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一方その頃。
クリスティーンを追放した祖国、オルコット王国。
その王城にある第一王子執務室は、阿鼻叫喚の巷と化していた。
「あ、あ、あ……終わらない! なんで終わらないんだぁぁぁ!!」
フレデリック王子は、自身の身長よりも高く積み上がった書類の塔に埋もれ、髪を掻きむしっていた。
かつてのキラキラした王子様の面影はない。
目の下には濃いクマ、無精髭は伸び放題、自慢の金髪は鳥の巣のようだ。
「フレデリック様ぁ、まだお仕事終わらないんですかぁ?」
ソファで優雅にクッキーを齧っていたリリーナが、甘ったるい声を出す。
「リリーナ……少し黙っていてくれ。今、隣国との通商条約の読み込みで忙しいんだ……」
「えー、つまんなぁい。ねえ、あーんして?」
「だから忙しいと言っているだろう! この条約、クリスティーンがいた頃はどうなっていたんだ!? こんな難解な条文、読んだこともないぞ!」
フレデリックは叫んだ。
そう。彼は知らなかったのだ。
彼が今まで「完璧にこなしていた」と思い込んでいた公務の九割九分が、クリスティーンによる「下書き」「要約」「代筆」によって支えられていたことを。
彼女がいなくなった今、生の公文書という名の暴力が、フレデリックの貧弱な脳細胞を直接殴りつけていた。
「もう嫌だ……誰か、誰か助けてくれ……!」
「フレデリック様、元気出して! 私が美味しい紅茶を淹れてあげますから!」
リリーナが立ち上がり、ポットを手にする。
「お、おい、やめろ! お前がやるとロクなことに……」
「きゃっ!」
ガシャァァァァン!!
リリーナは何もない平らな床で華麗に転び、熱々の紅茶が入ったポットを、机の上にぶちまけた。
「あ」
茶色の液体が、重要書類にみるみる染み込んでいく。
「あ、あああ……! そ、それは、北の軍事国家との『不可侵条約』の原本……!!」
「ご、ごめんなさいぃ! でも、ポットが急に重くなって……!」
「ふざけるな! これで戦争になったらどうするんだ!」
フレデリックが絶叫した、その時だ。
バンッ!!
扉が開かれ、国王エドワードが飛び込んできた。
彼もまた、やつれ果てた顔をしていた。
「フレデリック! 貴様、何をしている! 財務省から悲鳴が上がっているぞ!」
「父上! 聞いてください、この女が!」
「うるさい! それよりどうにかしろ! 予算が組めん! 王宮の維持費が計算できん! 先月の決算書が見当たらんのだ!」
「そんなこと僕に言われても! いつもクリスティーンが勝手にやってくれていたので……」
「お前が追い出したんだろうが!!」
国王が怒鳴る。
そこへさらに、王妃エリザベートも乱入してきた。
彼女はなぜか、ボロボロのドレスを着て泣いていた。
「あなたたち! いい加減にしてちょうだい! 私のサロンが、大変なことになっているのよ!」
「母上まで……今度は何ですか!」
「お茶会の招待状よ! いつもなら完璧な席次表と招待客リストが用意されていたのに、今回は手違いで『犬猿の仲』の公爵夫人と伯爵夫人を隣同士にしてしまったの!」
「……それが?」
「大乱闘よ! お茶会がプロレス会場になったわ! 私の顔にケーキが飛んできたのよ!?」
王妃様が泣き崩れる。
「クリスティーンなら……あの子なら、あらかじめ二人の好みの紅茶を用意して、話題をコントロールして、円満に終わらせてくれていたのに!」
三人の王族が、頭を抱えて沈黙した。
彼らは今、ようやく気づき始めていた。
「悪役令嬢」と呼ばれ、冷徹で可愛げがないと罵っていたあの女が、実はこの国の「中枢システム」そのものであったことに。
「……待てよ」
フレデリックが、紅茶で濡れた書類を呆然と見つめながら呟く。
「リリーナがいじめられていたという、あの『教科書破り事件』……」
「ひっ」
リリーナがビクリと震える。
「あれ、破られていたページは何だった?」
「え、えっと……歴史の年号とか……」
「……違う。あれは『間違いだらけの回答』が書かれたページだ」
フレデリックの記憶が蘇る。
あの日、クリスティーンは言っていた。『間違った知識を覚えるくらいなら、ない方がマシです』と。
そして、その後に正しい補足プリントが挟まれていたはずだ。
