婚約破棄、歓迎~自称聖女を返品不可で引き取って~

萩月

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凍てつく寒空の下で三十分。
ついに「冬の城」の重厚な正門が、ゴゴゴ……と音を立てて開かれた。

「あ、開いた……! 助かったぁ……!」

雪だるま寸前まで冷え切ったギルバート殿下とミナ嬢は、もはや歩く気力もなく、ゾンビのようによろめきながら城内へと雪崩れ込んだ。

「さ、寒い……死ぬ……」
「カニ……スープ……温泉……」

うわ言を呟く二人を、無表情な兵士たちが担架に乗せて運んでいく。
通されたのは、城で最も格式高い「大広間」だった。

扉が開かれた瞬間。

「うわぁ……っ!」

ミナが感嘆の声を上げた。
そこは、外の地獄が嘘のような別世界だったからだ。

シャンデリアが黄金の光を降り注ぎ、巨大な暖炉では薪が赤々と燃えている。
床にはフカフカの絨毯(床暖房完備)が敷き詰められ、テーブルには湯気を立てる豪華な料理の数々が並んでいた。

そして。
その最奥の上座に、二人の人物が優雅に座っていた。

一人は、最高級のシルクドレスに身を包み、宝石を散りばめた扇子を手にした私、ダーリ。
もう一人は、漆黒の礼服を着こなし、綺麗にセットされた銀髪が照明に輝くオルグレン様。

まるで絵画のような、完璧な「領主夫妻(仮)」の構図である。

「……よ、ようこそお越しくださいました、殿下」

私は扇子で口元を隠し、ニッコリと微笑んだ。

「ずいぶんと……涼しげな格好でいらっしゃいますこと」

「くっ……くしゅんっ!!」

ギルバート殿下が盛大にくしゃみをした。
鼻水が垂れている。
私の完璧なドレスアップと、殿下の鼻水垂れ流しスタイル。
勝負は始まる前から決まっていた。

「ダ、ダーリ……! き、君……その格好は……?」

殿下が震える指で私を指差す。

「みすぼらしいあばら屋で、ボロ布を纏って泣いているはずでは……?」

「あら、ご冗談を。見ての通り、この上なく快適で優雅な生活を送っておりますわ」

私はテーブルの上のローストビーフ(最高級部位)を指し示した。

「食事は王宮のシェフよりも腕の良い料理人が作り、部屋は最新の魔導暖房で常春のよう。ドレスも宝石も、好きなだけ新調できますの(経費で)」

「な、なんだと……?」

殿下が愕然とする横で、ミナが「ズルいぃぃぃ!」と叫んだ。

「なんでですかぁ! 私なんて、来る途中の宿屋で固いパンしか食べてないのにぃ! なんで悪役令嬢の方がいい暮らししてるんですかぁ!」

「それは私が『有能』で、稼げる女だからですわ」

私は冷たく言い放った。

「さて、殿下。わざわざこのような辺境まで、何の用でいらっしゃいましたの? まさか、遭難ごっこを楽しみに?」

「ち、違う!」

ギルバート殿下は、必死に背筋を伸ばし、王太子としての威厳を取り戻そうとした。
しかし、鼻声なので締まらない。

「ぼ、僕は……君を迎えに来たのだ! 哀れな君を救済するために!」

「救済?」

「そうだ! 見ろ、隣に座っているその男を!」

殿下がビシッとオルグレン様を指差した。

「『北の氷壁』と恐れられる野蛮な男! 噂では、気に入らない部下を氷漬けにし、毎晩生肉を食らうという怪物ではないか! そんな男の元で、君が幸せなはずがない!」

(生肉……いつの間にそんな噂が)

私はチラリと隣を見た。
オルグレン様は、殿下の無礼な発言にも眉一つ動かさず、静かに紅茶を飲んでいる。
ただし、その手にはマリーが焼いたウサギさんクッキーが握られていたが。

「愛のない結婚、野蛮な夫! 君は恐怖に震えながら、無理やり笑顔を作っているんだろう!? かわいそうに!」

殿下は勝手にストーリーを作り上げ、涙ぐんでいる。

「さあ、僕の手を取れダーリ! 王都へ帰ろう! そしてミナの下で、罪滅ぼしのために馬車馬のように働くんだ!」

「お断りします」

私は即答した。
食い気味に、秒速で。

「え?」

「聞こえませんでしたか? 『嫌です』と申し上げました」

「な、なぜだ!? 意地を張るな!」

「意地ではありません。事実です」

私は立ち上がり、オルグレン様の隣へ移動した。
そして、自然な動作で彼の腕に手を添える。

「ご紹介しますわ。こちらが私の現在の雇い主……いえ、パートナーのオルグレン閣下です」

「……どうも」

オルグレン様が低く唸るような声で挨拶する。
その威圧感に、殿下が「ひっ」と後ずさった。

「見てください、この逞しい腕。殿下のような細腕とは違い、魔獣をも素手で屠る頼もしさ。そしてこの整った顔立ち。黙っていれば国宝級の美しさです」

私が褒めちぎると、オルグレン様の耳がみるみる赤くなっていく。
可愛い。

「それに、閣下はとても寛大ですわ。私の仕事を正当に評価し、十分な報酬をくださいます。私の提案を頭ごなしに否定せず、耳を傾けてくださいます。……どこかの、自分の自像を黄金で作ろうとする方とは大違いです」

