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縁側から見える春の空は変わらない。あのアパートから離れても生活リズムは大差ない。唯一変わったのは壊れた私だけだった。
「叶、入るわね」
膝を抱えていると遥の声が転がった。柱にもたれる私のそばに来て腰を下ろした遥。雑誌を手に笑い掛けてくれたけれど、目を向けずに空を見続けた。
「お昼はどうする? 食べられそう?」
「今日も、いいや。ごめんね」
申し訳なさから徐々に声が小さくなっていく。
「気にしないで。夕食は食べる?」
答えずに首を振る。寂しそうな顔を見るのはこれで何度目だろう。
千夏と離れて早二週間。三月に入っても遥のうちで迷惑ばかり掛けている。今すぐ屋敷を出るべきと分かっていても、そう考えるのにも疲れた。今はもう、何もしたくない。
「そうそう、今朝ちーちゃんに会ってきたの」
「千夏に? どうして、また」
「これを取り返しにね。はい」
差し出されたのは私の保険証だった。手にしてまじまじと見つめるも、おかしな点はない。本物、らしい。
「どうして、これを?」
「ちーちゃんから、叶の私物を返したいって連絡があってね。お説教ついでに回収してきたの。私が十分叱っておいたから、心配しないで。それとも叶も一緒に行きたかった?」
「それは、いいや。遥、ありがとう」
いたずらっぽく笑う遥から視線を落とし、力なく首を振った。
「話は変わるけど、少し外に出てみない?」
遥が持っていた雑誌を鼻先に突き付けてきた。そこには『都内のお花見最強スポット』という見出しが大きく躍っている。
「うちから結構近いのよ。これから行ってみない?」
遥が指さしたのは、屋敷から徒歩で行ける河川敷。今から準備を始めればお昼前には着くだろう。
「ごめんね。今日はおとなしくしていたいから」
「たまには外に出ないと体に悪いわ」
「一人になりたいの。外出するのも、今は一人がいい」
遥の表情の変化を見ずに空に視線を移した。時間とともに色を変える空を見ている時だけが、唯一落ち着ける。
恐らく、あの時から私は壊れてしまった。あれほどの愛を受け、あれほどの愛を注いだ千夏に裏切られたのだから。
正直、遥と一緒にいるのもつらい。かつて恋をしていたのに、今はできるだけ一人になりたい。
それなら屋敷を出ていけばいい。でも何もしたくないし、動きたくない。そんないたちごっこの上に立つ曖昧な存在。そんな不確かなものに、私は成り果ててしまった。
「それじゃあ」
遥が優しく微笑んだ。
「叶が元気になったら行きましょうね。それまではゆっくり休んで。お金とか世間体とか何も気にせず、落ち着くまではうちで過ごして」
「遥は良くても、ご両親には迷惑だろうし……」
「そんなの気にしないでいいの。今度こそ叶は私が守るから」
遥の柔らかい語気が強くなった。
「叶が行方不明になってずっと心配していたのよ。どんなに探しても見付からなかった叶が、まさかちーちゃんの所に……自分が情けなくて、本当に悔しかったわ」
「気にしないで。仕方なかったんだよ」
「気にするわ」
遥の顔がぐいっと迫ってきた。
「毎日毎日必死に探して、本当におかしくなりそうだったわ。もうあんな思いをするのは嫌なの。私が――ううん」
遥の目つきが鋭くなった。
「白沢家が叶を守るわ。ずっと一緒にいた幼なじみを無下になんかしない。もしも誰かに何か言われたら教えて。次期家元として処分しちゃうから」
いくら冗談っぽく言われても、その目はいつにもまして真剣で、作り笑いすら浮かべられなかった。
「叶、入るわね」
膝を抱えていると遥の声が転がった。柱にもたれる私のそばに来て腰を下ろした遥。雑誌を手に笑い掛けてくれたけれど、目を向けずに空を見続けた。
「お昼はどうする? 食べられそう?」
「今日も、いいや。ごめんね」
申し訳なさから徐々に声が小さくなっていく。
「気にしないで。夕食は食べる?」
答えずに首を振る。寂しそうな顔を見るのはこれで何度目だろう。
千夏と離れて早二週間。三月に入っても遥のうちで迷惑ばかり掛けている。今すぐ屋敷を出るべきと分かっていても、そう考えるのにも疲れた。今はもう、何もしたくない。
「そうそう、今朝ちーちゃんに会ってきたの」
「千夏に? どうして、また」
「これを取り返しにね。はい」
差し出されたのは私の保険証だった。手にしてまじまじと見つめるも、おかしな点はない。本物、らしい。
「どうして、これを?」
「ちーちゃんから、叶の私物を返したいって連絡があってね。お説教ついでに回収してきたの。私が十分叱っておいたから、心配しないで。それとも叶も一緒に行きたかった?」
「それは、いいや。遥、ありがとう」
いたずらっぽく笑う遥から視線を落とし、力なく首を振った。
「話は変わるけど、少し外に出てみない?」
遥が持っていた雑誌を鼻先に突き付けてきた。そこには『都内のお花見最強スポット』という見出しが大きく躍っている。
「うちから結構近いのよ。これから行ってみない?」
遥が指さしたのは、屋敷から徒歩で行ける河川敷。今から準備を始めればお昼前には着くだろう。
「ごめんね。今日はおとなしくしていたいから」
「たまには外に出ないと体に悪いわ」
「一人になりたいの。外出するのも、今は一人がいい」
遥の表情の変化を見ずに空に視線を移した。時間とともに色を変える空を見ている時だけが、唯一落ち着ける。
恐らく、あの時から私は壊れてしまった。あれほどの愛を受け、あれほどの愛を注いだ千夏に裏切られたのだから。
正直、遥と一緒にいるのもつらい。かつて恋をしていたのに、今はできるだけ一人になりたい。
それなら屋敷を出ていけばいい。でも何もしたくないし、動きたくない。そんないたちごっこの上に立つ曖昧な存在。そんな不確かなものに、私は成り果ててしまった。
「それじゃあ」
遥が優しく微笑んだ。
「叶が元気になったら行きましょうね。それまではゆっくり休んで。お金とか世間体とか何も気にせず、落ち着くまではうちで過ごして」
「遥は良くても、ご両親には迷惑だろうし……」
「そんなの気にしないでいいの。今度こそ叶は私が守るから」
遥の柔らかい語気が強くなった。
「叶が行方不明になってずっと心配していたのよ。どんなに探しても見付からなかった叶が、まさかちーちゃんの所に……自分が情けなくて、本当に悔しかったわ」
「気にしないで。仕方なかったんだよ」
「気にするわ」
遥の顔がぐいっと迫ってきた。
「毎日毎日必死に探して、本当におかしくなりそうだったわ。もうあんな思いをするのは嫌なの。私が――ううん」
遥の目つきが鋭くなった。
「白沢家が叶を守るわ。ずっと一緒にいた幼なじみを無下になんかしない。もしも誰かに何か言われたら教えて。次期家元として処分しちゃうから」
いくら冗談っぽく言われても、その目はいつにもまして真剣で、作り笑いすら浮かべられなかった。
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