婚約破棄された悪役令嬢~金貨と狂犬大公、どちらが効率的ですか?〜

萩月

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「……本気ですか、殿下」

私は姿見の前で、自身の姿を映し出しながら溜め息をついた。

「ああ。完璧だ。強そうだ」

背後で腕組みをして頷くマクシミリアン殿下。

今日の私は、いつもの夜会用ドレスではない。

動きやすさを最優先した、細身の乗馬服(パンツスタイル)。
色は深みのあるミッドナイトブルー。
髪は邪魔にならないよう、高い位置で一つに束ねている。
そして鼻梁には、トレードマークの銀縁眼鏡。

どう見ても、これからキラキラしたパーティーに向かう令嬢の格好ではない。
どちらかと言えば、戦場に向かう指揮官か、あるいは――

「『暗殺者』に見えるな」

「否定できませんね」

私は眼鏡を直した。

本来なら、社交の場には絹のドレスと宝石で着飾るのがマナーだ。
だが、私は断固拒否した。
「視察」と言うからには、動き回る可能性がある。
ヒラヒラした布切れなど、ドアノブに引っかかるだけの産業廃棄物だ。

それに、私のトランクには機能性重視の服しか入っていない。

「いいじゃねぇか。飾り立てただけのカカシより、百倍美しいぞ」

「……お世辞は結構です。それより、出発時間は定刻通りですね?」

「おう。行くぞ、クリスティーン。俺の隣を歩く覚悟はできたか?」

殿下が手を差し出す。
今日は彼も、いつもの薄汚れたマントではなく、仕立ての良い黒の軍服を着ている。
悔しいが、黙っていれば絶世の美男子だ。
中身が「狂犬」でさえなければ。

私はその手を取った。

「覚悟など不要です。私はただ、業務(デート)を遂行するだけですから」

***

会場となるのは、国境付近の街を治める領主、ボルマン子爵の館だった。

「おお! これはこれは、マクシミリアン大公閣下! ようこそおいでくださいました!」

太鼓腹を揺らしながら出迎えたのは、脂ぎった笑顔の子爵だ。
その視線が、殿下の隣にいる私に向けられると、露骨に侮蔑の色が混じった。

「おや……そちらは? 噂の『戦利品』の女性ですかな? ……はて、随分と珍妙な格好をしておられる」

子爵の声に、周囲の着飾った貴族たちがクスクスと笑う。

「パンツスタイルですって」
「男装の麗人のつもりかしら?」
「いいえ、ドレスを買うお金がないのでしょう。所詮は拾われた女よ」

扇で口元を隠しながらの陰口。
聞こえていないと思っているのだろうか。
私の聴力と、読唇術を舐めないでいただきたい。

マクシミリアン殿下のこめかみに青筋が浮かぶ。
彼が怒鳴ろうとしたのを、私は手で制した。

(――ここは、私の戦場です)

