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王都、アデール男爵令嬢の部屋。
リリアンは、目の前に積まれた大量の宝石箱と、豪華なドレスの数々を前にして、深い溜息をついていました。
「……あ、あの、セドリック様。お気持ちは嬉しいのですが……これほど一度にいただいても、私、着ていく場所がありませんわ」
部屋のソファにこれ見よがしに腰掛けているセドリック皇太子は、自信に満ちた笑みを浮かべて鼻を鳴らしました。
「何を言うんだ、リリアン。君はもう私の唯一の婚約者候補なのだ。これからは私の好みに合わせて、その控えめな格好も卒業してもらわねばならん。君にはバラの花のような、情熱的な赤が似合うはずだ」
セドリックが指し示したのは、露出が激しく、これでもかとフリルと宝石が縫い付けられた真っ赤なドレスでした。
「……赤、ですか? でも私、ローズマリー様からは『貴女の透明感を活かすなら、淡い水色か真珠色のシルク以外は肌を汚す毒になる』と言われていたのですが……」
「あんな狂った女の言うことなど忘れるんだ! 今の君の主人は私だ。私の望む通り、美しく着飾ればいい」
セドリックはそう言うと、リリアンの返事も待たずに「今夜の晩餐にはそのドレスで来るように」と言い残して去って行きました。
静かになった部屋で、リリアンはポツンと取り残されました。
「……私の望む通り、美しく着飾る……」
その言葉は、リリアンの胸に冷たく突き刺さりました。
セドリック様は優しい。でも、彼は「リリアン」という人間を見ているのではなく、自分の隣に置くための「理想の人形」を求めているのではないか。
そんな不安が、波のように押し寄せてきます。
リリアンは無意識に、枕元に隠していたあの分厚いノートを手に取りました。
表紙には、ローズマリーの流麗な文字で『至高の芸術品・リリアン様へ捧ぐ~美の聖書~』と書かれています。
「……ローズマリー様なら、こんな時、なんて仰るかしら」
パラパラとページをめくると、そこには案の定「洗顔の回数」や「小鼻の横の角栓チェック」など、常人には理解し難い美容への執着が書き連ねられていました。
しかし、一番最後のページに、他とは少し違う筆跡で書かれたメモを見つけました。
『追伸:リリアン様へ。
もしも、どこかの馬鹿な男が貴女に「俺の好みの服を着ろ」なんて抜かしたら、迷わずその男の顔面に、貴女の最高に美しい「冷笑」を叩きつけて差し上げなさい。
美しさとは、誰かに与えられるものではありません。
貴女自身が「私はこれが好きだ」と胸を張って笑う瞬間、その瞳に宿る意志の光……それこそが、私が守りたい、世界で唯一のダイヤモンドなのですわ。
誰の所有物にもなってはいけません。貴女は、貴女という芸術の唯一の所有者なのですから。
もし、どうしても困ったら……その男の鼻の穴の形が不細工であることを指摘してやりなさい。男は意外と鼻の形を気にしますわ。
――貴女の美貌を愛しすぎるローズマリーより』
……。
リリアンは、呆気にとられてその文字を見つめました。
あまりにも自分勝手で、あまりにも強烈な、変態的なアドバイス。
けれど。
「……ふふ、あはははっ!」
リリアンの口から、自然と笑いがこぼれました。
重く沈んでいた心が、その一通のメッセージで驚くほど軽くなったのです。
「鼻の穴の形、ですか……。確かにセドリック様、怒る時は少し鼻の穴が広がりますわね」
リリアンは立ち上がり、セドリックが置いていった赤いドレスを、丁寧に(でも迷いなく)箱の中に戻しました。
そしてクローゼットを開け、自分が一番好きで、ローズマリーも「その色の反射が貴女の瞳を一番美しく見せる」と絶賛してくれた、淡い水色のドレスを取り出しました。
「私は、私を一番美しく見せてくれる色を知っています」
鏡の中の自分に向かって、リリアンは力強く微笑みました。
その表情は、以前の怯えた小鹿のようなものではなく、自分の足で立つ一人の女性の輝きに満ちていました。
「ローズマリー様……。貴女の言葉は、いつも毒気が強いけれど……どうしてこんなに、私を元気にしてくれるのかしら」
その夜。
水色のドレスで現れたリリアンを見て、セドリックは顔を真っ赤にして怒鳴りました。
「リリアン! 私の贈ったドレスはどうした! なぜそんな地味な色を……!」
リリアンは優雅にカーテシーを決め、ローズマリーに教わった「最高に美しい角度」で首を傾げました。
「セドリック様。赤は情熱的で素敵ですが、今夜の私の気分は、この水色のような静かな決意なのです。……それに」
「それに、何だ!」
「殿下……お怒りになると、鼻の穴が少し右に曲がって見えますわよ。あまり美しくありませんわ」
「……は?」
セドリックが呆然と固まり、無意識に自分の鼻を触るのを、リリアンは冷ややかな、しかし完璧に美しい微笑みで見つめました。
遠く離れた北の空の下。
馬車の中で爆睡していたローズマリーは、夢の中でリリアンの勝利を察したのか、「……よき、ですわ……」と寝言を漏らすのでした。
