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キサキが領地に降り立ってから、わずか二週間。
アデレード領の生産統計グラフは、垂直に近い角度で右肩上がりを描いていた。
執務室で三本のペンを同時に操り、書類を捌いていたキサキの手が、ふと止まる。
「……予定にない足音が聞こえますわね。革靴の硬度から推測するに、我が領地の職員ではありません。もっと、こう……冷徹で、かつ磨き抜かれた効率的な足音ですわ」
キサキが時計を確認すると同時に、ドアがノックされた。
返事をする間もなく入ってきたのは、黒い軍服風の官服を完璧に着こなした、一人の青年だった。
「失礼。アデレード公爵令嬢、キサキ殿とお見受けする」
青年は鋭い眼鏡の奥の瞳で、室内を一瞬でスキャンした。
整然と並んだ書類、無駄のない家具の配置、そして今まさに三刀流で書類を書いていたキサキの姿。
「……素晴らしい。この部屋の酸素濃度と作業効率の相関関係まで計算されているようだ。君が、噂の『高速令嬢』か」
「名乗る時間は三秒以内でお願いします。現在、私は一分間に十枚の決済を行うスケジュールで動いておりますの」
キサキはペンを置かずに答えた。
青年は薄く笑みを浮かべ、胸に手を当てて短く礼をした。
「隣国ガルシア帝国の宰相、ゼノス・ガルシアだ。君が王宮へ送りつけた『行政改革案(兼・慰謝料請求書)』の写しを拝見した。あまりに合理的な内容に、居ても立ってもいられず国境を越えてきた」
「宰相閣下自ら? 移動時間は三日間、往復で六日間。閣下の時給を考えれば、国家予算レベルの損失ではありませんか。親書一通で済ませるのが筋というものです」
キサキの指摘に、ゼノスは眼鏡をクイと押し上げた。
「その通りだ。だが、直接この目で『歩行速度一点五倍』の領民を確認したかった。先ほど街を通ったが、パン屋の店主が生地をこねる速度が我が国の三倍だった。あれには感動すら覚えたよ」
「あら、閣下も分かってくださるのね。あの動きこそが人類の至るべき境地ですわ」
二人の間に、奇妙な連帯感が芽生える。
傍らで控えていた侍女のマーサは、「また変な人が来た」と言いたげに天井を仰いだ。
「キサキ殿。単刀直入に言おう。我が国ガルシアは、現在、無駄な儀礼と肥大化した官僚組織に蝕まれている。君のその『効率の剣』で、我が国の膿を切り裂いてはもらえないか?」
「……スカウト、ということですの? 私は今、この領地の最適化で忙しいのですが」
「条件を提示しよう。君にガルシア帝国の『特別行政顧問』の座を用意する。全権を委任し、君を邪魔する無能な貴族は私が一秒で排除する。さらに、報酬は成功報酬型で、削減した経費の十パーセントを君の個人口座に振り込もう」
キサキの手が、初めて完全に止まった。
彼女の脳内計算機が、猛烈な速度で数字を弾き出す。
「……帝国レベルの経費削減。その十パーセント。……金貨、数百万枚単位の利益になりますわね。それに、巨大な組織を再編する快感……。ゾクゾクしますわ」
「だろう? 愛だの恋だのという非効率な感情に現(うつつ)を抜かす連中には分からない、数字が噛み合う瞬間の絶頂だ」
ゼノスは一歩近づき、懐から契約書を取り出した。
「君との出会いは、私の人生において最も『期待値の高い投資』だ。どうかな、キサキ殿。共に、世界から一秒の無駄を駆逐しないか?」
キサキはゼノスの瞳を見た。
そこにあるのは、アラルド皇太子のような甘ったるい誘惑ではなく、純然たる「仕事への情熱」と「効率への執着」だった。
「……いいでしょう。ただし、移動時間は私の計算に従っていただきます。また、私の睡眠時間六時間を阻害する会議は一切認めません」
「承知した。会議は全て五分以内に終わらせるのが私のモットーだ」
二人はガッシリと握手を交わした。
恋愛小説のヒロインとヒーローの出会いとしては、あまりにも乾いた、しかし熱いビジネスパートナーの誕生だった。
「では、早速ですが閣下。貴方のその官服のボタン。数が多すぎて着脱に時間がかかるわ。今すぐジッパー式に改良すべきです」
「……目から鱗だ。さすがだな、キサキ。今夜中に帝国の全軍服の仕様変更を命じよう」
「即断即決、素晴らしいわ。気に入りましたわよ、ゼノス閣下」
こうして、最強の効率主義コンビが結成された。
王都でキサキを追い出したアラルド皇太子たちが、自分たちがどれほど恐ろしい怪物を解き放ってしまったのかに気づくのは、もう少し後のことである。
「さあ、まずはこの領地の改革を最短で終わらせますわよ。ゼノス閣下、貴方も手伝ってください。二人なら作業速度は二倍以上になるはずです!」
「光栄だ。君のタスク管理に、私のリソースを全て提供しよう」
