姫は盤上に立つ

ねむるこ

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ものがたり

第二十四話 承(2)

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「そうなのですか!是非とも教えてくださいませんか?」

 実際に東宮とうぐうに話を聞いている。その事実にかすみの心臓は高鳴った。
 化け物が東宮であるという決定的な情報を手にすることができるかもしれないと思ったからだ。
 霞の興奮は水葵みずあおいにとって「物語に夢中になっている女房にょうぼう」にしか見えない。見事な情報の引き出しっぷりに伊吹いぶきは目を丸くする。

「おふたりの出会いについてはもう熱心に聞きました。山茶花さざんか様も東宮様もお互いを一目見ただけで「この人だ」と思われたようです。私が予想していた通り、おふたりの縁はかなり強いものでした。私は山茶花様のお側に付く前から物語を書いておりましたが……もっと早くにおふたりから言葉を聞くべきでした。高貴なお方達だから当時の私にはお会いすることなんてとてもできませんでしたけどね」

 水葵の声が少しだけ悔しそうな色を帯びる。そこまで『ひめつばき物語』に強い思い入れがあるのだと痛いほど伝わってきた。

「だから最終巻では、ふたりの生い立ちを詳細に描いています。おふたりのお互いを思いやるお心も以前の物語よりも深く描いたつもりです」
「それは……大変興味深いですね」
(これは俄然がぜん、物語を解読する必要が出て来たわね。特に最終巻は絶対に読まないと……)

 霞の心臓が激しく脈打つ。東宮の本性が分かるかもしれない。国崩くにくずしを目論もくろむ理由、霞の家族が殺された理由に迫れる。そう思うと霞はいてもたってもいられなくなった。

(落ち着くのよ。冷静に……。ここで一度に質問するのは危険だわ。水葵様とは交流を築いておいて今日の所は退きましょう)

『退き時が大切だからな。深追いは時として自軍を滅ぼす。優秀な将は退く時を心得てる』

 さかきの声が聞こえたような気がして、霞は胸元に手を当てて自分を落ち着かせる。

「私ったら。嬉しくてつい話すぎてしまいましたね。本日はこれにてお暇《いとま》致します」

 霞は水葵に向かって深々とお辞儀をした。

「楽しいひと時というのはあっという間ですね。霞様がここまで物語がお好きだったなんて……。是非またお話に来てください」
「はい。是非とも」

 霞と伊吹が立ち上がり、局を後にしようとした時だ。霞が何かを思い出したように御簾みすを振り返った。

「そうでした。最後に聞き忘れたことが……」
「なんでしょう?」

 他の女官と伊吹は霞の突然の問に驚いた表情を浮かべる。水葵だけが落ち着いた声で霞に返事をしていた。まるで霞のその質問を待っていたかのように。

「水葵様は……物語に関する呪いをご存知でしょうか」
「物語の……呪いですか?」

 霞は御簾越しの水葵の反応を伺う。

「実は女官達の間で噂になっているのです。物語の原本、一番後ろに奇妙な言葉が書かれていると。水葵様であれば何かご存知かと思いまして……」

 最後の最後で核心を突くような質問に隣にいた伊吹は息を呑んだ。緊張した面持ちで霞の横顔を眺める。

「奇妙な言葉ですか?私には心当たりはありませんが……」
「それは失礼致しました。では……」
「でしたら私からも最後にひとつだけ」

 意外なことに水葵も反撃を仕掛けてきた。霞は動じることなく水葵に応じる。ふたりの間に張り詰めた緊張の糸が見える気がした。

「何でしょうか?」
「霞様はどなたかに対して、自分はこの方の隣に相応ふさわしくないと思われているのでしょう」
「……!」

 東宮のことでも、物語のことでもない問いかけに霞は目を見開く。
 それは紛れもなくかえでのことを指していた。何となく空気の変わった霞を見て、伊吹は焦燥感に駆られる。伊吹にも水葵の言う「どなたか」が誰のことを指しているのか分かっていた。

「人が物語を語る時、無意識に己と重ね合わせているものなのです。だから霞様が良いと思われた物語の一節いっせつからそんな風に感じ取りました」

 落ち着き払った水葵の言葉に霞は唇を噛み締めた。

(痛い所を突いてくるのね……)

 霞の悔しそうな表情に水葵は穏やかな声で続けた。

「どなたかのことか存じませんが……。霞様は霞様の御心のままに。ご自身を否定するのではなく、どうか素直にそのお方と向き合ってください。私の心配など余計なお世話でしょうが恋物語を描く者として……どうしてもこれだけは言っておきたくて。
愛に身分も外見も内面も関係ないのです。ただそこに愛おしいという気持ちがあるだけ。それだけなのです」
「そのようなことは……ありません。ですが水葵様のお言葉、心に仕舞っておきます。本日は本当にありがとうございました」

