婚約破棄された悪役令嬢の見つけた『幸福論』

萩月

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「イーロア! 今日も愛の詩(ポエム)を作ってきたぞ! 聞いてくれ!」

「お断りします。鼓膜の無駄遣いです」

翌朝。

私の平穏な朝食タイムは、カイル殿下の情熱的すぎる朗読会によって破壊された。

「『君の瞳は銀河の流星、僕の心はその重力に引かれる惑星……』」

「物理法則を無視しないでください。惑星が流星に引かれたら衝突して滅亡します」

私は冷淡にツッコミを入れながら、パンにバターを塗る。

カイル殿下はめげない。

「ああ、その冷たい言葉もまた、愛の鞭! ゾクゾクするね!」

「……セバス、塩を。魔除け用の粗塩を大量に」

「畏まりました」

執事のセバスが恭しく塩壺を持ってきたが、殿下はそれを「清めの儀式か?」と好意的に解釈している。

もはや言葉が通じない。

「……逃げよう」

私はパンを口に詰め込むと、席を立った。

「あら、イーロア。もう行くのかい? まだ第三章『永遠の愛と手錠』が残っているのに」

「腹痛を思い出しました。失礼します」

私は足早に食堂を出た。

背後から「待ってくれイーロア! 手錠の色はピンクがいいか黒がいいかだけでも!」という叫び声が聞こえたが、全力で無視する。

(どこか……静かな場所へ……)

私の部屋は殿下にバレている。

図書室か、それとも温室か。

私は安息の地を求めて城内を彷徨った。

そして、人目のつかない裏庭のテラスに辿り着いた時だった。

「……あ」

足が止まった。

そこには、先客がいた。

ジェイド様だ。

彼はテラスの手すりに寄りかかり、誰かと話し込んでいた。

その相手は――。

「えへへ、そうなんですよぉ公爵様♡」

ピンク色の髪が揺れる。

リリィ嬢だった。

彼女はジェイド様のすぐそばに立ち、上目遣いで何かを囁いている。

距離が近い。

パーソナルスペースという概念がないのか、彼女の肩がジェイド様の腕に触れそうだ。

そして、ジェイド様もそれを拒絶していない。

むしろ、小さく頷きながら、彼女の話に耳を傾けているように見える。

(……何よ、あれ)

昨日の夜、「部外者は退場しろ」と追い払っていたのは誰だ。

喉の奥に、何か冷たくて苦いものが込み上げてきた。

ズキリ、と胸が痛む。

(……不整脈かしら?)

私は胸元を押さえた。

あるいは、朝食を急いで食べたせいで消化不良を起こしたのかもしれない。

だが、それにしては不快感の種類が違う。

二人が親密そうに見える光景が、視界に入るだけでイライラする。

まるで、完璧に整頓された書類棚の一箇所だけが乱されているのを見た時のような、猛烈な「訂正したい」という欲求。

(……非効率だわ)

