましたので」
「……本当の用件はこっちだね?」
「はい。ですが、彼らの持ってきた話も役に立つかもしれません」

 魔族の国の一大事に発展しかねない内容。もしこれが本当ならば、他国にも働きかける必要がある。だが異種族の国との交流が難しい現代において、それは困難を極めるだろう。

「どうします?」

 シェリスの顔からは、いつもの笑みが消えていた。それほど真剣に、この手紙について考えているのだ。

「そうだねぇ……万が一のために、国に貸しを作っておくのもいいかも?」
「ですかね」

 ティアやシェリスには本来、国の事情など関係ない。全ては共通の友人のため。
 色々と話を詰めなくてはならないが、一応、今回の依頼を受ける事に決めたのだった。


     ◆ ◆ ◆


 思わぬ早さで戻ってきた友人からの返事に、魔族の国の王は喜ぶよりも戸惑っていた。自分に関係のない事には、とことん無関心でいられる友人なのだ。返事がなくても仕方ないとさえ思っていた。
 連絡をって数百年。他人嫌いの彼が、人族の国でギルドマスターになったと、風のうわさで聞いた。にわかには信じられず、未だ故郷の森に引きこもっているとばかり思っていたのに――

「『ジルバール・エルース』か……そういえば、里長になると名前が変わると言っていたな。しかし、本当にギルドマスターをしているとは……時とは偉大だ……」

 その名を持つギルドマスターのうわさは聞いている。冒険者ギルドは国境や種族にとらわれない組織であり、この国のギルドを通して他国の情報が入ってくるのだ。
 使い魔を通して受け取った返事は、とても簡潔だった。

『こちらでも状況を調べてみます。今後、連絡は密に取りましょう。同封の魔導具を使ってください』
(魔導具?)

 送られてきた小包みに手を伸ばす。中には、黒い蝶をかたどったブローチが二つ。

『あなたなら、使い方は分かりますよね』

 そのブローチを手に取って、王は目を見開く。

「なぜっ……シェリーが知っているはずは……」

 それは、とある友人と遊びの一環として研究し、理論をまとめただけで終わっていた魔導具。シェリスが森へ帰った後に研究したものだから、彼が知り得るはずがない。

「あの子から教わっていたのか?」

 シェリスならば、なんらかの方法でその友人と連絡を取り合っていてもおかしくない。
 どちらのブローチにも一組の魔石がはまっている。それぞれのブローチの、魔力が感じられない方の魔石に、自身の魔力を満たしていく。
 そして片方のブローチを使い魔へとたくし、ひとまず通常業務に戻った。
 数時間後、そろそろ届いただろうかと顔を上げる。そのとき、ちょうど魔石に反応があった。慌てて触れると、思いがけない幼い声が聞こえてくる。

『聞こえますか? こちらは、サルバ冒険者ギルドです。聞こえますか……カルねえ?』
「え、サティア……?」

 自分を『カルねえ』と呼ぶのは、世界中でただ一人。けれど、その子は随分前に亡くなっているはずだ。

『あ、やったぁ。成功だね。拡声機能もバッチリ。もちろん念話機能もあるからね。ほら、シェリー。カルねえだよっ』
『ふふっ、ティアの作った魔導具なのですから、失敗するはずがないでしょう』
『いや、私だってたまには失敗するよ……それより、カルねえ? お~い。ちゃんとしゃべってよぉ』
(サティアだっ!!)

 そう確信した時、不意に涙があふれてきた。信じられない奇跡が起きているのだと思うと、上手く言葉にならない。けれど、聞こえてきた友人達の会話は、耳によく馴染なじんだものだった。


「サ……サティア……本当に君なのか?」
『えへへ。本当だよ~。こう言うのも変だけど、ただいま、カルねえ
「ふっ……あぁ……おかえり……」
(おかえり、私の可愛い友人……)

 それからしばらくの間、執務室には魔王カルツォーネの嗚咽おえつと、ティアとシェリスのにぎやかな会話が響くのだった。


 ブローチからは、カルツォーネの小さな嗚咽おえつが聞こえていた。それを掻き消すように、ティアは明るい声で話し続ける。

「それでね、そのクソ天使の羽根は、次会った時にむしり取ってやるって決めたの」

 執務机に座るティアの後ろには、シェリスが立っていた。

「やっぱりむしり取った下は鳥肌なのでしょうか?」
「おぉ、なるほど。考えた事もなかったよ……むしろ、あの天使の翼の部分って、皮とか付いてるの?」
「おそらく……」
「そういう文献とかあったら面白いのに~」