「ドレスにワインをかけた事件も……あれはリリーナが、外交官の前で失礼な発言をしそうになったのを止めるためじゃなかったか?」
「階段から突き落としたのも……頭上のシャンデリアが落ちてきそうだったから、突き飛ばして助けたのでは?」
点と線が繋がる。
「ま、まさか……あいつは悪役令嬢なんかじゃなく、ただ単に『仕事ができすぎて、説明不足で、手荒なだけの超有能な管理者』だったのか……!?」
「気づくのが遅いわよ!!」
王妃様が叫んだ。
「どうするのよ! あの子がいなくなって一週間、もう国は限界よ! 物流は滞り、外交はストップし、私の肌荒れは悪化する一方だわ!」
「父上……」
フレデリックが縋るように国王を見る。
「僕には無理です。リリーナとの愛の力で頑張ろうと思いましたが、愛では計算間違いは直せません」
「……うむ」
国王は重々しく頷き、決断を下した。
「連れ戻すぞ」
「へ?」
「クリスティーンを連れ戻すのだ! 土下座でも何でもして、あいつを再びこの城の地下牢……いや、執務室に閉じ込めるのだ!」
「で、ですが父上。彼女は今、バルトアン帝国に……あの『狂犬』マクシミリアンの元にいるという噂が」
「狂犬だろうが何だろうが構わん! このままでは我が国が滅びる!」
国王は立ち上がり、指を突きつけた。
「フレデリック! お前が行け! 元婚約者の責任として、あいつを説得してこい! 『やはり君が必要だ、愛している』とかなんとか言って、騙して連れて帰るんだ!」
「ええっ!? 僕がバルトアンへ!? 殺されますよ!」
「行かなければ廃嫡だ! 一生、リリーナの借金返済のために炭鉱で働くか?」
「い、嫌ですぅぅぅ!」
フレデリックは泣き叫んだ。
「わかりました! 行きます! 行って連れ戻します!」
「私も行く!」
リリーナが手を挙げた。
「フレデリック様だけじゃ心配だしぃ、それに……」
彼女は目を光らせた。
(クリスティーンお姉様、一億枚も持ってるんでしょ? 連れ戻せば、私の借金もチャラにしてもらえるかも……!)
こうして、かつてないほど「身勝手」で「無謀」な奪還作戦が決定した。
向かうは北の大国。
待ち受けるは狂犬大公と、覚醒した合理主義モンスター。
彼らが地獄を見るまで、あと数日。
クリスティーンを追放した祖国、オルコット王国。
その王城にある第一王子執務室は、阿鼻叫喚の巷と化していた。
「あ、あ、あ……終わらない! なんで終わらないんだぁぁぁ!!」
フレデリック王子は、自身の身長よりも高く積み上がった書類の塔に埋もれ、髪を掻きむしっていた。
かつてのキラキラした王子様の面影はない。
目の下には濃いクマ、無精髭は伸び放題、自慢の金髪は鳥の巣のようだ。
「フレデリック様ぁ、まだお仕事終わらないんですかぁ?」
ソファで優雅にクッキーを齧っていたリリーナが、甘ったるい声を出す。
「リリーナ……少し黙っていてくれ。今、隣国との通商条約の読み込みで忙しいんだ……」
「えー、つまんなぁい。ねえ、あーんして?」
「だから忙しいと言っているだろう! この条約、クリスティーンがいた頃はどうなっていたんだ!? こんな難解な条文、読んだこともないぞ!」
フレデリックは叫んだ。
そう。彼は知らなかったのだ。
彼が今まで「完璧にこなしていた」と思い込んでいた公務の九割九分が、クリスティーンによる「下書き」「要約」「代筆」によって支えられていたことを。
彼女がいなくなった今、生の公文書という名の暴力が、フレデリックの貧弱な脳細胞を直接殴りつけていた。
「もう嫌だ……誰か、誰か助けてくれ……!」
「フレデリック様、元気出して! 私が美味しい紅茶を淹れてあげますから!」
リリーナが立ち上がり、ポットを手にする。
「お、おい、やめろ! お前がやるとロクなことに……」
「きゃっ!」
ガシャァァァァン!!
リリーナは何もない平らな床で華麗に転び、熱々の紅茶が入ったポットを、机の上にぶちまけた。
「あ」
茶色の液体が、重要書類にみるみる染み込んでいく。
「あ、あああ……! そ、それは、北の軍事国家との『不可侵条約』の原本……!!」
「ご、ごめんなさいぃ! でも、ポットが急に重くなって……!」
「ふざけるな! これで戦争になったらどうするんだ!」
フレデリックが絶叫した、その時だ。
バンッ!!
