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王立財務局の地下倉庫。そこは本来、国家の命運を左右する金貨と帳簿が、厳重な管理のもとに置かれるべき神聖な場所だ。
しかし、キサキの目の前に広がっていたのは、甘ったるい香水の匂いと、ひっくり返ったおもちゃ箱のような惨状だった。
「……信じられませんわ。帳簿の表紙に、なぜデコレーション用の生クリームが飛んでいるのですか? これは公文書に対する冒涜、ひいては国民の納税努力に対するテロ行為です」
キサキは白い手袋をはめた手で、ベタつく帳簿を指先でつまみ上げた。
隣に立つゼノスは、あまりの劣悪な管理状況に、眼鏡を外して眉間を押さえている。
「キサキ、私の計算尺が『解析不能』というエラーを吐き出した。数字の羅列の中に、なぜ『今日のリリィ様のラッキーカラー』という項目が混じっているんだ?」
「それこそが、非効率の極致というものですわ、閣下」
キサキは冷徹な瞳で、震えながら隅に立っている財務官を睨みつけた。
「財務官。今から十分間だけ時間を差し上げます。その間に、過去三ヶ月分の聖女関連の支出明細を全て私の前に並べなさい。一秒でも遅れたら、貴方の退職金を一銭残らず『事務ミス補填費用』として徴収しますわ」
「ひ、ひいっ! ですが、リリィ様が『数字ばかり見ると頭が痛くなるから、適当に可愛いスタンプを押しておけばいい』と仰って……!」
「適当、という言葉は私の辞書には存在しません。……五、四、三……」
「わあああっ! 出します! 今すぐ出します!」
キサキのカウントダウンに追われ、財務官たちはネズミのように走り回った。
山積みになった、ハートマークや星形のスタンプが押された「ゴミのような帳簿」が、キサキのデスクに並べられる。
キサキは深呼吸を一つすると、三本の羽根ペンを同時に手に取った。
それは、彼女が極度の集中状態に入った時にのみ見せる、伝説の「高速三刀流監査」の構えだった。
「……始めますわ。ゼノス閣下、私が見落とした零・〇一パーセントの端数を拾ってください」
「任せろ。君の背後は私が論理で守る」
シュバババッ、という空気を切り裂く音が地下倉庫に響き渡った。
キサキがページをめくる速度は、もはや人の目では追えない。
一秒間に三ページ。その瞬間的な視覚情報から、彼女は不整合な数字を、腐った林檎を弾くように抽出していく。
「……見つけましたわ」
開始からちょうど九分。キサキは最後の一冊を閉じ、鋭い音を立てて机を叩いた。
「聖女リリィ様。貴女が『恵まれない子供たちのための聖水代』として計上した金貨三千枚。これ、実際には子供たちの口には一滴も入っていませんわね?」
「えっ……!?」
入り口で様子を伺っていたリリィが、肩をビクリと震わせた。
彼女は慌てて「あざとい困り顔」を作り、小走りに近寄ってくる。
「な、なんのことですかぁ? リリィ、ちゃんとお祈りして聖水を作りましたよぉ。そのための材料費……お花とか、キラキラした石とか、必要なんです!」
「お花、ですか。……ゼノス閣下」
ゼノスが、キサキの意図を汲んで一歩前に出た。
「リリィ殿。我が帝国の情報部が、王都最大の宝石商の裏帳簿を差し押さえた。そこには、君の筆跡で『帳簿には聖水用と記載すること』というメモと共に、金貨三千枚で購入された特大のピンクダイヤモンドの受領印があった。……これのことか?」
ゼノスの手には、隠し持っていた証拠の写しが握られていた。
リリィの顔から、一瞬にして血の気が引いていく。
「そ、それは……! 聖女の美しさは、国の希望なんです! リリィが輝くことで、みんなが幸せになれるんですから、これは必要経費ですぅ!」
「必要経費、ですって?」
キサキは椅子から立ち上がり、一歩、また一歩とリリィを追い詰めた。