 そんな話をしている間に、カルツォーネも笑い出す。

『ふふふ、君は相変わらずだね。よかったら、そんな文献がないか探しに来るかい?』
「いいのっ? 魔族の集めた文献の量ってすごいんでしょ? 昔は世界中に諜報員ちょうほういんが散らばって、色んな情報を集めてたもんね」

 魔族の歴史は長い。古代から続く種族としての矜恃きょうじもあって、多くの古い文献を国で保管している。情報や知識を重要視する魔族は、それらを世界中から集める事を使命としていた。
 カルツォーネも、シェリス達と一緒に冒険者として世界中を回りつつ、様々な種族の知識や歴史、時には滞在した国の内情をも調べていた。

『言っておくが、あれは諜報員ちょうほういんではないぞ? 情報を集めるのは一種の趣味というか……職業病というか……』

 強い知識欲。それは魔族の持つ特性だった。常に新しい発見や使えそうな情報を集めている。

「なんかカルねえって、よく犯罪者を捕まえてたよね」
『国からの指令が来てたからね。主に兄貴達からだが』

 魔族は、罪や法を犯した者に厳しい。情報収集にけた魔族だからこそ、同族が国外で犯罪者となった場合も、その対処は早かった。

「一度、助けてもらったよね。あの時の犯人は魔族だったから、あれも仕事だったんでしょ?」

 ティアは一度、姉を誘拐された事がある。その黒幕をカルツォーネが追っていたらしく、ティアが姉を救うためにアジトへ潜入した時、助けてもらったのだ。

『あぁ。あいつは国が禁止した魔導具を作って、国外にばらいていたからな』
「う……なんか思い出してきた……アブナイ感じの人だったね……そうだっ」

 いい事を思いついたティアは、机の上のブローチに向かって身を乗り出す。

「魔族の国ならあるかな? 『神具しんぐ』について書かれた文献か資料」

神具しんぐ』とは、創世の時、神から地上に与えられた七つの魔導具の事だ。いずれも魔術では再現できない大きな力を秘めている。だが時に地上に混乱をもたらす、厄介なものでもあった。

『これまた突然だね……確か昔、それを調べていた者がいたはずだよ。でも、あんな使えないものをどうするんだい?』
「使えない……?」

 ティアが首を傾げる。シェリスとしても、その言葉には納得できなかった。どういう事かと、カルツォーネの次の言葉を待つ。

『あぁ、なるほど……知られてはいないかもね……。「神具しんぐ」は、それを受け継ぐ血族の者にしか扱えないんだ』
「ほぅ……」
「っそんな……」

 納得するシェリスと違い、ティアは何やら衝撃を受けていた。

『しかも血族の中でも、鍵となる因子……特殊な魔力の波動を持った者でないと、正しく発動しないらしい。だが、本来の力を引き出せないだけで、少しでもその血を引いた者なら、なんとか扱えると言われている』
「では、その『神具しんぐ』を受け継ぐ血族を探せば……ティア? なんだか顔色が悪いですよ?」

 ティアは一人考え込むような体勢で固まっていた。心配になったシェリスは、そっと手を伸ばし、そのほおに触れる。するとティアは、正気に戻ったかのように目を瞬かしばたたせた。

「あ、ごめん。考え事してた。え~っと、血族だったよね。それもそっちで分かるかな?」
『どうだろう……元は辿たどれるかもしれないけれど……』
「それでもいい。できれば知りたい」
『分かった。調べておくよ』

