姫は盤上に立つ

ねむるこ

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ものがたり

第二十三話 承(1)

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「同じ宮中とはいえ、東対ひがしついだとまた様子が違って見えるわね」

 かすみ長袴ながばかまを引きずりながらゆっくりと透渡殿すきわたどのを歩く。なるべく顔をさらさぬようにうちきの袖を口元に引き寄せる。后ほどの身分になれば女官達が供をして、移動中の妃の姿を隠したりする。この空間であればひさしの奥に控えている女官達に盗み聞きされる恐れはない。

「そうか?俺はどこも同じに見えるけど」

 風情ふぜい欠片かけらもない伊吹の答えに霞は呆れながらも、霞の心を和ませた。これから敵地へ乗り込むというのに2人の間には穏やかな空気が流れている。もう何年も味わったことのない感覚に霞はくすぐったい気持ちになった。

「それにしても久しぶりだ。霞とこうしてまた心置きなく話せる時が来るなんて……。嬉しいな!蔵人頭殿くろうどのとうどのには感謝しなければ!」
 
 無邪気に笑う伊吹に霞もつられて笑みを浮かべる。

「伊吹はいちいち大袈裟なのよ……。昨夜も楓様の前だからって格好つけたこと言っていたけど、本当に危ないことになったら……自分の身だけを案じなさい」
「別にあの発言は格好つけたわけじゃない!俺の本心だ!」

 子供のように反論する伊吹に霞が呆れたように目を細めた。

「それに、何があっても絶対に霞を守る。それだけは誰に何を言われようとも譲れない」

 真剣な顔つきに霞は思わず口をつぐんだ。さっきまでの子供じみた表情が消え去り、伊吹も立派な成人男性になったのだと思い知らされる。

「それより霞……水葵様との謁見えっけんの後、話したいことがあるんだ。少しいいか?」
「それは問題ないけど。何に関すること?」
「いや、それは……その……この場では話せない」

 伊吹が珍しく話をはぐらかして、顔を逸らす。いつもの伊吹なら臆することなく自分の意見を言うのに。霞は伊吹の反応から話題を推測し始めた。

(東宮様に何か動きがあったのかしら。それとも楓様への不満?私への不満かもしれないし。何だか訳ありそうね)
「できれば……2人きりで」
「分かった。また後でね」
「……そんな簡単に返事をするんだな」

 伊吹が落胆したような、嬉しそうな……複雑な表情をする。余計に伊吹の意図が分からず霞は顔をしかめた。

「当然でしょう。伊吹の頼みだもの」
「同じ一族同士の……従弟だからか?」

 あともう少しで透渡殿を渡り終えるというところで伊吹が立ち止まる。先を歩く霞は振り返って伊吹の様子を伺った。

「それはそうでしょう。伊吹はたった一人の親族なんだから」
「……そっか。そうだよな」

 伊吹が少し寂しそうな表情をしているのが気になったが、霞の中で水葵に会うことの方が優先された。
 
「分かったら早く行きましょう。初対面で水葵様を困らせる訳にはいかないから」
「ああ!そうだな!」

 伊吹は顔を上げると慌てて霞と歩調を合わせる。
 霞達が辿り着いたのは『水葵局みずあおいのつぼね』と呼ばれる、新しい局だった。水葵は物語を描く才を見込まれて普通の女官から、一室を与えられるまでの地位に登りつめたのだ。

(まるで昔の私のように……。己の才覚でここまで登りつめた)

 霞は緊張感を高めた。相手もそれなりにあなどれない相手のはずだ。もしかすると化け物の術にかかっていて自分達を待ち構えているかもしれない。
 水葵の局の前に控えていた別の女官達が霞と伊吹を迎え入れる。

「菖蒲様の女房、霞様であられますね?お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 まだ幼さの残る少女が口上を述べる。
 霞は隣に居る伊吹と目を合わせた。伊吹が霞を勇気づけるように大きく頷く。

