婚約破棄された悪役令嬢~金貨と狂犬大公、どちらが効率的ですか?〜

萩月

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「クリスティーン! 頼む、戻ってきてくれぇぇぇ!!」

砦の応接室。

そこに響き渡ったのは、一国の王子とは思えない情けない絶叫だった。

目の前にいるのは、かつての婚約者フレデリック殿下。

そして、その隣で不満げに頬を膨らませているリリーナ嬢。

二人の姿は、まさに「落ち武者」だった。

フレデリック殿下の金髪は脂でべたつき、寝癖が爆発している。
目の下のクマは深淵のように黒く、頬はこけ、着ている服はボタンが掛け違えられている。

リリーナ嬢も同様だ。
自慢の巻き髪はボサボサで、ドレスの裾は泥だらけ。
「聖女のような愛らしさ」はどこへやら、今の彼女はただの「不機嫌な子供」にしか見えない。

「……汚い」

私はソファに座り、ティーカップを置いた。

「ここは神聖な職場です。衛生基準を満たしていない方は退室願えますか?」

「き、厳しい! 相変わらず厳しいぞクリスティーン!」

フレデリック殿下がテーブルにしがみつく。

「水だ! まずは水をくれ! ここまで来るのに、馬車が壊れて徒歩で山を越えてきたんだ!」

「自業自得ですね。……ヨハンさん、そこにある花瓶の水でも差し上げて」

「か、花瓶!?」

ヨハンさんがオロオロとするが、私は真顔だ。

その向かいで、マクシミリアン殿下が腕組みをして仁王立ちしている。
彼の殺気だけで、フレデリック殿下はガタガタと震えていた。

「おい、クリスティーン。こいつら、いつ殺す? 今か? もういいだろ?」

「待ってください、殿下。まずは用件を聞きましょう。死刑判決を下すのはそれからです」

私は冷ややかな視線を元婚約者に戻した。

「さて、フレデリック殿下。わざわざ国境を越えて、死にに来たわけではないでしょう? ご用件は?」

「む、迎えに来たと言っただろう! クリスティーン、君が必要なんだ!」

殿下は涙目で訴えた。

「君がいなくなってから、城は滅茶苦茶だ! 誰も書類の場所を知らない! 予算の計算が合わない! 外交官の名前が覚えられない!」

「それは貴方様がご自身で覚えるべきことです」

「無理だ! 僕は王子だぞ!? そんな雑務をするために生まれたんじゃない!」

逆ギレである。

「それに、リリーナだ! こいつが全然使えないんだ!」

「えっ!?」

隣でクッキーを盗み食いしていたリリーナが、ビクッと顔を上げた。

「リ、リリーナがどうしたのですか?」

「こいつは『私が支えます♡』とか言っておきながら、何一つできないんだ! お茶を淹れればこぼす、計算させれば数字が増える、掃除をさせれば皿を割る!」

フレデリック殿下は、リリーナを指差して喚き散らした。

「癒やしになるどころか、ストレスの根源だ! 君なら……クリスティーンなら、僕が何も言わなくても全て完璧にこなしてくれたのに!」

「ひどぉい! フレデリック様、愛があれば乗り越えられるって言ったじゃないですかぁ!」

リリーナが泣き真似をする。

「愛で腹は満たせん! 愛で外交問題は解決せんのだ!」

「うわぁぁん! 私だって頑張ってるもん! 九九だって『二の段』までは覚えたもん!」

「七の段まで言えなきゃ公務は無理だと言っているだろうが!!」

……地獄だ。

低レベルすぎる痴話喧嘩を目の前で見せられ、私は頭痛がしてきた。

マクシミリアン殿下も、あまりの馬鹿馬鹿しさに殺気すら消え失せ、呆れ顔になっている。

「……おい、クリスティーン。お前の元男、こんなにポンコツだったのか?」

「否定できません。私の人生最大の汚点です」

私はため息をつき、テーブルをバンッ! と叩いた。

「静粛に!!」

二人がビクリと固まる。

「いいですか、お二人とも。わざわざ恥を晒しに来たのですか? 結論を言いなさい、結論を」

「け、結論は……」

フレデリック殿下は、必死の形相で私に手を伸ばした。

「戻ってきてくれ! そして僕の仕事を代わってくれ! リリーナの教育係もやってくれ! そうすれば、側室……いや、王宮の『筆頭女官』として雇ってやってもいい!」

「は?」

「当然だろう? 僕とリリーナは『真実の愛』で結ばれているから、正妃はリリーナだ。だが、君の実務能力は評価している。だから、僕たちの下で働く名誉を与えようと言っているんだ!」

