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「お嬢様、落ち着いてください! 窓から身を乗り出すのはおやめください!」
アンの悲鳴のような制止を無視して、私は夜の風に髪をなびかせました。
明日の朝には、私は「美の不毛地帯」へと連行されます。
しかし、その前にどうしても果たさなければならない使命があるのです。
「いいえ、アン。私は行かなければなりません。あんな俺様皇太子の側に、あんなにも無防備で可憐なリリアン様を置いていくなんて……。それは、ルーブルの至宝を泥棒の巣窟に放置するようなものですわ!」
「比喩が物騒すぎます! そもそも、リリアン様は殿下の想い人なんですよ!?」
「だからこそ危ないのです! あの方のような、美に対する繊細な感性を持たない男に愛でられるなど、彼女の美貌に対する冒涜ですわ!」
私は、シーツを繋ぎ合わせて作った自家製のロープを握りしめました。
幸い、伯爵家の警備は「婚約破棄されて落ち込んでいる令嬢が脱走するはずがない」という油断に満ちていました。
「待っていてくださいね、リリアン様。今、あなたの騎士(美の守護者)が参りますわ!」
夜の闇に紛れ、私はリリアン様が滞在している男爵家の別邸へと向かいました。
普段の私なら馬車を使いますが、今夜は隠密行動です。
泥にまみれ、草木をかき分け、ようやく辿り着いた彼女の部屋の窓の下。
私は大きく息を吸い込み、全力で声を張り上げました。
「リリアン様ーー! リリアン・フォン・アデール様ーー! ローズマリーが参りましたわよーー!」
……しん、と静まり返る夜の住宅街。
数秒後、二階の窓が恐る恐る開きました。
そこから顔を覗かせたのは、月明かりを浴びて白く輝く、我が最愛の美少女です。
「……えっ? ローズマリー、様……? どうして、こんな時間に……?」
「ああ……! その寝起きの少し乱れた髪、そして少し眠たげな瞳の潤い……! 最高ですわ! 今すぐ画家を呼びたい気分です!」
「ひっ、警察……いえ、憲兵を呼ばなきゃ……」
「お待ちになって! 通報する前に、私の話を聞いてください!」
私は必死に壁をよじ登り……ようとしましたが、運動不足の令嬢には無理でした。
仕方なく、庭の木箱を積み上げて、なんとか彼女と同じ目線の高さまで顔を出しました。
「リリアン様、私は明日、北方の修道院へ送られます。しばらくの間、あなたのその尊いお姿を拝むことができなくなりますの」
「えっ……。そ、そうなんですか……?」
リリアン様の瞳に、微かな動揺が走りました。
同情でしょうか? それとも、ようやく変質者から解放されるという安堵でしょうか?
いいえ、きっと前者だと信じていますわ!
「そこで、これを持ってきました。これを受け取ってくださいまし!」
私は懐から、ずっしりと重い一冊のノートを差し出しました。
「これは……?」
「私の『美肌維持と黄金比維持のための徹底ガイドブック』ですわ! あなたが朝起きてから眠るまで、どの角度で歩き、どの美容液を使い、どのような食事を摂ればその美貌を永遠に保てるか……。私の十数年の研究成果をすべて書き記しました!」
「……十数年って、ローズマリー様、まだ十代ですよね?」
「美への情熱に年齢は関係ありません! いいですか、リリアン様。セドリック殿下は、あなたの美しさを表面でしか見ていません。でも私は違います。あなたの毛穴一つ一つ、産毛の一本一本までを愛し、守りたいのです!」
リリアン様は、引きつった笑みを浮かべながらノートを受け取ってくれました。
「あ、ありがとうございます……。その、熱意だけは伝わりました」
「ああ、なんて慈悲深いお言葉……。それと、これを!」
私は次に取り出したのは、小さな防犯用の笛でした。
「もし、あの殿下があなたに無理強いをしようとしたり、あなたの美学に反するような下品な真似をしようとしたら、迷わずこれを吹いてください。……北方の果てからでも、私は馬を飛ばして駆けつけますわ!」
「ローズマリー様……。あなたは本当に、悪役令嬢……なのですか?」
リリアン様が、不思議そうに私を見つめました。
その純粋な眼差し。
ああ、守りたい。この清らかな魂を、ドロドロとした権力争いや、むさくるしい男たちの独占欲から守り抜きたい。
「私は、ただの『美しいものの奴隷』ですわ。……では、そろそろお別れです。リリアン様、どうか健やかで、そして何より『美しく』いてください。次に会う時、あなたがさらに輝いていたら、私はその場で発火して灰になるかもしれませんわ!」
「……それはそれで困りますけど……。お元気で、ローズマリー様」
リリアン様が、小さく手を振ってくれました。
その指先の繊細な動き! 爪のピンク色の美しさ!
