姫は盤上に立つ

ねむるこ

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あづさゆみ

第十二話 正鵠を射る(1)

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 宮中には弓場ゆば、弓の練習場がある。紫星殿しせいでんと呼ばれる宮中の中心に立つ建物の西側に位置していた。
 弓矢は貴族たちのたしなみであり、神に捧げる武芸でもあった。だから武官は当然、鍛錬たんれんの為に日々弓矢の稽古けいこに励んでいる。中には文官も居たが人数は武官ほどではない。
 そんな場所で一人の青年が矢を射ていた。
 たかのような鋭い目つきがまととらえ、その太くたくましい右腕を離す。すると矢は吸い込まれるかのように的の中心を射抜いた。
 その光景を見ていた武官達が歓声を上げる。

流石さすがは『弓将ゆみのしょう』だな」
「また中心を射抜いたぞ!」
「本当に。見事なものだな」

 聞き覚えの無い声に武官達がその声の主の方を向く。そこには宮中一の色男いろおとこと噂の、かえでが立っていたのだ。思わぬ人物の登場に武官達もきたった。

蔵人頭くろうどのとう殿?」
「珍しいですね。何故こんな所に?」

 騒ぎに気が付いた青年が楓に気が付くと、柔らいだ表情になる。

「楓じゃないか!」
白樺しらかば。久しぶりだな」

 白樺と呼ばれた青年は弓を片手に楓の方に近寄って来た。
 楓と白樺は親しい間柄あいだがららしい。年齢も同じで、学びが一緒だったのだという。
 白樺のくらい五位蔵人ごいのくろうどで蔵人頭の次官じかんという立場にいる。
 楓の頭一つ分は大きく、体格も伊吹よりも筋肉質だ。鋭い鷹のような眼は、どんなに遠くに獲物がいようとも捕らえられそうな気がした。
 霞が楓の背から白樺を観察していると、視線に気が付いた白樺が首を傾げる。

「そちらのお方は?」
「ああ、此方は菖蒲あやめ様の女房で俺の恋人のかすみ様だ」

 霞は『恋人』という言葉に眉根を寄せながらも、扇を顔の前に寄せて会釈えしゃくした。

「これは……お初にお目にかかります。楓の友であり補佐役でもある白樺と申します」

 白樺は軽く自己紹介すると頭を下げた。

「あれが楓様の新しい女子おなごかあ。これで何人目だ?」
「あの噂は本当だったのか……」
「あんな姫君いたか?」

 弓場にいる男達のひそひそ話を聞き流し、霞は白樺に向かい合う。

「私、昨年の射天ノ儀をきっかけに弓矢に興味をもったのです。そこで無理を言って楓様に弓場に案内して頂いた次第しだいでございます」
「そういうことでしたか……。何だかお恥ずかしいですね」

 白樺は照れたように頭をいた。

「まあ、これが弓ですか……。近くで見ると大きいのですね」

 霞がまじまじと白樺が手にしている弓を眺める。その姿があまりにも自然で、弓矢をたしなんでいる姫君には見えない。
 隣に居た楓は霞の演技に目を見張っていた。驚く楓を横目に霞はそのまま白樺と話し始める。

「やはり弓の名手と呼ばれるお方はしっかりとした腕をお持ちなのですね」

 そう言って霞が無邪気に己の右腕を伸ばして見せる。すると白樺もつられてそのたくましい腕を伸ばす。

「日々鍛錬しておりますからね」
「まあ、私と比べるとずっと長くて逞しくていらっしゃる。私もそれぐらいの腕にならねば弓矢は難しいでしょうか?」

 霞は白樺の腕に自分の腕を並べて微笑んだ。自分に似合わない可愛らしい物言いに霞は内心、辟易へきえきとしていた。
 不審がられずに相手を良い気分にさせるのは情報収集を開始する時の基本だ。無知《むち》を装い、相手より下に出ることで相手のふところに潜り込む。霞の得意とすることだった。

(情報を得るための演技とはいえ……辛いわね)

 褒められた白樺は霞に悪い気など起こすはずがない。鋭い目つきではあるものの、霞を警戒するような色は見られなかった。

「何も私ほど鍛えなくとも、コツさえ掴めば霞様も射ることができますよ」

 なごやかな二人の間に楓が割り込む。白樺と比べていた右腕を掴まれた霞は思わず恨めしそうに楓を非難するように睨んだ。

「霞。あまり白樺を困らせてはいけないよ」

 そう言って女房達がため息を吐くような優しい笑みを向けた。霞は思わず笑みを崩しそうになったがなんとか持ちこたえる。

(私が必死で情報収集しているっていうのに……。そこまで恋人らしくする必要あるのかしら?それとも邪魔してるのかしら)

