姫は盤上に立つ

ねむるこ

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ものがたり

第十九話 水葵

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水葵みずあおい其方そなたの物語の評判はよく耳にしておる」

 東宮とうぐうが口元に微笑みを湛えた。御簾みす越しに向かい合わせになっていた水葵姫みずあおいひめは深々と頭を下げる。
 海を思わせるような鮮やかな青色の小袿こうちきが良く似合う、切れ長で深い知性を感じさせる目をした女性だ。

女官にょかんに過ぎない私の作品をご存知とは……。恐れ多いことでございます」

 水葵は東宮と言葉を交わしながら違和感を覚える。噂に聞いていたように覇気のある帝とは違い、病弱な東宮ははかなさを感じさせた。

(何故かしら。東宮様は確かに目の前にいらっしゃるはずなのに、いないように感じられるのは……)

 顔を上げて目を細めるも、御簾越しに東宮の細い体の線が見えるだけだった。

山茶花さざんかも其方の物語が好きでな。良かったら、山茶花につかえてやってくれないか?其方の才を生かすと良い」

 思ってもみない申し出に水葵は心の中で小躍りした。東宮のきさきの元で働くなど大出世だ。

(それだけじゃない。山茶花様の元にいれば私の理想の物語を完成させることができる)

 水葵が描いた物語の巻物は東宮と山茶花の恋愛を参考に描いたものだった。勿論、実名は伏せて架空の人物で二人の恋愛模様を再現している。そのため水葵は入念に2人のことを調べ上げていた。
 物語の題材となっている二人の側にいられることはこの上ない機会だ。水葵が逃すはずがない。

「私が山茶花様のお力になれるのなら……。是非、お願い致します」

 深々と頭を下げた水葵を見て東宮は小さな笑みを浮かべる。

 こうして盤上に新たな駒が配置された。



かすみ!聞いて欲しいの!」

 菖蒲あやめが興奮気味に霞を手招きする。真夏の日差しを思わせるような眩しい瞳の輝きに目を細めた。
 若さというのはすごい、と霞はしみじみと思う。何故なら今、霞はとても疲れていたからだ。

如何いかがされたのですか?菖蒲様」

 霞は目元に出来たクマをこすりながら答える。
 化け物が東宮だと目星を付け、調べを進めているものの一向に証拠を掴むことができないでいた。牡丹ぼたんの死後、東宮に目立った動きはない。
 霞はそれを次に術を使用するための準備期間だと考えている。当然、術を使われる前に何とかしなければならないのだが証拠が掴めないままでいた。
 そのせいで帝には化け物が東宮ではないかという論を伝えられずにいる。

「殿下は東宮様のことを誰よりも信頼している。俺も今だに信じられないでいるからな……。証拠もなく化け物だとお伝えするのは俺達の方が危険だ。もう少し様子を見よう」

 かえでの意見に霞も承知せざるを得なかった。ここで帝の怒りを買い、化け物探しが打ち切られでもしたら最悪だ。
 早く化け物を狩りたいのに証拠を掴むどころか猶予《ゆうよ》を与えてしまっている。平穏な日々をすごしていることにすら罪悪感を覚えていたところだ。
 少しでもできることをやろうと霞は夜中に宮中記録の調べ物をしていたところ睡眠不足になってしまっていた。

(早く……早く証拠を掴まなければいけないのに!)

 霞の不安など露知つゆしらず。菖蒲は元気よく言葉を続けた。

「これ!最近流行ってる『ひめつばき物語 第二巻』の写しを手に入れたの!」
「ひめ……つばき物語ですか?」

 ぼんやりとした目で菖蒲が手にする巻物を見る。

「もう。霞、読んでないの?宮中に住まう殿方と、地方に住む姫が神社で運命的な出会いをする恋物語よ!続きが気になって仕方なかったのよねー」
「まあ、姫様!遂に手に入れたのですか?」
「私も次、読みとうございます!」

 他の女房達もきゃあきゃあと興奮した声を上げる。
 
(『ひめつばき物語』ってそういえば……。東宮様と山茶花様のめが元になった恋物語ではなかったっけ?)

 霞も宮中で流行っているその物語のことを知っている。確か、宮中で身分ある若者、『影帝えいてい』と地方官の娘で身分の低い姫『つばき姫』が神社で偶然にも出会い、身分違いの恋に落ちるという物語だったはずだ。

(何だか……心が落ち着かない)

 霞は自分の胸元に手を当てる。東宮を調べ始めた途端に『ひめつばき物語』が話題に上がってきたのだ。これが単なる偶然と言えるだろうか。

(もしかして……。その物語に何か、東宮様に関する情報があるかもしれない。物語は作り物だとはいえ、多少真実も含まれているはず。調べてみてもいいのかもしれない)

 霞は決意を固めると、咳ばらいをして菖蒲に声を掛けた。

「菖蒲様……私も。私も読みとうございます」

 他の女房達は驚いた顔を向けてくる。彼女達が言わずとも、霞はその心の内を理解していた。

(どうせ、堅物かたぶつの私が恋物語こいものがたりを読むのが珍しいのでしょう)

 そんな中、菖蒲だけは心から嬉しそうに顔をほころばせていた。

「分かったわ!霞にも回すわね!やっぱり……楓様の影響かしら」

 菖蒲が袖で口元を隠し、楽しそうに笑う。すると他の女房達も霞を探るような目つきに変わった。

「いえ。楓様は……関係ありませんから」

 冷たく言い放しながらも、軽く唇が当たったあの日のことを思い出してはすぐに掻き消す。

(楓様は強い駒!持て余してどうするの。上手く使わなきゃならないのに!)

 霞は一人、心の中で葛藤かっとうしていた。
 
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