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あづさゆみ
第十一話 白羽の矢(4)
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(そろそろ駒を動かす時ね……)
霞が物思いにふけっていた時だった。
「霞。霞ってば!」
目の前に座る菖蒲《あやめ》が霞の顔の前で小さな手を振る。顔を上げると菖蒲の頬が膨れているのが見えた。子供っぽい可愛らしい仕草に思わず霞が笑みをこぼす。
「もうっ。ぼうっとしちゃって……。次は霞の番よ」
「申し訳ありません。考え事をしておりました」
霞は一日休養した後、すぐに菖蒲の局に出仕していた。
菖蒲と向かい合い遊戯盤に興じていたところだった。脳内の遊戯盤の目を見るのに忙しく現実の駒を動かすのを忘れていたのだ。
「もしかして、まだ具合が悪いの?」
菖蒲が心配そうに楓の顔を覗き込む。霞は慌てて首を振った。
「いいえ。お休みを頂いたお陰ですっかり元気になりました」
まだ矢を受けた右肩を上げることができなかったが、菖蒲は霞が矢に射ぬかれたことを教える訳にはいかない。微笑みを浮かべながら息をつくように嘘を言う。
「それとも……楓様のことかしら?」
菖蒲の顔が急にきらきらと輝き始める。霞は背中に冷や汗を掻いた。遂に恐れていた機会が訪れる。他の女房達もちらちらと霞のことを見ていた。
「いえ……それは……」
口籠る霞に構わず女房達の声が飛び交う。
「霞様!楓様とはどのようにお過ごしに?」
「まさかそれほどの仲だったとは思いませんでしたわ!予想外の組み合わせ!」
「是非ともお二人のお話を聞かせてください!」
四方を女房達に囲まれて、霞は引き攣った笑みを浮かべた。
彼女達の瞳には、「何故目立たない地味姫と宮中一の色男がくっついたのか」という好奇心で溢れているのがすぐに分かった。遠巻きから眺めている女房に限っては「何故あんな奴が楓様と」という目を向けてきている。
霞は女子特有の「無意識の悪意」に少しだけ曇った表情を浮かべた。
(ほらね。こんな風に面倒なことになるんだから……。話していることと言えば宮中に潜む化け物のことばかり。貴方達が期待しているような甘いことなんて何ひとつないのに)
「ちょっと!あまり霞に乱暴しないで。病み上がりなのよ」
菖蒲が声を上げると、女房達が渋々と仕事に戻っていった。
「でも安心したわ。楓様って浮ついた方だと思っていたけど一途《いちず》な方だったのね」
菖蒲の口から信じられない言葉を聞いて霞は目を丸くした。
(あれのどこがですか?あんなのは全部、芝居ですよ。化け物を狩るための芝居!)
思わず心の中で悪態を吐いてしまう。
「だって、霞が倒れたって伝えに来てくれた楓様の必死なお姿……。その後も夜通し霞に付いていてくれたのでしょう?私、二人の愛の強さを感じたの。こういう非常時にこそ愛が試されるのよね!」
「はあ……愛ですか……」
うっとりとした表情を浮かべ、両手を合わせる菖蒲に霞はため息を吐いた。何だか愛という言葉が他人事のように聞こえる。
確かに、怪我の措置を終えたら立ち去ってもいいものを楓は律儀に目が覚めるまで側に居てくれた。しかし霞はそれらの行為が愛によるものだとは思っていなかった。
(看病するというのは今後の方向性を相談するための口実。それにあれは愛ではなくて怪我をさせた後ろめたさでしょうね)
霞と楓の関係は傍から見れば憧れの恋愛に見えるかもしれないが、実際は宮中の悪を暴くという深刻なものだった。菖蒲が心の底から喜んでくれていることに少しだけ心を痛めながらも、そのまま勘違いしてもらうことにする。
(私と楓様のことを周りがどう思おうと関係ない。私はただ、家族の仇を討つだけ……)
