19 / 50
ものがたり
第十九話 水葵
しおりを挟む
「水葵、其方の物語の評判はよく耳にしておる」
東宮が口元に微笑みを湛えた。御簾越しに向かい合わせになっていた水葵姫は深々と頭を下げる。
海を思わせるような鮮やかな青色の小袿が良く似合う、切れ長で深い知性を感じさせる目をした女性だ。
「女官に過ぎない私の作品をご存知とは……。恐れ多いことでございます」
水葵は東宮と言葉を交わしながら違和感を覚える。噂に聞いていたように覇気のある帝とは違い、病弱な東宮は儚さを感じさせた。
(何故かしら。東宮様は確かに目の前にいらっしゃるはずなのに、いないように感じられるのは……)
顔を上げて目を細めるも、御簾越しに東宮の細い体の線が見えるだけだった。
「山茶花も其方の物語が好きでな。良かったら、山茶花に仕えてやってくれないか?其方の才を生かすと良い」
思ってもみない申し出に水葵は心の中で小躍りした。東宮の妃の元で働くなど大出世だ。
(それだけじゃない。山茶花様の元にいれば私の理想の物語を完成させることができる)
水葵が描いた物語の巻物は東宮と山茶花の恋愛を参考に描いたものだった。勿論、実名は伏せて架空の人物で二人の恋愛模様を再現している。そのため水葵は入念に2人のことを調べ上げていた。
物語の題材となっている二人の側にいられることはこの上ない機会だ。水葵が逃すはずがない。
「私が山茶花様のお力になれるのなら……。是非、お願い致します」
深々と頭を下げた水葵を見て東宮は小さな笑みを浮かべる。
こうして盤上に新たな駒が配置された。
「霞!聞いて欲しいの!」
菖蒲が興奮気味に霞を手招きする。真夏の日差しを思わせるような眩しい瞳の輝きに目を細めた。
若さというのはすごい、と霞はしみじみと思う。何故なら今、霞はとても疲れていたからだ。
「如何されたのですか?菖蒲様」
霞は目元に出来たクマを擦りながら答える。
化け物が東宮だと目星を付け、調べを進めているものの一向に証拠を掴むことができないでいた。牡丹の死後、東宮に目立った動きはない。
霞はそれを次に術を使用するための準備期間だと考えている。当然、術を使われる前に何とかしなければならないのだが証拠が掴めないままでいた。
そのせいで帝には化け物が東宮ではないかという論を伝えられずにいる。
「殿下は東宮様のことを誰よりも信頼している。俺も今だに信じられないでいるからな……。証拠もなく化け物だとお伝えするのは俺達の方が危険だ。もう少し様子を見よう」
楓の意見に霞も承知せざるを得なかった。ここで帝の怒りを買い、化け物探しが打ち切られでもしたら最悪だ。
早く化け物を狩りたいのに証拠を掴むどころか猶予《ゆうよ》を与えてしまっている。平穏な日々をすごしていることにすら罪悪感を覚えていたところだ。
少しでもできることをやろうと霞は夜中に宮中記録の調べ物をしていたところ睡眠不足になってしまっていた。
(早く……早く証拠を掴まなければいけないのに!)
霞の不安など露知らず。菖蒲は元気よく言葉を続けた。
「これ!最近流行ってる『ひめつばき物語 第二巻』の写しを手に入れたの!」
「ひめ……つばき物語ですか?」
ぼんやりとした目で菖蒲が手にする巻物を見る。
「もう。霞、読んでないの?宮中に住まう殿方と、地方に住む姫が神社で運命的な出会いをする恋物語よ!続きが気になって仕方なかったのよねー」
「まあ、姫様!遂に手に入れたのですか?」
「私も次、読みとうございます!」
他の女房達もきゃあきゃあと興奮した声を上げる。
(『ひめつばき物語』ってそういえば……。東宮様と山茶花様の馴れ初めが元になった恋物語ではなかったっけ?)
霞も宮中で流行っているその物語のことを知っている。確か、宮中で身分ある若者、『影帝』と地方官の娘で身分の低い姫『つばき姫』が神社で偶然にも出会い、身分違いの恋に落ちるという物語だったはずだ。
(何だか……心が落ち着かない)
霞は自分の胸元に手を当てる。東宮を調べ始めた途端に『ひめつばき物語』が話題に上がってきたのだ。これが単なる偶然と言えるだろうか。
(もしかして……。その物語に何か、東宮様に関する情報があるかもしれない。物語は作り物だとはいえ、多少真実も含まれているはず。調べてみてもいいのかもしれない)
霞は決意を固めると、咳ばらいをして菖蒲に声を掛けた。
「菖蒲様……私も。私も読みとうございます」
他の女房達は驚いた顔を向けてくる。彼女達が言わずとも、霞はその心の内を理解していた。
(どうせ、堅物の私が恋物語を読むのが珍しいのでしょう)
そんな中、菖蒲だけは心から嬉しそうに顔を綻ばせていた。
「分かったわ!霞にも回すわね!やっぱり……楓様の影響かしら」
菖蒲が袖で口元を隠し、楽しそうに笑う。すると他の女房達も霞を探るような目つきに変わった。
「いえ。楓様は……関係ありませんから」
冷たく言い放しながらも、軽く唇が当たったあの日のことを思い出してはすぐに掻き消す。
(楓様は強い駒!持て余してどうするの。上手く使わなきゃならないのに!)
