婚約破棄、歓迎~自称聖女を返品不可で引き取って~

萩月

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朝、目が覚めると、世界が回っていた。

天井がぐるぐると回転し、喉は灼熱の砂漠のように乾いている。
体を起こそうとしたが、鉛のように重くて動かない。

「……あ、れ?」

声を出そうとすると、カスカスの変な音が出た。
咳き込む。ゴホッ、ゴホッ。

異変を察知したマリーが、カーテンの隙間から顔を覗かせた。

「お嬢様? もう朝のお支度の時間ですが……ひっ!?」

私の顔を見た瞬間、マリーが悲鳴を上げた。

「お、お嬢様! お顔が真っ赤です! それにすごい熱!」

マリーが駆け寄り、私の額に手を当てる。
その手がひんやりとして気持ちいい。

「大変! お医者様を! いえ、まずは氷を!」

「……マリー、落ち着いて……ただの風邪よ……」

「ただの風邪ではありません! お嬢様はここ数日、『ブロマイド増産計画』と『床暖房設置工事』の指揮で、根を詰めていらっしゃいましたから!」

言われてみれば、心当たりしかない。
北国の寒さに慣れていない体が、過労で悲鳴を上げたのだろう。

「今日は……休みます……。閣下に……伝えて……」

私はガクリと枕に沈んだ。
意識が朦朧とする中、廊下をバタバタと走るマリーの足音が遠のいていくのが聞こえた。

数分後。

バンッ!!!

部屋の扉が、爆発したかのような勢いで開け放たれた。

「ダーリ!! 死ぬのか!?」

怒号と共に飛び込んできたのは、オルグレン様だった。
なぜかフル装備だ。
鎧を着込み、腰には剣、背中にはポチ(子グマ)を背負っている。

「……死にません……ただの発熱です……」

「嘘をつけ! マリーが『お嬢様が煮えたタコのように真っ赤で、うわ言で計算式を唱えています!』と泣きついてきたぞ!」

「マリー……伝え方……」

私は脱力した。
オルグレン様はドカドカとベッドサイドまで歩み寄ると、心配そうに私を覗き込んだ。
その顔が近い。
そして、鎧が冷たい。

「……熱いな。ゆで卵ができそうだ」

「例えが……貧困ですね……」

「医者は呼んだ。だが、到着まで時間がかかる。……俺が看病する」

「え?」

「戦場での応急処置なら慣れている。任せろ」

彼は自信満々に胸を叩いた(ガシャン!と金属音がした)。
嫌な予感しかしない。
全力で辞退したかったが、声を出す気力もなかった。

「まずは、熱を下げる。氷水だ」

彼は洗面器にたっぷりと雪と水を入れ、タオルを浸した。
そして、それを絞る。

「ふんっ!」

ブチィッ!!

「あ」

見ると、タオルが無残にも真っ二つに引きちぎられていた。

「……すまん。力の加減が」

「……新しいのを……お願いします……」

二枚目のタオル。
彼は今度こそ慎重に、指先だけで絞った。
しかし、それでもポタポタと水が垂れている。

「よし、これでいいだろう」

彼が私の額にタオルを乗せる。

べちゃっ。

「つめたっ!?」

絞り方が甘すぎて、氷水が顔面に滴り落ちてきた。
冷たい水が目に入り、私は跳ね起きた。

「溺れる! 溺れさせようとしてます!?」

「す、すまん! 殺すつもりはなかった!」

「看病で殺されたくありません!」

私は自分でタオルを絞り直し、額に乗せて横になった。
はぁ、とため息が出る。
これなら一人で寝ていた方がマシかもしれない。

「……何か、食欲はあるか?」

オルグレン様が懲りずに聞いてくる。
追い返したいが、彼の顔があまりにも真剣で、そして今にも泣きそうなほど不安げだったので、私は邪険にできなかった。

「……果物なら……少し……」

「果物か。よし、リンゴがある。すりおろしてやろう」

「お願いします……(すりおろしなら大丈夫よね?)」

彼は籠から真っ赤なリンゴを取り出した。
しかし、ナイフが見当たらない。

「チッ、ナイフがないな。……まあいい」

「え? どうするんですか?」

「こうする」

彼はリンゴを片手で掴むと、
グググッ……

バチュン!!!

