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「リリーナ様。今、なんと?」
私は手に持っていた分厚いファイル(砦の備品台帳・重量三キロ)を、リリーナの鼻先数センチに突きつけた。
「ひっ!?」
「筋肉臭い、とおっしゃいましたか? 野蛮だと? 低脳だと?」
私の眼鏡が、カシャリと冷たい光を放つ。
背後からは、マクシミリアン殿下の放つ殺気が黒いオーラとなって漂っているが、今の私にはそれ以上の「怒り」が燃え上がっていた。
「そ、そうよ! 事実じゃない!」
リリーナは涙目で、それでも言い募る。
「だって、見てよこの部屋! 石ばっかりで飾り気がないし、兵士たちは汗臭いし、王子様みたいなキラキラしたオーラがないじゃない! こんなの、レディが住む場所じゃないわ!」
「……はぁ」
私は深く、深くため息をついた。
これだから、温室育ちのお花畑は困るのだ。
「いいですか、リリーナ様。貴女は『筋肉』というものを根本的に誤解しています」
「は?」
私はファイルを教鞭のように振るい、演説を開始した。
「筋肉とは、一朝一夕で身につくものではありません。日々の過酷なトレーニング、徹底した食事管理、そして己の限界に挑み続ける強靭な精神力。それらの結晶こそが、彼らの肉体なのです!」
私は部屋の隅で警備に立っていた兵士Aを指差した。
「見なさい、あの上腕二頭筋を! あれはただ膨らんでいるのではありません。重い剣を振り、仲間を守る盾となるために鍛え上げられた、機能美の極致です!」
兵士Aがビクッとして、なぜか少し照れたようにポージングをとる。
「そして、そちらの彼の大胸筋! あの厚みは、敵の矢をも弾き返す天然の鎧! 維持費(食費)はかかりますが、メンテナンスフリーで壊れない、最強の防具なのです!」
兵士Bも、嬉しそうに胸を張る。
「彼らの汗は、努力の証。彼らの粗野な振る舞いは、飾らぬ実直さの表れ。……それを『臭い』の一言で片付けるなど、貴女の目は節穴ですか? 美意識が腐っているのですか?」
「な、なによそれぇ……!」
リリーナが後ずさる。
「クリスティーンお姉様、変よ! 昔は『汗臭いのは嫌いです』って言ってたじゃない!」
「ええ、言いました。ですが、それは『無駄な脂汗』のことです」
私は床に転がっているフレデリック王子を冷たく見下ろした。
「公務もせず、美食に溺れ、運動不足でたるんだ腹から出る脂汗と……国を守るために流す高潔な汗を、一緒にしないでいただけますか?」
「ぐふっ……!」
フレデリック王子が、物理的な攻撃を受けていないのに吐血しそうな顔をした。
「そ、それに!」
リリーナが最後の抵抗を試みる。
「こ、この大公だって! 顔は怖いし、乱暴だし、レディのエスコートもできないじゃない! フレデリック様の方が、優しくてスマートで素敵だもん!」
「優しさ? スマートさ?」
私は鼻で笑った。
「借金を女に押し付けるのが優しさですか? 地図も読めずに遭難するのがスマートですか?」
「うっ……」
「対して、マクシミリアン殿下をご覧なさい」
私は隣に立つ巨漢を見上げた。
殿下は、まさか自分が褒められるとは思っていなかったのか、きょとんとしている。
「彼は、私が作った熊鍋を『美味い』と言って完食しました。私が部屋を片付ければ『助かる』と言いました。私がピンチの時は、問答無用で敵を空へ飛ばしてくれました」
私は胸を張って宣言する。
「口先だけの愛の言葉より、腹を満たす熊肉。見せかけのエスコートより、実用的な暴力。……私にとっては、こちらの方が遥かに『高潔で魅力的』ですわ!」
シーン……。
部屋中が静まり返った。
兵士たちが、感動のあまりむせび泣いている。
ヨハンさんが「クリスティーン様……!」と拝んでいる。
そして、マクシミリアン殿下は。
「…………」
顔を真っ赤にして、口元を手で覆っていた。
「……殿下?」
「……お前なぁ」
殿下は呻くように言った。
「人前でそういうこと言うな。……調子が狂う」
あの「狂犬」が、照れている。
耳まで赤い。
その姿を見て、私はハッとした。
(あ、あれ? 私、今とんでもなく恥ずかしいことを言ったのでは?)
