ドイツ人が「無料でも」お茶や水の提供を断るなぜ

ある時、私がよく知る店の店主に「日本ではお茶や水はタダで出しているのになぜ?」と聞いた。

その日本人店主は「最初の頃は無料で提供していたんですよ。多くのドイツ人のお客様から『注文していないものを出されても困る。無料というがコストはかかっているだろう。お茶も水も不要だからその分を食事代から値引きしてくれ』と言われて、それからは有料にしたんです」と教えてくれた。ドイツ人らしい合理的な考え方だ。

サービスは無料か安いもの、と考える日本人

日本人はサービスを無料、あるいは安いものと理解していることが多い。実際には、どのようなサービスにもコストがかかり、リソースを消費している。つまり、そのサービスを生み出すバリューチェーンの中で誰かが負担しシワ寄せを受けているのだ。

日本における社会的リソースが縮小する中、今後は日本の消費者もすべてのサービスにはコストとリソースが生じていることを理解し、それぞれの消費生活を再検討する必要がある。

一方で、企業による価格政策の見直しも必要だ。サービスの提供に適正な対価と適正なリソース配分でバリューチェーンを再設計し透明化し、その中で不当な過重労働や低賃金労働を生まない構造に転換する。

アマゾンはヨーロッパでは、イギリス、ドイツなど8カ国でビジネスを展開しており、無料配送サービスを含むアマゾンプライムも提供しているが、年会費は例えば、イギリスの場合、95ポンド(約1万7000円)、ドイツでは89.90ユーロ(約1万4000円)と、日本(年間5900円)の2倍以上に設定されている。

サービスにはコストがかかり、それをモノやサービスの価格に含めるのは当たり前のこと。それを受け入れて購入するか否かは消費者側に選択肢がある、というわけだ。

ヨーロッパ企業はアメリカ型の「株主重視の利益至上主義」ではない。特にドイツでは多くのステークホルダーの中でも「従業員」「社会」を重視した経営を行う企業が多い。

筆者が勤めていたシェフラー社は1945年にシェフラー家の兄弟が創業した会社だが、その兄弟が「戦後の焼け野原のドイツの復興のために起業した」もので復興のための資材の製造や地域の雇用を生み出すことを第一義に掲げていた。

今でもその精神は受け継がれ、適正な利益を生み出すことで永続的に雇用を生み出し、社会貢献することを経営の根幹に置いている。生み出す製品やサービスが利益を生むことは企業理念の追求のためには不可欠であると考えている。

必要なコストを転嫁するのは自然なこと

従って、製品やサービスの提供に必要なコストを価格に転嫁することは自然なことであり、その上で市場での競争力がなくなれば製品やサービスのポートフォリオを見直し事業の組み替えを絶えず行うのがつねだ。必要なコストをバリューチェーン上にある会社や人に押し付けてまで、量や質、サービスの向上を追求しようという考えはない。

筆者は2019年までドイツ企業に勤めていたが、出張に行った時や、ドイツ人の同僚・取引先とのやり取りから、駐在当時のドイツの風潮や人々の意識、傾向は今でも存在すると感じる。

若い人たちはネットで情報を集めたり、モノを買ったりしているが、「大量消費」の傾向は見られない。ドイツでは、シュレーダー政権時代に国の財政健全化を推し進め、その際には国を挙げて「節約プログラム」を推進し、財政健全化を図っているなど、財政に見合った生活は当然のこととして受け入れられているのだろう。

今まで享受してきた「便利さ」について、コストやリソースを念頭に何を諦め、何を今後も残していくのか。日本は「便利さの断捨離」をするタイミングを迎えているのではないか。