姫は盤上に立つ

ねむるこ

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あづさゆみ

第十話 白羽の矢(3)

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「そろそろ聞かせてくれないか?一体、霞に何があったんだ?怪我をしたというのは本当か!?」

 伊吹いぶきが前のめりになって聞いて来るので霞は呆れた顔をする。

「落ち着きなさい。大したことではないんだから……」
毒矢どくやに射られたというのに大したことがないとは……。霞様の胆力たんりょくはどうなっているんです?」

 楓がわざとよそよそしい物言いで言い放つ。いつも以上に冷たい声の響きに霞は眉をひそめた。

(急に機嫌が悪くなったわね……。それより伊吹にそんなことを言ったら面倒なことになるじゃない)

 霞が伊吹に視線を移すと予想していた通り、伊吹が再び殺気を帯び始める。

「……な!射られただと?誰だ、その不届き者は?俺が成敗せいばいしてくれる!」

 刀のつかを握ったまま伊吹が立ち上がったところで隣に座っていた楓が淡々と言葉を続けた。

「脅迫状から野行幸のぎょうこうの時に東宮とうぐう様が何者かに狙われると予測していたのですが……狙われていたのは私だったのです。いち早くそのことに気が付いた霞様が男装し、私の元に馬を走らせ助けてくださった……。その時に右肩に矢を受けました。このことは帝以外にはおおやけにされていません」

 先ほどの砕けた物言いから一変。丁寧な口調に変わったことから霞は楓が伊吹に対して心を閉ざしたのを感じ取った。どうやら相当そうとう伊吹のことが気に入らなかったらしい。
 楓が話終えると、伊吹は勢いよく楓の胸倉むなぐらつかんだ。
 普通の役人であればくらいの高い相手に無礼を働くことなどできない。帝に重用ちょうようされている楓に手を出すなど到底考えられなかった。自分の地位を剥奪はくだつされるか宮中から追放されてしまうからだ。
 そんな常識など無視して伊吹は楓に向かって声を張り上げる。

「なぜ霞の側に居ながら霞を守らなかった?俺は霞がこれ以上傷つくことのないよう、顔を会わせず、他人のふりをして生きてきたというのに!」

 霞は伊吹が怒るのを予測していた。何故なら、伊吹が自分のことを大事に思っていることを知っていたからだ。

(あの火事を生き残った、たった一人の親族だもの……。だけどそれは私だって同じ。本音を言えば伊吹を化け物と関わらせたくない)

 楓は胸倉むなぐらつかまれたまま伊吹に冷たい視線を向ける。

「私に無礼を働くようであれば、警護のやくを降りて頂きますよ」

 霞の望んでいた言葉が楓の口から出る。

(伊吹には悪いけど……。警護の役は降りてもらいましょう)

 霞は敢えて黙り込み事の成り行きを見守った。
 伊吹は悔しそうに歯を食いしばると、暫く逡巡しゅんじゅんしたのち、楓から手を離す。

「……それは困ります。その『化け物』とやらが霞を傷つけたのでしょう。だったら探し出してそいつをらしめなくては!」

 すぐに冷静さを取り戻した伊吹に霞は目を丸くする。握りこぶしを作って、楓のことを真っすぐに見つめていた。

「あのな……お前が警護するのは俺であって霞様じゃな……」
「分かっております!ですから……両方お守り致します!それで構わないでしょう?」

 伊吹の勢いに、冷静さを装っていた楓が押され始める。その様子を見ていた霞は口元に小袖こそでの袖を当ててふっと小さく笑った。

(こうなったら伊吹にも手伝ってもらおうかしらね。戦う駒は多い方がいいもの……)

 こんな時にも頭の中に盤上を思い浮かべてしまう自分に呆れながらも伊吹に口添くちぞえしてやる。

「楓様。伊吹も私同様、化け物を恨む者。同じく信用できる者ではないでしょうか?それにこれだけ真っすぐな性格なのです。化け物に通じていることもないでしょう」
「それはそうだけどな……」

