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「――まあ! 見苦しい。貴女が噂の『喋るだけが取り柄の追放令嬢』ですの?」
王宮の執務室。カイル殿下の隣で、本日分の「……(今日のおやつは何かしら?)」という殿下の視線を翻訳しようとしていた私の背中に、氷のような声が突き刺さった。
振り返れば、そこには燃えるような赤い髪を縦巻きロールにした、絵に描いたような高慢ちきな令嬢が立っていた。
彼女の後ろには、困り果てた様子の侍従たちが控えている。
私は手に持っていた報告書を机に置き、優雅に(でも内心は「面倒なのが来たわね」と思いながら)カーテシーを披露した。
「初めまして。カイル殿下の特別通訳官を務めております、ミナ・フォレストです。……ところで、縦巻きロールが非常に立派ですね。その維持には、やはり特殊な魔法か何かをお使いで?」
「なっ……! 初対面で髪型の話を!? これだから教養のない追放令嬢は嫌ですわ! 私はベアトリス・フォン・グラナード。殿下の正妃候補として、王妃様から推薦を受けた身ですのよ!」
ベアトリス様は、扇をパサリと開いて私を指差した。
なるほど。これが噂に聞く、王妃様お気に入りの「押しが強すぎる令嬢」というわけね。
私はチラリとカイル殿下の方を見た。
カイル殿下は、案の定、完全にフリーズしていた。
眉間に深い皺を寄せ、視線をどこか遠くの壁の一点に固定している。
……沈黙。
その場の空気が、一瞬でマイナス四十度くらいまで冷え込むのが分かった。
「……」
「まあ、殿下! そんなに険しいお顔をなさって。この無礼な女の存在が、殿下を不快にさせているのですわね? 安心してくださいませ、私が今すぐ追い出して差し上げますわ!」
ベアトリス様が勝利を確信したように微笑み、私を冷たく睨みつける。
だが、私は知っている。殿下のその沈黙の「真意」を。
「……(スッ)」
カイル殿下が、ほんの少しだけ、鼻先を動かした。
その瞬間、私は待ってましたとばかりに口を開く。
「ベアトリス様。残念ながら、殿下は今、別の意味で『不快感』を表明していらっしゃいます」
「別の意味……? 何のことですの?」
「殿下は今、こう仰っています。『……臭い。その香水の匂いがキツすぎて、私の繊細な嗅覚が麻痺しそうだ。一刻も早く窓を全開にしろ。いや、いっそこの部屋の壁ごと破壊して換気したいレベルだ』……だそうです」
「な……ななな、何ですって!? これは王室御用達の、最高級の薔薇のエッセンスですわよ!」
ベアトリス様が絶叫する。
私は構わず、カイル殿下の「……」をさらに加速させて翻訳していく。
「続けて殿下はこう仰っています。『髪型も邪魔だ。そのドリルが視界に入るたびに、私の思考回路が削り取られていく。貴様は歩く凶器か? そんなものを頭に乗せて歩く暇があるなら、まずはその貧弱な語彙力をどうにかしろ』……とのことです。あ、語彙力の件は、殿下なりの教育的指導だそうですよ」
「そ、そんな……! 殿下、本当なのですか!? 殿下は私のことを『情熱的な薔薇のような女性だ』と仰ってくださったではありませんか!」
「……」
カイル殿下が、ゆっくりと首を横に振った。
そして、ベアトリス様から視線を完全に外し、机の上の「お忍びで買った安物のブレスレット」が置いてある場所に、優しく視線を落とした。
「……(……)」
「あ、殿下がトドメを刺されました。『そんなことを言った記憶はない。私の名前を勝手に脳内変換に使うな。今の私には、この色ガラスのような純粋で(かつ、うるさい)存在が一人いれば十分だ。ドリルはもう結構だ、お引き取りを』。……だそうです」
「ドリル……ドリルって言いましたのね!? ひどい……ひどすぎますわ! お父様に言いつけてやりますから!」
ベアトリス様は顔を真っ赤にして、ドリルのような髪を振り乱しながら、嵐のように部屋を飛び出していった。
廊下に響く「おーっほっほっほ!」という高笑い(実際は泣き声に近い)が遠ざかっていく。
静まり返った執務室。
カイル殿下は、深く、本当に深いため息をつくと、ガックリと机に突っ伏した。
「……」
「殿下。今の沈黙は、『疲れた。ミナ、お前の超訳は相変わらず容赦ないが、助かった。ご褒美に美味しい紅茶を淹れてくれ。あ、砂糖は三つだ』……でよろしいですか?」
カイル殿下は、顔を伏せたまま、力なく「コクリ」と頷いた。
私は満足げに頷き、棚から特注の茶葉を取り出す。
「お嬢様……。今の『壁を破壊したい』と『ドリル』は、百パーセントお嬢様の私怨が入っていませんでしたか?」
扉の陰で震えていたアンナが、恐る恐る近寄ってきて囁く。
「いいのよ、アンナ。殿下は言葉に詰まって困っていた。私はそれを助けた。利害関係は一致しているわ。それに……あんなに分かりやすい悪役令嬢、久しぶりに見て少し興奮しちゃったのよ」
私は鼻歌交じりに、殿下の大好きな「砂糖たっぷり」の紅茶を淹れ始めた。
婚約者候補? そんなもの、私のマシンガントークの前では、ただの突風に過ぎない。
「殿下、紅茶が入りましたよ。さあ、元気を出してください。明日は『社交界の重鎮を黙らせる会』があるんですから。私の喉の調子も絶好調ですよ!」
