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「……いない。どこにもいませんわね」
王宮の廊下を、私はカツカツとヒールを鳴らして歩き回っていた。
テオドール殿下の捜索隊を送り出し、保守派の貴族たちを黙らせた直後。
肝心の次期国王候補、カイル殿下が行方不明になったのだ。
「お嬢様、カイル殿下、プレッシャーで逃げ出したのでしょうか?」
アンナが心配そうに尋ねる。
「まさか。あの方は『逃げる』という選択肢を選ぶのにすら、三時間は悩む人よ。
衝動的に消えたのではなく、きっと脳のクールダウンが必要になったのね」
私は迷わず、王宮の最上階にある「開かずの書庫」へと向かった。
以前、殿下が「子供の頃、よくあそこで隠れていた」という情報を(脳内通訳で)漏らしていたのを、私は聞き逃していない。
重い扉をギギーッと押し開けると、舞い上がる埃の中に、壁一面の本棚と、部屋の隅で体育座りをしている銀髪の背中が見えた。
「……み、ミナ」
カイル殿下が、ビクッと肩を震わせて振り返る。
その膝の上には、ボロボロになった古い絵本が乗っていた。
「見つけましたよ、殿下。ここは殿下の『秘密基地』ですか?
国王になる前に、幼児退行して現実逃避中とは……よほど兄上の筋肉がトラウマだったのですね」
私が隣に座り込むと、カイル殿下はバツが悪そうに絵本を閉じた。
そして、いつものように長い沈黙の後、ポツリと言葉を紡いだ。
「……怖かったんだ」
「筋肉がですか?」
「……違う。……言葉が」
カイル殿下は遠い目をして、天井のシミを見つめた。
「……昔、私はよく喋る子供だったらしい。
5歳の時、家庭教師に『この花は綺麗ですね』と聞かれて、私は答えた。
『綺麗の定義とは何か。花弁の配列の黄金比か、色素の化学反応か、あるいは種の保存のための昆虫への誘引戦略か。もし誘引戦略だとすれば、それは人間の美的感覚とは無関係な生存本能であり、それを綺麗と呼ぶのは人間のエゴではないか』……と」
「……」
「……気づいたら、二時間が経過していた。
家庭教師は泣いて辞めた。父上には『理屈っぽい、可愛くない』と叱られた。
母上だけは笑ってくれたが……私は悟ったんだ。
『私の言葉は、人を疲れさせる。誰も、私の脳内の速度にはついてこられない』と」
殿下は自嘲気味に笑った。
「……だから、喋るのをやめた。
相手が何を求めているのか、どの答えが一番『無難』で『短く』て『誰も傷つけない』か。
それを考えているうちに……言葉が出せなくなった。
……私は、面倒な人間なんだ」
……沈黙。
薄暗い書庫に、殿下の孤独な告白が溶けていく。
なるほど。この「氷の王子」は、冷たいのではなく、熱すぎてショートしていただけ。
世界の解像度が高すぎて、普通の会話という低解像度の通信に失敗していただけなのだ。
私は深いため息をついた。
そして、手元の扇で、殿下の額をペチリと叩いた。
「……痛っ」
「バカですね、殿下。本当にバカです」
「……ミナ?」
「5歳児の講義、最高じゃないですか。
その家庭教師が無能だっただけです。私なら、その講義に『では、そのエゴこそが文化の発展に寄与した経済効果について』という議題を追加して、朝まで討論していましたよ」
私は殿下の顔を覗き込み、ニヤリと笑った。
「殿下。忘れないでください。
私は、貴方が一言喋る間に、脳内で原稿用紙十枚分のツッコミを入れている女ですよ?
貴方の脳内処理速度が速い? 人を疲れさせる?
