婚約破棄、歓迎~自称聖女を返品不可で引き取って~

萩月

文字の大きさ
10 / 28

10

しおりを挟む
北の要塞に来てから二週間。

私のデスクワークは順調そのものだった。
三年分の未処理書類は八割が片付き、今や「承認」のハンコを押す音よりも、お茶を啜る音の方が多く聞こえるほどだ。

外は吹雪。
窓ガラスがガタガタと鳴る極寒の日だが、執務室の中は暖炉の火が赤々と燃え、快適な温度に保たれている。

「……平和ですね」

私が呟くと、向かいの席でポチ(子グマ)を膝に乗せて書類を見ていたオルグレン様が頷いた。

「ああ。魔獣の動きも少ない。……お前が来てから、何もかもがうまく回っている気がする」

「それは閣下が、計算間違いをしなくなったからですよ(私が全部チェックしているおかげで)」

「……感謝する」

穏やかな午後。
このまま定時まで平和に過ごせるかと思われた、その時。

コンコン、と扉がノックされた。

「入れ」

入ってきたのは、顔面蒼白の若い兵士だった。
手には、やけに豪奢な、金箔で縁取られた封筒を持っている。

「か、閣下! および事務官殿! 王都より急便です!」

「王都?」

オルグレン様が眉を顰める。
私も嫌な予感がして、持っていたペンを置いた。

「差出人は?」

「はっ! ……ギルバート王太子殿下、であります!」

室内の空気が、外の吹雪よりも冷たく凍りついた。

オルグレン様から、バチバチとした殺気が漏れる。
膝の上のポチが「キュゥ」と怯えて逃げ出した。

「……よこせ」

オルグレン様が低い声で手を伸ばそうとしたが、私はそれを制した。

「お待ちください、閣下。宛名は?」

「あ、はい。ダーリ・アークライト嬢宛て、となっております」

「ならば私が受け取ります」

私は立ち上がり、兵士からその毒々しいほど煌びやかな封筒を受け取った。
薔薇の香水の匂いがプンプンする。
嗅覚へのテロだ。

「……ダーリ。読まなくていい。俺が引き裂いて捨ててやる」

オルグレン様が物騒なことを言う。

「いえ、業務の一環として確認します。万が一、重要な国政に関わる内容かもしれませんので(99.9%ないでしょうけど)」

私はペーパーナイフを手に取り、外科手術のような慎重さで封を開けた。
中から出てきたのは、羊皮紙ではなく、ピンク色の上質な便箋が三枚。

私は無表情で読み始めた。

***

『親愛なるダーリへ

北の寒空の下、君はいかにして後悔の涙を流しているだろうか。
僕は今、暖かい王宮のテラスで、君のことを想い憂いている。

君が家出したあの日、僕は必死に馬で追いかけた。
しかし、君は恥ずかしがって逃げてしまったね。
あの強がりな性格、実に君らしい。

さて、本題に入ろう。
僕は寛大な心で、君を許すことにした。

君が僕への愛ゆえに暴走し、多額の慰謝料を請求したこと(父上には怒られたが)、そして僕の気を引くために辺境くんだりまで家出したこと。
すべては、僕への深すぎる愛の裏返しだと理解している。

寂しいのだろう?
辛いのだろう?
野蛮な辺境伯の下で、粗末な食事と寒さに震えている君を想像すると、僕の心は痛む。

だから、戻ってきなさい。
今ならまだ間に合う。
戻ってきて、ミナの足元に跪いて謝罪し、僕の側室……いや、第二秘書として働くなら、特別に許してあげよう。

愛の逃避行はもう終わりだ。
君の居場所は、僕の書類の山の前だよ。

追伸:
君がいなくなってから、なぜか僕の周りで物が壊れたり、予算が足りなくなったりする怪奇現象が起きている。
これはきっと、君の生霊がイタズラしているに違いない。
早く戻って、この呪いを解いてくれ。

