婚約破棄、歓迎~自称聖女を返品不可で引き取って~

萩月

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私の目の前には、ファンシーなリボンのかかったクッキー缶。

その奥には、地獄の番人のような形相の大男。

このシュールすぎる光景に、アークライト家の食堂は時が止まっていた。

父も、執事のセバスチャンも、私も、誰も動けない。

「……ええと」

私が恐る恐る口を開く。

「これは、一体……?」

オルグレン辺境伯は、岩のような無骨な手で缶を私の胸元に押し付けたまま、低い声で言った。

「手土産だ」

「て、手土産?」

「ああ。貴族の家を訪問する際は、菓子折りを持参するのがマナーだと本に書いてあった」

「は、はあ……(本で勉強したの?)」

私は震える手でクッキー缶を受け取った。

ずしりと重い。

中身が本当にクッキーなのか、それとも新手の爆弾なのか、疑わしい重さだ。

「座ってもいいか」

「は、はい! もちろんです! どうぞお掛けください!」

父が慌てて椅子を勧める。

オルグレン辺境伯がドカリと腰を下ろすと、最高級のマホガニー製の椅子が「ミシィッ!!」と悲鳴を上げた。

(壊れる! 椅子が死ぬわ!)

私はヒヤヒヤしながら、彼の対面に座り直した。

距離はテーブル一つ分。

しかし、彼の発する威圧感(プレッシャー)のせいで、目と鼻の先に猛獣がいるような気分だ。

「……それで、オルグレン閣下。本日は、どのようなご用件で?」

父が額に脂汗を浮かべながら尋ねる。

「北方の警備についてのご相談であれば、後日改めて軍務省で……」

「違う」

オルグレン辺境伯は短く否定した。

そして、その氷のような碧眼(へきがん)を、ギロリと私に向けた。

(ひっ! 睨まれた!)

心臓が跳ね上がる。

私、何かしたかしら。

北の特産品である『氷漬けサーモン』が美味しくて、買い占めたのがバレた?

それとも、彼が溺愛していると噂の白熊(ペット)のぬいぐるみを、私が以前『なんだかマヌケな顔ね』と評したのが伝わった?

走馬灯のように過去の行いが駆け巡る中、彼は重々しく口を開いた。

「……開けないのか」

「え?」

「その缶だ」

彼は顎で、私の手元のクッキー缶をしゃくった。

「あ、い、いえ! いただきます! 今すぐ!」

怒らせてはいけない。

私は慌ててリボンを解き、蓋を開けた。

もし中から毒ガスが出てきたら諦めよう。

カパッ。

蓋が開く。

そこに入っていたのは――。

「……あら?」

思わず、間の抜けた声が出た。

中には、可愛らしい動物の形をしたクッキーが、ぎっしりと詰まっていたのだ。

ウサギ、リス、小鳥、そしてクマ。

砂糖がまぶされ、キラキラと輝いている。

しかも、甘くてバターのいい香りが漂ってくる。

「……か、可愛いですわね」

私の正直な感想に、オルグレン辺境伯は、ほんの少しだけ――本当にミリ単位で――目を細めた(ように見えた)。

「北の修道院で作らせている品だ。味は保証する」

「そ、そうですか。では、一つ……」

私はウサギのクッキーを手に取り、口に運んだ。

サクッ。

ホロホロと崩れる食感と、濃厚なバターの風味。

(……美味しい!)

王都の有名パティスリーにも負けない味だ。

「いかがだ」

「と、とても美味しいです! 驚きました」

「そうか。……なら、よかった」

彼は短く呟くと、また黙り込んでしまった。

沈黙。

気まずい沈黙が流れる。

この人は一体何をしに来たのだろう。

ただクッキーを食べさせに来ただけ? まさか。

「……あの、閣下」

私が意を決して切り出す。

「お菓子のお礼は申し上げます。ですが、突然のご訪問の理由は……?」

オルグレン辺境伯は腕を組み、仁王像のように私を見据えた。

その視線の鋭さに、私はゴクリと唾を飲み込む。

来るか。

処刑宣告か。

「……聞いた」

低い声が響く。

「お前が、王太子との婚約を破棄されたと」

(うっ! やはりその話!)