「実用的な暴力が魅力的」などという発言は、公爵令嬢として、いや人間としてどうなのだろうか。
しかし、もう遅い。
私の演説は、敵味方双方に甚大なダメージ(とバフ)を与えてしまったようだ。
「う、うわぁぁぁぁん!!」
リリーナが泣き出した。
「おかしい! やっぱりおかしいわよ! こんなのおとぎ話じゃない! 王子様が負けるなんて信じないもん!」
「リリーナ、泣くな……僕も泣きたい……」
フレデリック王子がよろよろと立ち上がり、リリーナを抱き寄せた。
「わかった、わかったよクリスティーン。君が完全に『あっち側』に染まってしまったことは理解した」
彼は悔しそうに私と殿下を睨みつけた。
「だが、諦めん! 僕は諦めないぞ! 君が目を覚ますまで、僕たちはここを動かないからな!」
「は?」
「ここで『座り込み』をしてやる! 君が『やっぱり帰ります』と言うまで、テコでも動かんぞ!」
なんと迷惑な。
営業妨害である。
「殿下、空へ飛ばしますか?」
私がマクシミリアン殿下に尋ねると、彼はニヤリと笑ったが、首を横に振った。
「いや、待て。……面白ぇ」
「はい?」
「そこまで言うなら、見せてやろうじゃねぇか。俺たちの『生活』をよ」
殿下はフレデリック王子を見下ろした。
「いいぜ。好きなだけ座り込んでろ。ただし、客扱いはしねぇ。……この砦のルールに従ってもらうぞ」
「の、望むところだ! 僕だってやればできるんだ!」
「フレデリック様ぁ、私も頑張るぅ!」
二人は手を取り合って、悲劇のヒロイン気取りで宣言した。
こうして。
なぜか、元婚約者カップルが砦に居座ることになってしまった。
「……殿下、正気ですか? 食費の無駄です」
私が小声で抗議すると、殿下は悪戯っぽく私に耳打ちした。
「いいか、クリスティーン。あいつらは温室育ちだ。この砦の『スパルタ生活』に何日耐えられるか、賭けようぜ」
「……性格が悪いですね」
「お互い様だろ」
私たちは顔を見合わせて、小さく笑った。
その笑顔を見て、フレデリック王子たちが「なによ、あの余裕!」と悔しがる声が聞こえたが、無視だ。
バルトアン帝国の「筋肉ライフ」がどれほど過酷か。
彼らはまだ、知る由もない。
明日の朝、彼らが筋肉痛と黒パンの洗礼を受けて泣き叫ぶ姿が、今から目に浮かぶようだった。
私は手に持っていた分厚いファイル(砦の備品台帳・重量三キロ)を、リリーナの鼻先数センチに突きつけた。
「ひっ!?」
「筋肉臭い、とおっしゃいましたか? 野蛮だと? 低脳だと?」
私の眼鏡が、カシャリと冷たい光を放つ。
背後からは、マクシミリアン殿下の放つ殺気が黒いオーラとなって漂っているが、今の私にはそれ以上の「怒り」が燃え上がっていた。
「そ、そうよ! 事実じゃない!」
リリーナは涙目で、それでも言い募る。
「だって、見てよこの部屋! 石ばっかりで飾り気がないし、兵士たちは汗臭いし、王子様みたいなキラキラしたオーラがないじゃない! こんなの、レディが住む場所じゃないわ!」
「……はぁ」
私は深く、深くため息をついた。
これだから、温室育ちのお花畑は困るのだ。
「いいですか、リリーナ様。貴女は『筋肉』というものを根本的に誤解しています」
「は?」
私はファイルを教鞭のように振るい、演説を開始した。
「筋肉とは、一朝一夕で身につくものではありません。日々の過酷なトレーニング、徹底した食事管理、そして己の限界に挑み続ける強靭な精神力。それらの結晶こそが、彼らの肉体なのです!」
私は部屋の隅で警備に立っていた兵士Aを指差した。
「見なさい、あの上腕二頭筋を! あれはただ膨らんでいるのではありません。重い剣を振り、仲間を守る盾となるために鍛え上げられた、機能美の極致です!」
兵士Aがビクッとして、なぜか少し照れたようにポージングをとる。
「そして、そちらの彼の大胸筋! あの厚みは、敵の矢をも弾き返す天然の鎧! 維持費(食費)はかかりますが、メンテナンスフリーで壊れない、最強の防具なのです!」
兵士Bも、嬉しそうに胸を張る。
「彼らの汗は、努力の証。彼らの粗野な振る舞いは、飾らぬ実直さの表れ。……それを『臭い』の一言で片付けるなど、貴女の目は節穴ですか? 美意識が腐っているのですか?」
「な、なによそれぇ……!」
リリーナが後ずさる。