二人の天才による、常軌を逸した「爆速経営」が加速していく。
アデレード領の生産統計グラフは、垂直に近い角度で右肩上がりを描いていた。
執務室で三本のペンを同時に操り、書類を捌いていたキサキの手が、ふと止まる。
「……予定にない足音が聞こえますわね。革靴の硬度から推測するに、我が領地の職員ではありません。もっと、こう……冷徹で、かつ磨き抜かれた効率的な足音ですわ」
キサキが時計を確認すると同時に、ドアがノックされた。
返事をする間もなく入ってきたのは、黒い軍服風の官服を完璧に着こなした、一人の青年だった。
「失礼。アデレード公爵令嬢、キサキ殿とお見受けする」
青年は鋭い眼鏡の奥の瞳で、室内を一瞬でスキャンした。
整然と並んだ書類、無駄のない家具の配置、そして今まさに三刀流で書類を書いていたキサキの姿。
「……素晴らしい。この部屋の酸素濃度と作業効率の相関関係まで計算されているようだ。君が、噂の『高速令嬢』か」
「名乗る時間は三秒以内でお願いします。現在、私は一分間に十枚の決済を行うスケジュールで動いておりますの」
キサキはペンを置かずに答えた。
青年は薄く笑みを浮かべ、胸に手を当てて短く礼をした。
「隣国ガルシア帝国の宰相、ゼノス・ガルシアだ。君が王宮へ送りつけた『行政改革案(兼・慰謝料請求書)』の写しを拝見した。あまりに合理的な内容に、居ても立ってもいられず国境を越えてきた」
「宰相閣下自ら? 移動時間は三日間、往復で六日間。閣下の時給を考えれば、国家予算レベルの損失ではありませんか。親書一通で済ませるのが筋というものです」
キサキの指摘に、ゼノスは眼鏡をクイと押し上げた。
「その通りだ。だが、直接この目で『歩行速度一点五倍』の領民を確認したかった。先ほど街を通ったが、パン屋の店主が生地をこねる速度が我が国の三倍だった。あれには感動すら覚えたよ」
「あら、閣下も分かってくださるのね。あの動きこそが人類の至るべき境地ですわ」
二人の間に、奇妙な連帯感が芽生える。
傍らで控えていた侍女のマーサは、「また変な人が来た」と言いたげに天井を仰いだ。
「キサキ殿。単刀直入に言おう。我が国ガルシアは、現在、無駄な儀礼と肥大化した官僚組織に蝕まれている。君のその『効率の剣』で、我が国の膿を切り裂いてはもらえないか?」
「……スカウト、ということですの? 私は今、この領地の最適化で忙しいのですが」
「条件を提示しよう。君にガルシア帝国の『特別行政顧問』の座を用意する。全権を委任し、君を邪魔する無能な貴族は私が一秒で排除する。さらに、報酬は成功報酬型で、削減した経費の十パーセントを君の個人口座に振り込もう」
キサキの手が、初めて完全に止まった。
彼女の脳内計算機が、猛烈な速度で数字を弾き出す。
「……帝国レベルの経費削減。その十パーセント。……金貨、数百万枚単位の利益になりますわね。それに、巨大な組織を再編する快感……。ゾクゾクしますわ」
「だろう? 愛だの恋だのという非効率な感情に現(うつつ)を抜かす連中には分からない、数字が噛み合う瞬間の絶頂だ」
ゼノスは一歩近づき、懐から契約書を取り出した。
「君との出会いは、私の人生において最も『期待値の高い投資』だ。どうかな、キサキ殿。共に、世界から一秒の無駄を駆逐しないか?」
キサキはゼノスの瞳を見た。
そこにあるのは、アラルド皇太子のような甘ったるい誘惑ではなく、純然たる「仕事への情熱」と「効率への執着」だった。
「……いいでしょう。ただし、移動時間は私の計算に従っていただきます。また、私の睡眠時間六時間を阻害する会議は一切認めません」
「承知した。会議は全て五分以内に終わらせるのが私のモットーだ」
二人はガッシリと握手を交わした。
恋愛小説のヒロインとヒーローの出会いとしては、あまりにも乾いた、しかし熱いビジネスパートナーの誕生だった。
「では、早速ですが閣下。貴方のその官服のボタン。数が多すぎて着脱に時間がかかるわ。今すぐジッパー式に改良すべきです」
「……目から鱗だ。さすがだな、キサキ。今夜中に帝国の全軍服の仕様変更を命じよう」
「即断即決、素晴らしいわ。気に入りましたわよ、ゼノス閣下」
こうして、最強の効率主義コンビが結成された。
王都でキサキを追い出したアラルド皇太子たちが、自分たちがどれほど恐ろしい怪物を解き放ってしまったのかに気づくのは、もう少し後のことである。
「さあ、まずはこの領地の改革を最短で終わらせますわよ。ゼノス閣下、貴方も手伝ってください。二人なら作業速度は二倍以上になるはずです!」
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