姫は盤上に立つ

ねむるこ

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ものがたり

第二十話 起(1)

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「そんな必死になって何を読んでいるんだ?」

 その夜。かすみつぼねに自然と入って来たのはかえでだった。人目を忍んで来いと言っているのに。堂々と霞の部屋に出入りする楓のことが気に入らなかった。
 前にも増して霞に対して図々しくなってきたような……そんな気がするのだ。

(世間的には私と楓様は色恋の関係だってことになってるのよね……。周りが期待しているような関係ではないのだけれど)

 今も文机ふづくえで読み物と格闘している霞の真ん前に腰を下ろし、至近距離から手元を覗き込んでくる。その距離が以外にも近くて霞は眉を顰めた。伏せがちな表情もまた絵になるのだから憎らしい。「邪魔」という言葉が口元から出かかって止まる。

「……化け物、東宮とうぐう様の調査です。何か新たな情報でも手に入れたのですか?」

 思わず突き放すような言い方になった。寝不足な上に心労が重なって楓の対応が雑になる。

「いや、何も。今朝それとなく東宮様の様子を見てきたが怪しい所は何もなかった」

 文机ふづくえに寄りかかりながら爽やかな笑みを浮かべた。霞は特大のため息を吐きながら右手で払う仕草をする。

「何もないのだったらここに来る必要はないでしょう?今夜はお戻りください。私はこれを解読するのに忙しいんですから……」
「つれないことをおっしゃる」

 寂しげな声に霞は心の中で呆れる。楓お得意の恋人の演技が始まると思ったからだ。角ばった手が霞の頬に触れ、強制的に巻物から視線を外させる。

「……疲れが見える。あんまり根を詰めるな」

 いつもの演技とは違う。楓の心配そうな表情に霞はぼんやりとした。端整な楓の顔を前にして急に自分の姿を顧みて恥ずかしくなる。今の霞は目元にクマが浮かび、とても楓の横にいられるような姿ではないのだ。

(それ以前に私と楓様では色々と釣り合っていないんだから……。そもそも化け物のことがなければ楓様との縁なんて一生なかったでしょうね)

 霞は顔を曇らせながら慌てて楓の手から逃れるように身を引く。着物の袖を口元に当てると、顔を俯かせながら呟いた。

「お見苦しいところを……。失礼いたしました」

 行き場を失った楓の手が宙を彷徨さまよう。

「いや……。そういうことでは……」

 霞は気まずい雰囲気を掻き消すように手元の巻物に視線を落とした。

「霞っ!大丈夫か?」

 そこに襖が勢いよく開かれ、黒い装束を身に着けた武官……伊吹いぶきが現れる。楓の護衛として襖の外で控えていたのだろう。鬼気迫る表情に霞も楓も目が点になってしまった。よく通る声で軽く霞の鼓膜が揺れる。

「大丈夫って……何が?」
「何だか落ち込んでいるみたいだったから……。心配になったんだ」
(さすが伊吹ね……。声だけで私の気持ちまで分かるなんて)

 大の大人が。しかも体格のいい男がしおれている光景というのは中々に面白い。幼い頃と全く同じ反応に霞は小さく笑う。

「大丈夫よ。ただ少し疲れただけ」

 霞が慈愛に満ちた笑みを浮かべたのを楓は見逃さなかった。楓には見せない表情に人知れず心を曇らせる。

「そうか?何かあれば言ってくれよ!霞のためなら何でもやってやる!」

 そう言って伊吹が眩しい笑顔と共に胸を叩いた。
 あまりにも真っすぐな言葉に楓は動揺する。二人が従弟同士でなければ愛の言葉とも受け取れるではないか。
 そんなことなど気にせず霞と伊吹は和やかな雰囲気に包まれている。

(とても俺にはできない芸当だ。どうしても一族の中には入り込めないな)

 楓はふたりに勘づかれないよう、ひっそり落ち込んだ。

「伊吹はいつも元気でいいわね……」

 楓が落ち込んでいることも知らず、霞は伊吹の言動に心和ませていた。

(伊吹はいつも場の雰囲気を明るく照らしてくれる。昔からこういうところはずっと変わらないわね)

