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「キサキ! 迎えに来たぞ、キサキ! この私、アラルド・フォン・王太子が自らここまで足を運んでやったのだ!」
領都の静かな事務室に、耳障りな大声が響き渡った。
扉を乱暴に開けて入ってきたのは、豪華なマントを翻し、これでもかとばかりに「王子様」を強調した衣装に身を包んだアラルドだった。
キサキは、ペンを動かす手を一瞬だけ止め、無表情に壁の時計を見上げた。
「……予定外の訪問者。事前のアポイントメントなし。さらに、扉の開閉による騒音レベルは八十デシベルを超えています。お引き取りを」
「お、お引き取りだと!? この私を誰だと思っている! お前の元婚約者であり、次期国王だぞ!」
「『元』という接頭辞が付いた時点で、貴方の優先順位は私のタスクリストの最下層……いえ、ゴミ箱の中に移動済みです。殿下、私の貴重な一分間が、領地の経済にどれほどの損失を与えるか計算したことがありますか?」
キサキは再びペンを走らせ始めた。
隣に座っていたゼノスも、アラルドを一瞥することなく、淡々と書類に印を押している。
「おい、無視するな! それに、隣にいるその男は誰だ! なぜ、私の婚約者が別の男と親密そうに並んでいる!」
「殿下、言葉の定義に誤りがあります。私は貴方の婚約者ではありません。そしてこの方は、ガルシア帝国の宰相ゼノス閣下。私の『最高効率パートナー』ですわ」
ゼノスがようやく顔を上げ、冷ややかな瞳でアラルドを見据えた。
「……アラルド殿下か。他国の事務室に土足で踏み込み、業務を妨害するとは。王族としての教育カリキュラムに『マナーと時間管理』の項目はなかったようだな。実に非効率な教育だ」
「な、なんだと……!? 宰相だと? キサキ、お前、こんな冷徹そうな男にたぶらかされているのか!」
アラルドはキサキの机に詰め寄り、大げさな身振りで叫んだ。
「分かっているぞ、キサキ。本当は寂しかったのだろう? 私に捨てられて、自暴自棄になってこんな辺境で働いているのだな。安心しろ、私は心が広い。お前を許してやろう。今すぐ王都に戻り、私の事務処理を……いや、私の妃になる準備を始めろ!」
キサキは深い溜息をつき、椅子から立ち上がった。
彼女の周囲の温度が、一気に氷点下まで下がったように感じられた。
「殿下。貴方の発言を要約すると、『自分では仕事が回らないから、無料で使える高性能な事務機を回収に来た』ということでよろしいかしら?」
「なっ……愛を語っているのだ! 愛を!」
「愛という言葉で労働搾取を正当化するのは、経営者として最低の部類ですわ。それに、貴方との会話で失ったこの三分間。これがあれば、私は領内の新しい水路の設計図を一枚完成させられました。その損失をどう補填するおつもり?」
「補填!? 王子である私との時間が、水路以下だと言うのか!」
「比較するまでもありません。水路は領民を潤し、富を生みます。貴方の言葉は、二酸化炭素を排出するだけで、何も生み出しませんもの」
キサキは冷酷に言い放つと、ゼノスの肩にそっと手を置いた。
「ゼノス閣下。この不法侵入者を排除するのに、警備員を呼ぶ時間すらもったいないと思いませんか?」
「ああ。私が今ここで、外交特権を駆使して強制送還の手続きを行おう。所要時間は二分だ」
「素晴らしいわ。では、その間私はこちらの決裁を終わらせますわね」
アラルドは、信じられないものを見る目で二人を見つめた。
かつて自分に尽くしていたキサキが、別の男と「効率」という名の絆で結ばれ、自分を「障害物」として処理しようとしている。
「待て! キサキ! 聖女リリィはどうするんだ! あいつは何もできないんだぞ! お前がいないと、王宮がピンク色のゴミ溜めになるんだ!」
「それは貴方の管理能力の問題です。私に外注しないでいただきたい。……さあ、予定の時間が過ぎました。さようなら、殿下。二度と私の視界に入らないでください。視神経の無駄遣いですわ」
「キサキーーーッ!」
アラルドは、ゼノスが合図した屈強な警備員たち(彼らもキサキの指導で動きが三倍速い)によって、文字通り「爆速」でつまみ出されていった。
静寂が戻った事務室で、キサキはふぅ、と肩の力を抜いた。
「……お騒がせしました、閣下。予定外のイベントが発生してしまいましたわ」
「気にするな、キサキ。おかげで君の『毅然とした決断力』を再確認できた。惚れ直したよ。進捗率を零・一パーセント上げてもいいかな?」
「ええ。では、お詫びに午後のコーヒーブレイクを五秒延長しましょう。そこで零・一パーセント分の親睦を深めましょうか」
「……贅沢な提案だ。喜んで」