扉が開かれ、国王エドワードが飛び込んできた。
彼もまた、やつれ果てた顔をしていた。
「フレデリック! 貴様、何をしている! 財務省から悲鳴が上がっているぞ!」
「父上! 聞いてください、この女が!」
「うるさい! それよりどうにかしろ! 予算が組めん! 王宮の維持費が計算できん! 先月の決算書が見当たらんのだ!」
「そんなこと僕に言われても! いつもクリスティーンが勝手にやってくれていたので……」
「お前が追い出したんだろうが!!」
国王が怒鳴る。
そこへさらに、王妃エリザベートも乱入してきた。
彼女はなぜか、ボロボロのドレスを着て泣いていた。
「あなたたち! いい加減にしてちょうだい! 私のサロンが、大変なことになっているのよ!」
「母上まで……今度は何ですか!」
「お茶会の招待状よ! いつもなら完璧な席次表と招待客リストが用意されていたのに、今回は手違いで『犬猿の仲』の公爵夫人と伯爵夫人を隣同士にしてしまったの!」
「……それが?」
「大乱闘よ! お茶会がプロレス会場になったわ! 私の顔にケーキが飛んできたのよ!?」
王妃様が泣き崩れる。
「クリスティーンなら……あの子なら、あらかじめ二人の好みの紅茶を用意して、話題をコントロールして、円満に終わらせてくれていたのに!」
三人の王族が、頭を抱えて沈黙した。
彼らは今、ようやく気づき始めていた。
「悪役令嬢」と呼ばれ、冷徹で可愛げがないと罵っていたあの女が、実はこの国の「中枢システム」そのものであったことに。
「……待てよ」
フレデリックが、紅茶で濡れた書類を呆然と見つめながら呟く。
「リリーナがいじめられていたという、あの『教科書破り事件』……」
「ひっ」
リリーナがビクリと震える。
「あれ、破られていたページは何だった?」
「え、えっと……歴史の年号とか……」
「……違う。あれは『間違いだらけの回答』が書かれたページだ」
フレデリックの記憶が蘇る。
あの日、クリスティーンは言っていた。『間違った知識を覚えるくらいなら、ない方がマシです』と。
そして、その後に正しい補足プリントが挟まれていたはずだ。
「ドレスにワインをかけた事件も……あれはリリーナが、外交官の前で失礼な発言をしそうになったのを止めるためじゃなかったか?」
「階段から突き落としたのも……頭上のシャンデリアが落ちてきそうだったから、突き飛ばして助けたのでは?」
点と線が繋がる。
「ま、まさか……あいつは悪役令嬢なんかじゃなく、ただ単に『仕事ができすぎて、説明不足で、手荒なだけの超有能な管理者』だったのか……!?」
「気づくのが遅いわよ!!」
王妃様が叫んだ。
「どうするのよ! あの子がいなくなって一週間、もう国は限界よ! 物流は滞り、外交はストップし、私の肌荒れは悪化する一方だわ!」
「父上……」
フレデリックが縋るように国王を見る。
「僕には無理です。リリーナとの愛の力で頑張ろうと思いましたが、愛では計算間違いは直せません」
「……うむ」
国王は重々しく頷き、決断を下した。
「連れ戻すぞ」
「へ?」
「クリスティーンを連れ戻すのだ! 土下座でも何でもして、あいつを再びこの城の地下牢……いや、執務室に閉じ込めるのだ!」
「で、ですが父上。彼女は今、バルトアン帝国に……あの『狂犬』マクシミリアンの元にいるという噂が」
「狂犬だろうが何だろうが構わん! このままでは我が国が滅びる!」
国王は立ち上がり、指を突きつけた。
「フレデリック! お前が行け! 元婚約者の責任として、あいつを説得してこい! 『やはり君が必要だ、愛している』とかなんとか言って、騙して連れて帰るんだ!」
「ええっ!? 僕がバルトアンへ!? 殺されますよ!」
「行かなければ廃嫡だ! 一生、リリーナの借金返済のために炭鉱で働くか?」
「い、嫌ですぅぅぅ!」
フレデリックは泣き叫んだ。
「わかりました! 行きます! 行って連れ戻します!」
「私も行く!」
リリーナが手を挙げた。
「フレデリック様だけじゃ心配だしぃ、それに……」
彼女は目を光らせた。
(クリスティーンお姉様、一億枚も持ってるんでしょ? 連れ戻せば、私の借金もチャラにしてもらえるかも……!)
こうして、かつてないほど「身勝手」で「無謀」な奪還作戦が決定した。
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