カイル殿下は、ようやく顔を上げると、少しだけ困ったように、でもどこか嬉しそうに私を見つめて、小さく微笑んだ。
王宮の執務室。カイル殿下の隣で、本日分の「……(今日のおやつは何かしら?)」という殿下の視線を翻訳しようとしていた私の背中に、氷のような声が突き刺さった。
振り返れば、そこには燃えるような赤い髪を縦巻きロールにした、絵に描いたような高慢ちきな令嬢が立っていた。
彼女の後ろには、困り果てた様子の侍従たちが控えている。
私は手に持っていた報告書を机に置き、優雅に(でも内心は「面倒なのが来たわね」と思いながら)カーテシーを披露した。
「初めまして。カイル殿下の特別通訳官を務めております、ミナ・フォレストです。……ところで、縦巻きロールが非常に立派ですね。その維持には、やはり特殊な魔法か何かをお使いで?」
「なっ……! 初対面で髪型の話を!? これだから教養のない追放令嬢は嫌ですわ! 私はベアトリス・フォン・グラナード。殿下の正妃候補として、王妃様から推薦を受けた身ですのよ!」
ベアトリス様は、扇をパサリと開いて私を指差した。
なるほど。これが噂に聞く、王妃様お気に入りの「押しが強すぎる令嬢」というわけね。
私はチラリとカイル殿下の方を見た。
カイル殿下は、案の定、完全にフリーズしていた。
眉間に深い皺を寄せ、視線をどこか遠くの壁の一点に固定している。
……沈黙。
その場の空気が、一瞬でマイナス四十度くらいまで冷え込むのが分かった。
「……」
「まあ、殿下! そんなに険しいお顔をなさって。この無礼な女の存在が、殿下を不快にさせているのですわね? 安心してくださいませ、私が今すぐ追い出して差し上げますわ!」
ベアトリス様が勝利を確信したように微笑み、私を冷たく睨みつける。
だが、私は知っている。殿下のその沈黙の「真意」を。
「……(スッ)」
カイル殿下が、ほんの少しだけ、鼻先を動かした。
その瞬間、私は待ってましたとばかりに口を開く。
「ベアトリス様。残念ながら、殿下は今、別の意味で『不快感』を表明していらっしゃいます」
「別の意味……? 何のことですの?」
「殿下は今、こう仰っています。『……臭い。その香水の匂いがキツすぎて、私の繊細な嗅覚が麻痺しそうだ。一刻も早く窓を全開にしろ。いや、いっそこの部屋の壁ごと破壊して換気したいレベルだ』……だそうです」
「な……ななな、何ですって!? これは王室御用達の、最高級の薔薇のエッセンスですわよ!」
ベアトリス様が絶叫する。
私は構わず、カイル殿下の「……」をさらに加速させて翻訳していく。
「続けて殿下はこう仰っています。『髪型も邪魔だ。そのドリルが視界に入るたびに、私の思考回路が削り取られていく。貴様は歩く凶器か? そんなものを頭に乗せて歩く暇があるなら、まずはその貧弱な語彙力をどうにかしろ』……とのことです。あ、語彙力の件は、殿下なりの教育的指導だそうですよ」
「そ、そんな……! 殿下、本当なのですか!? 殿下は私のことを『情熱的な薔薇のような女性だ』と仰ってくださったではありませんか!」
「……」
カイル殿下が、ゆっくりと首を横に振った。
そして、ベアトリス様から視線を完全に外し、机の上の「お忍びで買った安物のブレスレット」が置いてある場所に、優しく視線を落とした。
「……(……)」
「あ、殿下がトドメを刺されました。『そんなことを言った記憶はない。私の名前を勝手に脳内変換に使うな。今の私には、この色ガラスのような純粋で(かつ、うるさい)存在が一人いれば十分だ。ドリルはもう結構だ、お引き取りを』。……だそうです」
「ドリル……ドリルって言いましたのね!? ひどい……ひどすぎますわ! お父様に言いつけてやりますから!」
ベアトリス様は顔を真っ赤にして、ドリルのような髪を振り乱しながら、嵐のように部屋を飛び出していった。
廊下に響く「おーっほっほっほ!」という高笑い(実際は泣き声に近い)が遠ざかっていく。
静まり返った執務室。
カイル殿下は、深く、本当に深いため息をつくと、ガックリと机に突っ伏した。
「……」
「殿下。今の沈黙は、『疲れた。ミナ、お前の超訳は相変わらず容赦ないが、助かった。ご褒美に美味しい紅茶を淹れてくれ。あ、砂糖は三つだ』……でよろしいですか?」
カイル殿下は、顔を伏せたまま、力なく「コクリ」と頷いた。
私は満足げに頷き、棚から特注の茶葉を取り出す。
「お嬢様……。今の『壁を破壊したい』と『ドリル』は、百パーセントお嬢様の私怨が入っていませんでしたか?」
扉の陰で震えていたアンナが、恐る恐る近寄ってきて囁く。
「いいのよ、アンナ。殿下は言葉に詰まって困っていた。私はそれを助けた。利害関係は一致しているわ。それに……あんなに分かりやすい悪役令嬢、久しぶりに見て少し興奮しちゃったのよ」
私は鼻歌交じりに、殿下の大好きな「砂糖たっぷり」の紅茶を淹れ始めた。
婚約者候補? そんなもの、私のマシンガントークの前では、ただの突風に過ぎない。
「殿下、紅茶が入りましたよ。さあ、元気を出してください。明日は『社交界の重鎮を黙らせる会』があるんですから。私の喉の調子も絶好調ですよ!」
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