「ひぇっ!?」

リンゴが、握力だけで粉砕された。
果汁がスプラッシュし、果肉が弾け飛ぶ。
部屋中に甘酸っぱい香りと、無残なリンゴの破片が飛び散った。

「……すりおろしたぞ(物理)」

「それは『握りつぶした』と言います!!」

「同じようなものだろ。ほら、食え」

彼は手のひらに残った、グチャグチャになったリンゴの残骸を差し出した。
ワイルドすぎる。
野生のクマでも、もう少し上品に食べると思う。

「……ジュースだけ……啜ります……」

私は彼の手から滴る果汁を、スプーンですくって舐めた。
甘くて、冷たくて、美味しい。
悔しいけれど、美味しい。

「……美味いか?」

「……はい」

「そうか。……よかった」

彼はホッとしたように表情を緩めた。
その顔を見て、私の胸がトクンと鳴った。
熱のせいだろうか。

「……閣下。もう大丈夫ですから、執務に戻ってください。仕事が溜まりますよ」

「書類などどうでもいい」

彼は即答した。

「お前が倒れたら、誰が俺の計算間違いを直すんだ。誰がポチの爪を切るんだ。誰が……俺に飴をくれるんだ」

「……結局、自分のためですか」

「違う」

彼は私のベッドの縁に腰掛けた(またミシッと音がした)。

「……お前がいなくなると、城が静かすぎて……寒いんだ」

彼はポツリと言った。
その言葉は、いつもよりずっと小さくて、震えているように聞こえた。

「俺は、ずっと一人だった。この城で、雪と氷に囲まれて。それが当たり前だと思っていた。……だが、お前が来てから、やかましいくらい毎日が騒がしくて……それが、悪くない」

彼は不器用な手つきで、私の布団を掛け直してくれた。
その手は大きいけれど、今度は何も壊さなかった。

「だから、早く治せ。……命令だ」

「……ふふ」

私は思わず笑ってしまった。

「上司命令ですか。……ブラックですね」

「うるさい。ホワイト企業を目指しているんじゃなかったのか」

「そうでしたね。……では、有給休暇をいただきます」

「許可する。……その代わり」

彼は自分の手を、私の額に乗せ直した。
タオル越しの冷たさではなく、彼の手のひらの、直接的な温度。

オルグレン様の手は、いつもは冷たいはずなのに。
今は、不思議と温かく感じた。

「……俺が、そばにいる」

「……看病、下手ですよ?」

「努力する。……次はタオルを破らん」

「リンゴも、ナイフを使ってくださいね」

「善処する」

彼の大きな手が、私の視界を優しく覆った。
その暗闇が心地よくて、私は深い眠りに落ちていった。

夢の中で、誰かが私の手を握っていた気がする。
ゴツゴツとした、岩のような、でも温かい手。

***

翌日。

私の熱は嘘のように下がっていた。
さすがの回復力だ。
あるいは、オルグレン様の「破壊的看病」に生命の危機を感じて、体が無理やり治したのかもしれない。

「お目覚めですか、お嬢様!」

マリーが朝食を運んできた。
トレイの上には、きれいにウサギの形に切られたリンゴが乗っている。

「あら、マリー。これ、あなたが?」

「いいえ。閣下が朝早くから台所に立って、一生懸命作られたんです」

「え?」

「ナイフを持つのも怖々で……一時間くらいかけて、これ一つを」

私は皿の上のリンゴを見た。
形は不格好だ。
耳の大きさが違うし、皮の剥き方もガタガタだ。
ところどろ、指で押したような跡もある。

でも。

「……バカですね、本当に」

私はその不格好なウサギを一つ、口に入れた。
昨日握りつぶされたリンゴよりも、ずっと甘く感じた。

「お嬢様? 顔が赤いですけど、熱がぶり返しましたか?」

「……違うわよ。部屋が暑いだけ」

私は布団に顔を埋めた。
心拍数が上がっているのは、絶対に風邪のせいではない。

(……あんな顔で心配されたら、調子が狂うじゃない)

私は認めたくなかった。
あの「北の氷壁」と呼ばれる堅物男に、ほんの少しだけ、ときめいてしまったことを。

その日の午後。
執務室に戻った私は、通常業務を再開した。

「おお、ダーリ! 復活したか!」

オルグレン様が、尻尾を振る幻影が見えるほどの勢いで迎えてくれた。

「はい、ご心配をおかけしました。……リンゴ、美味しかったです」

私が小声でお礼を言うと、彼はパッと顔を赤らめ、そっぽを向いた。

「……味見はしていない。毒見役のポチが食わなかったから、安全だと思っただけだ」

「素直じゃないですね」

「うるさい。……ほら、仕事だ。ここが分からん」

彼が差し出した書類には、いつもの倍くらいの書き込みがあった。
私が休んでいる間、彼なりに必死に穴を埋めようとした跡が見える。

「……ふふ。はい、修正しますね」

私はペンのインクをつけ、書類に向かった。
窓の外は相変わらずの吹雪。
でも、この部屋の中は、春のように暖かかった。
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