霞は一人、心の中で葛藤していた。
東宮が口元に微笑みを湛えた。御簾越しに向かい合わせになっていた水葵姫は深々と頭を下げる。
海を思わせるような鮮やかな青色の小袿が良く似合う、切れ長で深い知性を感じさせる目をした女性だ。
「女官に過ぎない私の作品をご存知とは……。恐れ多いことでございます」
水葵は東宮と言葉を交わしながら違和感を覚える。噂に聞いていたように覇気のある帝とは違い、病弱な東宮は儚さを感じさせた。
(何故かしら。東宮様は確かに目の前にいらっしゃるはずなのに、いないように感じられるのは……)
顔を上げて目を細めるも、御簾越しに東宮の細い体の線が見えるだけだった。
「山茶花も其方の物語が好きでな。良かったら、山茶花に仕えてやってくれないか?其方の才を生かすと良い」
思ってもみない申し出に水葵は心の中で小躍りした。東宮の妃の元で働くなど大出世だ。
(それだけじゃない。山茶花様の元にいれば私の理想の物語を完成させることができる)
水葵が描いた物語の巻物は東宮と山茶花の恋愛を参考に描いたものだった。勿論、実名は伏せて架空の人物で二人の恋愛模様を再現している。そのため水葵は入念に2人のことを調べ上げていた。
物語の題材となっている二人の側にいられることはこの上ない機会だ。水葵が逃すはずがない。
「私が山茶花様のお力になれるのなら……。是非、お願い致します」
深々と頭を下げた水葵を見て東宮は小さな笑みを浮かべる。
こうして盤上に新たな駒が配置された。
「霞!聞いて欲しいの!」
菖蒲が興奮気味に霞を手招きする。真夏の日差しを思わせるような眩しい瞳の輝きに目を細めた。
若さというのはすごい、と霞はしみじみと思う。何故なら今、霞はとても疲れていたからだ。
「如何されたのですか?菖蒲様」
霞は目元に出来たクマを擦りながら答える。
化け物が東宮だと目星を付け、調べを進めているものの一向に証拠を掴むことができないでいた。牡丹の死後、東宮に目立った動きはない。
霞はそれを次に術を使用するための準備期間だと考えている。当然、術を使われる前に何とかしなければならないのだが証拠が掴めないままでいた。
そのせいで帝には化け物が東宮ではないかという論を伝えられずにいる。
「殿下は東宮様のことを誰よりも信頼している。俺も今だに信じられないでいるからな……。証拠もなく化け物だとお伝えするのは俺達の方が危険だ。もう少し様子を見よう」
楓の意見に霞も承知せざるを得なかった。ここで帝の怒りを買い、化け物探しが打ち切られでもしたら最悪だ。
早く化け物を狩りたいのに証拠を掴むどころか猶予《ゆうよ》を与えてしまっている。平穏な日々をすごしていることにすら罪悪感を覚えていたところだ。
少しでもできることをやろうと霞は夜中に宮中記録の調べ物をしていたところ睡眠不足になってしまっていた。
(早く……早く証拠を掴まなければいけないのに!)
霞の不安など露知らず。菖蒲は元気よく言葉を続けた。
「これ!最近流行ってる『ひめつばき物語 第二巻』の写しを手に入れたの!」
「ひめ……つばき物語ですか?」
ぼんやりとした目で菖蒲が手にする巻物を見る。
「もう。霞、読んでないの?宮中に住まう殿方と、地方に住む姫が神社で運命的な出会いをする恋物語よ!続きが気になって仕方なかったのよねー」
「まあ、姫様!遂に手に入れたのですか?」
「私も次、読みとうございます!」
他の女房達もきゃあきゃあと興奮した声を上げる。
(『ひめつばき物語』ってそういえば……。東宮様と山茶花様の馴れ初めが元になった恋物語ではなかったっけ?)
霞も宮中で流行っているその物語のことを知っている。確か、宮中で身分ある若者、『影帝』と地方官の娘で身分の低い姫『つばき姫』が神社で偶然にも出会い、身分違いの恋に落ちるという物語だったはずだ。
(何だか……心が落ち着かない)
霞は自分の胸元に手を当てる。東宮を調べ始めた途端に『ひめつばき物語』が話題に上がってきたのだ。これが単なる偶然と言えるだろうか。
(もしかして……。その物語に何か、東宮様に関する情報があるかもしれない。物語は作り物だとはいえ、多少真実も含まれているはず。調べてみてもいいのかもしれない)
霞は決意を固めると、咳ばらいをして菖蒲に声を掛けた。
「菖蒲様……私も。私も読みとうございます」
他の女房達は驚いた顔を向けてくる。彼女達が言わずとも、霞はその心の内を理解していた。
(どうせ、堅物の私が恋物語を読むのが珍しいのでしょう)
そんな中、菖蒲だけは心から嬉しそうに顔を綻ばせていた。
「分かったわ!霞にも回すわね!やっぱり……楓様の影響かしら」
菖蒲が袖で口元を隠し、楽しそうに笑う。すると他の女房達も霞を探るような目つきに変わった。
「いえ。楓様は……関係ありませんから」
冷たく言い放しながらも、軽く唇が当たったあの日のことを思い出してはすぐに掻き消す。
(楓様は強い駒!持て余してどうするの。上手く使わなきゃならないのに!)
霞は一人、心の中で葛藤していた。
0
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる