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「……驚きましたわ。ゼノス閣下、貴方の書類整理の速度、私の想定を十五パーセント上回っています」
キサキは隣で猛然と羽根ペンを動かすゼノスを横目に、感嘆の声を漏らした。
事務室の空気は、二人の天才が放つ熱気と、凄まじい速度でめくられる紙の音で支配されている。
「当然だ。私は帝国の予算案を、昼食を摂りながら三十分で書き上げる訓練を積んでいる。無駄な咀嚼と無駄な思考を並列化するのは、リーダーの基本だろう?」
ゼノスは顔を上げず、次々と「承認」の印鑑を叩き込んでいく。
そのリズムは正確なメトロノームのようであり、一切の迷いがない。
「素晴らしいわ。これまで私の速度についてこられる人間は、この領地に一人もいませんでした。マーサでさえ、私の三割の速度が限界です」
「お嬢様、さらっと私の悪口を言うのはやめてください。普通の人間は、一度に五枚の書類を読めないんです」
壁際で控えていたマーサが力なく突っ込むが、二人はすでに耳に入っていない。
ゼノスがようやくペンを置き、キサキの目を真っ直ぐに見つめた。
「キサキ殿。君の書いたこの『物流拠点集約案』だが……ここ、四行目のコンマの位置。これによって読み手の視線移動が零・一秒短縮されているな? あえて視覚的なリズムを作っている」
「……気づかれましたか。読みやすさは、理解の速さに直結します。理解が速ければ、決裁が速い。決裁が速ければ、国が動く。私は文章のフォントサイズさえも、人間の動体視力に合わせて最適化しておりますの」
「……っ! なんという先見の明だ……!」
ゼノスは椅子から立ち上がり、感動に打ち震える手でキサキの両手を握った。
普通の恋愛小説ならば、ここでヒロインが赤面し、恋の予感に胸を高鳴らせる場面だ。
だが、キサキが感じたのは「純粋な同業者へのリスペクト」だった。
「キサキ殿、私は確信した。君こそが私の、いや、帝国の運命の女性だ。これほどまでに美しい……美しい『論理構成』を持つ女性に、私は生まれて初めて出会った」
「閣下……。そのお言葉、最高の賛辞として受け取りますわ。貴方のその、無駄を削ぎ落とした筋肉質な行政手腕……。まさに理想のパートナーです」
「ああ、心拍数が上がっているのが分かる。これは恋……いや、業務提携によるシナジーへの期待からくる高揚だ!」
二人の距離が近づく。
ゼノスの眼鏡の奥で、知性の炎がパチパチと爆ぜた。
「キサキ殿、一つ提案がある。今夜の夕食、共に摂らないか? 時間は十分。メニューは栄養バランスを計算した完全食だ。食べながら、隣国の関税撤廃についてのロードマップを策定したい」
「素敵なプロポーズ……いえ、お誘いですわね。喜んでお受けします。あ、でも閣下、会話のプロトコルは『結論ファースト』でお願いしますね? 前置きは時間の無駄ですから」
「もちろんだ。挨拶すら省いて、本題から入ることを約束しよう」
二人は熱い視線を交わし、再び机に向かった。
ペンが紙を削る音が、祝婚歌(エピタフ)のように事務室に響き渡る。
「……マーサ、見なさい。これが運命の出会いというものですわ」
「お嬢様、私には死ぬほど仕事が詰まっているブラック企業の残業風景にしか見えません。……でも、お嬢様がこれほど楽しそうに笑っているのは、初めてかもしれませんね」
マーサは小さく溜息をつき、静かに茶を淹れ直した。
ただし、お嬢様の指示通り「抽出時間を一秒たりとも違えない」完璧な温度の茶を。
キサキとゼノス。
二人の間に流れる空気は、甘い砂糖菓子のような恋ではなく、鋼鉄のように強固な「機能美」に満ちていた。
「よし、この企画書、あと三分で完成させますわ!」
「ならば私は二分で添削しよう。我々の恋……もとい、プロジェクトに不可能はない!」