「悪かったな、楓。霞様も、ご無礼をお許しください」

 楓が不機嫌な理由をさっした白樺は慌ててびを入れた。戸惑とまどう霞を見て楓が満足そうに笑うとそのまま霞の手を握る。

「まったく。霞様は無邪気で可愛らしく困ったものです」

 周囲に見せつけるように甘い雰囲気を漂わせる楓に霞は内心呆れていた。

(楓様……。完全に遊んでるわね。後で見てなさいよ)

 霞は楓が手を離すと両手で扇を持ち直すと顔を隠す。恥ずかしさで顔を俯かせるフリをした。

「楓様ったら。皆様の前でそのようなことはおやめください……。
それより、もう一度、白樺様が弓を射るところを見たいのですが……宜しいでしょうか?」

 扇から少しだけ顔をのぞかせた霞が目を輝かせて言うので、白樺は了承せざるを得なかった。

「それは……構いませんが」
「それでは、俺も久しぶりに射てみるとするかな。そこにおられる枇杷殿びわどの如何いかがかな?」

 楓は紫星殿しせいでんの廊下から手すりに寄りかかって弓場を眺めていた人物に声を掛ける。
 枇杷と呼ばれた男は大あくびをした後でにやりと笑みを浮かべた。狩衣かりぎぬを着崩し、だらしない風貌をしている。無精ぶしょうひげが目につくが、位は右近衛中将うこのえのちゅうじょうと立派なものだった。年齢は楓たちよりも三つほど上だ。

「いやー。見つかってしまいましたか」

 そう言ってにやりと笑った。つかみどころのない飄々ひょうひょうとした男で、だらしない風貌からあまり女房達の人気はない。悪い噂は聞かないので仕事はできる人物だと思われる。
 だからと言って出世欲に燃えているわけでもなく、宮中を気ままに生きる猫のような人物だと霞は思っていた。
 霞は彼がよく、弓場の近くでぼうっとしているのを知っていた。

「枇杷殿だと?」
「射天ノ儀で白樺様に次ぐ成績を収めた弓矢上手じゃないか!」
「まさか宮中一、二を争う二人の弓矢対決が見られるとは!これは面白い、俺達も射ようぞ!」

 たちまち弓場に人だかりができた。

「まさか宮中の弓矢上手達の腕が見られるなんて!楽しみです」
「霞、俺の勇姿ゆうしを見ていてくれよ!」
「はいっ!楓様もご活躍、祈っております」

 霞は楓と無邪気に喜んで見せるが腹の内は「思惑通り」と、ほくそ笑む。そんな腹黒さを微塵も感じさせない笑顔だった。

「射天ノ儀以来、ろくに射てないからな……。もしかすると射損いそんじるかもしれん。誰か弓矢道具を貸してはくれぬか?」

 枇杷が弓場に居た射手たちに声を掛けている。楓も近くにいた武官から弓矢道具の一式を借りて支度したくを整えていた。

 こうして急遽開かれた弓試合だったが……大いに盛り上がった。宮中の弓矢上手達が次々にその腕を霞達の前で披露していったがやはり白樺が一番沢山のまとを射抜いた。
 枇杷もだらしない見た目からは考えられないぐらいの実力を発揮していた。射天ノ儀さながらの白熱はくねつした試合が繰り広げられる中、

「いやあ……全く駄目だったな!」

楓は一本も的に当たらなかった。霞は頬を膨らませながらそっぽを向く。

「楓様!どういうことですか?……見損ないましたわ!」
「待ってくれ、霞!これからは俺も弓矢の鍛錬に励むから!」

 楓は頭を掻きながら、声高こわだかに告げた。その様子に周りにいた男達は笑う。楓達のやり取りは恋人同士のよくある言い争いをしているようにしか見えなかった。

「白樺、弓場は夜だったら人も武官もいないだろう?早速、今夜から弓矢の練習をしようと思うんだが……。今日は天気もよくて満月だったはずだからな」
「ああ……。夜中に弓場を使う者はいないな」

 白樺は呆気あっけにとられながらも楓の問いかけに頷く。

「射手の皆様方、本日は良い試合をありがとうございました。私共はこれにて失礼させて頂きます」

 霞は丁寧に弓場に居た者達に頭を下げると、楓と共に弓場に背を向けた。霞は扇の内側で笑みを浮かべる。

(これで駒の配置は完璧ね。後は……相手が動くのを待つだけ)
 
 顔を上げた霞は早くが落ちないかと、雲一つない空を見上げて思った。
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