姫は盤上に立つ

ねむるこ

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はるがすみ

第四十四話 たまのを(1)

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「私は今までにたくさん奪われてきた……。財や地位だけじゃない。身体も心も。私だけ思いのままに生きることができないのはおかしいじゃない?だったら私がになればいい。そうして盤上遊戯のように駒を動かして私の思い通りの世にすればいいってことに気が付いたの」

 山茶花さざんかは悪びれもせず、弾んだ声で今までの悪事の動機を語った。

「宮中を私の術にかかりやすい者で固め、私の思い通りに動く駒を配置する。そうすれば私が私らしく生きることのできる世のできあがり。ついでにいさかいが起こることも無くなるから治政も良くなる。賢い方法だと思わない?」

 霞は左腕の火傷跡を右腕で押さえながら絞り出すようにして声を出す。

「お前の願いのために私の一族は犠牲になったというの……?」
「貴方のお父様、さかきが悪いのよ。賢く人望もあって仕事もできる。できれば私の手駒にしたかったんだけれど……その賢さゆえ、私の正体に気が付いてしまった。その上、術にかからないたちならば消すしかないでしょう。東宮様だって。術にかかりやすかったから我が夫に選んだのよ」

 霞は血の気が引いていくのを感じた。
 化け物に罪の意識などない。目の前の美しい女人が霞の目にはこの世の者とは思えないおぞましい化け物に見える。あまりにも身勝手な動機に霞は理解が及ばず額を押さえた。

「四年前のあの日……祝いのしなを手配したのもお前だったのでしょう。召使めしつかいの一人を操り、祝いの酒に眠り薬を盛らせた。そうして燃えやすいものや油を含ませた祝いの品に火をけた……」

 あの日の真実を霞は犯行の首謀者である目の前の化け物に語った。山茶花は目を細めて満足そうな表情をみせる。

「よくもまあ、少ない情報でそこまで推測できたわね。さすがは榊の娘。榊のことだから家の者にも私のことを話しているかもしれない。書を残しているかもしれないと思って全てを燃やすことにしたの。操った下人も一緒に燃やしてしまえば証拠は何も残らない。完璧な計画だった」
「残念ながらその計画。完璧ではなかったわ。私は生き残って今、こうして生き証人としてここにいる!」

 怒りに震えた霞の声が山茶花の局に響き渡った。霞の瞳の奥が燃えている。山茶花は鬱陶しそうに扇を揺らし、短いため息を吐く。

「何故私が今まであなたたちを見逃したと思う?消そうと思えばいつでも消せた。そう思わない?」

 一呼吸置いた後。山茶花は男子を魅了するような妖しい笑みを浮かべ、嫌味たっぷりに答えた。

「あなたたちがだったから。どうせ何もできやしないと思ってあえて放っておいてあげたのに、こうして消されにくるなんて。おかしい人たち。でもおかげでとても面白いものをみせてもらったわ」

 霞は山茶花の挑発に頭に血が上る。思わず右肩に引っ掛けていた弓に手をかけた。

「貴方には感謝してるのよ、霞。ちょうど入内じゅだいするところを利用することができたんだから。娘の祝いとなれば榊も油断するでしょう?」
「やめて……」
「さぞ喜んで祝いの品を受け取ったんでしょうね。それが一族を燃やし尽くす火種ひだねと知らずに……」
「黙りなさい!」

 肩で大きく息をしながら霞は弓矢を構えていた。
 矢じりは真っすぐに御簾越しの山茶花のひたいを狙っている。

「そんな怖い顔をしないで。私は今までの薄汚い権力者たちとは違う。立場の弱い者たち……女や子供にとって生きやすい世にしたいの。だから私の言う通りに動いてくれると言うのなら貴方を害することはしないわ」

 弓矢を構えていた霞の手が震えた。山茶花が身分の低い者や孤児みなしごの子供達を重用ちょうようしていたことを思い出す。

「何を……言っているの?」
「私の力はこの世のために使えると思わない?」

 躊躇いを感じたのは一瞬。霞は依然として弓矢で狙いを定めたまま歌を詠み上げた。

「うつせみの……うつり世なればともしびも人の命もからと同じ」

 山茶花の目が大きく見開かれる。それは『ひめつばき物語』のそれぞれの巻の最後に書かれていた歌の一部を組み合わせて完成させたものだった。

「人の命をからうたうような者にまつりごとを任せられるはずがない!自分に都合の悪い者がいれば男も女も老いも若いも関係ない。お前は迷わずに消すでしょう。牡丹ぼたん様のように!」
「……!」