その威圧感は、もはや一国の女王をも凌駕している。
「貴女がその『必要経費』で贅沢三昧をしている間に、北部の孤児院では冬用の薪が買えず、子供たちが身を寄せ合って震えているのを知っていますか? 貴女の言う『輝き』は、誰かの絶望の上に成り立つ、極めてコストパフォーマンスの悪い虚飾に過ぎませんのよ」
「……う、うるさいわね! あんな可愛くない子供たちなんて、放っておけばいいじゃない! リリィの方がずっと大事なんだから!」
リリィの口から、ついに本音が漏れ出た。
いつもの甘ったるい声ではない、低く、濁った声。
背後で見ていたアラルド皇太子が、ショックで膝を突いた。
「リ、リリィ……今、なんと言った……? 放っておけばいい……だと?」
「ア、アラルド様! 違うんです、これは、その……リリィ、つい口が滑っちゃって!」
「口が滑ったのではなく、それが貴女の『本質』という名の未整理データですわ。リリィ様、貴女の化けの皮……いえ、非効率な偽装工作はここで終了です」
キサキは冷淡に、リリィの首にかかっていた聖女のメダルを指差した。
「そのメダルに使用されている金の純度まで、私は今、目視で鑑定しました。これも公金で購入されたものですね。……全て返していただきますわ。一ミリエル(最小通貨単位)の誤差もなく、徹底的に搾り取って差し上げます」
「やめて! リリィの可愛いものが……! アラルド様、助けてくださいぃ!」
リリィが泣き叫ぶが、アラルドはもはや彼女を見ようともしなかった。
彼が見ていたのは、悪を断罪し、国家の歪みを瞬時に正した、あまりにも気高く、そして恐ろしいほど効率的なキサキの横顔だった。
「……キサキ。私は、なんて取り返しのつかないことを……」
「殿下、後悔する時間は一秒もありませんわよ。次は貴方のプライベート口座の監査に移ります。……覚悟はよろしいですか?」
キサキの冷徹な声が、王宮の闇を真っ白な論理の光で焼き尽くしていく。
聖女の化けの皮は剥がれ、残されたのは、積み上がった「罪」という名の膨大な計算ミスだけだった。
しかし、キサキの目の前に広がっていたのは、甘ったるい香水の匂いと、ひっくり返ったおもちゃ箱のような惨状だった。
「……信じられませんわ。帳簿の表紙に、なぜデコレーション用の生クリームが飛んでいるのですか? これは公文書に対する冒涜、ひいては国民の納税努力に対するテロ行為です」
キサキは白い手袋をはめた手で、ベタつく帳簿を指先でつまみ上げた。
隣に立つゼノスは、あまりの劣悪な管理状況に、眼鏡を外して眉間を押さえている。
「キサキ、私の計算尺が『解析不能』というエラーを吐き出した。数字の羅列の中に、なぜ『今日のリリィ様のラッキーカラー』という項目が混じっているんだ?」
「それこそが、非効率の極致というものですわ、閣下」
キサキは冷徹な瞳で、震えながら隅に立っている財務官を睨みつけた。
「財務官。今から十分間だけ時間を差し上げます。その間に、過去三ヶ月分の聖女関連の支出明細を全て私の前に並べなさい。一秒でも遅れたら、貴方の退職金を一銭残らず『事務ミス補填費用』として徴収しますわ」
「ひ、ひいっ! ですが、リリィ様が『数字ばかり見ると頭が痛くなるから、適当に可愛いスタンプを押しておけばいい』と仰って……!」
「適当、という言葉は私の辞書には存在しません。……五、四、三……」
「わあああっ! 出します! 今すぐ出します!」
キサキのカウントダウンに追われ、財務官たちはネズミのように走り回った。
山積みになった、ハートマークや星形のスタンプが押された「ゴミのような帳簿」が、キサキのデスクに並べられる。
キサキは深呼吸を一つすると、三本の羽根ペンを同時に手に取った。
それは、彼女が極度の集中状態に入った時にのみ見せる、伝説の「高速三刀流監査」の構えだった。
