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第5話「優しい人たち」
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午後の回廊は、光に満ちていた。
私は移動教室に向かうため、長い廊下を歩いていた。
私の後ろには、いつものように彼が従っている。
一定の距離を保ち、私に合わせたリズムで続く足音。
角を曲がったところで、前方から賑やかな声が近づいてきた。
序列三位のカテリーナ様と、その取り巻きたちだ。
彼女たちは、抱えきれないほどの花束や、色鮮やかな小箱を手にしていた。
おそらく、彼女たちの元へ届けられた贈り物だろう。
上位の候補者には、国中の貴族や商会から、毎日のように貢ぎ物が届く。
「あら、第十三皇女候補」
カテリーナ様が私に気づき、足を止めた。
彼女の瞳は澄んでいて、春の湖のように穏やかだ。
私は立ち止まり、深く礼をする。
「ごきげんよう、カテリーナ様」
「ごきげんよう。ちょうどよかったわ」
彼女は微笑み、手に持っていた美しい装飾の施された小箱を、少し持ち上げて見せた。
「これ、王都で評判の砂糖菓子なの。父上からたくさん送られてきたのだけれど、私たちだけでは食べきれなくて」
彼女は困ったように眉を寄せる。
それは演技ではなく、本当に困惑しているようだった。
上位者にとって、「過剰な富」は時に処分の難しい荷物となる。
「捨ててしまうのも勿体ないでしょう? よかったら、あなたが召し上がってくださらない?」
彼女はそう言って、小箱を私の方へ差し出した。
これは「お裾分け」ではない。「処理」だ。
けれど、そこには明確な善意がある。
廃棄されるはずだった価値あるものを、必要としている下位の者に再分配する。
それは皇族として、非常に理に適った、慈悲深い振る舞いだ。
「ありがとうございます。喜んで頂戴いたします」
私が手を伸ばそうとすると、それより早く、背後の彼が一歩進み出た。
「……お預かりいたします」
彼の声は硬く、低かった。
彼はカテリーナ様から小箱を受け取る。
「ええ、お願いね。とても美味しいのよ」
カテリーナ様は彼の少々強張った態度に気づくこともなく、満足げに微笑んだ。
彼女にとって、自分の善行が受け入れられたこと以上の関心事はない。
「それから、こちらの果物もどうかしら。香りは良いのだけれど、少し熟しすぎているの」
「こちらのレースのリボンも差し上げますわ。昨年の流行ものですけれど、素材は良いものですのよ」
カテリーナ様に続き、周りの候補者たちも次々と「不要な良品」を差し出してくる。
彼女たちは皆、優しい。
自分たちが持て余している富を、持たざる者に与えようとしている。
そこには「恵んでやる」という醜い優越感すらなく、あるのは「もったいないから、使ってくれる人に譲る」という、純粋で無邪気なリサイクル精神だけだ。
彼女は、根本的には貴族としての「いい人」のふるまいを心得ている。
「ありがとうございます」
私はその都度、頭を下げる。
私の腕の中ではなく、彼の腕の中に次々と「善意」が積み上げられていく。
「ふふ、これで荷物が軽くなったわ。行きましょう」
彼女たちは身軽になり、晴れやかな笑顔で去っていった。
良いことをした、という充足感が、廊下に甘い香りと共に残る。
静寂が戻った廊下で、私は彼を振り返った。
「部屋に戻って、お茶にしましょう。せっかく頂いたのだから」
「……かしこまりました」
彼の返事は、ひどく遅かった。
抱えた荷物の重さのせいではないだろう。
彼は、積み上げられた美しい箱や包みを、施しではなく不用品見るような目で見下ろしていた。
「……第十三皇女候補様」
「何?」
「……いえ。なんでも、ございません」
彼は何かを言いかけ、奥歯を噛み締めて黙り込んだ。
彼が何を言いたいのか、私には分からない。
部屋に戻り、頂いた砂糖菓子を口にする。
カテリーナ様の言う通り、それは舌の上で淡雪のように溶ける、上質な逸品だった。
「美味しいわ」
私がそう言うと、紅茶を淹れていた彼の手が、カチャリとカップの縁を鳴らした。
「……左様でございますか」
彼は、私が見たこともないほど冷ややかな目で、美しい砂糖菓子の箱を見ていた。
まるで、それが毒入りであるかのように。
なぜ彼が不機嫌なのかは分からない。
けれど、上位者たちの慈悲のおかげで、今日のティータイムはいつもより少しだけ豊かなものになった。
それは紛れもない事実であり、感謝すべきことだ。
