お見通しですわ。婚約破棄、承りましたわ。

萩月

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アラルド皇太子が警備員によって「物理的に最速で」排除されてから一時間。
領都の役所には、再び重苦しい空気が漂っていた。
と言っても、それは悲壮感ではなく、キサキから放たれる「作業の邪魔をされたことへの苛立ち」という名のプレッシャーである。

「……五分ですわ」

キサキは冷たく言い放ち、目の前に積み上げられた『王宮からの正式要請書』の束を睨みつけた。

「五分で、この紙の束を全て処理します。バーンズ、タイマーをセットして。一秒でも遅れたら、今日の貴方のティータイムを三秒削ります」

「ひ、三秒も!? 分かりました、スタートですぞ!」

バーンズが震える手でタイマーを押すと同時に、キサキの指が踊るように動き出した。
それは、一通目の書類を封筒から引き抜くと同時に、内容を網膜に焼き付け、即座に「却下」の判を叩きつけるという、神業に近い速度だった。

「第一条、王宮の財政再建アドバイザー就任依頼。理由、報酬が低すぎる上に、意思決定プロセスの階層が多すぎます。リソースの無駄。却下」

ドスン、と力強い音が響く。所要時間、〇・三秒。

「第二条、聖女リリィへの『効率的礼儀作法』の個人教授。理由、教える側の精神的摩耗コストを算出すると、金貨一万枚でも足りません。不採算案件。却下」

再び、却下の判が書類を抉るように押された。
隣でその様子を見ていたゼノスが、面白そうに眼鏡を光らせる。

「……キサキ、三通目の『王立学園での特別講義』はどうする? これは将来の優秀なリソースを確保する投資としては悪くないと思うが」

「却下ですわ、閣下。講義資料の作成時間と、学生たちの理解度のばらつきを考慮すると、教育効果が期待値を下回ります。それより、ガルシア帝国のエリート官僚に直接マニュアルを配布する方が、一万倍効率的ですもの」

「なるほど、一理ある。ではその案件は私が預かり、我が国のプロジェクトとして統合しよう」

二人の間で、王国の威信をかけた書類がゴミのように、あるいは効率的な燃料のように処理されていく。
そこへ、扉が遠慮がちに開き、アラルドの側近である役人が顔を出した。
彼は、先ほどつまみ出された主人の代わりに、最後の一枚を届けに来たのだ。

「あ、あの……キサキ様。これだけは、これだけは殿下からの切実な……『個人的な和解の提案書』でございます!」

役人が震える手で差し出したのは、金縁の豪華な封筒だった。
中には、アラルドが涙ながらに綴った(と思われる)「僕が悪かった、戻ってきてくれたら公爵家の税を免除するし、リリィとも距離を置く」という、情に訴えかける内容が記されていた。

キサキはそれを、封筒から出すことすらなく、端を少しだけ見て判断を下した。

「〇・五秒で却下します」

「ええっ!? 中身、まだ一行目も読んでいらっしゃいませんよね!?」

役人が絶叫する。キサキは冷徹な瞳で彼を射抜いた。

「紙質で分かりますわ。この無駄に厚く、重く、香りまでついた紙。これを選んでいる時点で、相手の読む時間を尊重する気がありません。内容以前に、形式が非効率の極みです。却下」

キサキはそのまま、その豪華な封筒をシュレッダー(魔導式高速裁断機)へと放り込んだ。
ガガガッ、という小気味よい音と共に、アラルドの「和解の心(自称)」は、一瞬で紙吹雪へと変わった。

「そ、そんな……殿下が三時間かけて書いたお手紙が……!」

「三時間もかけてその程度の出力しかできないのであれば、殿下の脳のアップグレードを検討されるべきですわ。……はい、五分経過。全二十八案件、全て処理完了です」

キサキはパチンと指を鳴らし、完璧に整理された「却下済み」の山をバーンズに渡した。
タイマーは四分五十五秒を指して止まっている。

「素晴らしい。キサキ、君の判断力はもはや芸術の域だ。特に、情に流されず紙質で切り捨てる潔さ……。これこそが次世代のリーダーに求められる直感だ」

ゼノスが惜しみない拍手を送る。
キサキは少しだけ頬を染め、サポーターをつけた指で髪を整えた。

「閣下に褒められると、計算速度がさらに二パーセント上がってしまいそうですわ。……さて、邪魔者は消えました。次は、領内の街道に設置する『最速の乗合馬車停留所』の配置図を完成させましょう」

「ああ。私の計算では、停車時間を三秒短縮することで、物流コストが年間でこれだけ浮くはずだ……」

二人は再び、一般人には理解できない数字の羅列が並ぶ世界へと没頭していった。
役人は、シュレッダーから吐き出された紙屑を見つめながら、悟った。

(……この二人が組んでいる限り、王太子殿下に勝ち目はない。そもそも、土俵が違うのだ。殿下は『愛のドラマ』を演じようとしているが、この二人は『世界の最適化』というゲームを楽しんでいるんだ……!)

アデレード領の事務室は、今日も今日とて、感情という名のノイズを排した「超高速の愛」に満ち溢れていた。
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