お見通しですわ。婚約破棄、承りましたわ。

萩月

文字の大きさ
13 / 28

13

しおりを挟む
「キサキ! 迎えに来たぞ、キサキ! この私、アラルド・フォン・王太子が自らここまで足を運んでやったのだ!」

領都の静かな事務室に、耳障りな大声が響き渡った。
扉を乱暴に開けて入ってきたのは、豪華なマントを翻し、これでもかとばかりに「王子様」を強調した衣装に身を包んだアラルドだった。

キサキは、ペンを動かす手を一瞬だけ止め、無表情に壁の時計を見上げた。

「……予定外の訪問者。事前のアポイントメントなし。さらに、扉の開閉による騒音レベルは八十デシベルを超えています。お引き取りを」

「お、お引き取りだと!? この私を誰だと思っている! お前の元婚約者であり、次期国王だぞ!」

「『元』という接頭辞が付いた時点で、貴方の優先順位は私のタスクリストの最下層……いえ、ゴミ箱の中に移動済みです。殿下、私の貴重な一分間が、領地の経済にどれほどの損失を与えるか計算したことがありますか?」

キサキは再びペンを走らせ始めた。
隣に座っていたゼノスも、アラルドを一瞥することなく、淡々と書類に印を押している。

「おい、無視するな! それに、隣にいるその男は誰だ! なぜ、私の婚約者が別の男と親密そうに並んでいる!」

「殿下、言葉の定義に誤りがあります。私は貴方の婚約者ではありません。そしてこの方は、ガルシア帝国の宰相ゼノス閣下。私の『最高効率パートナー』ですわ」

ゼノスがようやく顔を上げ、冷ややかな瞳でアラルドを見据えた。

「……アラルド殿下か。他国の事務室に土足で踏み込み、業務を妨害するとは。王族としての教育カリキュラムに『マナーと時間管理』の項目はなかったようだな。実に非効率な教育だ」

「な、なんだと……!? 宰相だと? キサキ、お前、こんな冷徹そうな男にたぶらかされているのか!」

アラルドはキサキの机に詰め寄り、大げさな身振りで叫んだ。

「分かっているぞ、キサキ。本当は寂しかったのだろう? 私に捨てられて、自暴自棄になってこんな辺境で働いているのだな。安心しろ、私は心が広い。お前を許してやろう。今すぐ王都に戻り、私の事務処理を……いや、私の妃になる準備を始めろ!」

キサキは深い溜息をつき、椅子から立ち上がった。
彼女の周囲の温度が、一気に氷点下まで下がったように感じられた。

「殿下。貴方の発言を要約すると、『自分では仕事が回らないから、無料で使える高性能な事務機を回収に来た』ということでよろしいかしら?」

「なっ……愛を語っているのだ! 愛を!」

「愛という言葉で労働搾取を正当化するのは、経営者として最低の部類ですわ。それに、貴方との会話で失ったこの三分間。これがあれば、私は領内の新しい水路の設計図を一枚完成させられました。その損失をどう補填するおつもり?」

「補填!? 王子である私との時間が、水路以下だと言うのか!」

「比較するまでもありません。水路は領民を潤し、富を生みます。貴方の言葉は、二酸化炭素を排出するだけで、何も生み出しませんもの」

キサキは冷酷に言い放つと、ゼノスの肩にそっと手を置いた。

「ゼノス閣下。この不法侵入者を排除するのに、警備員を呼ぶ時間すらもったいないと思いませんか?」

「ああ。私が今ここで、外交特権を駆使して強制送還の手続きを行おう。所要時間は二分だ」

「素晴らしいわ。では、その間私はこちらの決裁を終わらせますわね」

アラルドは、信じられないものを見る目で二人を見つめた。
かつて自分に尽くしていたキサキが、別の男と「効率」という名の絆で結ばれ、自分を「障害物」として処理しようとしている。

「待て! キサキ! 聖女リリィはどうするんだ! あいつは何もできないんだぞ! お前がいないと、王宮がピンク色のゴミ溜めになるんだ!」

「それは貴方の管理能力の問題です。私に外注しないでいただきたい。……さあ、予定の時間が過ぎました。さようなら、殿下。二度と私の視界に入らないでください。視神経の無駄遣いですわ」

「キサキーーーッ!」

アラルドは、ゼノスが合図した屈強な警備員たち(彼らもキサキの指導で動きが三倍速い)によって、文字通り「爆速」でつまみ出されていった。

静寂が戻った事務室で、キサキはふぅ、と肩の力を抜いた。

「……お騒がせしました、閣下。予定外のイベントが発生してしまいましたわ」

「気にするな、キサキ。おかげで君の『毅然とした決断力』を再確認できた。惚れ直したよ。進捗率を零・一パーセント上げてもいいかな?」

「ええ。では、お詫びに午後のコーヒーブレイクを五秒延長しましょう。そこで零・一パーセント分の親睦を深めましょうか」

「……贅沢な提案だ。喜んで」

二人は再び机に向かい、ペンを走らせた。
アラルドという名の嵐が過ぎ去った後には、以前よりもさらに強固な、鉄壁の効率愛が残されるだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛想を尽かした女と尽かされた男

火野村志紀
恋愛
※全16話となります。 「そうですか。今まであなたに尽くしていた私は側妃扱いで、急に湧いて出てきた彼女が正妃だと? どうぞ、お好きになさって。その代わり私も好きにしますので」

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

「では、ごきげんよう」と去った悪役令嬢は破滅すら置き去りにして

東雲れいな
恋愛
「悪役令嬢」と噂される伯爵令嬢・ローズ。王太子殿下の婚約者候補だというのに、ヒロインから王子を奪おうなんて野心はまるでありません。むしろ彼女は、“わたくしはわたくしらしく”と胸を張り、周囲の冷たい視線にも毅然と立ち向かいます。 破滅を甘受する覚悟すらあった彼女が、誇り高く戦い抜くとき、運命は大きく動きだす。

【完結】旦那様、わたくし家出します。

さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。 溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。 名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。 名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。 登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*) 第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中

〈完結〉伯爵令嬢リンシアは勝手に幸せになることにした

ごろごろみかん。
恋愛
前世の記憶を取り戻した伯爵令嬢のリンシア。 自分の婚約者は、最近現れた聖女様につききっきりである。 そんなある日、彼女は見てしまう。 婚約者に詰め寄る聖女の姿を。 「いつになったら婚約破棄するの!?」 「もうすぐだよ。リンシアの有責で婚約は破棄される」 なんと、リンシアは聖女への嫌がらせ(やってない)で婚約破棄されるらしい。 それを目撃したリンシアは、決意する。 「婚約破棄される前に、こちらから破棄してしてさしあげるわ」 もう泣いていた過去の自分はいない。 前世の記憶を取り戻したリンシアは強い。吹っ切れた彼女は、魔法道具を作ったり、文官を目指したりと、勝手に幸せになることにした。 ☆ご心配なく、婚約者様。の修正版です。詳しくは近況ボードをご確認くださいm(_ _)m ☆10万文字前後完結予定です

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

処理中です...