婚約破棄?どうぞ!それどころではないですわ!

萩月

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 夜会の会場を飛び出し、馬車に飛び乗った私は、興奮冷めやらぬまま自分の頬を両手で包み込みました。

「ああ、素晴らしい……! なんて素晴らしい夜かしら!」

 馬車の揺れに合わせて、私の心もダンスを踊っているようです。

 窓の外に流れる月明かりさえも、リリアン様のあの潤んだ瞳の輝きに比べれば、ただの街灯程度にしか感じられません。

「お嬢様……。あの、よろしいでしょうか?」

 向かい側に座る専属侍女のアンが、引きつった笑顔で声をかけてきました。

 アンもまた、なかなかの整った顔立ちをしています。凛とした眉筋が、私の好みの中の『クール系部門』にランクインしている有望株です。

「なあに、アン? あなたも見たでしょう、あの至高の瞬間を。婚約破棄を告げられた瞬間の、セドリック殿下の背後に見えたリリアン様の絶妙な陰影! あれはルーブルの絵画でも再現不可能ですわ!」

「いえ、お嬢様。私が心配しているのはそこではなく……殿下から『婚約破棄』と『国外追放』を言い渡された件についてです。普通なら泣き崩れるか、毒を煽るかの二択ですよ」

「あら、そんな勿体ない。泣いて視界を濁らせるなんて、美少女を拝む機会を自ら捨てるようなものですわ」

 私はふふんと鼻を鳴らし、窓の外を眺めました。

「それにアン、よく考えてみて。私はこれまで、皇太子の婚約者という立場に縛られていました。あんな俺様男の顔を毎日拝まされる苦行……。おかげで私の視細胞は、強すぎる刺激に麻痺しかけていたのです」

「……殿下は、この国一番の美男子と評判ですが」

「筋肉質なだけの男の顔なんて、三日で飽きますわ。それよりも、百合の花のように儚く、それでいて内に秘めた情熱を感じさせる乙女の曲線……。それこそが、私が守るべき、そして愛でるべき至宝なのです!」

 馬車が屋敷に到着しました。

 玄関先には、鬼のような形相をした父――グレイスタウン伯爵が立っていました。

 どうやら、夜会での騒ぎはすでに早馬で伝わっていたようです。

「ローズマリーッ! 貴様、一体何をやらかしたんだ!」

 父の怒声が響き渡ります。

 私は優雅に馬車を降り、ドレスの裾を摘んで深々とお辞儀をしました。

「お父様、ただいま戻りました。今夜はとても月の美しい、そして婚約破棄にふさわしい夜ですわね」

「ふざけるな! 殿下から正式に書状が届いたぞ! 貴様がリリアン嬢を虐待し、あろうことか殿下の前で『婚約破棄万歳』と叫んだというのは本当か!」

「叫んではおりませんわ。淑女として、気品を持って、最大限の感謝と共に承諾しただけです」

 私は父の横を通り過ぎ、屋敷の中へと進みます。

 父は顔を真っ赤にして追いかけてきました。

「承諾しただと!? 相手は次期国王だぞ! 伯爵家の未来がどうなるか分かっているのか! 国外追放にでもなれば、我が家は終わりだぞ!」

 私は足を止め、ゆっくりと父を振り返りました。

「お父様。そんなに声を荒らげては、眉間にシワが寄ってしまいますわよ。お父様も若い頃は『社交界の貴公子』と呼ばれた美形なのですから、素材を台無しにするような真似はおやめなさい」

「……っ、そんなことはどうでもいい! 言い訳があるなら聞こう!」

「言い訳などありません。殿下が『別れよう』と言い、私が『異議なし』と答えた。これ以上の円満な合意形成が他にあるでしょうか?」

 私は廊下に飾られた大きな姿見の前に立ち、自分の姿をチェックしました。

 よし、今夜の私は、リリアン様の美しさを引き立てる『背景』として完璧な装いでした。

「お父様、私は決めましたの。私は、セドリック様のような自分勝手な男性のために、自分の人生を浪費するのをやめます。これからは、真に美しいものを守り、支援するために生きるのです」

「……真に、美しいもの?」

「ええ。例えば、あの清らかなリリアン様。彼女はあのような傲慢な殿下の側にいては、その輝きが曇ってしまいます。私が彼女のパトロンとなり、彼女にふさわしい最高の教育と、最高の宝石と、そして何より私の『愛』を与えなければならないのです!」

 父は口をパクパクとさせ、言葉を失っています。

 アンが横から「旦那様、お嬢様は……その、少しばかり方向性が変わられたようです」と補足してくれました。

「狂った……。我が娘が、ついにストレスで狂ってしまった……!」

「失礼ですわね。私は今、人生で最も澄み渡った心境にあります。お父様、国外追放の件ですが、もし本当にそうなったら、私はリリアン様を連れて隣国へ亡命いたします。あちらの姫君も相当な美貌だと聞き及んでおりますし、ちょうど良い機会ですわ」

「待て! 待て待て! リリアン嬢は殿下の想い人だろう!? 連れて行けるわけがないだろう!」

「あら、彼女は殿下の強引さに怯えていただけです。私のような『美への理解者』が優しく導けば、必ずや私の手を取ってくださるはず」

 私は拳を握り、未来への希望に胸を膨らませました。

「修道院に入れという話もありましたが、あんな陰気な場所、お断りです。もし私を無理やり閉じ込めるというのなら、私は修道院中のシスターを片っ端から口説き落とし、そこを『美女だけのユートピア』に改造して差し上げますわよ?」

「……。……アンよ」

「はい、旦那様」

「……娘を、部屋に連れて行け。そして、冷たい水でも飲ませて、一晩落ち着かせるんだ。……ああ、神よ。なぜ私の家から、このような規格外の変種が……」

 父は頭を抱えて、フラフラと書斎へ消えていきました。

 私はアンに促されながらも、自分の部屋へと続く階段を意気揚々と登ります。

「お嬢様、本気でリリアン様を奪うおつもりですか?」

「奪うだなんて、人聞きの悪い。私はただ、彼女という『芸術』を、最も美しい額縁に入れて飾りたいだけですわ」

「それを世間では『執着』と呼ぶのですが……」

 部屋に着くと、私はすぐに机に向かい、羽ペンを取りました。

「さあ、アン。忙しくなりますわよ。まずはリリアン様に、今夜の彼女がいかに神々しかったかを綴ったファンレター……いえ、激励の手紙を書かなければ!」

「お嬢様……。ほどほどにしないと、本当に憲兵が来ますよ」

 アンの忠告など、今の私には心地よいBGMにしか聞こえません。

 私の脳内ではすでに、リリアン様と過ごすバラ色の(物理的にバラの花弁を散らした)未来予想図が完成していました。

「異議なし! 私の人生に、一片の迷いなしですわ!」

 ローズマリー・フォン・グレイスタウン。

 婚約破棄された元悪役令嬢(自称:美の守護者)の、本当の戦いはここから始まるのでした。
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