婚約破棄された悪役令嬢の見つけた『幸福論』

萩月

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「……足が、棒になりそうです」

煌びやかなシャンデリアが輝く、領主催催の夜会会場。

私はジェイド様の隣で、彫像のように直立不動を貫きながら、小声で怨嗟を漏らした。

「あと何分ですか? 私の計算では、ヒールの高さと体重の負荷分散率からして、あと十五分で限界値を超えます」

「我慢しろ。まだ始まって三十分だ」

ジェイド様は涼しい顔でグラスを傾けている。

その横顔は憎らしいほど美しく、周囲の令嬢たちが頬を染めて見つめているのがわかる。

「契約違反です。座っているだけでいいと言いましたよね?」

「『原則として』と言ったはずだ。挨拶回りが終わるまでは立っていてくれ」

「詐欺師の手口ですわ」

私はふんと鼻を鳴らし、扇で口元を隠した。

今日の私は、漆黒のベルベットのドレスに身を包んでいる。

化粧もいつもより濃いめ。目尻を跳ね上げたアイラインに、真紅のルージュ。

鏡で見た自分は、まさに「傾国の悪女」そのものだった。

(早く帰りたい。ふかふかのソファが私を呼んでいるのに……)

私の内面は「帰りたい」一色だが、周囲の目には違って映っているらしい。

ざわ……ざわ……。

「見ろよ、あの方だ……」

「ジェイド公爵が連れてきた婚約者……」

「なんて冷たい美貌なんだ……氷の公爵の隣に立って、一歩も引けを取らないぞ」

「目が合っただけで凍りつきそうだ」

周囲の貴族たちが、遠巻きにこちらを観察している。

私が単に「無心(虚無)」になっているだけの表情が、彼らには「高貴なる冷徹さ」に見えているようだ。

「……効果は覿面だな」

ジェイド様が満足げに囁く。

「誰も近寄ってこない」

「それは私が『半径二メートル以内に近づいたら噛み殺す』というオーラを出しているからです」

「頼もしい限りだ」

その時だった。

人垣を割って、一人の派手なドレスを着た令嬢が進み出てきた。

ピンク色のフリルを過剰にあしらったドレス。強い香水の匂い。

「ジェイド様ぁ!」

猫なで声と共に近づいてきたのは、近隣の子爵令嬢だった(名前は忘れた)。

「お久しぶりですぅ! 先日の狩猟祭では素敵でしたわ! あ、ご挨拶が遅れました、私……」

彼女はジェイド様に熱っぽい視線を送り、あからさまに私を無視して彼に腕を絡めようとした。

(……出たわね、ターゲット)

私は瞬時に「業務モード」に切り替えた。

この手の輩を排除するのが、今日の私の仕事(タスク)だ。

チャリ、と扇を閉じる。

その乾いた音が、周囲の雑音を一瞬で消し去った。

「……どなたかしら? 挨拶もなしに、殿方の肌に触れようとするなんて」

私は氷点下の声で言い放った。

子爵令嬢がビクリと固まる。

「え、あ……いえ、私は……」

「ジェイド様、お知り合い?」

私はジェイド様を見上げる。

彼は困ったように肩を竦めた。

「いや、記憶にないな」

「だ、そうですわよ」

私は令嬢に向き直り、頭のてっぺんから爪先までを、値踏みするようにゆっくりと視線で撫で回した。

「な、なによその目つき……!」

「いいえ。ただ、そのドレス……季節外れのシフォン素材に、流行遅れのレース。随分と勇気のある装いだと思って感心していたのです」

「っ!?」

令嬢の顔が真っ赤になる。

「そ、これは王都で流行りの……!」

「三年前の、ですね。それに、その香水。ローズとムスクを混ぜていらっしゃるようですが、分量を間違えていますわ。残り香が強すぎて、せっかくの最高級ワインの香りが台無しです」

私は扇で鼻先をあおぐ仕草をした。

「空気の換気が必要ね。……あちらに出口がございますけれど?」

「き……きぃぃぃっ!」

令嬢は涙目になり、ジェイド様に助けを求めた。

「ジェイド様ぁ! この女、失礼すぎますっ!」

しかし、ジェイド様は冷ややかに告げた。

「彼女の言う通りだ。……君の香水は、少々きつい」

「うそぉっ!?」

トドメの一撃。

令嬢は「うわぁぁぁん!」と泣き叫びながら走り去っていった。

会場が静まり返る。

私はふぅ、と息を吐いた。

「……任務完了。これで静かになりますか?」

「ああ、完璧だ。……少し言いすぎな気もしたが」

「事実を申し上げたまでです。非効率な会話で時間を浪費するより、一撃で排除した方がお互いのためでしょう?」

「君らしいな」

ジェイド様はクスクスと笑い、私の腰に手を回した。

「よくやった。ご褒美だ」

彼は給仕からグラスを受け取らず、近くにあった椅子を引き寄せた。

「座っていいぞ」

「……!」

私の瞳が輝いた(はずだ)。

「神よ……」

私は遠慮なくその椅子に腰を下ろした。

ああ、足の裏の激痛が引いていく。

重力から解放される快感。

「ここからは座ったまま、俺の横で睨みをきかせていてくれればいい」

「了解しました。このポジションから、全方位に『虚無の眼差し』を放射します」

「お手柔らかにな」

それからの時間は、まさに私の独壇場だった。

椅子に優雅に座り、無表情でシャンパンを飲む「公爵のフィアンセ」。

挨拶に来る者はいたが、私の冷たい一瞥と、ジェイド様のそっけない態度のコンボにより、誰もが早々に退散していった。

「おい、聞いたか? あの方、一言で相手の心を折るらしいぞ」

「『氷の公爵』に『絶対零度の令嬢』……お似合いすぎて怖い」

「下手に近づくと凍らされるぞ」

そんな噂がささやかれているが、知ったことではない。

私は心の中で、明日の朝食のメニュー(エッグベネディクトらしい)のことだけを考えていた。

「……イーロア」

不意に、ジェイド様が耳元で囁いた。

「ん?」

「君、眠いだろう?」

「……バレました?」

「目が据わっている。……あと十分で切り上げるから、もう少しだけ耐えろ」

「了解。……帰ったら、マッサージ機(専属メイド)を手配してください」

「俺がやってやろうか?」

「セクハラで訴えますよ」

「冗談だ」

彼は楽しそうに私の肩を抱いた。

こうして、私の「座っているだけの簡単なお仕事」デビュー戦は、王都ですらない辺境の社交界に、新たな伝説を刻んで幕を閉じたのだった。

【本日の業務報告】
・撃退数:1名(直接戦闘)、その他多数(威圧により回避)
・労働時間:二時間
・報酬:足のむくみと、最高級の安眠。

……悪くない取引だった、と日記には書いておこう。
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