 楓がじろじろと伊吹をにらむ。

「ところで……何故なぜ、霞は蔵人頭殿に協力をしてるんだ?霞の頭がいいからか?それとも……蔵人頭殿にたぶらかされて……」

 伊吹の問いに、霞も楓も目が点になる。
 伊吹は霞が両親のかたきを追っていることを知らない。また、霞ほど卓越した思考力がないため霞の家族の仇と『化け物』の関係性に気が付いていなかった。
 首をかしげる伊吹を見て楓は呆れかえっている。霞が冷静に説明を加えた。

「私が誑かされるわけないでしょう……。目的が同じだったのよ。宮中を、この国を崩そうとしている化け物は私の家族を殺した者と同一人物だと考えているの。私は入内じゅだいした時からずっと家族のかたきを追っていたから……」
「何!?だったらこの任、尚更なおさら俺が引き受けるべきじゃないか!俺も霞と家族の仇を取りたい!蔵人頭殿、誠心誠意勤めて参りますのでどうか、どうかお認めください!」

 胸倉をつかんだ後とは思えないてのひら返しの行動に楓は戸惑っているようだった。
 伊吹は感情的に動くが、自分がどこに身を置くべきかは理解している。勿論、霞や楓のような思考によるものではなく、野生のかんによるものだ。

(相変わらず素早い判断力と行動力ね……)

「分かった……。認めたくないが、化け物が何者か分からない以上、信用のおける者でないと側には置けない。伊吹、お前を引き続き俺の警護のやくに就ける」
「はっ!」

 伊吹は姿勢を正すと、深々と伊吹に頭を下げた。そして、顔を上げると霞に悲しそうな顔を向ける。

「それと……霞。悪かった。俺も野行幸のぎょうこうに駆り出されていたのに、お前の窮地を救ってやれなかった……。だけど今度は絶対しくじらないからな!」
「伊吹……」

 霞は伊吹の真っすぐな視線を見ていられず、思わず視線を自分の手元に移す。

(伊吹は私と違って真っすぐ生きてきたのに……。私の目的のためにこまにしてしまっていいの?)

「そう言えば……もう1つ。伊吹に伝えてなかったことがある」

 しんみりとした雰囲気を打ち壊すように楓が立ち上がりながら言った。座っている霞の側に近寄ると右腕を軽く自分の方へ引いた。自然と霞と楓の距離が縮まる。霞は思わず眉間に皺を寄せた。

「怪しまれずに情報交換するために俺と霞様はのふりをすることになったんだ。そのことを頭に入れておいてくれ。よってこれからは部屋の外に控えているように」

 爽やかな楓の笑顔を横目に、霞は心の中であきれていた。

(こんな時にも恰好つけるなんて。楓様の色男いろおとこぶりは周知しゅうちの事実でしょうに……。私を駒に使ってどうするのよ)

 伊吹の方を見ると、その表情が凍りついているのが分かった。霞の視線に気が付いて、伊吹は慌てて霞と楓に平伏した。

「……はっ。承知致しました」

 伊吹は言葉数少なく、部屋の外に出て行ってしまった。

「楓様、伊吹に対して見みえを張る必要があったのですか?気分を悪くしてしまったではありませんか。そもそも私の使いどころも間違っております。こういうのはもっと華のある若い姫君を使うことで効果を発揮すると思うのですが……」

 楓は霞から離れると両手を挙げて、むすっとした表情を浮かべる。

「……見栄を張ったつもりは無い」
「では、何だったのですか……」

 霞が楓を見つめていると、楓は首を傾げて完璧な笑みを湛《たた》えていた。思わず視線が釘付けになる。



 野行幸《のぎょうこう》前に霞が楓に放った言葉をそのまま言い返され、霞は眉をひくつかせた。

(楓様って本当に扱いにくい駒!よく考えたら最近ずっと楓様の思惑通りに動いているような気がするわ……。駄目よ、霞。ちゃんと主導権を握らないと……!)

 霞に勝利した楓はそのまま機嫌良く霞の側から離れる。腰に差した矢をひつに仕舞うと、霞にひらひらと手を振った。

「それでは私はこれにて……。良い子にしているんですよ。

 わざと恋人らしく甘い口調で言うと霞のつぼねを立ち去っていく。
 一人残された霞は悔しさに耐えながら、脳内に浮かび上がる盤上の前に座る。

(見てなさいよ……。次は必ず私が勝ってみせるから)

 矢の持ち主を探すとともに、楓を見返すための策を立て始めた。

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