こうして、事務室という名の聖域で、二人の「最強の共同作業」が本格的に始動したのである。
キサキは隣で猛然と羽根ペンを動かすゼノスを横目に、感嘆の声を漏らした。
事務室の空気は、二人の天才が放つ熱気と、凄まじい速度でめくられる紙の音で支配されている。
「当然だ。私は帝国の予算案を、昼食を摂りながら三十分で書き上げる訓練を積んでいる。無駄な咀嚼と無駄な思考を並列化するのは、リーダーの基本だろう?」
ゼノスは顔を上げず、次々と「承認」の印鑑を叩き込んでいく。
そのリズムは正確なメトロノームのようであり、一切の迷いがない。
「素晴らしいわ。これまで私の速度についてこられる人間は、この領地に一人もいませんでした。マーサでさえ、私の三割の速度が限界です」
「お嬢様、さらっと私の悪口を言うのはやめてください。普通の人間は、一度に五枚の書類を読めないんです」
壁際で控えていたマーサが力なく突っ込むが、二人はすでに耳に入っていない。
ゼノスがようやくペンを置き、キサキの目を真っ直ぐに見つめた。
「キサキ殿。君の書いたこの『物流拠点集約案』だが……ここ、四行目のコンマの位置。これによって読み手の視線移動が零・一秒短縮されているな? あえて視覚的なリズムを作っている」
「……気づかれましたか。読みやすさは、理解の速さに直結します。理解が速ければ、決裁が速い。決裁が速ければ、国が動く。私は文章のフォントサイズさえも、人間の動体視力に合わせて最適化しておりますの」
「……っ! なんという先見の明だ……!」
ゼノスは椅子から立ち上がり、感動に打ち震える手でキサキの両手を握った。
普通の恋愛小説ならば、ここでヒロインが赤面し、恋の予感に胸を高鳴らせる場面だ。
だが、キサキが感じたのは「純粋な同業者へのリスペクト」だった。
「キサキ殿、私は確信した。君こそが私の、いや、帝国の運命の女性だ。これほどまでに美しい……美しい『論理構成』を持つ女性に、私は生まれて初めて出会った」
「閣下……。そのお言葉、最高の賛辞として受け取りますわ。貴方のその、無駄を削ぎ落とした筋肉質な行政手腕……。まさに理想のパートナーです」
「ああ、心拍数が上がっているのが分かる。これは恋……いや、業務提携によるシナジーへの期待からくる高揚だ!」
二人の距離が近づく。
ゼノスの眼鏡の奥で、知性の炎がパチパチと爆ぜた。
「キサキ殿、一つ提案がある。今夜の夕食、共に摂らないか? 時間は十分。メニューは栄養バランスを計算した完全食だ。食べながら、隣国の関税撤廃についてのロードマップを策定したい」
「素敵なプロポーズ……いえ、お誘いですわね。喜んでお受けします。あ、でも閣下、会話のプロトコルは『結論ファースト』でお願いしますね? 前置きは時間の無駄ですから」
「もちろんだ。挨拶すら省いて、本題から入ることを約束しよう」
二人は熱い視線を交わし、再び机に向かった。
ペンが紙を削る音が、祝婚歌(エピタフ)のように事務室に響き渡る。
「……マーサ、見なさい。これが運命の出会いというものですわ」
「お嬢様、私には死ぬほど仕事が詰まっているブラック企業の残業風景にしか見えません。……でも、お嬢様がこれほど楽しそうに笑っているのは、初めてかもしれませんね」
マーサは小さく溜息をつき、静かに茶を淹れ直した。
ただし、お嬢様の指示通り「抽出時間を一秒たりとも違えない」完璧な温度の茶を。
キサキとゼノス。
二人の間に流れる空気は、甘い砂糖菓子のような恋ではなく、鋼鉄のように強固な「機能美」に満ちていた。
「よし、この企画書、あと三分で完成させますわ!」
「ならば私は二分で添削しよう。我々の恋……もとい、プロジェクトに不可能はない!」
こうして、事務室という名の聖域で、二人の「最強の共同作業」が本格的に始動したのである。
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