 シェリスの手をゆっくりと握ってほおから離し、ティアはようやく本題に入る。

「今度はカルねえの方の話を聞こうか。何か、国で困った事があるんだよね?」
『あぁ。聞いてもらえるかな』
「もちろん。シェリーもね」
「仕方ありませんね」

 大切な友人の頼みならば、どんなに困難な事であっても力を貸す。ティアとシェリスは笑みを浮かべてうなずいた。


     ◆ ◆ ◆


 屋敷に帰ったティアは、応接室で待っていたビアンとマナクに依頼の件で返事をした。

「受けてくれるのか?」
「うん。ただし、人員はこっちで用意する」
「え? それはどういう……」

 向かいのソファで怪訝けげんな顔をするビアンに、ティアははっきりと言う。

「あそこはSランクだって言ったでしょ? そんな場所に、足手まといにしかならない騎士や魔術師を連れていけないよ。大体、あそこじゃ魔術師なんて役に立たないもの」

 その言葉に素早く反応したのは、ビアンの隣に座るマナクだ。

「そ、そんな事はっ」
「あるんだよ。おバカ」
「「……」」

 ソファに足を抱えて座るティアに、呆れたように言われたマナク。ムッとした様子の彼を、ビアンがすかさず目で制した。
 そんな二人の様子を観察していたティアは、隣に座るゲイルに尋ねる。

「なぁんかさ。あそこに関する知識っていうか、認識が甘いよね? こんなもんなの?」

 昔から死の山は危険な場所だった。その特殊な環境によって突然変異した魔獣達が、常にその力を変化させ続けている。あれから約五百年。どれほど異常な生き物が生まれているのか、ティアにも想像できなかった。

「あそこは『晶腐石しょうふせき』しか採れねぇだろ? その上、魔術が使えん場所だ。冒険者でも、依頼がなけりゃ入る奴はそうそういねぇ。だから、『危ねぇから入るな』って情報しか伝わってねぇんだよな」
「ふぅん」
「あの……さすがに国からの代表者が、何人かついていく事になると思うんだが……」

 そんなビアンの言葉は想定済みだ。

「それは構わないけど、守ってあげる余裕はないから、遺書を用意しておくくらいは覚悟ができる人にしてね」
「……と、とりあえず、そう国に伝えてきます……」
「うん。そうして。それまでの間、エルさんは人質かな」
「えっ!?」

 今はベリアローズの部屋にいるエルヴァスト。久しぶりに友人と会い、歓談中のようだ。

「どうせ戻ってくるんだし、いいでしょ? 心配なら、早く済ませてくるように」
「……はい……」

 こうして翌日、ビアンとマナクは二人だけで王都へ帰っていったのだった。


「世話になる」

 ティアに再会したエルヴァストが、嬉しそうに挨拶あいさつする。サルバでの滞在日数がかなり延びた事で、喜びが全面に出ていた。ティアも笑顔でこたえる。

「どうぞごゆっくり~」

 人好きのする笑顔が魅力的な第二王子。元メイドの側妃そくひを母に持ち、王子でありながら肩身の狭い思いをしてきた。大臣達からはいざという時、王太子の身代わりとなるように言われている。
 それが長くエルヴァストを苦しめていたのだが、ティアやベリアローズと出会い、友人になる事で、彼は本当の笑顔を取り戻した。何より一番大きかったのは、ティアが『身代わりには決してさせない』と約束した事だろう。エルヴァストの指には、そのあかしである指輪が光っていた。
 このサルバにはAランク冒険者のゲイルがいて、森の賢者と呼ばれるシェリスもいる。その上、ティアやマティもいるのだ。これほど安全な場所はそうそうない。更にはエルヴァストにとって、ここは友人の家であり、滞在するのになんの不都合もない。そう言って父王や重鎮達を説得し、今回の外泊許可をもらったのだという。
 そしてビアン達が王都へ向けて出発した次の日。ティアとベリアローズが出かけると聞いて、エルヴァストも一緒についてきた。今は三人でサルバの街を歩いている。

「それで? これからどこに行くんだ?」
「どうせなら広い場所で遊びたいでしょ?」
「遊ぶのかっ? 何をするんだっ?」

 エルヴァストにとっては、友人と遊ぶ事自体が初めてだ。朝から笑顔が輝きまくっている。
 一方、ベリアローズは青ざめた顔をしていた。

「エル……お、追いか……いや、鬼ごっこになると思うんだが……」
「何っ? あのうわさに聞く命がけの遊びか? 体力作りにはもってこいだと聞いたぞ」
「……そ、そうだな……確かに体力はついた……」

