「OJT偏重」の古い日本の人材育成がやばいワケ

OJTは、目の前の業務に効率よく対応できるようになるためには優れた育成手法なのですが、逆に言えばそこで伸ばせる知識・スキルというのは、その業務でしか通用しないものに限定されてしまうことが多いのです。要は、OJTのみでは、次なるキャリアステップにおいて必要とされる能力や知見を獲得することは難しいのです。

もしかすると、「いや、そんなことはない。事実、私は研修等のOff-JTには頼らずに、OJTの中だけで経営リーダーになるまでに至った」と思われる方もいらっしゃることでしょう。もちろん、それはそれで事実であるとは思いますが、前提となる環境の違いに目を向けることも忘れてはなりません。

OJTだけで成長できたという方は、ご本人の努力もさることながら、自身が携わっていた事業が成長・拡大していくフェーズに携われていたり、逆にヒリヒリするような修羅場事業を運よく経験することができていたりするものです。「失われた30年」と呼ばれる時代に突入するまでの日本社会は、経済全体が底堅く成長していましたし、各社も成長期にある企業が多かったため、企業全体で挑戦できる機会というものが多くありました。そういった環境下においては、若手にも裁量をもって挑戦させてくれやすい機会が十分にあるでしょう。

しかしながら、昨今の経済状況においては、一部の企業を除いて多くの日本企業は成長が停滞し、それと同時に全体的に挑戦できる機会そのものが減っていきました。加えて、人権や環境問題等に対する社会的要請の強まりを受けて、年々、企業に求められるコンプライアンス対応もハラスメント対応も高い基準が求められるようになってきています。さらには働き方改革も含めて、対応するべき法の要請も増えたことから、より働き方・働く時間に関しては個人の自由度を制約する方向に進んできました。

Off-JTによる知見や能力の習得が必須の時代

このようにかつては成長していた企業が一度その成長性に陰りが生まれると、どうしても組織は細分化され一人ひとりの裁量は減っていく傾向が生まれます。また、対応すべきリスクサイドの観点が多くなると、そのリスクを生じさせないようにあらかじめリスクの芽を摘むような管理手法になりやすいため、個々人が挑戦できる領域は減っていきがちです。こういった環境下においても、一昔前と同じようにOJTだけで次なるステップに必要な知見や能力を身につけられるとは到底思えません。

人は成功したときよりも、失敗したときにこそ、より多くのことを学ぶことができます。そうした思い切ったチャレンジングな機会を提供し、時には派手に失敗してもいいとされるような場を与えられない限りは、OJTだけで十分な育成ができるものではないのです。こういった時代において、Off-JTでは、企業としてはリスクを取らずして、失敗経験を意図的にデザインすることが可能です。

さらに付け加えるならば、これからの時代は「人生100年時代」と言われるようになりました。1つの企業、特定のスキルだけで職業人生を全うできる時代ではなくなったことから、至るところでリスキリング(学び直し)の必要性が叫ばれています。AIをはじめとして、さまざまな進化が非常に速いサイクルで訪れる環境下においては、今、目の前で向き合っている仕事に必要なスキルを磨くだけでは足りず、人生100年時代を生き抜くことが難しくなってくるでしょう。これからは、もっと先々を見据えた新たな能力の獲得が必要になってくるのです。こうした現業務で必要とされる能力とは別のスキルや知見を獲得することは、もはやOJTでは不可能に近く、今ほどOff-JTが必要とされる時代は過去になかったのではないでしょうか。

「人的資本経営」の意味

そう考えると、現状の年間3万~4万円という日本企業のOff-JTにかける育成投資金額は低過ぎると考えていいでしょう。このままでは、日本企業の大きな成長は見込みにくく、日本経済全体としても、失われた40年・50年へと突き進んでいかないかという不安がもたげてきます。

ただ、明るい兆しは、そんな日本においても「人的資本経営」の重要性が叫ばれ、各社がその実践に向けて動きを始めたことです。この「人的資本経営」の中では、人的資本を最大化させるための具体手法が述べられ、リスキリング(学び直し)の重要性について強調されています。今こそ、この流れを踏まえて、各社の育成施策がより充実化されてくれることを願ってやみません。

ちなみに、グロービスにおけるスタッフ1人あたりのOff-JT予算は、少なく見積もっても日本企業全体の平均よりも10倍以上を投じています。