私は満足感に包まれ、木箱から飛び降りました。
「待っていろ、修道院! 私は今、最強の栄養を補給したわ! この記憶があれば、髭面の老人百人に囲まれても生きていける!」
私は意気揚々と、(迎えに来たアンに捕まるまで)夜の街を駆け抜けました。
一方その頃、リリアンは渡されたノートをパラパラとめくり、その狂気じみた詳細な記述(「右側のまつ毛が左より0.5ミリ長いので、寝る時は左を下にすべき」等)に、深い戦慄を覚えていたのでした。
アンの悲鳴のような制止を無視して、私は夜の風に髪をなびかせました。
明日の朝には、私は「美の不毛地帯」へと連行されます。
しかし、その前にどうしても果たさなければならない使命があるのです。
「いいえ、アン。私は行かなければなりません。あんな俺様皇太子の側に、あんなにも無防備で可憐なリリアン様を置いていくなんて……。それは、ルーブルの至宝を泥棒の巣窟に放置するようなものですわ!」
「比喩が物騒すぎます! そもそも、リリアン様は殿下の想い人なんですよ!?」
「だからこそ危ないのです! あの方のような、美に対する繊細な感性を持たない男に愛でられるなど、彼女の美貌に対する冒涜ですわ!」
私は、シーツを繋ぎ合わせて作った自家製のロープを握りしめました。
幸い、伯爵家の警備は「婚約破棄されて落ち込んでいる令嬢が脱走するはずがない」という油断に満ちていました。
「待っていてくださいね、リリアン様。今、あなたの騎士(美の守護者)が参りますわ!」
夜の闇に紛れ、私はリリアン様が滞在している男爵家の別邸へと向かいました。
普段の私なら馬車を使いますが、今夜は隠密行動です。
泥にまみれ、草木をかき分け、ようやく辿り着いた彼女の部屋の窓の下。
私は大きく息を吸い込み、全力で声を張り上げました。
「リリアン様ーー! リリアン・フォン・アデール様ーー! ローズマリーが参りましたわよーー!」
……しん、と静まり返る夜の住宅街。
数秒後、二階の窓が恐る恐る開きました。
そこから顔を覗かせたのは、月明かりを浴びて白く輝く、我が最愛の美少女です。
「……えっ? ローズマリー、様……? どうして、こんな時間に……?」
「ああ……! その寝起きの少し乱れた髪、そして少し眠たげな瞳の潤い……! 最高ですわ! 今すぐ画家を呼びたい気分です!」
「ひっ、警察……いえ、憲兵を呼ばなきゃ……」
「お待ちになって! 通報する前に、私の話を聞いてください!」
私は必死に壁をよじ登り……ようとしましたが、運動不足の令嬢には無理でした。
仕方なく、庭の木箱を積み上げて、なんとか彼女と同じ目線の高さまで顔を出しました。
「リリアン様、私は明日、北方の修道院へ送られます。しばらくの間、あなたのその尊いお姿を拝むことができなくなりますの」
「えっ……。そ、そうなんですか……?」
リリアン様の瞳に、微かな動揺が走りました。
同情でしょうか? それとも、ようやく変質者から解放されるという安堵でしょうか?
いいえ、きっと前者だと信じていますわ!
「そこで、これを持ってきました。これを受け取ってくださいまし!」
私は懐から、ずっしりと重い一冊のノートを差し出しました。
「これは……?」
「私の『美肌維持と黄金比維持のための徹底ガイドブック』ですわ! あなたが朝起きてから眠るまで、どの角度で歩き、どの美容液を使い、どのような食事を摂ればその美貌を永遠に保てるか……。私の十数年の研究成果をすべて書き記しました!」
「……十数年って、ローズマリー様、まだ十代ですよね?」
「美への情熱に年齢は関係ありません! いいですか、リリアン様。セドリック殿下は、あなたの美しさを表面でしか見ていません。でも私は違います。あなたの毛穴一つ一つ、産毛の一本一本までを愛し、守りたいのです!」
リリアン様は、引きつった笑みを浮かべながらノートを受け取ってくれました。
「あ、ありがとうございます……。その、熱意だけは伝わりました」
「ああ、なんて慈悲深いお言葉……。それと、これを!」
私は次に取り出したのは、小さな防犯用の笛でした。
「もし、あの殿下があなたに無理強いをしようとしたり、あなたの美学に反するような下品な真似をしようとしたら、迷わずこれを吹いてください。……北方の果てからでも、私は馬を飛ばして駆けつけますわ!」
「ローズマリー様……。あなたは本当に、悪役令嬢……なのですか?」
リリアン様が、不思議そうに私を見つめました。
その純粋な眼差し。
ああ、守りたい。この清らかな魂を、ドロドロとした権力争いや、むさくるしい男たちの独占欲から守り抜きたい。
「私は、ただの『美しいものの奴隷』ですわ。……では、そろそろお別れです。リリアン様、どうか健やかで、そして何より『美しく』いてください。次に会う時、あなたがさらに輝いていたら、私はその場で発火して灰になるかもしれませんわ!」
「……それはそれで困りますけど……。お元気で、ローズマリー様」
リリアン様が、小さく手を振ってくれました。
その指先の繊細な動き! 爪のピンク色の美しさ!
私は満足感に包まれ、木箱から飛び降りました。
「待っていろ、修道院! 私は今、最強の栄養を補給したわ! この記憶があれば、髭面の老人百人に囲まれても生きていける!」
私は意気揚々と、(迎えに来たアンに捕まるまで)夜の街を駆け抜けました。
一方その頃、リリアンは渡されたノートをパラパラとめくり、その狂気じみた詳細な記述(「右側のまつ毛が左より0.5ミリ長いので、寝る時は左を下にすべき」等)に、深い戦慄を覚えていたのでした。
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