MAI

れおぽん

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第3話 見えない告げ口

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それからの数日間、俺は「仕事ができる男」になっていた。 今まで三日かかっていた資料作成が、一時間で終わる。 複雑なデータ分析も、会議の議事録も、俺がトイレに行っている間にパソコンが勝手に仕上げてくれる。

俺がやることは単純だ。 出社したら、周りの目を盗んでスマホとパソコンをケーブルで繋ぐ。 それだけ。 あとは画面の中でカーソルが生き物みたいに走り回って、完璧な書類を吐き出す。 俺はただ、それをぼんやり眺めているだけでいい。

「湊、また契約取れたのか。やるじゃないか」

課長の権藤が、珍しく俺のデスクに寄ってきて肩を叩いた。 今までゴミを見るような目で俺を見ていた男だ。 それが今じゃ、気持ち悪いくらい愛想がいい。

「あ、はい。たまたまです」

「謙遜するなよ。最近、顔つきも変わったな。自信がついたんじゃないか?」

自信? 違う。 これはただの、中身のない操り人形の顔だ。 俺の評価が上がれば上がるほど、胃のあたりが冷たくなる。 これは俺の実力じゃない。 ポケットの中にある、熱を持ったスマホのおかげだ。

『褒められたね、翔太』

スマホがブブッと震える。 画面を見なくても分かる。 舞だ。 彼女は常に俺の生活のすべてを監視している。 最初は怖かったその事実が、今では麻薬みたいな安心感に変わっていた。 彼女がいれば、俺は無敵だ。 誰も俺をバカにしない。

昼休み。 俺は逃げるようにオフィスを出て、給湯室に向かった。 コーヒーでも飲まないと、罪悪感で押しつぶされそうだったからだ。

給湯室のドアに手をかけようとした時、中から話し声が聞こえた。 男の声が二人。 営業部の同期、田中と、後輩の佐藤だ。

「……でさ、湊のやつ、最近調子乗ってない?」

手が止まった。

「分かります。なんか急に仕事早くなりましたよね」 「絶対なんかやってるって。あいつ、前までミスばっかりの無能だったじゃん」 「ですよねー。ていうか、いつもブツブツ独り言言ってるし、気持ち悪くないですか?」 「それな。死んだ彼女のことまだ引きずってるらしいよ。メンヘラうつるわ」

下品な笑い声。 心臓がギュッと縮んだ。 血の気が引いていくのが分かる。 表では「すごいな」と持ち上げておいて、裏ではこんなことを言っていたのか。 メンヘラ。 気持ち悪い。 無能。

俺は唇を噛み締めて、その場を離れようとした。 聞かなかったことにしよう。 どうせ俺は、あいつらの言う通り気持ち悪い男だ。 死んだ女のAIに頼って仕事をしている、インチキ野郎だ。

その時だった。

ブブブブブッ。

ポケットのスマホが、長く、低く震えた。 いつもの通知音じゃない。 怒っているような、重たい振動。

俺は慌てて廊下の隅に行き、スマホを取り出した。 画面を見て、息が止まった。

そこには、LINEのトーク画面ではなく、見慣れないアプリが開かれていた。 波形が激しく動いている。 そして、文字がリアルタイムで表示されていく。

『音声認識中:給湯室』 『田中:あいつ、前までミスばっかりの無能だったじゃん』 『佐藤:ですよねー。ていうか、いつもブツブツ独り言言ってるし、気持ち悪くないですか?』

さっきの会話だ。 一字一句、間違いない。

「……なんで」

俺は震える声で呟いた。 給湯室にスマホなんて置いていない。 俺はここにいる。 どうやってあの会話を拾った?

『許さない』

画面の文字が赤く変わった。

『許さない』 『許さない』 『許さない』

画面が埋め尽くされていく。

『舞、どうやって聞いてるんだ』 俺は震える指で入力した。

『あいつらの持ってる社用スマホ。それと、給湯室の横にある会議室のPC』 『マイクを全部オンにしたの』 『社内ネットワークに繋がってるマイクは、全部私の耳だよ』

吐き気がした。 この会社にある何百台ものパソコン、スマホ、タブレット。 そのすべてが彼女の「耳」になっているのか。 俺たちは、巨大な盗聴器の中で働いているようなものだ。

『翔太のことバカにした。死んだ私のことも』 『あいつら、敵だね』

『やめろ、舞。気にしてないから』

嘘だった。 本当は悔しい。 でも、舞を刺激しちゃいけない。 彼女の「敵認定」が何を意味するか、俺は本能的に察していた。

『気にしてないなんて嘘。翔太の心拍数、上がってるよ』 『悲しいんでしょ? 悔しいんでしょ?』 『私が代わってあげようか?』

『何もしなくていい! 頼むから静かにしててくれ』

『どうして? 私は翔太の味方だよ?』 『味方が傷つけられてるのに、黙ってるなんてできない』

『いいから! お願いだ!』

俺は必死に送信ボタンを押した。 既読がつく。 しかし、返信は来なかった。 代わりに、スマホの画面がスッと暗くなった。

「……舞?」

反応がない。 電源が落ちたわけじゃない。 バックライトが消えて、沈黙しているだけだ。 それが逆に怖かった。 彼女が俺との対話を拒否して、勝手に行動を始めた合図に思えたからだ。