……私を舐めないでください。私のCPUは、殿下のその面倒くさいデータ量を処理して、なお余りあるスペックを持っています」
「……ミナ」
「だから、これからは我慢せずに垂れ流してください。
黄金比でも、生存戦略でも、兄上の筋肉への呪詛でも。
全部、私が『超訳』して、面白おかしく世間にばら撒いてあげますから」
カイル殿下の瞳が、潤んだように揺れた。
彼は膝の上の絵本をギュッと握りしめ、震える声で言った。
「……なら。……聞いてくれるか?」
「ええ、どうぞ。何でも」
「……実は、さっきの会議中、ガバン公爵の髭を見て……『あの髭の角度は、空気抵抗を計算すると、食事の際にスープが23%の確率で付着するはずだ。不衛生極まりないから、公衆衛生の観点から剃り落とすべき法案を作るべきではないか』と、ずっと考えていたんだ」
「ぶっ……! あはははは!」
私は堪えきれずに吹き出した。
なんて愛すべき変人なのだろう。
「最高です、殿下! 即位後の最初の仕事は、『公衆衛生法に基づく髭剃り令』の発布ですね!
公爵が泣き叫ぶ顔が目に浮かびますわ!」
私が笑い転げていると、カイル殿下もつられて、クスクスと笑い始めた。
少年のような、無邪気な笑顔。
5歳の頃に封印した「本当の自分」が、今ようやく、埃を払って顔を出したのだ。
「……(……愛してる)」
「はいはい、聞こえてますよ。
でも殿下、今の『愛してる』には、『ミナ、お前という変人と巡り会えた確率に感謝する』という理屈っぽい注釈がついていましたね?」
「……(……バレたか)」
カイル殿下は、悪戯っぽく微笑むと、私の手を握って立ち上がった。
「……行こう、ミナ。
兄上を捕まえて、王になって……髭剃り令を出さなければ」
「ええ、行きましょう。
世界一理屈っぽくて、世界一愛しい王様のために、私が最強の拡声器になって差し上げます!」
私たちは手を取り合い、埃っぽい書庫を後にした。
もう、殿下の沈黙は怖くない。
その裏側には、私だけが知る、最高に面白い「お喋り」が詰まっているのだから。
王宮の廊下を、私はカツカツとヒールを鳴らして歩き回っていた。
テオドール殿下の捜索隊を送り出し、保守派の貴族たちを黙らせた直後。
肝心の次期国王候補、カイル殿下が行方不明になったのだ。
「お嬢様、カイル殿下、プレッシャーで逃げ出したのでしょうか?」
アンナが心配そうに尋ねる。
「まさか。あの方は『逃げる』という選択肢を選ぶのにすら、三時間は悩む人よ。
衝動的に消えたのではなく、きっと脳のクールダウンが必要になったのね」
私は迷わず、王宮の最上階にある「開かずの書庫」へと向かった。
以前、殿下が「子供の頃、よくあそこで隠れていた」という情報を(脳内通訳で)漏らしていたのを、私は聞き逃していない。
重い扉をギギーッと押し開けると、舞い上がる埃の中に、壁一面の本棚と、部屋の隅で体育座りをしている銀髪の背中が見えた。
「……み、ミナ」
カイル殿下が、ビクッと肩を震わせて振り返る。
その膝の上には、ボロボロになった古い絵本が乗っていた。
「見つけましたよ、殿下。ここは殿下の『秘密基地』ですか?
