婚約破棄された悪役令嬢~金貨と狂犬大公、どちらが効率的ですか?〜

萩月

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「カンパァァァァイ!!!」

夜の砦に、野獣たちの咆哮――もとい、乾杯の音頭が轟いた。

一日の労働を終えた食堂は、熱気と酒の匂い、そして男たちの脂ぎった興奮でサウナ状態になっていた。

「飲め飲めぇ! 今日は新入りたちの歓迎会だぞぉ!」

「脱げぇ! 筋肉を見せろぉ!」

兵士たちがジョッキをぶつけ合い、なぜか服を脱ぎ始めている。
バルトアン帝国における「飲み会」とは、すなわち「筋肉自慢大会」と同義らしい。

そんな地獄絵図の片隅で。

「……お家に帰りたい」

「……ママ……」

フレデリック殿下とリリーナは、小さくなって震えていた。
彼らの目の前には、洗面器のような大きさのジョッキと、山盛りの肉(骨付き)が置かれている。
昼間の重労働で疲れ果てた彼らに、このハイカロリーな宴は致死量だ。

「おい、新入り! 飲んでねぇぞ! 殿下の酒が飲めねぇってのか!」

酔っ払った兵士が、フレデリック殿下の背中をバンと叩く。

「ぐふっ! い、いや、僕は未成年では……いや成人してるが……アルコール度数が……!」

「ガタガタうるせぇ! 喉の消毒だ!」

無理やり酒を流し込まれる王子。
その目は白目を剥きかけている。

一方、上座では。

「……殿下。飲みすぎです。明日の公務に響きますよ」

私はマクシミリアン殿下の手から酒瓶を取り上げようとしていた。

「あ? こんくらい水だ、水」

殿下は顔色ひとつ変えずに飲み干すと、私の肩に頭を乗せてきた。
重い。
岩石が乗っているようだ。

「……クリスティーン。お前、いい匂いがするな」

「熊鍋の匂いです」

「いや、違う。……甘い匂いだ」

殿下が鼻先を私の首筋に擦り付けてくる。
くすぐったいし、心臓に悪い。
周囲の兵士たちが「ヒューヒュー!」と囃し立てるが、殿下は意に介さず、私の腰を抱く手に力を込めた。

その光景を見ていたフレデリック殿下の顔色が、青から赤へ、そしてどす黒い色へと変わっていった。

「……許さん」

彼はゆらりと立ち上がった。

「許さんぞ……! 僕のクリスティーンになんてことを!」

酔いか、疲労か、それとも嫉妬か。
理性のタガが外れたフレデリック殿下は、ふらふらとこちらへ歩み寄ってきた。

「クリスティーン! 帰るぞ!」

「はい?」

「こんな野蛮な場所、君には似合わない! 君はもっと優雅で、知的で、清潔な場所にいるべきだ! つまり僕の隣だ!」

彼は大声で叫ぶと、強引に私の手首を掴んだ。

「痛っ……」

「来るんだ! 無理やりにでも連れて帰る! それが君のためだ!」

「放してください、フレデリック殿下。貴方は酔っています」

「酔ってない! 僕は正気だ! さあ、行くぞ!」

彼は私の体を強引に引き剥がそうとした。

その瞬間。

ヒュンッ。

風を切る音と共に、銀色の閃光が走った。

「――ッ!?」

フレデリック殿下の顔の横、数ミリのところを、何かが高速で通過した。
それは背後の柱に深々と突き刺さる。

食事用のナイフだった。
ただし、柄までめり込んでいる。

「……あ、あ……?」

フレデリック殿下が腰を抜かし、私の手を放した。

食堂の喧騒が、ピタリと止む。

「……おい」

地の底から響くような声。

マクシミリアン殿下が、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、もはや赤く燃えるどころではない。
絶対零度の氷のように冷たく、昏く沈殿していた。

「俺の女に、気安く触るなと言ったよな?」

「ひぃっ……!」

殿下は立ち上がった。
その手には、いつの間にか抜かれた愛剣――処刑用のような巨大な剣が握られている。

「……手首か? それとも首か? どっちから落としてほしい?」

「ま、マクシミリアン閣下! じょ、冗談ですよね!? これはただの……!」

「冗談? 俺がいつ冗談を言った」

ザッ。

殿下が一歩踏み出す。
その殺気だけで、フレデリック殿下の股間あたりから、じわりとシミが広がった。
……失禁である。

「殿下、ストップ! 床が汚れます!」

私は慌てて二人の間に割って入った。

「どけ、クリスティーン。そいつは害虫だ。駆除する」

「駆除は結構ですが、室内で大剣を振り回さないでください! リフォーム代がかかります!」

「……チッ」

殿下は不満げに舌打ちをしたが、剣を下げてくれた。
私の言うことなら、ギリギリ聞いてくれるようだ。

私は腰を抜かしているフレデリック殿下を見下ろした。

「……見ましたか? これが『格の違い』です」

「あ、あう……」

「貴方は私を『所有物』として連れ戻そうとしました。ですが、マクシミリアン殿下は私を『守る』ために怒ってくださった。……その差がわかりませんか?」

私は冷ややかに告げた。

「貴方の隣? お断りです。私の居場所は、私が決めます」

「そ、そんな……」

「さあ、部屋にお戻りください。そして明日も馬糞掃除です。……それとも、今ここで『切断ショー』の主役になりますか?」

フレデリック殿下は、顔面蒼白で首を横に振った。
そして、濡れたズボンを押さえながら、這うようにして逃げ出した。

「ま、待ってぇフレデリック様ぁ!」

リリーナも悲鳴を上げて後を追う。

二人が去った後、食堂には静寂が残った。

「……興醒めだな」

マクシミリアン殿下が、つまらなそうに剣を収めた。
そして、私の方を向き、ぶっきらぼうに言った。

「……手首、痛くねぇか?」

「え?」

見ると、私の手首にはフレデリック殿下に掴まれた跡が赤く残っていた。

殿下はその手を取り、そっと親指で跡を撫でた。

「……悪かったな。もっと早く止めるべきだった」

「いえ、十分早かったですよ。ナイフの速度、視認できませんでしたから」

「消毒しとけ」

殿下はそう言うと、私の手首に――キスをした。

チュッ。

熱い唇の感触。
痛みが、一瞬で熱に変わる。

「……っ!?」

「唾つけときゃ治るだろ」

彼はニカっと笑った。
子供のような、でも男の色気を含んだ笑顔。

「ひゅーひゅー! 殿下、熱いっすねぇ!」
「ご馳走様でーす!!」

兵士たちが再び騒ぎ出す。

私は真っ赤になった顔を隠すように、眼鏡を直した。

「……非科学的です! 唾液に消毒作用など……!」

「効くだろ? 俺のキスなら」

「……馬鹿な人」

私は小さく呟いたが、その口元が緩んでいるのを、自分でも止められなかった。

こうして、「元カレ襲撃事件」は未遂に終わった。
しかし、この一件が決定打となり、フレデリック殿下たちは「ある決断」を迫られることになる。
そう、労働か、借金か、それとも――全面降伏か。
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