未来の王 ギルバートより』

***

読み終えた私は、静かに便箋を折りたたんだ。

「……どうだった?」

オルグレン様が、心配そうに――いや、半分くらい剣の柄に手をかけながら聞いてくる。
「戻れとか書いてあったら、王都へ進軍するぞ」という顔だ。

私はにっこりと微笑んだ。
営業用スマイルではない。
慈愛に満ちた、悟りの境地の笑顔だ。

「閣下。大変素晴らしいお手紙でしたわ」

「なっ……!?」

オルグレン様がショックで目を見開く。

「す、素晴らしい、だと? やはりお前は、あいつのことを……」

「ええ。この紙質、そしてインクの油分。……最高です」

「はい?」

私は席を立ち、暖炉へと近づいた。
今は火力が弱まり、種火が小さくなっているところだった。

「ちょうど火が消えかけていて、新しい薪に火をつけるための『焚き付け』が欲しかったのです」

「……あ」

「普通の紙だとすぐに燃え尽きてしまいますが、この高級な便箋なら、油分を含んでいてよく燃えるはず。まさに適材適所!」

私は躊躇なく、ピンク色の便箋を暖炉の中に放り込んだ。
さらに、香水の匂いがきつい封筒も投入する。

ボッ!!

期待通り、便箋は瞬く間に炎を上げ、新しい薪に火を移した。
薔薇の香りが焦げ臭い匂いに変わり、パチパチと景気のいい音が鳴る。

「……燃やしたな」

オルグレン様が呆然と呟く。

「ええ。あんなに熱烈な(頭の沸いた)内容でしたから、熱エネルギーに変換するのが一番の供養かと」

「……内容は?」

「要約しますと、『僕は無能なので助けてください』という悲鳴が、三百行くらいのナルシスト文章でコーティングされていました」

「……そうか」

「あと、『北は野蛮で粗末な土地だ』という偏見も書かれていましたので、これは外交問題として抗議してもいいレベルですね」

「……ふん」

オルグレン様は鼻を鳴らし、少し嬉しそうに口元を緩めた。

「俺の領地を侮辱するとは、いい度胸だ。……だが、お前が燃やしてくれたなら、それでいい」

「はい。灰になりました。これで王都の呪いも浄化されることでしょう」

私は手をパンパンと払い、席に戻った。

しかし、ギルバート殿下の勘違いぶりには恐れ入る。
「戻ってこい」と言えば、私が尻尾を振って戻ると本気で思っているのだ。
しかも「第二秘書」などという謎のポストで。

(誰が戻るもんですか。こっちには美味しいおやつと、定時退社と、モフモフがいるのよ!)