国王になる前に、幼児退行して現実逃避中とは……よほど兄上の筋肉がトラウマだったのですね」
私が隣に座り込むと、カイル殿下はバツが悪そうに絵本を閉じた。
そして、いつものように長い沈黙の後、ポツリと言葉を紡いだ。
「……怖かったんだ」
「筋肉がですか?」
「……違う。……言葉が」
カイル殿下は遠い目をして、天井のシミを見つめた。
「……昔、私はよく喋る子供だったらしい。
5歳の時、家庭教師に『この花は綺麗ですね』と聞かれて、私は答えた。
『綺麗の定義とは何か。花弁の配列の黄金比か、色素の化学反応か、あるいは種の保存のための昆虫への誘引戦略か。もし誘引戦略だとすれば、それは人間の美的感覚とは無関係な生存本能であり、それを綺麗と呼ぶのは人間のエゴではないか』……と」
「……」
「……気づいたら、二時間が経過していた。
家庭教師は泣いて辞めた。父上には『理屈っぽい、可愛くない』と叱られた。
母上だけは笑ってくれたが……私は悟ったんだ。
『私の言葉は、人を疲れさせる。誰も、私の脳内の速度にはついてこられない』と」
殿下は自嘲気味に笑った。
「……だから、喋るのをやめた。
相手が何を求めているのか、どの答えが一番『無難』で『短く』て『誰も傷つけない』か。
それを考えているうちに……言葉が出せなくなった。
……私は、面倒な人間なんだ」
……沈黙。
薄暗い書庫に、殿下の孤独な告白が溶けていく。
なるほど。この「氷の王子」は、冷たいのではなく、熱すぎてショートしていただけ。
世界の解像度が高すぎて、普通の会話という低解像度の通信に失敗していただけなのだ。
私は深いため息をついた。
そして、手元の扇で、殿下の額をペチリと叩いた。
「……痛っ」
「バカですね、殿下。本当にバカです」
「……ミナ?」
「5歳児の講義、最高じゃないですか。
その家庭教師が無能だっただけです。私なら、その講義に『では、そのエゴこそが文化の発展に寄与した経済効果について』という議題を追加して、朝まで討論していましたよ」
私は殿下の顔を覗き込み、ニヤリと笑った。
「殿下。忘れないでください。
私は、貴方が一言喋る間に、脳内で原稿用紙十枚分のツッコミを入れている女ですよ?
貴方の脳内処理速度が速い? 人を疲れさせる?
……私を舐めないでください。私のCPUは、殿下のその面倒くさいデータ量を処理して、なお余りあるスペックを持っています」
「……ミナ」
「だから、これからは我慢せずに垂れ流してください。
黄金比でも、生存戦略でも、兄上の筋肉への呪詛でも。
全部、私が『超訳』して、面白おかしく世間にばら撒いてあげますから」
カイル殿下の瞳が、潤んだように揺れた。
彼は膝の上の絵本をギュッと握りしめ、震える声で言った。
「……なら。……聞いてくれるか?」
「ええ、どうぞ。何でも」
「……実は、さっきの会議中、ガバン公爵の髭を見て……『あの髭の角度は、空気抵抗を計算すると、食事の際にスープが23%の確率で付着するはずだ。不衛生極まりないから、公衆衛生の観点から剃り落とすべき法案を作るべきではないか』と、ずっと考えていたんだ」
「ぶっ……! あはははは!」
私は堪えきれずに吹き出した。
なんて愛すべき変人なのだろう。
「最高です、殿下! 即位後の最初の仕事は、『公衆衛生法に基づく髭剃り令』の発布ですね!
公爵が泣き叫ぶ顔が目に浮かびますわ!」
私が笑い転げていると、カイル殿下もつられて、クスクスと笑い始めた。
少年のような、無邪気な笑顔。
5歳の頃に封印した「本当の自分」が、今ようやく、埃を払って顔を出したのだ。
「……(……愛してる)」
「はいはい、聞こえてますよ。
でも殿下、今の『愛してる』には、『ミナ、お前という変人と巡り会えた確率に感謝する』という理屈っぽい注釈がついていましたね?」
「……(……バレたか)」
カイル殿下は、悪戯っぽく微笑むと、私の手を握って立ち上がった。
「……行こう、ミナ。
兄上を捕まえて、王になって……髭剃り令を出さなければ」
「ええ、行きましょう。
世界一理屈っぽくて、世界一愛しい王様のために、私が最強の拡声器になって差し上げます!」
私たちは手を取り合い、埃っぽい書庫を後にした。
もう、殿下の沈黙は怖くない。
その裏側には、私だけが知る、最高に面白い「お喋り」が詰まっているのだから。
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