二人は再び机に向かい、ペンを走らせた。
アラルドという名の嵐が過ぎ去った後には、以前よりもさらに強固な、鉄壁の効率愛が残されるだけだった。
領都の静かな事務室に、耳障りな大声が響き渡った。
扉を乱暴に開けて入ってきたのは、豪華なマントを翻し、これでもかとばかりに「王子様」を強調した衣装に身を包んだアラルドだった。
キサキは、ペンを動かす手を一瞬だけ止め、無表情に壁の時計を見上げた。
「……予定外の訪問者。事前のアポイントメントなし。さらに、扉の開閉による騒音レベルは八十デシベルを超えています。お引き取りを」
「お、お引き取りだと!? この私を誰だと思っている! お前の元婚約者であり、次期国王だぞ!」
「『元』という接頭辞が付いた時点で、貴方の優先順位は私のタスクリストの最下層……いえ、ゴミ箱の中に移動済みです。殿下、私の貴重な一分間が、領地の経済にどれほどの損失を与えるか計算したことがありますか?」
キサキは再びペンを走らせ始めた。
隣に座っていたゼノスも、アラルドを一瞥することなく、淡々と書類に印を押している。
「おい、無視するな! それに、隣にいるその男は誰だ! なぜ、私の婚約者が別の男と親密そうに並んでいる!」
「殿下、言葉の定義に誤りがあります。私は貴方の婚約者ではありません。そしてこの方は、ガルシア帝国の宰相ゼノス閣下。私の『最高効率パートナー』ですわ」
ゼノスがようやく顔を上げ、冷ややかな瞳でアラルドを見据えた。
「……アラルド殿下か。他国の事務室に土足で踏み込み、業務を妨害するとは。王族としての教育カリキュラムに『マナーと時間管理』の項目はなかったようだな。実に非効率な教育だ」
「な、なんだと……!? 宰相だと? キサキ、お前、こんな冷徹そうな男にたぶらかされているのか!」
アラルドはキサキの机に詰め寄り、大げさな身振りで叫んだ。
「分かっているぞ、キサキ。本当は寂しかったのだろう? 私に捨てられて、自暴自棄になってこんな辺境で働いているのだな。安心しろ、私は心が広い。お前を許してやろう。今すぐ王都に戻り、私の事務処理を……いや、私の妃になる準備を始めろ!」
キサキは深い溜息をつき、椅子から立ち上がった。
彼女の周囲の温度が、一気に氷点下まで下がったように感じられた。
「殿下。貴方の発言を要約すると、『自分では仕事が回らないから、無料で使える高性能な事務機を回収に来た』ということでよろしいかしら?」
「なっ……愛を語っているのだ! 愛を!」
「愛という言葉で労働搾取を正当化するのは、経営者として最低の部類ですわ。それに、貴方との会話で失ったこの三分間。これがあれば、私は領内の新しい水路の設計図を一枚完成させられました。その損失をどう補填するおつもり?」
「補填!? 王子である私との時間が、水路以下だと言うのか!」
「比較するまでもありません。水路は領民を潤し、富を生みます。貴方の言葉は、二酸化炭素を排出するだけで、何も生み出しませんもの」
キサキは冷酷に言い放つと、ゼノスの肩にそっと手を置いた。
「ゼノス閣下。この不法侵入者を排除するのに、警備員を呼ぶ時間すらもったいないと思いませんか?」
「ああ。私が今ここで、外交特権を駆使して強制送還の手続きを行おう。所要時間は二分だ」
「素晴らしいわ。では、その間私はこちらの決裁を終わらせますわね」
アラルドは、信じられないものを見る目で二人を見つめた。
かつて自分に尽くしていたキサキが、別の男と「効率」という名の絆で結ばれ、自分を「障害物」として処理しようとしている。
「待て! キサキ! 聖女リリィはどうするんだ! あいつは何もできないんだぞ! お前がいないと、王宮がピンク色のゴミ溜めになるんだ!」
「それは貴方の管理能力の問題です。私に外注しないでいただきたい。……さあ、予定の時間が過ぎました。さようなら、殿下。二度と私の視界に入らないでください。視神経の無駄遣いですわ」
「キサキーーーッ!」
アラルドは、ゼノスが合図した屈強な警備員たち(彼らもキサキの指導で動きが三倍速い)によって、文字通り「爆速」でつまみ出されていった。
静寂が戻った事務室で、キサキはふぅ、と肩の力を抜いた。
「……お騒がせしました、閣下。予定外のイベントが発生してしまいましたわ」
「気にするな、キサキ。おかげで君の『毅然とした決断力』を再確認できた。惚れ直したよ。進捗率を零・一パーセント上げてもいいかな?」
「ええ。では、お詫びに午後のコーヒーブレイクを五秒延長しましょう。そこで零・一パーセント分の親睦を深めましょうか」
「……贅沢な提案だ。喜んで」
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