 霞は弓矢を構えたまま続けた。

「牡丹様は身分の低い、身寄りのない女子おなごでした。それなのにお前は消した。お前は牡丹様の身の回りの支援をしていらわね。牡丹様の薬に毒物を混ぜて渡したのでしょう……証拠は遺品整理した際に消したはず」

 今度は牡丹が亡くなった真実を語る。証拠は何もない。全て霞の推測に過ぎなかったが霞は強く確信していた。牡丹は山茶花に利用され、殺されたのだと。

「牡丹様は山茶花さざんかのことを……化け物であるお前のことを信じていた!弱きものを救う?笑わせないで!その弱き者にすら線引きするお前に誰が味方するというの?」

 山茶花は視線を俯かせ、初めて顔を歪めた。一番触れられたくない部分に触れられてしまったと訴えるかのように。

「牡丹様……可哀想なことをしてしまったわ。術の効かないかえで様を消すために白樺しらかば様という駒を動かすために仕方なかったのよ。それに宮中をこそこそと嗅ぎまわっていたし。いち早く始末しなければならなかった……。それにあなたたちが牡丹様から事情を聞かれても困るし」

 霞は山茶花をきつく睨む。そんな霞の視線に臆することなく山茶花は続けた。

「でも牡丹様は幸せだったと思わない?私のお陰で白樺様と出会い、愛する者と出会ってこの世を去ることができた。私に出会わなければあの屋敷でひっそりと死んでいたでしょう」

 霞の中で張り詰めていたげんが切れる音がした。

「お前は……この世にいてはならない化け物よ……」

 構えていた弓矢を放っていた。
 弓矢は御簾を突き破り山茶花に届くと思っていたが、突如物陰から現れた人物によって打ち払われてしまう。霞は一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
 無残にも半分に折れた矢が床に転がっている光景を眺める。
 
 赤い武官の束帯。屈強な体つきの男……。引き抜かれた刀の刃を手に仁王立ちするその人物の正体に霞は目が零れ落ちんばかりに開いた。背中に冷や汗が流れ、呼吸が止まりそうになる。

伊吹いぶき……?」

 山茶花の前に立ちはだかっていたのは伊吹だったのだ。
 瞼はきつく閉じられ、操られているのだとすぐに分かった。

「健気な殿方ね。貴方より先に私を殺そうとしていたみたい。最終巻のありどころをちらつかせたら私の侍女の後をのこのこと付いて来て……。貴方のことをちらつかせたらすぐに術にかかったの」

 少女のようにはしゃぐ山茶花の語り口が霞には耳障りだった。そうして扇を手に目を細め首を傾げる。

「さあ。霞はどうするのかしら。一族の生き残りを射抜くことはできて?」

 霞は立ちふさがる伊吹を前に立ちすくんだ。それでも東宮から帝を守ろうとしている楓を思って気を奮い立たせた。

(楓様も戦っているはず……私がここで化け物を倒さなければ!)

 背中の矢筒から矢を取り出すと、再び構える。




「ここから先は殿下おひとりでお上がりください」
「なんだと?」

 東対の東宮の部屋の前。帝の後ろで楓は声を上げていた。

「東宮様のお言葉にございます」
(もし東宮様が化け物に操られているのなら……。ふたりきりになった瞬間、殿下に危害が及ぶだろう)

「分かった。正気を失った者達の対応もある……。急ぎ会おう」
「殿下!私もお供致します。私は後ろで控えておりますので……」

 楓はすかさず声をあげる。帝を止めることができないならば、東宮を止めるしかない。必死の様子に東宮の従者たちは渋々承諾した。
 楓は緊張した面持ちで東宮の部屋に足を踏み入れた。もしかすると二度とこの部屋の外から出ることができないかもしれない。

 それでも化け物に立ち向かっているであろう霞を思って気を奮い立たせた。

(今このとき、霞様も戦っているはずだ……。俺がここで帝をお守りせねば!)
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