部屋の空気が、絶対零度まで下がった。

マクシミリアン殿下の目が、再び赤く発光し始める。

だが、私はそれを手で制し、ゆっくりと立ち上がった。

「フレデリック殿下」

「な、なんだ? 嬉しくて言葉も出ないか?」

「一つ、お教えしましょう」

私は眼鏡を外し、切っ先のように鋭い視線を彼に向けた。

「私は、貴方の『ママ』ではありません」

「……は?」

「自分の尻も拭けない、計算もできない、女の管理もできない。そんな幼児のお世話をする義理は、一億枚の慰謝料と共に消滅しました」

「なっ……」

「それに、筆頭女官? 冗談ではありません。私は今、この砦で『全権』を掌握しているのですよ?」

私は背後のマクシミリアン殿下を指差した。

「こちらの『狂犬』大公閣下は、私に全てを任せてくださいます。口出しもせず、私の作った食事を喜び、私の指示通りに敵を殲滅してくださる。貴方のように『やって当たり前』などとは言いません」

「そ、そんな野蛮人と僕を比べるのか!?」

「ええ、比べものになりませんね。殿下の方が一億倍マシです。少なくとも、彼は『七の段』くらい言えますから」

「ぶっ!」

マクシミリアン殿下が吹き出した。

「言ってやるなクリスティーン。俺だって九の段は怪しいぞ」

「後で練習ドリルを作っておきますね」

私は再びフレデリックに向き直った。

「お帰りください。貴方たちにかける時間は、一秒たりともありません。これは『コストの無駄』です」

「ま、待て! 待ってくれ!」

フレデリック殿下は、焦って立ち上がり、私の腕を掴もうとした。

「君がいなきゃダメなんだ! 国が滅びるんだよ!」

その手が私に触れる直前。

ガシッ!!

鋼鉄のような手が、王子の手首を握りつぶさんばかりに掴んだ。

「……おい」

マクシミリアン殿下だ。

先ほどまでの呆れ顔ではない。
この世の終わりのような、底冷えする声。

「俺の女に、その汚い手で触れるなと言ったはずだぞ?」

「ひぃっ!?」

「国が滅びる? 知ったことか。テメェらの無能のツケを、クリスティーンに払わせようとするんじゃねぇ」

バキボキッ。

フレデリック殿下の手首から、嫌な音がした。

「ぎゃぁぁぁぁぁッ!!」

「痛いか? だがな、こいつがお前のせいで味わった三年間は、こんなもんじゃなかったはずだ」

殿下は王子をゴミのように突き飛ばした。
王子はソファごとひっくり返り、無様に転がる。

「帰れ。次はない」

殿下の宣告に、部屋中が静まり返る。

これで終わりかと思った、その時。

「……なによぉ」

低い声が聞こえた。
それまで怯えていたリリーナだ。

彼女は立ち上がり、顔を真っ赤にして叫んだ。

「なによこれ! なんなのよこの国! 筋肉臭いし、乱暴だし、ご飯も黒くて硬いし!」

彼女は地団駄を踏んだ。

「こんな野蛮な国、最低よ! クリスティーンお姉様も馬鹿じゃないの!? 王子様より、こんな筋肉ダルマがいいなんて、頭がおかしくなったんじゃない!?」

ブチッ。

今度は、私の中で何かが切れた。

自分を馬鹿にされるのは構わない。
だが、私の「快適な職場」と、私の「努力の結晶(改善された食事)」、そして――

「……リリーナ様」

私は静かに声をかけた。

「今、なんと?」

「聞こえなかったの!? この国は『筋肉臭い』って言ったのよ!」

その瞬間、私は手元にあった分厚いファイル(武器並みの重量)を手に取っていた。

「上等ですわ……。その減らず口、論理と物理で塞いで差し上げます!」

私の逆襲のゴングが、高らかに鳴り響いた。
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