社会と折り合う「ちょうどいいわがまま」の程度

考えるな、感じるままでいろ

「Don’t think. Feel!」は、日本語では「考えるな、感じるままでいろ」。ブルース・リーの名言で、世界中にカンフーブームを起こした映画『燃えよドラゴン』に出てくる言葉です。彼はワシントン大学の哲学科出身。隠れ哲学者でもありました。

映画の中でブルース・リーが弟子にカンフーを教えるのですが、何度やっても弟子がうまくできないときに、ブルース・リーがこの言葉を発するのです。

ポストコロナの時代にこそ、この言葉がピッタリなのではと、僕は思っています。新型コロナによって、ITの活用が加速し、働き方も価値観も多様化してきました。

これまでは、「自分はこうしたい」と思っても周囲の“空気”に負けて、「やっぱりこうしないといけないな」と、一般的な価値観に縛られていた人も多かったでしょう。

でもコロナという時期を経て、従来のように国やメディアが発する画一的な価値観ではなく、自分自身の感性で感じたものが大事にされるようになりました。

最低限の社会のルールを守るのは、社会人としての常識です。でもそれを踏み外さない限り、これまでの「枠」から外れたワクワクする生き方も可能になりました。働き方や価値観が多様化してきて、「理性」よりも「感性」を大切に生きていく時代になったということです。自分の人生の究極の目的を自分の感性、直感で選べばいい時代がやってきたのです。ブルース・リーはこんな言葉も残しています。

「俺はお前の期待に応えるためにこの世にいるわけではない。そしてお前も俺の期待に応えるために生きているのではない」。まさに「ちょうどいいわがまま」です。

自分の人生は、いうまでもなく自分自身のもの。だから自分の心のままに行動することが幸福感につながるはずです。でも、必要以上に周囲に気を遣いすぎて、周りの都合に合わせているから、「生きづらさ」が増してくるのではないでしょうか。

わがままに生きることは、すなわち自分の人生を好きなように生きるということです。誰に決められることもなく自分が人生の主役として、思うままに生きられるのなら、たとえ大きな失敗をしたとしても悔いは少ないはず。失敗したら、また新しい道を考えて進んでいけばいいのです。

わがままに生きれば、自分の好きなことができます。同時に「生きづらさ」を遠ざけることができます。「苦手だ」と思う人には近づかなければストレスになりません。心底、仕事が嫌なら転職してしまえばいい。つまり「わがまま」は人生の選択肢を増やせるということです。

「嫌なことから逃げる」というと、「嫌なことを克服するのが人生というものだ」なんて批判されることもあるでしょう。でも批判されたところで、それで救われるわけではありません。自分の心と体が快適になるのなら、逃げるに限ります。

「他人に邪魔されずに生きる」

人の人生に口出しをするヤツがいても、自分さえしっかりしていればかき回されないですむのです。家族や信頼している友人の言葉以外には、耳を傾ける必要はありません。しかもときには家族や友人にも惑わされることなく自分を貫くことだってありです。自分以外の人間に邪魔されないこと、それが大事なのです。

ちょうどいいわがまま
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生きていると、どうしようもなく嫌なことがあるものです。世の中にはどうしようもない人間だっているものです。何度か軌道修正ができないかを試してみて、努力しても何も変わらないときは、こちらが生き方の選択をすればいい……。

嫌なことから逃げる生き方は、ストレスを減らします。いうまでもなく、ストレスは何かを強いられていたり、我慢していたりなど、自分の本意ではない場合に生まれやすく、モヤモヤとした負の感情をもたらします。

ストレスは心身に悪影響を及ぼし、倦怠感や無気力感といった精神的なものから、体調不良などの肉体的なものまで、さまざまな悪影響を自身に及ぼします。その結果、慢性炎症が起きて、動脈硬化や脳卒中、心筋梗塞、認知症などのリスクを高めてしまうのです。ストレスとがんの発症には密接な関係があることがわかってきました。

わがままに生きていれば、ストレスが減り、充実感や幸福感を多く得られるはずです。思い切りのわがまま、他人の顰蹙(ひんしゅく)を買うわがままではありません。適度でほどほどの「ちょうどいい」わがまま。その距離感を実感してみませんか。