私は子爵に向き直り、優雅な所作で一礼した。
ドレスを着ていなくても、カーテシーの角度は公爵令嬢仕込みの完璧さだ。

「初めまして、ボルマン子爵。マクシミリアン大公閣下の『財務顧問』を務めております、クリスティーン・オルコットと申します」

「ざ、財務顧問……? 女がか?」

「はい。本日は、この地域の経済活性化状況の『視察』に参りました。……ところで子爵」

私は間髪入れずに切り込む。

「珍妙な格好とおっしゃいましたが、これは『最新の機能美』ですわ」

「は、はぁ? 機能美?」

「ええ。ドレスの裾が床を掃除する機能はありませんが、この服なら、いつ何時『緊急事態』が起きても即座に対応可能です」

私はニッコリと笑った。

「例えば、今この瞬間、脱税の証拠を隠滅しようと逃げ出す輩を追いかける時などに、非常に便利なんですよ?」

「ッ!?」

子爵の顔が引きつった。

「な、何を馬鹿な……! ここは神聖な社交の場だぞ! 金や仕事の話など無粋な!」

「無粋? いいえ、『現実』です」

私は懐から手帳を取り出した。
昨晩、ヨハンさんに調べさせておいた「ブラックリスト」だ。

「ボルマン子爵。貴方、砦への食料納入を遅延させていますね? そのくせ、ご自身のこの館の改築工事には、随分と良質な石材を使われているようで」

「そ、それは……!」

「さらに、そこの貴婦人方」

私は陰口を叩いていた女性グループに振り返った。

「あら、素敵なドレスですこと。最高級のシルクですね。……ですが、旦那様の領地では今年、水害で橋が壊れたまま放置されているとお聞きしましたが?」

「なっ……なんでそれを!?」

「橋の修理費よりも、そのドレスの刺繍代の方が高いのではありませんか? 領民が川を渡るのに苦労している間に、貴女方は優雅にワインをお飲みで?」

会場がざわめき始める。

「な、なんだこの女は……!」
「俺たちの内情を知っているのか!?」

私は眼鏡を指で押し上げ、会場全体を見渡した。

「皆様。勘違いなさらないでください。私は貴方方を断罪しに来たのではありません」

声を張り上げる必要はない。
よく通る冷ややかな声だけで十分だ。

「ただ、『計算』しに来たのです。貴方方の贅沢が、国家予算と砦の運営費に対して、どれだけの『負債』となっているかを」

私は手帳をパタンと閉じた。

「私の計算では、この会場にいる皆様の装飾品を全て売却すれば、国境の街道整備と砦の兵士の給与未払い分が、綺麗に補填できるという結果が出ました。……さて、どうなさいますか? 『自主的』に寄付なさいますか? それとも――」

私は隣のマクシミリアン殿下を見上げた。

殿下は、ニヤァと獰猛な笑みを浮かべていた。
腰の大剣(今日は儀礼用だが、彼が振れば凶器だ)に手をかけている。

「それとも、大公閣下に『直接徴収』していただきますか?」

ヒィッ!!

会場の空気が凍りついた。
「狂犬」マクシミリアンにカツアゲされる恐怖。
それは死刑宣告に等しい。

「き、寄付します! 喜んで!」
「私もです! ちょうど社会貢献したいと思っていたところです!」
「このネックレスも差し上げますぅぅ!」

我先にと、貴族たちが小切手や宝石を差し出し始めた。

まるで慈善事業のオークション会場だ。
ただし、参加者の顔色は全員土気色だが。

「……やりやがったな」

殿下が耳元で囁く。

「お前、本当にドレスなんか着なくて正解だ。そのスーツ姿、最高に『怖い』ぞ」

「お褒めいただき光栄です。これで砦の運営費、三ヶ月分は確保できましたね」

私は集まった寄付の山を見て、満足げに頷いた。

「さて、仕事は終わりました。殿下、屋台の食べ歩きに行きましょうか」

「おいおい、この空気の中で帰るのか?」

「用済みですから。それに、ここの料理は脂っこくて胃もたれしそうです」

私は呆然とする子爵たちを一瞥もしないまま、踵を返した。
颯爽と歩く私の背中には、もはや陰口を叩く者など誰もいない。
あるのは、恐怖と、そして少しばかりの畏敬の念だけだ。

会場を出ると、夜風が心地よかった。

「楽しかったか?」

殿下が聞いてくる。

「ええ、まあ。数字が合うのは気持ちがいいですから」

「可愛げのない女だ。……だが、俺は好きだぞ」

「はいはい。早く行きましょう。焼き串が売り切れますよ」

照れ隠しに早足になる私の手を、殿下がグイと引いた。
そして、その太い腕を私の腰に回し、エスコートの形を取る。

「逃げるなよ。今日はデートなんだろ?」

月明かりの下、強面の狂犬が、優しく微笑んでいた。
その顔を見て、私の心拍数が少しだけ――計算外の上昇を見せたのは、ここだけの秘密である。
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