 楓のことで塞ぎこんでいた気持ちを蹴散らすように咳ばらいをする。

「本当はしっかり読んだ後で話したかったのだけど、いいわ。『ひめつばき物語』のことを2人に話しておきましょう」
「ひめつばき……物語だって?」

 楓の目が驚いたように見開かれる。

「……てなんだ、それ?」

 首を傾げる伊吹に霞はまた笑ってしまう。

「知らないのか?最近宮中で流行っている物語だ。宮中一の才女と評判の水葵様が書かれている」

 楓が渋々とした表情で伊吹に簡潔な説明をしてくれる。

「ふうん。物語か……。俺はさっぱり興味がないな。どんな話なんだ?」

 それでもピンとこない伊吹を置いて霞が口を開く。

「身分違いの恋愛ものね。重要なのはここから。物語の登場人物、『影帝えいてい』と『つばき姫』は東宮単語とうぐう様と山茶花さざんか様を元に描かれた人物だということ。……もしかすると何かしら化け物について書かれているかもしれないと考えてるの」
「でも物語なんだろう?だったら作り話じゃないか。化け物とは無関係だろう?」
 
 伊吹の素直な疑問に霞は得意げに答えた。

「物語には多少なりとも真実が含まれているもの。実在している人物を元に描いているのなら尚更ね。ほんの少しでもいい。化け物の情報が手に入るのなら読む価値はあるわ。菖蒲様から一巻をお借りしたところなのよ」
「そういうもんなのか?だったら俺も読んで解析しよう!」
「人気があって入手困難だと思うわ……。菖蒲様経由で私が何とかするから伊吹と楓様は引き続き東宮様の監視を続けて」
「そうか……。なら物語のことは霞に任せるか」

 分かりやすく伊吹が肩を落とす。暫く霞と楓のやり取りを眺めていた楓が口を開いた。その表情は仄暗い。

「霞様。どうかお気を付けください……」
「どういうことです?」
「その物語を読むと呪われると耳にしたことがありましたから」
「呪われる?」
「詳しいことは分かりません。ただ、読んだ者の気が触れるとか……。あくまでも噂ですが」

 その言葉から霞は別の意味を見つけてしまう。

(なるほど。他の姫君からの情報ってわけね)

 こういった物語は身分の高い女子が好んで読むことが多い。その一言から楓の人間関係を頭の中で想像してしまった霞は心の中で項垂れた。

(楓様は初めからこういう人だったじゃない。何も私が気に留める必要はない)

 気分が落ちている理由を深く考えることなく、霞はにっこりと笑みを浮かべて答える。

「分かりました。十分に注意して解読を進めましょう」
「……ああ。くれぐれも気を付けてくれ」

 芝居ではない、霞のことを心から心配する楓の視線を思わず逸らしてしまう。

「言われなくともそう致します。私のことはご心配なく」

 楓と伊吹が立ち去った後。霞は巻物に目を落とし、物語を読み進めていく。



「失礼致します。水仙すいせん様」

 第一王妃である菖蒲が控えるつぼねの正面にある母屋の一室にて。女官が恐る恐る襖を開けると、気の強そうな女性が置き畳の上に座っていた。癖のある、色素の薄い髪質に釣り目がちな目が特徴的なこの人は第二王妃の水仙すいせん姫だ。
 自分の手で髪を触り、深いため息を吐いた。水仙は世間一般の美しさの基準から大きく外れた自分の見目みめが大嫌いだったのだ。

(こんな風に美しくないから私は殿下の愛を受けられない……)

 女官越しに反対側の母屋にある菖蒲の局を眺める。明かりがともり、帝の供が外に控えているのを見つけて再びため息を吐いた。

(また菖蒲様のところにいらっしゃる……。何のとりえもない小娘の癖に)

 水仙は悲しむどころか菖蒲のことを妬《ねた》んでいた。その苛立ちを女官にぶつけてしまう。

「遅かったわね。早く寄越しなさいよ!」

 菖蒲の局から視線を逸らすように女官に背を向けると、おどおどしながら女官が抱えていた物を床に置く。

「申し訳ございません。……これを!」

 女官が持ってきた物。それは巻物だった。水仙は口元に笑みをたたえるがそれも一瞬のこと。すぐに女官に罵声を飛ばす。

「とっとと下がりなさい!」
「あ……。はいっ!失礼致しました!」

 襖を閉め、一人になった水仙は巻物を手にする。それは今しがた完成したばかりの物語。『ひめつばき物語』の最終巻だった。

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