NYマムダニ市政の「民主社会主義」と日本型「大きな政府」の危うさとは何か?

2026.09.09 Wedge ONLINE

 しかも、26年度の国民負担率は45.7%、国と地方の財政赤字を加えた潜在的国民負担率は48.4%となる見通しである。これは個々人の給与から45.7%が差し引かれるという意味ではないが、税と社会保障負担が家計の手取りを大きく圧迫していることに変わりはない。

 政府から1万円を受け取れば、1万円得をしたように感じる。しかし、その財源となる税や社会保険料、国債費、将来の歳出削減、インフレによる購買力低下は見えにくい。

 給付の利益は先に見せ、負担の方法は後から決める。利益は政治家の手柄になり、負担は現在と将来の国民へ分散される。

 マムダニ市政の長期的な結果は、まだ出ていない。だからこそ、政策は掲げられた目的ではなく、住宅供給、財政、市民の選択肢に実際に何をもたらしたかによって評価すべきである。

 給付や無償化の受益者が増えれば、その縮小に反対する有権者も増える。政策が支持基盤を生み、その支持基盤が政策を恒久化する。

 補助が常態化すれば、企業も消費者に選ばれる努力より、政府の支援対象に選ばれることを重視するようになる。市場で価値を生み出す力より、政策に働きかける力が収益を左右する社会へ近づくのである。

 さらに、給付の財源を得るために税と社会保険料を増やせば、家計の手取りは減る。手取りを減らされた家計が苦しくなると、政府は新たな給付で救おうとする。その給付のために、さらに負担を増やす。

 政府が国民を支えるために給付を増やし、その財源を得るために国民を弱くする。弱くなった国民は、さらに政府の支援を求める。

 これが、給付型の「大きな政府」が生み出す政府依存の罠である。

私たちが直面している「本当の問い」

 では、この循環から抜け出すために、給付や支援をただちに打ち切ればよいのか。そうではない。

 給付や支援を突然打ち切れば、すでに生活を追い詰められている人をさらに苦しめる。必要な人への支援は続けなければならない。

 問われるべきは、支援によって市民が再び自らの生活を築けるようになるのか、それとも支援なしでは暮らせない状態を固定するのかである。

 財政を見る視点は、「政府が国民にいくら配ったか」から、「国民の手元に、自らの判断で将来を設計できる経済的な余力をどれだけ残したか」へ転換すべきである。

 家計に必要なのは、政府が使い道を決めた給付金だけではない。住む場所を選び、家族を養い、教育を受け、仕事を変え、失敗しても再挑戦できるだけの余裕である。

 市民の経済的な余力を取り戻すには、生活費が上がるたびに政府が差額を埋めるのではなく、商品やサービスの供給を妨げる規制を見直し、企業の参入と競争を促し、所得が持続的に増える条件を整えなければならない。

 政府が担うべきなのは、個々の価格を決め、特定の企業や家計へ差額を配り続けることではない。市民と企業が自ら選び、行動できる環境を整えることである。同時に、税と社会保障の仕組みを見直し、働く人の手元により多くの所得を残す必要がある。

 政府が市民を救済し続けなければ成り立たない社会をつくるのか。それとも、市民が政府の救済に依存せず、自らの力で人生を選択できる社会をつくるのか。

 ニューヨークで進む民主社会主義は、決して対岸の火事ではない。それは、給付金・補助金行政という日本型「大きな政府」が抱える危うさと、私たちがいま選ぶべき社会のあり方を映し出す鏡なのである。

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