 何とか笑顔を取り繕って霞は水葵局みずあおいのつぼねを後にする。
 西対にしついへと伸びる透渡殿すきわたどのの前で霞は大きなため息を吐いた。

「水葵様は油断できないお相手ね……。攻撃してやったと思ったら反撃された。会ってみたところ術にかかっている風ではなかったけれど……」
「霞、少しいいか?」

 伊吹の深刻そうな声に霞は立ち止まった。

「そういえば話したいことがあるって言ってたわね」

 伊吹は黙りこんだまま霞の腕を引いて近くのひさしに入る。
 薄暗く狭い空間。宮中のあちこちにはこういった女官の部屋が点在てんざいしているが、ここは恐らく使われなくなった部屋なのだろう。人の気配がない。

「伊吹。どうかしたの?こんな所で話って……。それに腕。痛いんだけど」

 霞は伊吹に掴まれたままの左腕を見下ろす。

「霞。俺は……」

 伊吹は一瞬だけその後に続く言葉を躊躇ためらった。その様子を見て霞は、すぐ後に続く言葉を聞くべきではないと悟る。霞がこの場を納める言葉を探すよりも伊吹が覚悟を決める方が早かった。

「霞のことが好きなんだ」
「急に何を言って……」

 見上げた伊吹の真剣な表情に霞は黙り込んだ。伊吹は冗談でもなんでもない。本気で言っている。
 霞はじんわりと伊吹に掴まれた左腕が熱を帯びるのを感じた。この時、自分がどんな表情をしていたのか思い出せない。



「『ひめつばき物語』の原本ですか?読みたいという者に手渡してしまって私の手元にはありませんよ。あるのはこの最終巻のみ。それも今宵読み終わる予定ですけれど」
左様さようですか」

 霞と伊吹がただならぬ雰囲気で向かい合っている頃。かえでは西対の水仙局すいせんのつぼねで第二王妃である水仙と向かい合っていた。

「あら、意外。貴方のような人でも物語に興味があるのね」

 御簾越しにふっと笑みが零れる。水仙が控える局は菖蒲の局の正面の建物の一角にある。水仙の側に控える女官達は誰もがおどおどしており、異様な空気が局の中に広がっていた。皆、水仙を恐れているのだと楓はすぐに理解する。

「ええ。流行はやりのものは知っておきたいので」
「それより。少し私の話を聞いてくださらない?」
「私で良ければ。喜んで」

 楓は情報を聞きだして一刻も早くここから立ち去りたかったのだが、水仙はそれを許さない。

「殿下はあの小娘のことしか眼中にないのよ。私の見目みめがこんなだから……。もう女としての自信がなくなってしまって」

 わざとらしく声を震わせ、菖蒲あやめに対する愚痴を話始めた。まるで物語の悲劇の姫のように語るのは水仙が大の物語好きだからだろうか。それとも他人から優しい言葉を引き出すためのものか。楓は頭の隅でそんなことを考える。

「そんなことはございません。水仙様は他の女子おなごにはない美しさをお持ちですよ」

 楓の口から流れるように浮いた台詞せりふが零れる。嘘っぽい言葉も楓の秀麗な見目と良い声で真のように聞こえるから不思議だ。

「そういえば。噂で小娘の女房……。名前も顔も思い出せないけど……その者の元に通っているというのは本当なの?」

 霞の話題に楓の心が一瞬だけ震えた。菖蒲を敵視しているだけあって霞に対する言葉も容赦がない。
 本当は霞が遊び相手だなんて口が裂けても言いたくなかったが、水仙から情報を引き出すには水仙の味方にならねばならない。楓は不敵な笑みを浮かべる。

「まさか。私が本気で相手をするわけがありません。数多いる女子の一人ですよ」

 自分でそう答えておきながら心の中に鈍い痛みが響く。その解答を待ってましたというように水仙の声が明るくなった。
 自分が嫌いな者の悪口を聞くと女子は水を与えた魚のようにすいすいと活発になり、元気になる。楓は色んな女子と会って話す度に幾度となくその光景を見てきたが毎回同じで驚いてしまう。

「でしょうね。何せあの小娘の女房だもの。大した女子おなごではないんでしょう。貴方とは気が合いそうね。どうかしら……今宵こよいお会いするのは。私なら『ひめつばき物語』のこと。もっとお話しできると思うけど」

 とらえた。と、楓は思った。霞が追っていた情報に近づく絶好の機会だ。この調子でいけば最終巻ぐらいは手にすることができるかもしれない。

「ええ。是非、お会いしましょう」

 周りの女官達が見惚れてしまうほどの完璧な笑みを浮かべた。
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