やはり、笑いに来たのだ。

「ざまあみろ」と言いに来たのか、それとも「傷物の令嬢など国の恥だ」と説教しに来たのか。

私は背筋を伸ばし、毅然とした態度を作った。

「ええ、左様でございます。ですが、それは双方合意の上での……」

「フリーになったということだな」

「は?」

私の言葉を遮り、彼は身を乗り出した。

巨大な影が私を覆う。

「ど、独り身になった、という意味でしたら、その通りですが……」

「つまり、今のあーく……アークライト嬢は、誰のものでもない。そういうことだな?」

「え、ええ。まあ……(言い方が所有物みたいで怖いんですけど)」

彼は「ふむ」と一つ頷くと、懐からまた何かを取り出した。

今度は羊皮紙の束だ。

(ま、また書類!?)

昨日の今日で、書類は見飽きている。

まさか彼からも請求書が来るのか?

北の領地の通行税とか?

彼はその書類をテーブルに叩きつけた。

バンッ!

食器が震える。

「……見ろ」

「は、はい」

私は恐る恐る書類を手に取った。

そこには、驚くべき文言が並んでいた。

『雇用契約書』

『勤務地:北都・冬の城』

『待遇:公務員規定に準ずるが、特別手当あり』

『業務内容:領主補佐および事務全般』

そして、一番下の報酬欄には、王宮の高級官僚も裸足で逃げ出すような高額な数字が書き込まれていた。

「……あの、これは?」

私が顔を上げると、オルグレン辺境伯は真顔で言った。

「契約書だ」

「それは見れば分かりますが……なぜ私に?」

「お前が優秀だからだ」

「へ?」

予想外の言葉に、私はポカンとした。

優秀? 私が?

「王太子の尻拭いを十年間、完璧にこなしてきた手腕。裏帳簿の処理から、根回し、果ては無茶な予算の帳尻合わせまで。……全て調査済みだ」

「ちょ、調査済みって……(どこで調べたの!? スパイ!?)」

「俺の領地は、今、深刻な人手不足だ。特に、計算ができて、度胸があって、魔獣を見ても悲鳴を上げない事務官が足りない」

彼は私の目をじっと見つめた。

その瞳には、先ほどまでの威圧感とは違う、熱のようなものが宿っていた。

「お前なら適任だ。ダーリ・アークライト」

「は、はあ……」

「俺のところへ来い」

ド直球だった。

あまりの直球さに、横で聞いていた父が「ぶフォッ!」とワインを吹き出した。

「お、オルグレン殿! それはつまり……求婚、ですかな!?」

父が目を剥いて叫ぶ。

「きゅ、求婚!?」

私も叫んだ。

このクマみたいな人が、私に求婚?

ありえない。

だって、どう見ても彼は「愛」とか「恋」とかより、「狩り」とか「殲滅」の方が似合う人種だ。

しかし、オルグレン辺境伯は眉一つ動かさず、こう言った。

「……求婚ではない」

「ほっ(違った)」

私が胸を撫で下ろしたのも束の間、彼は続けた。

「ヘッドハンティングだ」

「……へ?」

「人材獲得競争だ。王家が手放した最高の人材を、我が領が頂く。それだけのことだ」

彼は真面目腐った顔で言い放った。

「給金は言い値で払う。福利厚生も充実させる。三食昼寝……は無理だが、やつ(王太子)の相手をするよりはマシな環境を約束する」

「は、はあ……(条件は魅力的だけど)」

「返答は?」

彼はグイッと顔を近づけてきた。

近い。

顔が怖い。

でも、その瞳は真剣そのものだった。

「今すぐ決めろとは言わん。だが、俺は気が短い。……このままお前を袋詰めにして連れ帰りたいくらいには、切迫している」

「ふ、袋詰めはご勘弁を!」

「ならば、前向きに検討しろ」

そう言うと、彼は立ち上がった。

再び椅子が悲鳴を上げる。

「今日はこれで失礼する。……クッキーは、早めに食え。湿気るからな」

彼は最後にそう言い残すと、風のように(というより嵐のように)去っていった。

バタン、と扉が閉まる。

残されたのは、私と父、そしてテーブルの上のクッキー缶と契約書だけ。

しばらくの沈黙の後。

父がポツリと呟いた。

「……ダーリよ」

「はい、お父様」

「あの男……意外と、見る目はあるようだな」

「……そうですね」

私は手元の契約書を見つめた。

そこには、破格の待遇と、そして隅っこの方に小さく、下手くそな字で『※おやつ支給あり』と書き足されていた。

「……悪い話じゃ、ないかもしれませんわ」

私の口元が、自然と緩んだ。

少なくとも、あの王太子の婚約者でいるよりは、ずっと面白そうな未来が待っていそうだったから。
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