「霞が素敵な愛を育んでいるみたいで良かった!私まで幸せな気分になったわ。私も帝とそのような関係でありたいものね」
「大袈裟ですよ。菖蒲様と殿下ももう十分、素敵な関係を築かれているではありませんか」
「ええ?そうかしら?実は最近殿下が……」
霞は素早く話題をすり替える。菖蒲の話を聞きながら、頭の中で駒を動かし始めていた。
「宮中にいる弓矢上手に会うだと?」
その日の夜、いつものように逢瀬と称して霞の局にやって来た楓が驚きの声を上げる。襖の外には楓の警護として伊吹が控えているようで、微かに人の気配がした。
驚く楓に霞は文机に置かれた巻物を見下ろしながら頷いた。高杯灯台に明りに霞の横顔が映し出される。
「ええ。昨年の『射天ノ儀』にて優秀な成績を残した方達の中から野行幸に参加していた方達にお会いしようと思います」
『射天ノ儀』というのは宮中の弓矢上手を争う行事だった。毎年十月に行われ、右と左に組み分けして争うのだ。勝利した組には酒や食べ物、高級な織物などが贈られる。中でも優秀な成績を収めた射手には帝から特別な位、『弓将』を与えられた。位と言っても実質的なものではなく、あくまで名義上のものだった。
「危険すぎる!霞様は一度射られているんだぞ。怖くないのか?」
「私は怖くもなんともありません。それに射手は私を射抜いたことに気が付いていないはずです。まさかあの場に男装した女房がいたなんて思いもしないでしょうね」
そう言って霞は好戦的な笑みを浮かべる。
「なるほど……。正体を知られていないからこそ接触できるということか」
「はい。実際にこの目で見て調べたいことがあるのです」
霞の正面に座る楓は腕組をして黙り込んでいた。薄明かりの中、憂い顔を浮かべる楓は相変わらずの美しさだったが霞の目は慣れてしまい何も感じなかった。そのまま得意気に言葉を続ける。
「楓様こそ、命を狙っている相手と顔を会わせるのは恐ろしいのでは?ここは私にお任せください」
そう言って再び昨年の射天ノ儀が記録された書物に目を落とした。
「……いや。ここは敢えて俺も同行しよう」
「え?」
予想していなかった言葉に霞は弾かれたように顔を上げた。楓の黒い瞳が真っすぐに霞のことを捉える。
「狙いそびれた相手を目の前にすれば何か反応が変わるかもしれないだろう?」
(へえ。意外と勝負に出る性格なのね。そのまま私だけで調査を進めるものだと思ってたのに)
楓の意外な性格に驚きながらも、楓の策が良いものだと思っていた。霞はこほんと咳払いをする。
「では……私の考えた策を聞いてくださいますか?伊吹の協力も必要になってきますのでお呼びしても?」
「策?どんな策だ?」
眉を顰める楓に霞は口元に袖を引き寄せて優雅に微笑んだ。楓はすぐに霞が良いこと……いや、悪いことを思いついたのだと分かった。楓は渋い表情を浮かべて恐る恐る霞に問う。
「……危険なことではないんだな?」
「さあ、それは何とも言えませんが……。大掛かりなものなので皆さんの協力が必要ですからきちんと説明致します」
「霞!俺の名を呼んだか?」
スパンッと襖を勢いよく開けて、伊吹が姿を現す。その顔は霞に呼ばれた嬉しさに溢れていた。
「伊吹。お前、俺達の会話に聞き耳を立てていたな……」
「当然です!局の中で何が起きても対処できるように!」
「あのなあ……。お前は警護に集中していればいいんだ。余計なことを考えなくていい」
「余計なことではありません!お二人の状況を知らねば守れませんから!」
二人が言い争うのを無視して、霞は文机に頬杖をついて口元を緩める。霞の脳内にある盤上に駒が出そろった。
『相手に進めば有利だと思わせて、進んだ先に罠を仕掛ける……。そうすれば相手は驚くだろうな!そして霞。お前は勝利を手に入れることができる!』