「……始めますわ。ゼノス閣下、私が見落とした零・〇一パーセントの端数を拾ってください」
「任せろ。君の背後は私が論理で守る」
シュバババッ、という空気を切り裂く音が地下倉庫に響き渡った。
キサキがページをめくる速度は、もはや人の目では追えない。
一秒間に三ページ。その瞬間的な視覚情報から、彼女は不整合な数字を、腐った林檎を弾くように抽出していく。
「……見つけましたわ」
開始からちょうど九分。キサキは最後の一冊を閉じ、鋭い音を立てて机を叩いた。
「聖女リリィ様。貴女が『恵まれない子供たちのための聖水代』として計上した金貨三千枚。これ、実際には子供たちの口には一滴も入っていませんわね?」
「えっ……!?」
入り口で様子を伺っていたリリィが、肩をビクリと震わせた。
彼女は慌てて「あざとい困り顔」を作り、小走りに近寄ってくる。
「な、なんのことですかぁ? リリィ、ちゃんとお祈りして聖水を作りましたよぉ。そのための材料費……お花とか、キラキラした石とか、必要なんです!」
「お花、ですか。……ゼノス閣下」
ゼノスが、キサキの意図を汲んで一歩前に出た。
「リリィ殿。我が帝国の情報部が、王都最大の宝石商の裏帳簿を差し押さえた。そこには、君の筆跡で『帳簿には聖水用と記載すること』というメモと共に、金貨三千枚で購入された特大のピンクダイヤモンドの受領印があった。……これのことか?」
ゼノスの手には、隠し持っていた証拠の写しが握られていた。
リリィの顔から、一瞬にして血の気が引いていく。
「そ、それは……! 聖女の美しさは、国の希望なんです! リリィが輝くことで、みんなが幸せになれるんですから、これは必要経費ですぅ!」
「必要経費、ですって?」
キサキは椅子から立ち上がり、一歩、また一歩とリリィを追い詰めた。
その威圧感は、もはや一国の女王をも凌駕している。
「貴女がその『必要経費』で贅沢三昧をしている間に、北部の孤児院では冬用の薪が買えず、子供たちが身を寄せ合って震えているのを知っていますか? 貴女の言う『輝き』は、誰かの絶望の上に成り立つ、極めてコストパフォーマンスの悪い虚飾に過ぎませんのよ」
「……う、うるさいわね! あんな可愛くない子供たちなんて、放っておけばいいじゃない! リリィの方がずっと大事なんだから!」
リリィの口から、ついに本音が漏れ出た。
いつもの甘ったるい声ではない、低く、濁った声。
背後で見ていたアラルド皇太子が、ショックで膝を突いた。
「リ、リリィ……今、なんと言った……? 放っておけばいい……だと?」
「ア、アラルド様! 違うんです、これは、その……リリィ、つい口が滑っちゃって!」
「口が滑ったのではなく、それが貴女の『本質』という名の未整理データですわ。リリィ様、貴女の化けの皮……いえ、非効率な偽装工作はここで終了です」
キサキは冷淡に、リリィの首にかかっていた聖女のメダルを指差した。
「そのメダルに使用されている金の純度まで、私は今、目視で鑑定しました。これも公金で購入されたものですね。……全て返していただきますわ。一ミリエル(最小通貨単位)の誤差もなく、徹底的に搾り取って差し上げます」
「やめて! リリィの可愛いものが……! アラルド様、助けてくださいぃ!」
リリィが泣き叫ぶが、アラルドはもはや彼女を見ようともしなかった。
彼が見ていたのは、悪を断罪し、国家の歪みを瞬時に正した、あまりにも気高く、そして恐ろしいほど効率的なキサキの横顔だった。
「……キサキ。私は、なんて取り返しのつかないことを……」
「殿下、後悔する時間は一秒もありませんわよ。次は貴方のプライベート口座の監査に移ります。……覚悟はよろしいですか?」
キサキの冷徹な声が、王宮の闇を真っ白な論理の光で焼き尽くしていく。
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