企業は、需要に応じて人員を増減しやすくなった。一方、労働者が別の企業や異なる雇用形態へ移るための職業訓練、所得保障、技能評価、中途採用の経路は十分に整えられなかった。日本で進められたのは雇用全体の流動化ではなく、正社員共同体を維持したまま、その外側だけを柔軟化する改革であった。
政府は若者の就職難を、景気回復によって解消される一時的な問題として扱った。ところが、新卒時に正社員として採用されなければ、企業内教育を受けて職務経験を蓄積する経路からも外れる。
景気回復後、企業は中途採用者に即戦力となる経験を求めたため、職務経験を蓄積できなかった人ほど正社員への移行が難しくなった。新卒時の不利益が次の不利益を生み、時間の経過とともに職業経歴の格差を固定したのである。
政府は失業率の急上昇を避け、既存雇用を維持することを優先した。採用されなかった若者は、アルバイト、進学、無業、家族による扶養などへ分散するため、既存社員の解雇ほど明確な失業問題として現れなかった。
政治的な代表の差もあった。既存正社員には企業と労働組合という組織的な代表があった。経済界は雇用の柔軟化を求め、労働組合は組合員の雇用維持を求めた。一方、採用前の若者や非正規労働者には、政策決定へ要求を届ける回路が乏しかった。
その結果、就職氷河期世代が抱えた問題は、フリーター、無業、ひきこもり、生活困窮、孤立という個別の問題として別々に扱われ、正社員への道を閉ざされた同世代に共通する問題として捉えられなかった。就職氷河期世代への本格的な支援が始まった19年には、その中心層はすでに中年期を迎えていた。政府の対応の遅れは、正社員共同体を政策上優先した結果である。
企業別労働組合は、現在の組合員の雇用と処遇を守ることを優先した。企業は新卒採用を抑えることで整理解雇を避け、労働組合は組合員の雇用を維持した。その労使妥協を支えたのが、新卒採用の抑制、退職者の不補充、非正規雇用の拡大であった。
企業と労働組合は、賃金、賞与、労働時間などをめぐって対立した。しかし、正社員共同体の内部を守り、雇用調整の負担をその外側へ移す点では利害が一致した。
企業は人件費と雇用量を調整でき、労働組合は既存組合員の解雇を回避できた。その費用を引き受けたのが、まだ企業にも労働組合にも属していない若者であった。
バブル崩壊後の日本型雇用は、全員が同じ条件で席を争うイス取りゲームではなかった。企業は中高年正社員を席に残したまま、新たに用意する正社員の席を減らした。労働組合も、将来の組合員となる若者の席より、現在の組合員が座る席を守った。
労使協調が守ったのは働く人々全体の雇用ではなく、すでに正社員の席を持つ人々の雇用であった。
若者へ移された費用は消滅しなかった。正社員になれなかった人々は、継続的な教育訓練、賃金上昇、厚生年金、安定した職業経歴への接続から遠ざけられた。その影響は、低所得、不安定雇用、無業、孤立、望んだ結婚や出産の断念、低資産、低年金として生涯にわたって累積する。
採用機会そのものを狭めた企業や社会は、その結果を本人の能力や努力の不足として扱った。就職氷河期世代は雇用機会を奪われた後、その不利益まで自己責任として負わされたのである。
企業は採用を抑えて賃金、社会保険料、教育訓練費を削減し、労働組合は既存組合員の雇用を守った。企業内部から切り離された費用は本人と家族へ集中し、やがて就労支援、生活支援、介護、年金、高齢期の生活という政府の政策課題になった。