どこからか霞の父、榊のはしゃいだ声が聞こえてきた気がした。
(狩の準備は整ったわ……)
霞の瞳に炎が宿る。
霞が物思いにふけっていた時だった。
「霞。霞ってば!」
目の前に座る菖蒲《あやめ》が霞の顔の前で小さな手を振る。顔を上げると菖蒲の頬が膨れているのが見えた。子供っぽい可愛らしい仕草に思わず霞が笑みをこぼす。
「もうっ。ぼうっとしちゃって……。次は霞の番よ」
「申し訳ありません。考え事をしておりました」
霞は一日休養した後、すぐに菖蒲の局に出仕していた。
菖蒲と向かい合い遊戯盤に興じていたところだった。脳内の遊戯盤の目を見るのに忙しく現実の駒を動かすのを忘れていたのだ。
「もしかして、まだ具合が悪いの?」
菖蒲が心配そうに楓の顔を覗き込む。霞は慌てて首を振った。
「いいえ。お休みを頂いたお陰ですっかり元気になりました」
まだ矢を受けた右肩を上げることができなかったが、菖蒲は霞が矢に射ぬかれたことを教える訳にはいかない。微笑みを浮かべながら息をつくように嘘を言う。
「それとも……楓様のことかしら?」
菖蒲の顔が急にきらきらと輝き始める。霞は背中に冷や汗を掻いた。遂に恐れていた機会が訪れる。他の女房達もちらちらと霞のことを見ていた。
「いえ……それは……」
口籠る霞に構わず女房達の声が飛び交う。
「霞様!楓様とはどのようにお過ごしに?」
「まさかそれほどの仲だったとは思いませんでしたわ!予想外の組み合わせ!」
「是非ともお二人のお話を聞かせてください!」
四方を女房達に囲まれて、霞は引き攣った笑みを浮かべた。
彼女達の瞳には、「何故目立たない地味姫と宮中一の色男がくっついたのか」という好奇心で溢れているのがすぐに分かった。遠巻きから眺めている女房に限っては「何故あんな奴が楓様と」という目を向けてきている。
霞は女子特有の「無意識の悪意」に少しだけ曇った表情を浮かべた。
(ほらね。こんな風に面倒なことになるんだから……。話していることと言えば宮中に潜む化け物のことばかり。貴方達が期待しているような甘いことなんて何ひとつないのに)
「ちょっと!あまり霞に乱暴しないで。病み上がりなのよ」
菖蒲が声を上げると、女房達が渋々と仕事に戻っていった。
「でも安心したわ。楓様って浮ついた方だと思っていたけど一途《いちず》な方だったのね」
菖蒲の口から信じられない言葉を聞いて霞は目を丸くした。
(あれのどこがですか?あんなのは全部、芝居ですよ。化け物を狩るための芝居!)
思わず心の中で悪態を吐いてしまう。
「だって、霞が倒れたって伝えに来てくれた楓様の必死なお姿……。その後も夜通し霞に付いていてくれたのでしょう?私、二人の愛の強さを感じたの。こういう非常時にこそ愛が試されるのよね!」
「はあ……愛ですか……」
うっとりとした表情を浮かべ、両手を合わせる菖蒲に霞はため息を吐いた。何だか愛という言葉が他人事のように聞こえる。
確かに、怪我の措置を終えたら立ち去ってもいいものを楓は律儀に目が覚めるまで側に居てくれた。しかし霞はそれらの行為が愛によるものだとは思っていなかった。
(看病するというのは今後の方向性を相談するための口実。それにあれは愛ではなくて怪我をさせた後ろめたさでしょうね)
霞と楓の関係は傍から見れば憧れの恋愛に見えるかもしれないが、実際は宮中の悪を暴くという深刻なものだった。菖蒲が心の底から喜んでくれていることに少しだけ心を痛めながらも、そのまま勘違いしてもらうことにする。
(私と楓様のことを周りがどう思おうと関係ない。私はただ、家族の仇を討つだけ……)
「霞が素敵な愛を育んでいるみたいで良かった!私まで幸せな気分になったわ。私も帝とそのような関係でありたいものね」