「初めまして。霞様に左近衛府殿さこのえふどの

 水葵の局は想像以上に広かった。勿論たくさんの女官達もいるのだが……それにしても空間が余る。霞と伊吹が置き畳の上に座してもまだ数十名は座れそうだ。隣に座った伊吹も落ち着かなさそうな様子を見せる。
 菖蒲の乱雑とした室礼しつらいとは違い、整然としていた。
 御簾みす越しにちらりと見えた、水葵の鮮やかな水色のうちきが美しい。落ちついた低音の声から、水葵が持つ知性を感じた。
 御簾から覗く緑髪から恐らく自分より年下だろうと霞はさりげなく察知する。御簾越しから垣間見える手の造作。着物の着こなしから相手の年齢をなんとなく予測する。
 霞は流れるような所作しょさで綺麗に置き畳の上で頭を下げた。

「急な申し出にも構わず、お会い頂きありがとうございます」
「とんでもございません。それに、私の作品を読んでくださっている方の頼みです。断るはずがありません」

 その声は落ち着いていながらもどこか弾んでいる。歓迎されている雰囲気に霞は少しだけ緊張を緩めた。

「あれほど人を惹きつける物語を書かれるお方がどのようなお方なのだろうと思いまして……。お話したいと思い、声をかけさせて頂きました。左近衛府殿さこのえふどのにも無理を言って水葵様の局に案内して頂いたのです。予想以上にお若くて素敵なお方で驚きました」

 霞は腰元に差していた扇を開くと優雅に自身の口元に引き寄せ、笑んだ。相手に心地良い言葉を並べる。

(わざとらしく聞こえぬよう、自然に褒めるのって結構難しいのよね。ちょっとした声の調子で嫌味に聞こえたりするから)

「いえ。私も霞様と一度お話したいと思っていたので良い機会に恵まれ、嬉しいです」
「私とですか?それは……光栄ですね」

 水葵は社交辞令か、はたまた本音か分からぬ返答をする。この時点でまだ水葵の心の内は見えない。

(これは……手強そうだわ)

 霞は脳内に盤上を思い浮かべる。慎重に一手を打ち始めた。

「して。作品のことで私に聞きたいこととは何でしょう」
「とても素晴らしい作品で私、特にあの場面。つばき姫が自分は帝に見合わないのだと自信を無くしている所を帝が励ますところが何とも言えず……素敵で美しかったです」

 まずは作品について熱く語ることから始めた。霞は止まることなく、ひめつばき物語について語り始めた。あまりの口数の多さに、隣に座っていた伊吹も瞬きを繰り返す。

「私もその場面は気に入っております」
「他にも雨に濡れるのも構わずつばき姫を連れ出す場面も心動かされました……。ああ、それとその時の影帝のお言葉もまた良くて……」

 霞は自分でもうんざりするぐらいに作品を褒めたたえた。いつもなら心にない誉め言葉を口にすることで胸焼けを起こすのだが、今回はそうでもない。

(実際、あの物語は面白いから無理に偽る必要がないのよね)

 頃合いを見計らい、霞は本題を切り出した。

「私も是非、原本を一目見たいのですが……」
「是非お見せしたいところですが……。残念ながら私の手元にはございません。今頃どこのどなたが手にしているのやら」
「原本は水仙様が殆ど所持していると聞きましたが」

 霞は菖蒲と春蘭の会話を思い出して首をひねる。

「昨夜、水仙様がもうじき最終巻を読み終わると聞きました。他の原本をそれぞれ読みたいという女房達に引き渡したようですよ」
「どなたに引き渡したかは分かりますか?」
「いえ。宮中の者に触れ回れば、何れ霞様の手にも回って来るのではないですか?宮中なんて狭い世界なのですから」
(これは面倒なことになったわね。水仙様がどなたに手渡しのかは楓様から聞き出してもらうしかないか)

 落胆している素振りなど感じさせない笑顔を浮かべると、霞は質問を続けた。作品が好きな純粋な読者としての質問を装って。

「『ひめつばき物語』を書くのに何か調査されたのですか?人の描写もそうですけれど、神社の描写が細かくて気になったのです」
「それは当然です。実際に見に行ってその様子を書いておりますから」
(さすがね。物語の職人というべきかしら。物語を書くのに妥協しない。こういうお方が上の地位に登りつめてくるわけだわ……)

 霞が心の中で恐れおののいていると、水葵は何かを察したのか。さらりと重要なことを口にする。

「物語の元になった東宮様と山茶花さざんか様にも詳しくお話を伺っております」
 
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