「クリスティーンお姉様、変よ! 昔は『汗臭いのは嫌いです』って言ってたじゃない!」
「ええ、言いました。ですが、それは『無駄な脂汗』のことです」
私は床に転がっているフレデリック王子を冷たく見下ろした。
「公務もせず、美食に溺れ、運動不足でたるんだ腹から出る脂汗と……国を守るために流す高潔な汗を、一緒にしないでいただけますか?」
「ぐふっ……!」
フレデリック王子が、物理的な攻撃を受けていないのに吐血しそうな顔をした。
「そ、それに!」
リリーナが最後の抵抗を試みる。
「こ、この大公だって! 顔は怖いし、乱暴だし、レディのエスコートもできないじゃない! フレデリック様の方が、優しくてスマートで素敵だもん!」
「優しさ? スマートさ?」
私は鼻で笑った。
「借金を女に押し付けるのが優しさですか? 地図も読めずに遭難するのがスマートですか?」
「うっ……」
「対して、マクシミリアン殿下をご覧なさい」
私は隣に立つ巨漢を見上げた。
殿下は、まさか自分が褒められるとは思っていなかったのか、きょとんとしている。
「彼は、私が作った熊鍋を『美味い』と言って完食しました。私が部屋を片付ければ『助かる』と言いました。私がピンチの時は、問答無用で敵を空へ飛ばしてくれました」
私は胸を張って宣言する。
「口先だけの愛の言葉より、腹を満たす熊肉。見せかけのエスコートより、実用的な暴力。……私にとっては、こちらの方が遥かに『高潔で魅力的』ですわ!」
シーン……。
部屋中が静まり返った。
兵士たちが、感動のあまりむせび泣いている。
ヨハンさんが「クリスティーン様……!」と拝んでいる。
そして、マクシミリアン殿下は。
「…………」
顔を真っ赤にして、口元を手で覆っていた。
「……殿下?」
「……お前なぁ」
殿下は呻くように言った。
「人前でそういうこと言うな。……調子が狂う」
あの「狂犬」が、照れている。
耳まで赤い。
その姿を見て、私はハッとした。
(あ、あれ? 私、今とんでもなく恥ずかしいことを言ったのでは?)
「実用的な暴力が魅力的」などという発言は、公爵令嬢として、いや人間としてどうなのだろうか。
しかし、もう遅い。
私の演説は、敵味方双方に甚大なダメージ(とバフ)を与えてしまったようだ。
「う、うわぁぁぁぁん!!」
リリーナが泣き出した。
「おかしい! やっぱりおかしいわよ! こんなのおとぎ話じゃない! 王子様が負けるなんて信じないもん!」
「リリーナ、泣くな……僕も泣きたい……」
フレデリック王子がよろよろと立ち上がり、リリーナを抱き寄せた。
「わかった、わかったよクリスティーン。君が完全に『あっち側』に染まってしまったことは理解した」
彼は悔しそうに私と殿下を睨みつけた。
「だが、諦めん! 僕は諦めないぞ! 君が目を覚ますまで、僕たちはここを動かないからな!」
「は?」
「ここで『座り込み』をしてやる! 君が『やっぱり帰ります』と言うまで、テコでも動かんぞ!」
なんと迷惑な。
営業妨害である。
「殿下、空へ飛ばしますか?」
私がマクシミリアン殿下に尋ねると、彼はニヤリと笑ったが、首を横に振った。
「いや、待て。……面白ぇ」
「はい?」
「そこまで言うなら、見せてやろうじゃねぇか。俺たちの『生活』をよ」
殿下はフレデリック王子を見下ろした。
「いいぜ。好きなだけ座り込んでろ。ただし、客扱いはしねぇ。……この砦のルールに従ってもらうぞ」
「の、望むところだ! 僕だってやればできるんだ!」
「フレデリック様ぁ、私も頑張るぅ!」
二人は手を取り合って、悲劇のヒロイン気取りで宣言した。
こうして。
なぜか、元婚約者カップルが砦に居座ることになってしまった。
「……殿下、正気ですか? 食費の無駄です」
私が小声で抗議すると、殿下は悪戯っぽく私に耳打ちした。
「いいか、クリスティーン。あいつらは温室育ちだ。この砦の『スパルタ生活』に何日耐えられるか、賭けようぜ」
「……性格が悪いですね」
「お互い様だろ」
私たちは顔を見合わせて、小さく笑った。
その笑顔を見て、フレデリック王子たちが「なによ、あの余裕!」と悔しがる声が聞こえたが、無視だ。
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