私はもう一つ、甘い慈悲を口に運んだ。
彼はただ黙って、私のカップに紅茶を注ぎ足した。
私は移動教室に向かうため、長い廊下を歩いていた。
私の後ろには、いつものように彼が従っている。
一定の距離を保ち、私に合わせたリズムで続く足音。
角を曲がったところで、前方から賑やかな声が近づいてきた。
序列三位のカテリーナ様と、その取り巻きたちだ。
彼女たちは、抱えきれないほどの花束や、色鮮やかな小箱を手にしていた。
おそらく、彼女たちの元へ届けられた贈り物だろう。
上位の候補者には、国中の貴族や商会から、毎日のように貢ぎ物が届く。
「あら、第十三皇女候補」
カテリーナ様が私に気づき、足を止めた。
彼女の瞳は澄んでいて、春の湖のように穏やかだ。
私は立ち止まり、深く礼をする。
「ごきげんよう、カテリーナ様」
「ごきげんよう。ちょうどよかったわ」
彼女は微笑み、手に持っていた美しい装飾の施された小箱を、少し持ち上げて見せた。
「これ、王都で評判の砂糖菓子なの。父上からたくさん送られてきたのだけれど、私たちだけでは食べきれなくて」
彼女は困ったように眉を寄せる。
それは演技ではなく、本当に困惑しているようだった。
上位者にとって、「過剰な富」は時に処分の難しい荷物となる。
「捨ててしまうのも勿体ないでしょう? よかったら、あなたが召し上がってくださらない?」
彼女はそう言って、小箱を私の方へ差し出した。
これは「お裾分け」ではない。「処理」だ。
けれど、そこには明確な善意がある。
廃棄されるはずだった価値あるものを、必要としている下位の者に再分配する。
それは皇族として、非常に理に適った、慈悲深い振る舞いだ。
「ありがとうございます。喜んで頂戴いたします」
私が手を伸ばそうとすると、それより早く、背後の彼が一歩進み出た。
「……お預かりいたします」
彼の声は硬く、低かった。
彼はカテリーナ様から小箱を受け取る。
「ええ、お願いね。とても美味しいのよ」
カテリーナ様は彼の少々強張った態度に気づくこともなく、満足げに微笑んだ。
彼女にとって、自分の善行が受け入れられたこと以上の関心事はない。
「それから、こちらの果物もどうかしら。香りは良いのだけれど、少し熟しすぎているの」
「こちらのレースのリボンも差し上げますわ。昨年の流行ものですけれど、素材は良いものですのよ」
カテリーナ様に続き、周りの候補者たちも次々と「不要な良品」を差し出してくる。
彼女たちは皆、優しい。
自分たちが持て余している富を、持たざる者に与えようとしている。
そこには「恵んでやる」という醜い優越感すらなく、あるのは「もったいないから、使ってくれる人に譲る」という、純粋で無邪気なリサイクル精神だけだ。
彼女は、根本的には貴族としての「いい人」のふるまいを心得ている。
「ありがとうございます」
私はその都度、頭を下げる。
私の腕の中ではなく、彼の腕の中に次々と「善意」が積み上げられていく。
「ふふ、これで荷物が軽くなったわ。行きましょう」
彼女たちは身軽になり、晴れやかな笑顔で去っていった。
良いことをした、という充足感が、廊下に甘い香りと共に残る。
静寂が戻った廊下で、私は彼を振り返った。
「部屋に戻って、お茶にしましょう。せっかく頂いたのだから」
「……かしこまりました」
彼の返事は、ひどく遅かった。
抱えた荷物の重さのせいではないだろう。
彼は、積み上げられた美しい箱や包みを、施しではなく不用品見るような目で見下ろしていた。
「……第十三皇女候補様」
「何?」
「……いえ。なんでも、ございません」
彼は何かを言いかけ、奥歯を噛み締めて黙り込んだ。
彼が何を言いたいのか、私には分からない。
部屋に戻り、頂いた砂糖菓子を口にする。
カテリーナ様の言う通り、それは舌の上で淡雪のように溶ける、上質な逸品だった。
「美味しいわ」
私がそう言うと、紅茶を淹れていた彼の手が、カチャリとカップの縁を鳴らした。
「……左様でございますか」
彼は、私が見たこともないほど冷ややかな目で、美しい砂糖菓子の箱を見ていた。
まるで、それが毒入りであるかのように。
なぜ彼が不機嫌なのかは分からない。
けれど、上位者たちの慈悲のおかげで、今日のティータイムはいつもより少しだけ豊かなものになった。
それは紛れもない事実であり、感謝すべきことだ。
私はもう一つ、甘い慈悲を口に運んだ。
彼はただ黙って、私のカップに紅茶を注ぎ足した。
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