姫は盤上に立つ

ねむるこ

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ものがたり

第二十二話 起(3)

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「物語絵巻集め?なんだそんな簡単なことか。俺がすぐに集めてきてやる!」

 その夜。霞は楓と伊吹を呼び出し、作戦会議を行った。襖越ふすまごしに夜の虫たちの声が聞こえてくる。

「あのな……そんな簡単なことじゃないんだぞ。今、『ひめつばき物語』は写しですら入手困難なんだ。原本なんてもはや不可能に近い」

 やる気満々の伊吹を楓が片手で制する。伊吹は唇を尖らせて引き下がった。

「それで?その原本に何があるんだ?」
「その原本の巻物の最後に奇妙な言葉が書かれているそうなのです」
「奇妙な言葉?」

 楓と伊吹の言葉が重なって、霞は笑った。2人は不機嫌そうに顔を見合わせている。

「血で書かれているようで、どうやらそれが呪いの噂の元になっているようです。もしかすると化け物に関する情報が得られるかもしれません。早急に宮中にある原本を集めたいところなのですが……。そのほとんどを水仙様が所有されているようで私では手を出せないのです。……そこで」

 霞は楓のことを真っすぐに見つめる。楓は霞の言わんとしていることを感じ取ったのか。微かに表情をゆがめる。

「楓様から水仙様に取り入って頂きたいのです」
(楓様は蔵人頭という立場もある。それに……私が言うのもしゃくだけど顔も良い。いくら気難しい女子おなごとはいえ色男が優しい言葉をかけてくれば何かしら応じるはず)

 楓が快く応じてくれると思っていたらその反応は意外にも鈍かった。

「今、俺は霞様の恋人なんだ。演じているとはいえ、菖蒲様を敵視している水仙様に容易に近づけるとは思えないが……」
(あら。珍しく弱気ね)

 楓の反応に驚いた。いつもの楓なら自分の使いどころを一番理解している。今こそ活躍の時だというのに。霞は様子のおかしい楓に引っかかりながらも淡々と続けた。

「それは問題ありません。以前も申し上げましたが、私を数ある恋人の一人という話でいけばいい。つまり、いつもの楓様であれば良いのです。楓様には殿下との繋がりもありますし、無下むげにされることはないでしょう」
「霞様は……何とも思わないのか?」

 楓の意外な問いかけに霞は目をまたたかせる。何が不服なのか。霞は思いついたように付け加えた。

「そうそう。さすがに第二王妃に手を出すのはおやめください。あくまでも后達の挨拶回りというていでお願いします。楓様のことですからわきまえているとお思いですが念のために」

 楓は呆れたようにため息を吐く。まるで「何も分かっていないな」と言っているようで霞は少しだけ腹が立った。

「霞様の外聞がいぶんに傷がつくかもしれない。宮中では良くないのではないか?遊ばれた女などと言われることは」
(なんだ。そんな些細なことか)

 霞は楓の反応が悪かった理由に呆れる。

(私のことなんてどうでもいいでしょうに。今更人の心配なんて。楓様はお疲れなのかした)
「問題ございません。「遊ばれた女」が使える時もございますので。上手く使えば人の同情を誘えるでしょう。それに比べて楓様は良いですね。どんなに噂が流れようとも傷がつくことはないのですから」

 そう言って意地悪く笑うと楓が不機嫌そうに腕組をする。

「それは心外しんがいだな。俺だってただ遊んでいるのではない。上手く装っているだけだからな!それにしても相変わらずしたたかな女だ……。分かった。霞お墨付きの「色男いろおとこ」ぶりで巻物を手にしてみせましょう」

 ひとしきり文句を言った後。まるで意中の女子おなごでも落とすかのような完璧な微笑みを霞に向ける。

(何だ。様子がおかしいと思ったのは気のせいだったのね……)
「霞。俺は?俺は、何をすればいい?」

 楓の少し後ろに控えていた伊吹が慌てて声を上げる。

「そうね……。そうしたら一日だけ私の護衛をしてくれない?と言っても宮中の東対までだけど」
「霞の……護衛?」

 伊吹の表情が分かりやすいぐらいに喜びの色に染まっていく。

「ええ。一目、物語の作者である水葵様にお会いしたいと思って……。聞きたいこともあるし。最近、水葵様が山茶花様の世話役に任命されたの。だから供をするのなら東対で働いている伊吹が適任てきにんでしょう?」
「だったら俺でも良かっただろう。大体俺の護衛はどうなるんだ」

 霞と伊吹の会話に割って入って来た楓の声は不機嫌そうだった。霞は面倒くさそうに説明する。

「ですから同日、同刻に水葵様と水仙様にお会いするのです。同時に動けば化け物も手を出しにくいでしょう。それと、水仙様は西対にいらっしゃいます。化け物から離れて比較的安全なのでご安心を」

 霞の頭の中の盤には挟み撃ちをするような陣形が浮かんでいた。自分でも中々良い策だと思っている。
 楓の悔しそうな表情を見て、思わず霞は口元に微笑みをたたえた。ここのところ楓に出し抜かれることが多かったので霞は少しだけ嬉しい気持ちになった。

「……分かった。その策で行こう。できれば霞様には危険な目に遭わせたくなかったが……」
「その心配には及びません!蔵人頭殿くろうどのとうどの!」

 楓の掠れた声を吹き飛ばすほどのはっきりとした声が部屋に響き渡る。伊吹は自分の胸をドンっと力強く叩いた。

「霞のことは命懸けで守り抜きます!」
「伊吹……。大袈裟よ」

 一人で盛り上がる伊吹を霞が冷静に制する。霞の言葉に笑う伊吹と満更まんざらでもない霞。息が合った様子を見て、楓の心は渦巻うずまいていた。
 従弟同士ということもあって霞と伊吹が並ぶとその姿は妙にしっくりとくる。「似合いの男女」とはこういうことを言うのではないかと思うぐらいに。それがまた楓の心を逆撫さかなでた。
 好意を持った女から別の女の元に行くよう指示される。これほどまでに苦痛なことがあるだろうか。しかもその行為は他ならぬ霞のためになることであり、帝のためになることであり……宮中を守ることでもあった。
 今まで化け物の情報を掴むために女子に近づくことも、関係を持つことに何の感情も抱かなかったが今はそれがとんでもなく苦痛に思えた。

(こんなことなら一人で化け物を追い続ければ良かったのか?いや。霞様がいなければここまで化け物に迫ることもできなかったか)

「楓様?如何いかがされましたか?」

 霞がいぶかに楓に向かって手を振る。見れば楓の側に控えていた伊吹も何事かと楓の顔を覗き込んでいた。先ほどまでの情けない思考を急いで脳内から追い出す。

「少し考え事を。それでいつ実行するんだ?」
「時を待つことはありません……明日にでも動きたいところです」

 霞の瞳の中に揺らめく炎を見て楓は心臓を掴まれたような気持ちになった。
 一族の生き残りであり、悲劇の女性。化け物への復讐を誓うその姿は痛ましいのだが同時に力強く、美しくもあるのだと楓は思った。そこまで考えて、霞を想ってしまう自分に呆れてふっと口から息を漏らす。
 
(俺だって。命懸けで守るさ)

 その心の声が霞に届くことは無かった。
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