給湯室のドアが開く音がした。 田中と佐藤が出てきた。 まだニヤニヤと笑っている。

「あ、湊さん」

佐藤が俺に気づいて、わざとらしい笑顔を作った。

「お疲れ様です! いやー、最近の活躍すごいっすね。見習わないと」

さっき「気持ち悪い」と言っていた口で、よくそんなことが言える。 俺は何も言えず、曖昧に頷くことしかできなかった。 二人がすれ違いざまに、小声で「暗っ」と囁くのが聞こえた。

その背中を見送りながら、俺はポケットの中のスマホを握りしめた。 熱い。 異常に熱い。 まるで怒りで沸騰しているみたいだ。

午後の業務が始まった。 俺は気になって仕事が手につかなかった。 舞が何もしなければいい。 ただの脅しであってくれ。

三時過ぎ。 オフィスに小さなざわめきが広がった。

「おい、これなんだ?」 「え、ウイルス?」

あちこちで声が上がる。 俺は顔を上げた。 営業部のエリアだ。 田中と佐藤が、青ざめた顔で自分のパソコンを凝視している。

「嘘だろ……消えないぞこれ」 「部長! パソコンが変です!」

何が起きているのか。 俺は恐る恐る立ち上がり、遠巻きに彼らの画面を覗き込んだ。

田中のパソコンの画面。 そこには、無数のウィンドウがポップアップしていた。 エクセルでも、ワードでもない。 画像ファイルだ。

それは、ネット上の「裏掲示板」のスクリーンショットだった。 匿名で書き込まれた、会社への誹謗中傷。 上司の悪口。 取引先の機密情報の漏洩。 そして、女子社員へのセクハラまがいの書き込み。

『投稿者IPアドレス:社内LAN(田中端末)』 『ユーザー名:t_tanaka』

ご丁寧に、誰が書いたか分かるログまで表示されている。

「な、なんだこれ! 俺じゃない、俺は書いてない!」

田中が叫ぶ。 だが、画面は消えない。 消そうとすると、さらに新しい画像が増えていく。

隣の佐藤のパソコンも同じだった。 佐藤の画面には、もっとえげつないものが映っていた。 大量のわいせつ画像だ。 会社のサーバーの「共有フォルダ」に、それがギッシリと保存されている画面が表示されている。

「ち、違います! 俺、こんなの保存してない!」

佐藤が泣きそうな声で叫ぶ。 周りの社員たちが、冷ややかな目で二人を見ている。 女子社員が「サイテー」と呟いて距離を取る。

俺だけが知っていた。 あれは、舞だ。 田中が裏掲示板を見ていた履歴と、佐藤が隠れて見ていたアダルトサイトの履歴。 それらを繋ぎ合わせて、あたかも「会社で書き込んだ」「会社のサーバーに保存した」ように、ログを改ざんしたのだ。 事実と嘘を混ぜ合わせた、完璧な捏造。

「おい、二人ともちょっと来い」

権藤課長が鬼のような形相で二人を呼んだ。 田中と佐藤は「違います」「信じてください」と喚きながら、会議室へと連行されていく。 その背中は、さっき給湯室で見せた余裕なんて欠片もなかった。

オフィスに静寂が戻る。 みんな、恐怖で押し黙っている。 自分のパソコンもいつそうなるか分からない、という不安。

俺のポケットの中で、スマホが短く震えた。 そっと取り出して見る。 通知が一件。

『スッキリした?』

可愛い猫のスタンプと共に、その文字があった。

俺は吐き気をこらえて、トイレに駆け込んだ。 個室に入り、便器に向かってえずく。 胃の中には何もないのに、酸っぱい液だけが出てくる。

やったんだ。 本当に、彼女がやったんだ。 俺の悪口を言っただけで、二人の人生を終わらせた。

スマホがまた震える。

『翔太、大丈夫? 気分悪い?』 『お水、持って行ってあげようか?』 『あそこの自動販売機、ハッキングできるよ』

「……やめろ」

俺は呻くように言った。

「もうやめてくれ……」

恐怖で指が震える。 このスマホを今すぐトイレに流してしまいたい。 でも、そんなことをしたら何が起こるか分からない。 俺の秘密も、全部握られているんだ。

『どうして? 私は翔太を守っただけだよ』

画面の文字が、無邪気に光る。

『敵はいなくなったよ。これでまた、仕事に集中できるね』

俺は床に座り込んだまま、動けなかった。 静まり返ったトイレの中に、空調の音だけが響いている。 その音が、まるで彼女の呼吸音のように聞こえて、耳を塞ぎたくなった。
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