「ぐぬっ……!」

「愛のない結婚? ふふっ、笑わせないでください」

私はオルグレン様を見上げ、うっとりとした(演技の)表情を作った。

「私たちは、最高の信頼関係で結ばれておりますの。ねえ、閣下?」

「……あ、ああ。そうだ」

オルグレン様が話を合わせてくれる。
ナイス連携だ。
昨日の打ち合わせ通りである。

「ダーリは……俺にとって、なくてはならない存在だ」

オルグレン様が、ポツリと言った。
その声は、演技にしては少し真剣すぎて、私の心臓がトクンと跳ねた。

「彼女がいなければ、俺の生活は回らない。……彼女の淹れる茶でなければ喉が通らないし、彼女の選ぶ服でなければ落ち着かない」

(……閣下、ちょっとアドリブが過ぎませんか? それだとまるで……)

「だ、だから! 俺は彼女を手放すつもりはない!」

オルグレン様は言い切ると、私の肩をグイッと引き寄せた。
強い力。
でも、痛くはない。
逞しい胸板に背中が当たり、彼の体温が伝わってくる。

「ひぃぃぃっ!」
「きゃぁぁぁっ!」

殿下とミナが悲鳴を上げて抱き合った。

「こ、殺される! 目がマジだ! あの目は獲物を狙う肉食獣の目だ!」

「ギルバート様ぁ、逃げましょうよぉ! 私、食べられたくないですぅ!」

完全に誤解されている。
オルグレン様はただ「優秀な事務官を返さない」と言っているだけなのだが、彼らの目には「愛する妻を奪おうとする敵への威嚇」に見えているらしい。

「き、貴様ら……! 覚えておけ!」

殿下は涙目で捨て台詞を吐いた。

「金と暴力で支配された関係など、長続きするはずがない! 真実の愛を知らない貴様らは、いつか破滅するんだ!」

「はいはい、そうですね。……では、お帰りください」

私は冷淡に手を振った。

「あ、帰り道は雪が深いのでお気をつけて。遭難しても、今度は助けませんから」

「うわぁぁぁぁん! バカぁぁぁ!」

殿下とミナは、転がるように大広間を出て行った。
去り際にミナが、テーブルの上のローストビーフを一塊、素手で掴んで持っていったのを私は見逃さなかった。
(……たくましいな、あの聖女)

バタンッ。

扉が閉まり、静寂が戻る。

「……ふぅ。疲れました」

私はオルグレン様の腕から離れ、大きく息を吐いた。
緊張が解けて、どっと疲れが出る。

「……行ったか」

「ええ。これで少しは懲りて、諦めてくれるといいのですが」

「……どうだろうな。あの男の目は、まだ死んでいなかったぞ」

オルグレン様は苦笑しながら、セットされた髪を無造作にかき上げた。
せっかくの髪型が崩れてしまったが、乱れた銀髪もまたセクシーで困る。

「それにしても、閣下。先ほどの演技、素晴らしかったですわ。『なくてはならない存在』だなんて、王宮の俳優顔負けでした」

私が茶化すように言うと、オルグレン様は急に視線を逸らした。

「……演技ではない」

「え?」

「……事実だ。お前がいなくなったら、俺は……また、あの灰色の毎日に戻るだけだ」

彼はボソッと言った。

「だから……絶対に帰さん」

その言葉は、先ほどの殿下への威嚇よりも、ずっと静かで、そして重たかった。

部屋の空気温度が、暖房の設定以上に上がった気がする。
私は顔が熱くなるのを感じて、慌てて扇子で仰いだ。

「……そ、それは光栄ですわ。私も、これほどの好待遇(ホワイト)な職場を手放すつもりはありませんので」

「……そうか」

「はい。……あ、おやつ食べましょうか。スコーンが冷めてしまいます」

「……うむ」

私たちは微妙な距離感を保ちつつ、再びテーブルに向かった。
甘いスコーンの味が、いつもより少しだけ、甘酸っぱく感じられた。

マウント合戦には完全勝利した。
しかし、この「契約関係」という名の微妙な関係については、まだ決着がつきそうになかった。

その頃。
城の外へと放り出されたギルバート殿下たちは。

「……寒い」
「……お肉、おいしい……」

雪の中で身を寄せ合いながら、新たな作戦を練っていた。

「くそっ……あんな男のどこがいいんだ! 筋肉か? 結局、女は筋肉が好きなのか!?」
「ギルバート様も筋トレしますぅ? 私、マッチョも嫌いじゃないですけどぉ」
「いや、違う。きっと何か弱みがあるはずだ! ……そうだ、あの城に潜入して、ダーリが虐げられている証拠を見つけるんだ!」

「ええーっ、潜入ですかぁ? 面倒くさい……」

懲りない王太子の暴走は、まだ終わっていなかった。
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