私は思考した。

あそこに割って入れば、リリィ嬢に絡まれるリスクがある。

回れ右をして立ち去るのが、最もリスクの低い選択肢だ。

なのに。

私の足は、勝手に前へと進んでいた。

カツ、カツ、カツ。

ヒールの音をわざと高く響かせる。

二人が振り返った。

「おや、イーロア様!」

「……イーロア?」

私は扇を開き、口元を隠して二人を見下ろした(段差の上にいたので物理的に見下ろせた)。

「奇遇ですわね。こんなところで密会とは」

私の声は、自分でも驚くほど低く、冷え切っていた。

「お邪魔だったかしら? 愛の詩の次は、愛の囁き合いのご鑑賞ですか?」

「……密会?」

ジェイド様が目を丸くする。

「誤解だ。リリィ嬢に捕まって、カイルの奇行についての事情聴取をしていただけだ」

「そうですぅ! カイル様が『イーロア様誘拐計画』を立てているので、その阻止方法を相談していたんです!」

リリィ嬢があっけらかんと言う。

「誘拐計画?」

「はい! 『夜中に袋に詰めて連れ去る作戦』です! ロマンチックですよね!」

「犯罪です」

私は即答し、ジェイド様を睨んだ。

「……相談なら、執務室でなさればよろしいのでは? わざわざ人目のつかないテラスで、顔を寄せ合ってする必要が?」

「いや、リリィ嬢が『ここなら盗聴されません』と言うから……」

「言い訳は結構です」

私はプイと顔を背けた。

「どうぞ、お続けになって。私は別の場所で昼寝をしますので」

踵を返そうとする。

その時、私の手首が掴まれた。

「待て」

ジェイド様だ。

「……離してください。消化不良で気分が悪いんです」

「消化不良?」

彼は私の顔を覗き込んだ。

その瞳が、探るように細められる。

そして、私の不機嫌な表情と、去り際の一連の言動を分析し――やがて、口元にニヤリと笑みを浮かべた。

「……イーロア。ひょっとして、妬いているのか?」

「……はい?」

私は動きを止めた。

「や、妬く? 私が? 誰に?」

「俺とリリィ嬢の仲に」

「バカなことを仰らないでください」

私は鼻で笑った。

「嫉妬などという感情は、最も非効率的で生産性のないものです。他者の行動に感情を乱され、判断力を鈍らせるなど、私の美学に反します」

「そうか。では、なぜ今、そんなに怒っている?」

「怒っていません。ただ、貴方の管理能力に疑問を感じただけです。婚約者役を雇っておきながら、他の女性と噂になるような軽率な行動を取るのは、契約違反ではないかと」

私は早口でまくし立てた。

理論武装。私の得意分野だ。

しかし、ジェイド様は楽しそうに笑みを深めるばかりだ。

「契約書には『公爵の浮気を禁ず』とは書いていなかったと思うが?」

「……っ、それは……常識の範疇です!」

「ふむ。つまり、君は俺が他の女と親しくするのが『嫌だ』と?」

「……業務上、不都合だと言っているのです」

「業務上?」

「そうです! 業務上です!」

私が声を荒らげると、ジェイド様は突然、私の腰を引き寄せた。

「きゃっ!?」

バランスを崩した私は、彼の胸に倒れ込む。

「ジ、ジェイド様!?」

「俺は嬉しいぞ、イーロア」

彼は私の耳元で囁いた。

「君がそんな風に、感情を露わにしてくれるとはな」

「……離して。リリィが見て……」

チラリと横を見ると、リリィ嬢はいなかった。

いつの間にか消えている。

(あの子、本当に忍者なの!?)

「誰もいない。……いい機会だ。その『消化不良』の原因、はっきりさせてやろうか」

ジェイド様の顔が近づく。

紫紺の瞳に、私の動揺した顔が映っている。

心臓がうるさい。

ドクン、ドクンと暴れている。

これは不整脈ではない。

空腹でもない。

(……認めたくない)

私は合理主義者だ。

こんな、制御不能な感情に振り回されるなんて、あってはならない。

「……お腹が、空いただけです」

私は彼から視線を逸らし、意地を張った。

「ストレスで糖分が不足しているんです。だからイライラしているだけです」

「そうか。じゃあ、補給が必要だな」

「ええ。ケーキを所望します。ホールで」

「わかった。だが、その前に――」

チュッ。

額に、温かいものが触れた。

「……っ!?」

「前菜だ」

ジェイド様は悪戯っぽく微笑んだ。

「メインディッシュのケーキは、部屋に運ばせよう。……二人きりで、な」

彼は私の手を引き、歩き出した。

私は顔が熱くて、何も言い返せなかった。

(……ずるい)

この男は、私の逃げ道を塞ぐのが上手すぎる。

「嫉妬」なんて認めない。

絶対に認めないけれど。

彼に手を引かれて歩くこの時間が、少しだけ「悪くない」と思ってしまった自分も、確かにそこにいた。

次回、『看病イベントは突然に』。

……感情の乱れは、免疫力の低下を招くらしい。
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