「大袈裟ですよ。菖蒲様と殿下ももう十分、素敵な関係を築かれているではありませんか」
「ええ?そうかしら?実は最近殿下が……」
霞は素早く話題をすり替える。菖蒲の話を聞きながら、頭の中で駒を動かし始めていた。
「宮中にいる弓矢上手に会うだと?」
その日の夜、いつものように逢瀬と称して霞の局にやって来た楓が驚きの声を上げる。襖の外には楓の警護として伊吹が控えているようで、微かに人の気配がした。
驚く楓に霞は文机に置かれた巻物を見下ろしながら頷いた。高杯灯台に明りに霞の横顔が映し出される。
「ええ。昨年の『射天ノ儀』にて優秀な成績を残した方達の中から野行幸に参加していた方達にお会いしようと思います」
『射天ノ儀』というのは宮中の弓矢上手を争う行事だった。毎年十月に行われ、右と左に組み分けして争うのだ。勝利した組には酒や食べ物、高級な織物などが贈られる。中でも優秀な成績を収めた射手には帝から特別な位、『弓将』を与えられた。位と言っても実質的なものではなく、あくまで名義上のものだった。
「危険すぎる!霞様は一度射られているんだぞ。怖くないのか?」
「私は怖くもなんともありません。それに射手は私を射抜いたことに気が付いていないはずです。まさかあの場に男装した女房がいたなんて思いもしないでしょうね」
そう言って霞は好戦的な笑みを浮かべる。
「なるほど……。正体を知られていないからこそ接触できるということか」
「はい。実際にこの目で見て調べたいことがあるのです」
霞の正面に座る楓は腕組をして黙り込んでいた。薄明かりの中、憂い顔を浮かべる楓は相変わらずの美しさだったが霞の目は慣れてしまい何も感じなかった。そのまま得意気に言葉を続ける。
「楓様こそ、命を狙っている相手と顔を会わせるのは恐ろしいのでは?ここは私にお任せください」
そう言って再び昨年の射天ノ儀が記録された書物に目を落とした。
「……いや。ここは敢えて俺も同行しよう」
「え?」
予想していなかった言葉に霞は弾かれたように顔を上げた。楓の黒い瞳が真っすぐに霞のことを捉える。
「狙いそびれた相手を目の前にすれば何か反応が変わるかもしれないだろう?」
(へえ。意外と勝負に出る性格なのね。そのまま私だけで調査を進めるものだと思ってたのに)
楓の意外な性格に驚きながらも、楓の策が良いものだと思っていた。霞はこほんと咳払いをする。
「では……私の考えた策を聞いてくださいますか?伊吹の協力も必要になってきますのでお呼びしても?」
「策?どんな策だ?」
眉を顰める楓に霞は口元に袖を引き寄せて優雅に微笑んだ。楓はすぐに霞が良いこと……いや、悪いことを思いついたのだと分かった。楓は渋い表情を浮かべて恐る恐る霞に問う。
「……危険なことではないんだな?」
「さあ、それは何とも言えませんが……。大掛かりなものなので皆さんの協力が必要ですからきちんと説明致します」
「霞!俺の名を呼んだか?」
スパンッと襖を勢いよく開けて、伊吹が姿を現す。その顔は霞に呼ばれた嬉しさに溢れていた。
「伊吹。お前、俺達の会話に聞き耳を立てていたな……」
「当然です!局の中で何が起きても対処できるように!」
「あのなあ……。お前は警護に集中していればいいんだ。余計なことを考えなくていい」
「余計なことではありません!お二人の状況を知らねば守れませんから!」
二人が言い争うのを無視して、霞は文机に頬杖をついて口元を緩める。霞の脳内にある盤上に駒が出そろった。
『相手に進めば有利だと思わせて、進んだ先に罠を仕掛ける……。そうすれば相手は驚くだろうな!そして霞。お前は勝利を手に入れることができる!』
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