リリアンは、目の前に積まれた大量の宝石箱と、豪華なドレスの数々を前にして、深い溜息をついていました。
「……あ、あの、セドリック様。お気持ちは嬉しいのですが……これほど一度にいただいても、私、着ていく場所がありませんわ」
部屋のソファにこれ見よがしに腰掛けているセドリック皇太子は、自信に満ちた笑みを浮かべて鼻を鳴らしました。
「何を言うんだ、リリアン。君はもう私の唯一の婚約者候補なのだ。これからは私の好みに合わせて、その控えめな格好も卒業してもらわねばならん。君にはバラの花のような、情熱的な赤が似合うはずだ」
セドリックが指し示したのは、露出が激しく、これでもかとフリルと宝石が縫い付けられた真っ赤なドレスでした。
「……赤、ですか? でも私、ローズマリー様からは『貴女の透明感を活かすなら、淡い水色か真珠色のシルク以外は肌を汚す毒になる』と言われていたのですが……」
「あんな狂った女の言うことなど忘れるんだ! 今の君の主人は私だ。私の望む通り、美しく着飾ればいい」
セドリックはそう言うと、リリアンの返事も待たずに「今夜の晩餐にはそのドレスで来るように」と言い残して去って行きました。
静かになった部屋で、リリアンはポツンと取り残されました。
「……私の望む通り、美しく着飾る……」
その言葉は、リリアンの胸に冷たく突き刺さりました。
セドリック様は優しい。でも、彼は「リリアン」という人間を見ているのではなく、自分の隣に置くための「理想の人形」を求めているのではないか。
そんな不安が、波のように押し寄せてきます。
リリアンは無意識に、枕元に隠していたあの分厚いノートを手に取りました。
表紙には、ローズマリーの流麗な文字で『至高の芸術品・リリアン様へ捧ぐ~美の聖書~』と書かれています。
「……ローズマリー様なら、こんな時、なんて仰るかしら」
パラパラとページをめくると、そこには案の定「洗顔の回数」や「小鼻の横の角栓チェック」など、常人には理解し難い美容への執着が書き連ねられていました。
しかし、一番最後のページに、他とは少し違う筆跡で書かれたメモを見つけました。
『追伸:リリアン様へ。
もしも、どこかの馬鹿な男が貴女に「俺の好みの服を着ろ」なんて抜かしたら、迷わずその男の顔面に、貴女の最高に美しい「冷笑」を叩きつけて差し上げなさい。
美しさとは、誰かに与えられるものではありません。
貴女自身が「私はこれが好きだ」と胸を張って笑う瞬間、その瞳に宿る意志の光……それこそが、私が守りたい、世界で唯一のダイヤモンドなのですわ。
誰の所有物にもなってはいけません。貴女は、貴女という芸術の唯一の所有者なのですから。
もし、どうしても困ったら……その男の鼻の穴の形が不細工であることを指摘してやりなさい。男は意外と鼻の形を気にしますわ。
――貴女の美貌を愛しすぎるローズマリーより』
……。
リリアンは、呆気にとられてその文字を見つめました。
あまりにも自分勝手で、あまりにも強烈な、変態的なアドバイス。
けれど。
「……ふふ、あはははっ!」
リリアンの口から、自然と笑いがこぼれました。
重く沈んでいた心が、その一通のメッセージで驚くほど軽くなったのです。
「鼻の穴の形、ですか……。確かにセドリック様、怒る時は少し鼻の穴が広がりますわね」
リリアンは立ち上がり、セドリックが置いていった赤いドレスを、丁寧に(でも迷いなく)箱の中に戻しました。
そしてクローゼットを開け、自分が一番好きで、ローズマリーも「その色の反射が貴女の瞳を一番美しく見せる」と絶賛してくれた、淡い水色のドレスを取り出しました。
「私は、私を一番美しく見せてくれる色を知っています」
鏡の中の自分に向かって、リリアンは力強く微笑みました。
その表情は、以前の怯えた小鹿のようなものではなく、自分の足で立つ一人の女性の輝きに満ちていました。
「ローズマリー様……。貴女の言葉は、いつも毒気が強いけれど……どうしてこんなに、私を元気にしてくれるのかしら」
その夜。
水色のドレスで現れたリリアンを見て、セドリックは顔を真っ赤にして怒鳴りました。
「リリアン! 私の贈ったドレスはどうした! なぜそんな地味な色を……!」
リリアンは優雅にカーテシーを決め、ローズマリーに教わった「最高に美しい角度」で首を傾げました。
「セドリック様。赤は情熱的で素敵ですが、今夜の私の気分は、この水色のような静かな決意なのです。……それに」
「それに、何だ!」
「殿下……お怒りになると、鼻の穴が少し右に曲がって見えますわよ。あまり美しくありませんわ」
「……は?」
セドリックが呆然と固まり、無意識に自分の鼻を触るのを、リリアンは冷ややかな、しかし完璧に美しい微笑みで見つめました。
遠く離れた北の空の下。
馬車の中で爆睡していたローズマリーは、夢の中でリリアンの勝利を察したのか、「……よき、ですわ……」と寝言を漏らすのでした。
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