メモリーズ・メロディーズ

翼 翔太

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六、お泊り修業開始

お泊り修業開始2

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 律はしずかにドアノブを回した。
「さあ、ゆっくり接してちょうだい」
 律は部屋の電気をつけた。その部屋はまさしく楽器たち専用というのにふさわしかった。ドアと部屋のあいだにはのれんより大きな布がつるされていて、湿度などが変わりにくくしていた。室温は熱くも寒くもなくちょうどよかった。じめじめしているということも、のどが乾燥してしまうこともない湿度。かべには湿度計がかかっていて五十を指している。窓には太陽の光が入ってこないようにカーテンが閉められていた。そしてかなでの想像どおり部屋の隅まできれいにそうじされていた。
「これがルゥトの体よ」
 そう言って律がケースからとり出したのは、かなでを試したときの笛だった。知っているフルートとは少し見た目がちがっている。黒い木でできていてところどころにしか金属がない。
「これがフルートなんですか?」
 かなではいろんな角度から木製のフルートを見た。かなでが知っているものより太めで、キーの数も少ない。
「今じゃ金属製が主だけれど元々は木でつくられていたのよ。フルートという言葉は、何百年も昔はたて笛と横笛の両方を指していたの。でもたて笛のことを言っていたみたいね。横笛は別の名前で区別していたから」
 律はそう説明した。ふとかなでの目に見覚えのある楽器があった。
「あ、クリームのときのオルガン」
「その子はオッディ。つくられて百五十年だから、人の姿をとることはできないけれど話すことはできるわ」
 かなではオッディの前に立った。
「あなたのおかげでクリームとずっといられるようになった。ありがとう」
 しかしオッディは声どころか音も出さなかった。すると律とイオがつけ足した。
「オッディはシャイなの。悪く思わないであげて」
「ボクらとの話に入ってくることもめったにないんだよ」
「そうなんだ」
(楽器の魂にもいろんなタイプがいるんだなあ)
「もう一人、楽器の魂がいるの。行きましょうか」
「はい」
 律たちが部屋を出る中かなでは一度立ちどまり、オッディに小さく手をふった。
 楽器たちの部屋の次は庭へ出てきた。野菜が植えられている小さな菜園に色とりどりの花が咲いている花だん。菜園の前には物干しざおが三本ならんでいて、ベッドのマットレスにもたれかかっていた。マットレスの下には新聞紙をしいてあるのでよごれることはないだろう。
 はなれを出て律は庭の中でも修想館に近い側のおくへと進んだ。一番おくには物置があり、その手前にははなれより一回り小さいが、十分広そうな建物があった。
 思い出をこめる部屋のかべは音楽室のように小さな穴がいくつも空いていて、ゆかはパズルに似た分厚いじゅうたんがしかれている。どうやら防音にしているようだ。部屋の真ん中では真っ黒なピアノが待っていた。
「こんにちは、リツ。その子が、イオが教えてくれた子ね?」
 ピアノがひとりでにしゃべりだした直後、ぽうっと光の玉がいくつも現れるとそれらは一か所に集まり、人の形を成していった。二十代後半くらいで茶色の髪はゆるいウェーブをえがいていて、濃い紫色のドレスに真っ白なはだが映える。ドレスはサテン生地なのか表面につやがあり、さわり心地がよさそうだった。
「はじめまして、カナデ。ワタクシはアノー。ピアノに宿った魂ですわ」
 アノーは手を差し出した。その指はすらりとしていてきれいだった。かなではアノーの手をにぎり返した。その手にはぬくもりも冷たさもなかった。
「こんにちは、アノーさん。よろしくおねがいします」
「アノーでよろしいわよ。もっと友達のように話してちょうだいな。それにしてもかわいらしいおじょうさんね。リツもこんな時期がありましたね」
「律さんの子どものころのこと知ってるの?」
 かなでの問いにアノーはうなずいた。
「ええ。よくここにきてわたくしをひいていて……」
「アノー。そういう話はかんべんしてちょうだい……」
「あらあ、どうして? 人はみんな子どものころがあるんですから、気にしなくてよろしいじゃありませんか」
「あのねえ、やっぱり自分の子どものころをほかの人に話されるっていうのは、いろいろはずかしいのよ」
「まあ、はずかしがることなんてないじゃありませんか」
「い、い、か、らっ」
 アノーとやりとりをしている律はいつものようなきりっとした大人ではなく、少し子どもっぽく感じられた。一人っ子のかなではそんな会話が新鮮で、ほんの少しだけうらやましくなった。
「ねえ、カナデはピアノも習っているのよね? よかったら練習にワタクシをひきなさいな」
「えっ」
 律とのやりとりが落ち着いたアノーにそんなことを言われたかなでは、いっしゅん気持ちが高ぶったがすぐに律をちらりと見た。
「よかったわね、かなで。ひかせてもらいなさい。魂がこもった楽器をさわることができる機会なんてそうはないから。それからアノー。わたしの子どものころとか、よけいなことは言わないこと。いいわね?」
 アノーはにこりと笑っただけでうんとも、ううんとも言わなかった。
 庭に出た。庭のすみで北東の方角には、はなれがある。屋根は黒いかわらで、数段ほどの階段を上がると横開きの木のとびらがある。律ははなれにも入らせてくれた。ここもお客さんが泊まるための部屋らしい。
「そうはいっても一度に二組なんてうけることはしないわ。一組のお客さまからじっくり思い出話を聞く。それがわたしのやり方だから。ただ、洋室と和室の両方あれば好きなほうを選んでもらえて、ゆっくりしてもらえるでしょう?」
 律はそんな風に教えてくれた。
 律が木のとびらを開けると新しいたたみの、青いにおいがした。部屋の中央には横長で低いテーブルがあり、真正面のおくにはかけじく、その目の前には花が生けられた花びんがあった。部屋の右側には布団や座布団が入っているおし入れ、雪見窓がある。左側のふすまを開けると縁側があって庭をながめることができるようになっていた。二階の客室とは洋室と和室でちがうところが多いけれど、すてきな時間を過ごせそうなところは共通していた。かなでは、深呼吸してたたみのにおいを肺いっぱいに入れた。
 すべての部屋と楽器の魂の案内が終わってからバイオリンの練習はリビングで行われた。かなでは先にバイオリンと楽ふを用意していた。イオがぽうっと光の玉になって、バイオリンの中に入った。ルゥトはその様子を座って見ていた。まだ楽器にもどる気はないらしい。
「じゃあ、このあいだの曲をひいて」
「はい」
 かなではバイオリンのげんの上で弓をすべらせた。一通りひいたが音色がかたいなどいろんなところを指摘された。そして律がお手本としてひいてくれた。なめらかで、のびやかで、きれいだけでなく迫力がある音色。その音色の深みはまだまだかなでには出せそうになかった。のばされた音は楽器が喜びにふるえているようだった。
(聞いているだけで悲しい気持ちなんて消えちゃいそうだなあ。……旅人に思い出をこめてもらった男の人も、こんな気持ちだったらいいなあ)
 そのときだった。かなでの目に羽根が見えた。羽は楽ふの上に乗ると雪のように溶けた。
「わあ……」
 律が演奏の手をとめると、羽根もがくふもすぅっと消えた。
「さっきのは思い出をこめる作業の一部よ。楽器の魂に力を貸してもらって、初めてできるの。もちろん魂のある楽器を使わなくてはいけないけれど、まずはきちんとバイオリンで感情を表現できるようになりましょう」
「はい、わかりました」
 かなではうなずいた。その後バイオリンの練習は休みなく二時間行われた。
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