姫は盤上に立つ

ねむるこ

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はるがすみ

第三十七話 第三巻 こころぐるし(1)

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 霞は時折うめき声を上げる茉莉まつりを背負いながらついの建物へ移動する。

「ここなら大丈夫!水仙様の局の辺りは危ないから……」
「ありがとう……。あの、貴方は?」
「私は空木様のいちばん弟子。きりと言います!」

 人が人の首を絞めている光景に出会った後だというのに溌剌はつらつと答える少年に辟易へきえきとする。

(自分のことを「いちばん」だなんて。子供特有の自信家ね。陰陽頭おんみょうのかみ様の疑惑も晴れていないんだからこの子も警戒する必要があるわ……)
「疑ってるね。死相しそうが出ていたから助けてあげたのに!」

 桐は頬を膨らませて霞を批難する。いつの間にか敬語がなくなっていたが子供のことだからと霞は気に留めなかった。桐は片手に手蜀と脇にふたつの巻物を挟んで霞の荷物係になっている

「貴方、あの一瞬で私を占ったの?」
人相にんそうを見るぐらい大したことないよ。それに私の術で邪気が払われていたでしょ?」
「あれは術というより……力技ちからわざではなかった?」

 確かに桐は呪文を唱えていたが茉莉の後頭部に蹴りを入れたのが原因だと霞は考えていた。

「宮中に変な結界けっかいが張られてるんだ」
「結界?」

 桐が真剣な表情で大きく頷く。

(子供でも普通の子供じゃない。陰陽師の弟子は特別賢いと聞くわ)
「そ。聖なる領域の区切りだよ。本当なら悪いものが外から入らないようにするためのものなのに、悪いものが出て行かないようにんだ」
「悪いものを……閉じ込める」
「陰陽寮の皆にも話したのに誰も取り合ってくれなかった。私が子供だから間違ったことを言ってるって……。それにしても空木様まで私の言うことを否定するなんておかしい」

 霞は桐の言葉を考えながら廊下を歩く。やがて、建物の外を歩く見張りの衛士えじを見つけて声を上げた。
 まずは茉莉をどうにかしなければならない。

「すみません!このお方が廊下で倒れておりました……」
「女官が?分かった。すぐに人を呼んでくる!」

 霞はそっと茉莉を下ろすと、羽織っていた薄紫の小袿こうちきを茉莉の身体にかけた。

(早く二巻目を読まなければならないし……事情を聞かれたら時間が掛かりそう。茉莉様には悪いけれど私はこの場を離れさせてもらうわね)
「桐様。ここまでお供して頂き、ありがとう存じます。私は急ぎの用がございますので茉莉様をお願い致します」

 そう言ってひめつばき物語に手を伸ばそうとすると、桐はひょいっと巻物を頭上に上げてしまう。霞は宙を掴んだ手を引っ込めながら桐を睨んだ。

「何のつもり?」
「助けたんだからお願い聞いて貰ってもいいよね?」

 霞は子供の悪ふざけだと思って深いため息を吐いた。

「お願いというのは?」
「一緒に陰陽寮に来て欲しいんだ。多分……蔵人頭くろうどのとう左近衛府さこのえふが危ないよ」
かえで様と伊吹いぶきが?」

 驚いた霞の表情を見て桐は楽しそうに笑う。



 とき同じくして場所は陰陽寮。楓と伊吹は空木うつぎと対面を果たしていた。

「夜分遅くに失礼致します。空木様に確認したいことがあり、お伺いしました」
「……『ひめつばき物語』のことであろう」

 低く地の底を震わせるような声に楓は息を呑んだ。まさに聞こうとしていたことを言い当てられ、笑みを浮かべる。

「さすがは陰陽頭おんみょうのかみ様。お得意の占いですぐに分かってしまわれましたか」

 楓はわざと調子の良いことを口に出してみるも、空木の雰囲気が和らぐことは無かった。黒に塗られた御簾が心許こころもとない高灯台の明りに照らされて不気味に揺らめく。
 楓の背後に控える伊吹は絶えず周囲を見渡し、警戒しているようだった。

「分かっておられるのならば話は早い。その物語は宮中の安寧を崩しかねません。どうか私に御引渡しください」
「宮中の安寧?そんなもの……とっくの昔に消えておる。『化け物』が現れてから」

 楓は空木の言葉に目を見開く。

「空木様は……化け物の存在を御存知だったのですか?」
「ずっと凶兆は出ていた。しかし、化け物が宮中に上がってしまったからにはもう遅いのだ。凶兆は止められぬ……」
「知っていて何故止めなかった!権力者の不審死が続いていたというのに陰陽師らは何をしていた?そうすれば……!」

 楓は続く言葉を飲み込んだ。あまりにも個人的な感情だったため空木にぶつけるべきではないと理性が止めたからである。その代わりに心の中で吐き出した。

(そうすれば霞は一族を失わずに済んだのに……)
「我々は化け物のせいではないと帝に嘘の助言をし続けてきた。だからお主が動くことになったのだろうよ」
「お前達は……初めから化け物側で、帝に背いたと判断していいのか?」

 驚愕の真実に楓の声が微かに震える。
 宮中の異変に陰陽師達が気が付かないはずがない。彼らが今まで息を潜めていたのは化け物にからではない。化け物にをしていたのだ。

「半分は真で半分は偽りだ。正確に言うなれば……はじめは化け物に従うふりをして様子を伺っておった。しかし弱みを握られ、脅された結果が今起こっていることだ」
(化け物の常套手段だ)

 楓は心の中で舌打ちをすると苛立たしげに続けた。

「では呪いの物語も、水仙様が正気を失われたのもお前達のせいだということか!何が目的だ!何故国を崩そうとする?」
「……これ以上の問答はお互い身を亡ぼすことになる。それにこれから更にのだ。御二方にはしばし、大人しくして頂こう」

 空木が手を打つと同時に、今まで灯されていなかった部屋中の高灯台の火が灯される。楓と伊吹を取り囲むようにして陰陽師達が御簾を潜り抜けて姿を現したのだ。暗闇に紛れるためか、いつもの白い装束ではなく黒い装束を身に纏っていた。

(極端に明りが少なかったのはこのためか!)
蔵人頭くろうどのとう殿!私の後ろに!なんとか陰陽寮から出ましょう!」

 伊吹が抜刀し、近づいてこようとする陰陽師を牽制するが圧倒的に相手の数が多
い。その上室内とあっては逃げきれない。

(こんなところで……。こんなところで終われるか!)

 伊吹と背中合わせになりながら、陰陽師達と睨み合っていた時だった。

「お待ちください!」

 襖を開け放し、入室してきたのは見知らぬ少年だ。走って来たせいで息が荒く、片手を挙げて部屋中の視線を集めていた。

「今からでも遅くありません。皆で化け物をやっつけましょう!」

 気の抜けた宣言に緊迫した雰囲気が壊れ始める。
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