 本当の鬼ごっこを知らないエルヴァストは、逆に幸せかもしれないと思うベリアローズだ。

「体力は重要だもんね。今日はゲストも呼んでるから」
「ゲスト?」
「うん。人数は多い方が楽しいよね」
「そうだな」
「………」

 楽しみだと笑うエルヴァストの隣で、ベリアローズは不安でいっぱいだった。そのまた隣では、黒い子犬姿のマティがすました顔で歩いている。

「ティア……ルクスとクロノスはどうしたんだ?」
「ルクスはそのゲストさんを呼びに行ってる。クロちゃんには別に仕事を頼んだの。なぁに? お兄様。護衛が私とマティだけじゃ心配とか?」
「い、いや……」

 ティアの実力は、先日の武闘大会によって、このサルバでは知らない者がいないほど知れ渡っていた。しくも、あの敗退者達との特別試合が、ティアを『絶対に手を出してはいけない者』だと人々に認識させたようだ。おかげで、こうして子ども達だけで街を歩いていても、なんの問題もない。
 街を見回しながら楽しげに歩いていたエルヴァストが、不意にティアへ声をかける。

「今更だが、私もティアと呼んでいいのか?」
「もちろん。私は……エル兄様って呼んでいい?」
「っ、兄と呼んでくれるのかっ?」
「うん。ダメ?」
「まさかっ! よろしく頼むよ!」

 こんな会話が聞こえた街の人々は、微笑ましく思いながらティアを見送る。彼らは知らない。彼女がこの後、兄達を追い詰める鬼のような妹だという事を。


 一方、ルクスがどこにいるかといえば、冒険者ギルドにあるシェリスの執務室だった。今は部屋のすみに不機嫌そうに控えている。
 そこにはシェリスに呼び出されたザランとボランもいた。

「それで、マスター……俺らを指名するクエストってなんなんすか?」
「我々には、特に共通点もないのですが?」

 ザランはティアのお気に入りの冒険者で、彼女に『サラちゃん』と呼ばれている。歳は三十とそろそろ落ち着きを見せる頃だが、ティアには普段から何かにつけてからかわれていた。男気あふれる性格と素直なところが、多くの者に愛されるポイントだ。
 そしてボランは、このサルバでゲイルに次ぐ実力の持ち主だった。Bランク認定を受けたベテランで、多くの冒険者達から頼りにされている。先日おこなわれた武闘大会では、ティアの予選の審査員を務めていた。
 いつも通りの微笑みを浮かべたシェリスが、二人の質問に答える。

「あなた方を指名したのはティアです。なぜと聞きたいのは私の方なのですよ?」
「「……」」

 目の奥に揺らめいているのは、嫉妬しっとの炎だ。それを見た二人は、お互いに目配せし合う。余計な事は言わず、改めてクエストの内容について尋ねた。

「お二人共、黒晶山こくしょうざんはご存知ですね?」
「はい……」
「そりゃあ……」

 返事をにごしたのは、嫌な予感しかしなかったからだ。ティアが指名したというだけで反射的に断りそうになったのに、危険な場所と言われる黒晶山こくしょうざんでのクエストなど冗談ではないと思った。
 二人はすぐさま、どう辞退するべきかと考える。しかし、それを予想できないシェリスではなかった。

「まさか辞退するなんて言いませんよね? 他ならぬティアが指名したのです。その信頼を、あなた方ごとき……いえ、あなた方が裏切っていいとでも?」
「「……いいえ……」」
「ならばよろしい。詳細はティアから聞くように。この後、ルクス君についていってください」

 なかば強制的に参加させられたクエストに戸惑いながら、二人はルクスの後について部屋を出ていった。

「……私も行ければいいのですけどね……」

 残されたシェリスは、そんな独り言をつぶやきながら、先日のカルツォーネの話を思い出していた。
 状況を聞けば聞くほど、ある組織の影が感じられる。

「……『青の血脈』……ですね……」

『青の血脈』は、数百年前から暗躍あんやくする組織だ。人族至上主義を唱え、今は『神具しんぐ』を使って密かに問題を起こしている。ティアもそれに気付いているだろう。
 いつか彼らと対峙たいじする時のためにも、今回の件で国に恩を売っておくべきだ。加えて今のうちに、組織の情報をできるだけ多く手に入れておく必要もある。

「誰であろうと、ティアが生きる世界で勝手など許しませんよ」

 ティアの笑顔と自由を守るためには、何一つ失う事なく完璧に。ティアが望む時に、必要なものや場所を用意する。それは自分にしかできない事だとシェリスは思っていた。
 愛するティアのためならば、労は惜しまない。それが、シェリスの『愛』なのだから。


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