お見通しですわ。婚約破棄、承りましたわ。

萩月

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王都を出発してから三日。
キサキを乗せた馬車は、アデレード公爵領の境界線を越えた。
窓の外にはのどかな農村風景が広がっているが、キサキの目にはそれが「改善の余地しかない未開発の宝庫」にしか見えていなかった。

「……信じられませんわ。あの農夫の方、クワを振る角度が斜め四十五度になっていません。あれでは土を掘り返す効率が十五パーセントは低下しています」

キサキは窓から外を凝視し、手元のノートに猛烈な勢いで改善案を書き連ねていく。
同行している侍女のマーサは、すでに遠い目をして窓の外を眺めていた。

「お嬢様、まだ領地に入って数分ですよ。せめて、もう少しのんびり景色を楽しまれては……」

「マーサ、のんびり景色を見ることで、私の年収が増える計算になりますか? なりませんわね。ならば、この移動時間を使って領地のGDPを底上げするプランを練る方が、はるかに有意義です」

やがて馬車は、領都のシンボルである代官所に到着した。
そこでは、領地の運営を任されている老齢の執務官、バーンズが部下を引き連れて整列していた。

「これはこれは、キサキお嬢様! よくぞお越しくださいました。王都での一件、耳にしておりますぞ。さあ、まずは旅の疲れを癒やすために、歓迎の宴の準備を……」

バーンズが深々と頭を下げ、あらかじめ用意していた「歓迎のスピーチ」を始めようとしたその時。
キサキは馬車から飛び降りるなり、彼の手を止めた。

「バーンズ、挨拶は三秒で結構です。宴も不要です。その予算があるなら、今すぐ領内の主要道路の舗装状況を報告してください。馬車の振動で私の執筆速度が二割落ちました。これは重大な損失です」

「……は、はい?」

バーンズは口をあんぐりと開けた。
てっきり、婚約破棄に傷ついた令嬢が静養に来るものだと思っていたのだ。
だが目の前の令嬢は、瞳をギラギラと輝かせ、戦場に降り立った将軍のような風格を漂わせている。

「何を呆けているのです。時間は資産ですわ。まずは執務室へ。現在、この領地で最も『無駄』が発生している部署はどこですか?」

「ど、部署と言われましても……。皆様、のんびりと仲良くやっておりますが……」

「『のんびり』は『停滞』と同義です。案内なさい。一分以内に移動を開始しなければ、貴方の来月のボーナスを効率化(削減)しますわよ」

「ひいっ! こ、こちらです!」

キサキに急かされ、バーンズは悲鳴を上げながら廊下を走り出した。
案内された執務室は、古い書類が山積みになり、インクの匂いが立ち込める、いかにも「昔ながら」の役所だった。

キサキは室内を一瞥し、三秒で診断を下した。

「……最悪ですわ。書類の配置が時系列になっていない。窓口の動線が交差しているため、職員同士がぶつかってコンマ五秒のロスが発生している。さらに、あの棚の高さ。平均的な職員の身長に対して高すぎます。踏み台を取りに行く時間は、一生のスパンで見れば数日分の損失になります」

「そこまで計算されるのですか……!?」

「当たり前です。バーンズ、今すぐ全職員を集めてください。これから一時間で、この執務室のレイアウトを最適化します。反論は許可しません。実行あるのみです」

そこからのキサキは、まさに疾風怒濤だった。
指示は短く、的確。
「これは捨てる」「これはスキャン(魔導写本)して廃棄」「この机は窓際へ」。
職員たちはキサキの圧倒的な熱量に押され、まるで取り憑かれたように働き始めた。

一時間後。
そこには、見違えるほど広々とした、機能的なオフィスが完成していた。

「……信じられん。探し物にいつも十分かかっていた書類が、三秒で見つかるようになりましたぞ!」

一人の職員が感動に震えながら叫ぶ。
キサキはふん、と鼻を鳴らして時計を見た。

「当然です。整理整頓とは、美観のためではなく『検索時間の短縮』のために行うものですから。さあ、次は税収の計算式を見直しますわよ。計算に指を使っている方は今すぐ出ていってください。ソロバンか魔導計算機を支給します」

キサキの「領地改革」初日は、こうして幕を開けた。
彼女が到着してわずか数時間で、領都の役所からは「のんびりとした空気」が完全に霧散していた。

夕方、ようやく自分の部屋に入ったキサキは、椅子に深く腰掛けた。
だが、その手にはすでに明日のタイムスケジュールが握られている。

「ふふ、やりがいがありますわね。王宮での無益なマナー教育に費やしていた時間を全てここに投入すれば、一年以内にこの領地を王国一の経済特区にできる……」

キサキの頭の中では、数字とグラフが心地よくダンスを踊っていた。
恋に破れた令嬢の静養生活。
そんな世間の予想を裏切り、キサキは最速で「女帝」への道を突き進み始めていた。

「……あ、マーサ。夕食は五分で食べ終われるメニューにして。咀嚼回数を減らしたいから、リゾットがいいわ。具材は細かく刻んでおいてちょうだい」

「……お嬢様、せめてお食事くらいは味わってくださいませ」

侍女の切実な願いも、キサキの「効率の壁」に跳ね返されるのだった。
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