日本も大きな政府へ向かっている。2026年度一般会計当初予算では、社会保障関係費が39兆559億円、国債費が31兆2758億円、地方交付税交付金等が20兆8778億円である。
合計は94兆2095億円となり、歳出総額122兆3092億円の77.0%に達する。社会保障、政府債務、地方財政の維持が財政運営の中心となっている。
日本の大きな政府は、フランスとは異なる歴史から生まれた。これまで本連載「解剖:「大きな政府」を好む日本」でも述べてきた通り、明治政府は欧米列強に追いつくため、中央集権的な官僚機構を整備し、産業、教育、軍事、金融、交通を国家主導で形成した。明治憲法制定後も、政府は超然主義を掲げ、行政官僚が国益を定義し、社会を導く構造を築いた。
この意味で、日本には明治以来の国家社会主義的な伝統がある。市場や私企業を残しながら、官僚が国家目標を定め、企業と国民をその実現へ導く統治である。
戦後は、企業が正社員の雇用と生活保障の多くを担った。長期雇用、年功賃金、退職金、社宅、企業年金などが社員と家族を支え、企業別組合は経営側との協議を通じて利益を正社員へ配分した。
労働者の生活が所属企業の成長に依存するにつれ、組合は経営側と対抗する主体から、企業を内側から支える主体へ変化した。正社員の利益が守られる一方、非正規労働者や下請企業の労働者は企業共同体の外側に置かれた。
政府への要求も、業界団体、企業、労働組合、地方自治体、審議会を通じて伝えられてきた。フランスの労働者が政府を直接の交渉相手とみるのに対し、日本の労働者はまず勤務先と交渉する。対立は組織内部で調整され、最後は行政の判断へ吸収された。
この構造は高度成長期に安定と生活水準の向上をもたらした一方、行政や企業が生活を改善できなくなった後も、不満を政治的な力へ転換しにくい状況を残した。
フランスでは、年金、医療、教育は国家に要求できる社会的権利として理解される。給付水準が引き下げられれば、当事者は権利の維持を求めて動く。負担者と受益者が、ともに市民として政治の前面に現れる。
日本では、社会保障は権利であると同時に、行政が配分する給付として理解されやすい。給付水準や保険料、自己負担、対象年齢は審議会や予算編成過程で決まり、国民は決定された負担と給付を受け入れる側に回りやすい。
負担の見えにくさも、この違いを強める。社会保険料は賃金から天引きされ、事業主負担分は給与明細に十分表れない。消費税も日々の価格に溶け込む。誰がどれだけ負担しているかが曖昧になれば、政府と交渉する基準も持ちにくい。
フランスでは高い負担が給付要求の根拠になる。日本では負担が細分化され、給付は行政の判断で配分される。同じ大きな政府でも、フランスでは市民が価格を問い、日本では行政が配分を決めるのである。
日本人が政府に従う背景には、国家に守ってもらう代わりに、その決定を受け入れる関係がある。災害、景気悪化、物価高、老後、医療、介護、子育て、雇用と、問題が生じるたびに政府の対応が求められる。日本人は国家を、条件を交渉する相手より、生活を守り不安を取り除く保護者として受け止めてきた。
人々は行政の決定に従う一方、国家が暮らしを保障することを期待する。政府も給付、補助金、規制、公共事業、社会保障を通じて応えてきた。国家への服従と依存は表裏一体である。
不満も政府への要求として表れ、人々は自ら決定する市民より、給付を待つ受益者になっていく。政府支援は安心をもたらす一方、恒常化すれば、市民、家族、地域社会が自ら問題を解決する力を弱める。