私は足元に戻ってきたポチを、つま先でツンツンと撫でた。

「さて、閣下。雑音も消えたところで、仕事に戻りましょう」

「ああ。……そういえば、ダーリ」

「何でしょう?」

「今、燃やした手紙の燃えカスが……微妙に、ハートの形に見えるのだが」

「見間違いです。あるいは、殿下の執念が灰になっても自己主張しているのでしょう。水をかけておきますか?」

「……いや、やめておけ。水蒸気爆発しそうだ」

私たちは顔を見合わせて、小さく笑った。

王都からの「愛の呼びかけ」は、北の要塞の暖房燃料として、実に有意義に活用されたのだった。

***

一方その頃、王都の王太子宮。

ギルバート殿下は、窓辺でポーズを取りながら、北の空を見上げていた。

「ふっ……今頃ダーリは、僕の手紙を読んで涙しているに違いない。そして、感動のあまり手紙を抱きしめて寝るはずだ」

隣にいたミナが、首をかしげて尋ねる。

「ギルバート様。ダーリ様、本当に戻ってくるでしょうか? 私、計算とか漢字とか分からなくて、もう限界なんですぅ……」

「大丈夫だよ、ミナ。ダーリはツンデレだが、僕への愛は海より深い。手紙一通で、飛んで帰ってくるさ」

「そうなんですかぁ。さすがギルバート様!」

「ははは! 待っていてくれ、僕の優秀な(無料の)事務官!」

殿下の高笑いが響く。
その背後で、積み上がった書類の山が「ドサッ」と崩れ落ちたことに、彼はまだ気づいていなかった。

北と南。
二人の認識のズレは、マリアナ海溝よりも深く広がっていたのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。
恋愛
王国の侯爵令嬢ルゥナ=フェリシェは、些細なすれ違いから突発的に家出をする。本人にとっては軽いお散歩のつもりだったが、方向音痴の彼女はそのまま隣国の帝国に迷い込み、なぜか牢獄に収監される羽目に。しかし無自覚な怪力と天然ぶりで脱獄してしまい、道に迷うたびに騒動を巻き起こす。 一方、婚約破棄を告げようとした王子レオニスは、当日にルゥナが失踪したことで騒然。王宮も侯爵家も大混乱となり、レオニス自身が捜索に出るが、恐らく最後まで彼女とは一度も出会えない。 ルゥナは道に迷っただけなのに、なぜか人助けを繰り返し、帝国の各地で英雄視されていく。そして気づけば彼女を慕う男たちが集まり始め、逆ハーレムの中心に。だが本人は一切自覚がなく、むしろ全員の好意に対して煙たがっている。 帰るつもりもなく、目的もなく、ただ好奇心のままに彷徨う“無害で最強な天然令嬢”による、帝国大騒動ギャグ恋愛コメディ、ここに開幕!

居場所を失った令嬢と結婚することになった男の葛藤

しゃーりん
恋愛
侯爵令嬢ロレーヌは悪女扱いされて婚約破棄された。 父親は怒り、修道院に入れようとする。 そんな彼女を助けてほしいと妻を亡くした28歳の子爵ドリューに声がかかった。 学園も退学させられた、まだ16歳の令嬢との結婚。 ロレーヌとの初夜を少し先に見送ったせいで彼女に触れたくなるドリューのお話です。

赤毛の伯爵令嬢

もも野はち助
恋愛
【あらすじ】 幼少期、妹と同じ美しいプラチナブロンドだった伯爵令嬢のクレア。 しかし10歳頃から急に癖のある赤毛になってしまう。逆に美しいプラチナブロンドのまま自由奔放に育った妹ティアラは、その美貌で周囲を魅了していた。いつしかクレアの婚約者でもあるイアルでさえ、妹に好意を抱いている事を知ったクレアは、彼の為に婚約解消を考える様になる。そんな時、妹のもとに曰く付きの公爵から婚約を仄めかすような面会希望の話がやってくる。噂を鵜呑みにし嫌がる妹と、妹を公爵に面会させたくない両親から頼まれ、クレアが代理で公爵と面会する事になってしまったのだが……。 ※1:本編17話+番外編4話。 ※2:ざまぁは無し。ただし妹がイラッとさせる無自覚系KYキャラ。 ※3:全体的にヒロインへのヘイト管理が皆無の作品なので、読まれる際は自己責任でお願い致します。

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

善人ぶった姉に奪われ続けてきましたが、逃げた先で溺愛されて私のスキルで領地は豊作です

しろこねこ
ファンタジー
「あなたのためを思って」という一見優しい伯爵家の姉ジュリナに虐げられている妹セリナ。醜いセリナの言うことを家族は誰も聞いてくれない。そんな中、唯一差別しない家庭教師に貴族子女にははしたないとされる魔法を教わるが、親切ぶってセリナを孤立させる姉。植物魔法に目覚めたセリナはペット?のヴィリオをともに家を出て南の辺境を目指す。

貴方のことなんて愛していませんよ?~ハーレム要員だと思われていた私は、ただのビジネスライクな婚約者でした~

キョウキョウ
恋愛
妹、幼馴染、同級生など数多くの令嬢たちと愛し合っているランベルト王子は、私の婚約者だった。 ある日、ランベルト王子から婚約者の立場をとある令嬢に譲ってくれとお願いされた。 その令嬢とは、新しく増えた愛人のことである。 婚約破棄の手続きを進めて、私はランベルト王子の婚約者ではなくなった。 婚約者じゃなくなったので、これからは他人として振る舞います。 だから今後も、私のことを愛人の1人として扱ったり、頼ったりするのは止めて下さい。

婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです

藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。 家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。 その“褒賞”として押しつけられたのは―― 魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。 けれど私は、絶望しなかった。 むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。 そして、予想外の出来事が起きる。 ――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。 「君をひとりで行かせるわけがない」 そう言って微笑む勇者レオン。 村を守るため剣を抜く騎士。 魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。 物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。 彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。 気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き―― いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。 もう、誰にも振り回されない。 ここが私の新しい居場所。 そして、隣には――かつての仲間たちがいる。 捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。 これは、そんな私の第二の人生の物語。

処理中です...