お見通しですわ。婚約破棄、承りましたわ。

萩月

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昨夜の「商談」から一夜明け、キサキはいつものように執務机に向かっていた。
だが、そのペン先は数秒ごとに止まり、彼女は自分の左胸に手を当てて深く思考に沈んでいる。

「……おかしいですわ。今朝の書類処理速度が、通常より三パーセント低下しています。原因は、脳内における昨夜のゼノス閣下の笑顔の再生……これによるリソースの占有です」

キサキは手元のメモ帳に「恋による損失と利益」という表を書き込み始めた。
そこへ、朝食のハーブティーを持ったマーサが入ってくる。

「お嬢様、また難しい顔をして。昨日のデート、あんなに楽しそうだったのに」

「マーサ、これは重大なエラーですわ。ゼノス閣下という存在が、私の思考ルーチンに常駐(タスク駐留)し始めているのです。これを放置すれば、一ヶ月後には私の事務処理能力は半分以下になる恐れがあります」

「それを世間では『恋にうつつを抜かす』と言うんですよ。たまには仕事以外のことを考えても、罰は当たりませんって」

マーサの言葉を、キサキは扇を広げて遮った。

「いいえ。私は『効率の女神』と呼ばれる女。恋というバグを制御できないようでは、領地経営などおぼつきません。現在の恋の進捗率を客観的に算出する必要がありますわ」

キサキは算盤を弾き、複雑な数式を紙に書き殴った。
そこへ、扉が勢いよく開く。

「キサキ殿! 緊急の相談がある!」

入ってきたのはゼノスだった。
彼の眼鏡は心なしか曇っており、手元には昨日贈ったものと同じサポーターを装着した指があった。

「ゼノス閣下、朝からお元気ですわね。緊急とは、帝国の関税問題に進展が?」

「いや、違う。私の心臓だ。今朝、君の顔を思い浮かべた瞬間、血流量が通常の二割増しになった。これによって脳への酸素供給が過剰になり、逆に判断ミスを誘発しそうになっている。この異常事態をどう定義すべきか、君の意見を聞きたい」

キサキはゼノスの言葉を聞き、自分が書いたばかりの数式を提示した。

「閣下、ちょうど今、私も同じ問題を解析していたところです。結論から申し上げます。我々の恋の進捗率は、現在『十二パーセント』です」

「……十二パーセント? その根拠は?」

「昨夜の合意(ビジネスプロポーズ)をフェーズ一と定義し、最終的なゴール(結婚および国家統合レベルの共同経営)をフェーズ百と設定。現状、互いの信頼関係とリソースの共有状況を鑑みると、まだ初期段階の『環境構築』が終わったに過ぎません」

ゼノスは提示された数式を凝視し、深く頷いた。

「なるほど、妥当な数字だ。たった十二パーセントでこれほどの身体的影響があるとは……。百パーセントに達した時、我々の生産性は宇宙を突き抜けるのではないか?」

「ええ。ですが、急激な進捗はシステムの崩壊を招きます。一日に零・五パーセントずつ、着実に進めていくのが最も安全で効率的な恋の形と言えるでしょう」

二人は真面目な顔で、恋愛を大規模プロジェクトのように分析し合っている。
マーサは呆れ果てて、淹れたての茶を自分ですすり始めた。

「……お二人とも、せっかくゼノス様が来てくださったんですから。進捗率を上げるために、少しは甘い言葉の一つでも交わしたらどうですか?」

「甘い言葉……。キサキ殿、君の瞳の虹彩パターンは、帝国のどの宝石よりも光の反射効率が良いな」

「まあ、閣下。貴方のその低音ボイスの周波数、私の鼓膜に最もストレスを与えず、かつ情報の聞き取りを容易にする黄金比ですわ」

「……もういいです。勝手にやってください」

マーサは匙を投げたが、当人たちは至って真剣だ。
キサキは手帳を取り出し、今日のスケジュールに新たな項目を書き加えた。

「では閣下。今日の分の進捗率、零・五パーセントを稼ぐために、三分間だけ『手を繋ぐ』というタスクを実行しませんか? これによるオキシトシンの分泌が、午後の集中力を高めることが証明されています」

「……素晴らしい提案だ。だが、片手はペンを持てるようにしておこう。繋ぎながらでも書類は読める」

「もちろんですわ。並列処理こそ、私たちの愛の証ですから」

二人は並んで座り、片手でしっかりと手を繋ぎながら、もう片方の手で猛然と書類を捌き始めた。
繋がれた手から伝わる体温は、確かに彼らの作業効率を(そして心拍数を)少しずつ、確実に底上げしていた。

「キサキ、君の手は温かいな。熱伝導率が非常に良い」

「閣下の手こそ、力強くて安心しますわ。グリップ力が最高です」

恋の進捗率、十二・五パーセント。
キサキとゼノスの不器用で超高速なロマンスは、一分一秒を惜しむように深まっていく。

一方、王都では。
アラルド皇太子が、山積みの書類の前で「キサキ、助けてくれ……」と、進捗率マイナスの日々を送っていたが、キサキがそれを知る由もなかった。
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